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第二章【祟り蛇と錆びた断頭台】
02
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今のは、俺じゃない。だったら、『何』なのか。
そう考えた瞬間、黒衣のあの男が浮かんだ。
「……曜?」
益々不審そうにする巳亦に、俺は助けを求めようとする。何かがおかしい。獄長はいないはずなのに、まるであの時みたいに獄長に体を乗っ取られたみたいな感覚に襲われるのだ。
「巳亦」何かがおかしいんだ、と続けようとしたとき。
「悪い、大丈夫だ。……ちょっと、くらくらしてきただけだ」
口から出た言葉は俺の意志と反したものだった。
ぞくりと背筋が凍りついた。間違いない、獄長がまだいる。どこかにいる。恐ろしいほど近くにその気配を感じると同時に、正反対の言葉を口にする自分自身に震えた。
「そうだな。伊波様の体ではここにいるのはお辛いだろう。……そろそろ移動するか」
「……あっち、臭いなかったです……」
「そうか、じゃあ行ってみるか。曜、一人で歩けるか?」
「あぁ、大丈夫」
なんて、手まで振り返す自分の体に慄く。
先を歩いて部屋を出る三人、残された俺は部屋を振り返る。獄長、どこだ。どこにいる。探すが人の気配はない。全部、俺が過剰に意識したことで生み出した幻覚というのか?
そうだとしても、何かがおかしい。自分の喉に触れ、重ねて巻かれた首輪に触れた瞬間だった。背後から伸びてきた白手袋に覆われた手、手のひらを重ねられる。
え、と思ったときには遅かった。体が浮く。抱き寄せられ、何がなんだか分からず振り返ったときだ。
「……相変わらず人らしく愚鈍な餓鬼だな」
「ご、くちょ……なんで……っ」
「器が一つなくなったところで痛くも痒くもない。……とはいえ、俺の欠片を持った貴様が俺のこの最下層へ来てくれたお陰でもある」
「感謝しよう、愚かな人間よ」くつくつと喉を鳴らして笑う男は見間違えようもなかった。ユアン獄長は確かにそこにいた。けれど、咄嗟に振り払おうとすれば、感触がなくなる。気が付けば獄長の姿もない。
あたりをキョロキョロと見回していたときだ。
「伊波様、どうかされましたか」
中々部屋から出てこない俺を呼びに来たらしい、黒羽が戻ってくる。
俺は獄長のことを伝えようとするが、「なんでもない」と俺の口は勝手に言いやがるのだ。
『無駄だ。……連中に俺の姿は見えない』
頭の中、どこからともなく獄長の声が響く。それはすぐ耳元からでもあり、自分の体の中からのような気もした。
『声も聞こえない。俺の操り人形である貴様だけが俺の存在を認識することができる。俺を主だと認識している。この意味はわかるか?』
わかるわけないだろ、と心の中で吐き捨てる。
獄長が笑う気配がした。そして、黒羽が扉から離れたところを見て、俺の体は俺の命令もなく壁に掛かった短刀を手にした。
待って、何をしてる。
ずしりとした金属の感覚に焦る暇もなかった。俺の体を支配した獄長はそれを制服の下に隠すのだ。
『何を恐れている?……死刑囚を処刑するだけのことだ。ただそのために貴様の体を借りるだけだ。何も恐れる必要はない。貴様はただ見ていろ。あの愚かな蛇の末路をな』
抵抗して刀を捨てようとしても指先一つ動けない。それどころか難なく俺の体を自分の体のように動かし、涼しい顔して黒羽たちの元へ向かうのだ。
「もう用は済んだのか?」
「あぁ、悪いな……待たせて」
「構わないが、具合は大丈夫なのか?」
「……少し休んでたら楽になったよ」
「……それなら、良かった……です」
当たり前のように三人に混ざってる俺を模した獄長に汗が滲む。誰か気付いてくれ。俺じゃないと。
そう思うのに、声は出ない。それどころか、どんどん隅に追いやられているような感覚に襲われるのだ。
「それじゃあ、門を開こう。……先のこともある、どこに出るか定かではないようだから伊波様はもし一人の場合その場から動かないように気をつけてくれ。なるべく早く合流するように務める」
黒羽の言葉に、「あぁ、わかった」と口は動く。
違う、何一つわかってないし大丈夫じゃない。門を開ければまた獄長が復活するような気がした。けれど、先程の言い分からして見るとこの最下層に来たから俺の意識の一部を乗っ取ることができたという口振りだった。
ならば、獄長が動くタイミングは。
何もなかったただの壁だった場所に黒い穴が浮かび上がる。先程飛び込んだのと同じワープゾーンだ。これに飛び込めば、或いは獄長の呪縛から逃れられるのか。
そう思って我先にと飛び込もうとするが、爪先が動かない。それどころか。
「……っ、つぅ……」
「伊波様っ?!」
「曜、どうした、大丈夫か?」
「悪い……ちょっと目眩がして……その扉、開いてる時間はそう長くないんだろう? 悪いけど、先に行っててくれないか」
