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第一章【烏と踊る午前零時】
恥ずかしがり屋の屍食鬼
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次に気づいたときは、柔らかい布団の中だった。苦しくないように着付けられた浴衣は俺が着ていたものとは違う。
黒羽が着替えさせてくれたのだろう。
寝惚け眼のまま辺りを見渡したとき、視界の端で影が動く。
「体の調子はいかがですか、伊波様」
黒羽はそう、湿った手拭いで俺の口元を拭い、乾きを潤してくれる。それを抵抗するほど目も覚めていなかった俺は、「大丈夫」とだけ口にした。