黒羽とテミッドに目配せする俺の体。痛いところなんてない。それでも、俺の言葉を無碍にすることができない二人だ。躊躇う黒羽を諭したのは俺を演じる獄長ではない、他でもない、巳亦だ。
「曜には俺が付き添うよ。……二人は先に行ってて。曜を治癒したらすぐに追い付くから」
黒羽は何か言いたげだったが、ゆっくりと閉じかける扉を見て迷った末、苦渋の判断をする。
「わかった。……伊波様を頼んだ」
それを巳亦に託すのは、黒羽としても不本意だったのかもしれない。それでも、黒羽は巳亦を信じた。テミッドはちらりとこっちを見て、そして扉を潜る。その姿はすぐに闇に飲み込まれ、見えなくなった。
駄目だ、いてくれ、そして俺を止めてくれ。そう声を上げるが裏腹に口は「黒羽さん、また後で」と敢えてその背中を押すのだ。釈然としない様子だったが、黒羽は俺に従って扉を潜る。その黒い影が飲まれたとき、一層扉が小さくなったような気がした。
そして、巳亦はゆっくりとこちらを振り返る。
その表情には先程までの柔和な雰囲気はない、鋭利な刃物のような冷たい相貌を前に、俺は怖気づくことも許されなかった。
「……それで? ああして強引に二人を追い返してまで俺と二人きりになりたかった理由は『それ』か」
隠し持っていた刀を構える俺に驚くわけでもなく、巳亦は冷たく言い放つ。その言葉は俺に吐かれたものだったが、向けられた先は俺の中にあるもう一つの存在であった。
「……ここまで来ると非人道此処に極まれり、だな」
「それをいうなら貴様も大概だろう。俺がいると気付いていてあの二人を帰らせたのか。自殺願望は未だ健在のようだな、死にたがり」
「……勘違いするなよ。俺の問題に二人を巻き込みたくなかっただけだ」
「今すぐその子の体から出ろ」そう、静かに口にする巳亦だが口調とは裏腹に纏う空気は重くのし掛かってくる。別人のような巳亦に、体が震えそうになる。もし中に獄長がいなければ、俺の体は呆気なく崩れ落ちてたかもしれない。それほどの圧迫感だった。空気が震えるほどの渦巻く感情に、獄長は怖気づくどころか楽しげに笑う。
そして取り出した短刀のその先端を指の先でくるりと返し、自身――俺の首へと向けた。
「貴様は自分の立場が分かっていないようだな。貴様が従わなければこの少年の首を刳り取るだけだ」
「……その子に手を出すな……ッ!!」
「出さん。……勿論、貴様が俺に逆らわなければの話だが」
刃が近付き、皮膚の薄皮を一枚裂く。一筋の線から流れる熱の感触を感じた瞬間、巳亦が青褪めた。「やめろ」と喉奥から低く吐き出すように叫ぶ巳亦に、獄長は笑う。
「貴様のような男がこのような青臭い餓鬼に執心するとは、世の中何が起こるか分からんな。……否、貴様は最初からそうだったか。人間がいなければなんの役にも立たない、地を這うことしか能のない蛇なのだから」
「……俺を処刑するのが目的なんだろ。……なら、その子を開放してさっさと処刑台まで連れて行け」
「ああ、そうだな。と言いたいところだが……この餓鬼に対する貴様の反応は中々面白い。簡単に終わらせて手放すのは勿体無いな」
「……ッ! この……」
「時間も有限だ。どうせここで終わらせるのならば最後まで楽しもうではないか、なあ――巳亦」
滑り落ちる血の感触に痛みは感じない。
けれど、悲痛な巳亦の顔だけが見てられなくて、ああ、俺のことなんか気にしなくてさっさと逃げ出してくれてたらと思わずには居られなかった。
最初から、獄長は巳亦を嬲り殺すつもりだったのだ。
わかっていたはずだ、けれど、その手助けをするような真似になることは耐えられなかった。
……そして、俺が耐えられなかったところで逃げ出すこともできなかった。突き付けられた短刀の切っ先に反射して映る自分と目があった瞬間、俺……もとい獄長は笑った。
そう考えた瞬間、黒衣のあの男が浮かんだ。
「……曜?」
益々不審そうにする巳亦に、俺は助けを求めようとする。何かがおかしい。獄長はいないはずなのに、まるであの時みたいに獄長に体を乗っ取られたみたいな感覚に襲われるのだ。
「巳亦」何かがおかしいんだ、と続けようとしたとき。
「悪い、大丈夫だ。……ちょっと、くらくらしてきただけだ」
口から出た言葉は俺の意志と反したものだった。
ぞくりと背筋が凍りついた。間違いない、獄長がまだいる。どこかにいる。恐ろしいほど近くにその気配を感じると同時に、正反対の言葉を口にする自分自身に震えた。
「そうだな。伊波様の体ではここにいるのはお辛いだろう。……そろそろ移動するか」
「……あっち、臭いなかったです……」
「そうか、じゃあ行ってみるか。曜、一人で歩けるか?」
「あぁ、大丈夫」
なんて、手まで振り返す自分の体に慄く。
先を歩いて部屋を出る三人、残された俺は部屋を振り返る。獄長、どこだ。どこにいる。探すが人の気配はない。全部、俺が過剰に意識したことで生み出した幻覚というのか?
そうだとしても、何かがおかしい。自分の喉に触れ、重ねて巻かれた首輪に触れた瞬間だった。背後から伸びてきた白手袋に覆われた手、手のひらを重ねられる。
え、と思ったときには遅かった。体が浮く。抱き寄せられ、何がなんだか分からず振り返ったときだ。
「……相変わらず人らしく愚鈍な餓鬼だな」
「ご、くちょ……なんで……っ」
「器が一つなくなったところで痛くも痒くもない。……とはいえ、俺の欠片を持った貴様が俺のこの最下層へ来てくれたお陰でもある」
「感謝しよう、愚かな人間よ」くつくつと喉を鳴らして笑う男は見間違えようもなかった。ユアン獄長は確かにそこにいた。けれど、咄嗟に振り払おうとすれば、感触がなくなる。気が付けば獄長の姿もない。
あたりをキョロキョロと見回していたときだ。
「伊波様、どうかされましたか」
中々部屋から出てこない俺を呼びに来たらしい、黒羽が戻ってくる。
俺は獄長のことを伝えようとするが、「なんでもない」と俺の口は勝手に言いやがるのだ。
『無駄だ。……連中に俺の姿は見えない』
頭の中、どこからともなく獄長の声が響く。それはすぐ耳元からでもあり、自分の体の中からのような気もした。
『声も聞こえない。俺の操り人形である貴様だけが俺の存在を認識することができる。俺を主だと認識している。この意味はわかるか?』
わかるわけないだろ、と心の中で吐き捨てる。
獄長が笑う気配がした。そして、黒羽が扉から離れたところを見て、俺の体は俺の命令もなく壁に掛かった短刀を手にした。
待って、何をしてる。
ずしりとした金属の感覚に焦る暇もなかった。俺の体を支配した獄長はそれを制服の下に隠すのだ。
『何を恐れている?……死刑囚を処刑するだけのことだ。ただそのために貴様の体を借りるだけだ。何も恐れる必要はない。貴様はただ見ていろ。あの愚かな蛇の末路をな』
抵抗して刀を捨てようとしても指先一つ動けない。それどころか難なく俺の体を自分の体のように動かし、涼しい顔して黒羽たちの元へ向かうのだ。
「もう用は済んだのか?」
「あぁ、悪いな……待たせて」
「構わないが、具合は大丈夫なのか?」
「……少し休んでたら楽になったよ」
「……それなら、良かった……です」
当たり前のように三人に混ざってる俺を模した獄長に汗が滲む。誰か気付いてくれ。俺じゃないと。
そう思うのに、声は出ない。それどころか、どんどん隅に追いやられているような感覚に襲われるのだ。
「それじゃあ、門を開こう。……先のこともある、どこに出るか定かではないようだから伊波様はもし一人の場合その場から動かないように気をつけてくれ。なるべく早く合流するように務める」
黒羽の言葉に、「あぁ、わかった」と口は動く。
違う、何一つわかってないし大丈夫じゃない。門を開ければまた獄長が復活するような気がした。けれど、先程の言い分からして見るとこの最下層に来たから俺の意識の一部を乗っ取ることができたという口振りだった。
ならば、獄長が動くタイミングは。
何もなかったただの壁だった場所に黒い穴が浮かび上がる。先程飛び込んだのと同じワープゾーンだ。これに飛び込めば、或いは獄長の呪縛から逃れられるのか。
そう思って我先にと飛び込もうとするが、爪先が動かない。それどころか。
「……っ、つぅ……」
「伊波様っ?!」
「曜、どうした、大丈夫か?」
「悪い……ちょっと目眩がして……その扉、開いてる時間はそう長くないんだろう? 悪いけど、先に行っててくれないか」
黒羽とテミッドに目配せする俺の体。痛いところなんてない。それでも、俺の言葉を無碍にすることができない二人だ。躊躇う黒羽を諭したのは俺を演じる獄長ではない、他でもない、巳亦だ。
「曜には俺が付き添うよ。……二人は先に行ってて。曜を治癒したらすぐに追い付くから」
黒羽は何か言いたげだったが、ゆっくりと閉じかける扉を見て迷った末、苦渋の判断をする。
「わかった。……伊波様を頼んだ」
それを巳亦に託すのは、黒羽としても不本意だったのかもしれない。それでも、黒羽は巳亦を信じた。テミッドはちらりとこっちを見て、そして扉を潜る。その姿はすぐに闇に飲み込まれ、見えなくなった。
駄目だ、いてくれ、そして俺を止めてくれ。そう声を上げるが裏腹に口は「黒羽さん、また後で」と敢えてその背中を押すのだ。釈然としない様子だったが、黒羽は俺に従って扉を潜る。その黒い影が飲まれたとき、一層扉が小さくなったような気がした。
そして、巳亦はゆっくりとこちらを振り返る。
その表情には先程までの柔和な雰囲気はない、鋭利な刃物のような冷たい相貌を前に、俺は怖気づくことも許されなかった。
「……それで? ああして強引に二人を追い返してまで俺と二人きりになりたかった理由は『それ』か」
隠し持っていた刀を構える俺に驚くわけでもなく、巳亦は冷たく言い放つ。その言葉は俺に吐かれたものだったが、向けられた先は俺の中にあるもう一つの存在であった。
「……ここまで来ると非人道此処に極まれり、だな」
「それをいうなら貴様も大概だろう。俺がいると気付いていてあの二人を帰らせたのか。自殺願望は未だ健在のようだな、死にたがり」
「……勘違いするなよ。俺の問題に二人を巻き込みたくなかっただけだ」
「今すぐその子の体から出ろ」そう、静かに口にする巳亦だが口調とは裏腹に纏う空気は重くのし掛かってくる。別人のような巳亦に、体が震えそうになる。もし中に獄長がいなければ、俺の体は呆気なく崩れ落ちてたかもしれない。それほどの圧迫感だった。空気が震えるほどの渦巻く感情に、獄長は怖気づくどころか楽しげに笑う。
そして取り出した短刀のその先端を指の先でくるりと返し、自身――俺の首へと向けた。
「貴様は自分の立場が分かっていないようだな。貴様が従わなければこの少年の首を刳り取るだけだ」
「……その子に手を出すな……ッ!!」
「出さん。……勿論、貴様が俺に逆らわなければの話だが」
刃が近付き、皮膚の薄皮を一枚裂く。一筋の線から流れる熱の感触を感じた瞬間、巳亦が青褪めた。「やめろ」と喉奥から低く吐き出すように叫ぶ巳亦に、獄長は笑う。
「貴様のような男がこのような青臭い餓鬼に執心するとは、世の中何が起こるか分からんな。……否、貴様は最初からそうだったか。人間がいなければなんの役にも立たない、地を這うことしか能のない蛇なのだから」
「……俺を処刑するのが目的なんだろ。……なら、その子を開放してさっさと処刑台まで連れて行け」
「ああ、そうだな。と言いたいところだが……この餓鬼に対する貴様の反応は中々面白い。簡単に終わらせて手放すのは勿体無いな」
「……ッ! この……」
「時間も有限だ。どうせここで終わらせるのならば最後まで楽しもうではないか、なあ――巳亦」
滑り落ちる血の感触に痛みは感じない。
けれど、悲痛な巳亦の顔だけが見てられなくて、ああ、俺のことなんか気にしなくてさっさと逃げ出してくれてたらと思わずには居られなかった。
最初から、獄長は巳亦を嬲り殺すつもりだったのだ。
わかっていたはずだ、けれど、その手助けをするような真似になることは耐えられなかった。
……そして、俺が耐えられなかったところで逃げ出すこともできなかった。突き付けられた短刀の切っ先に反射して映る自分と目があった瞬間、俺……もとい獄長は笑った。
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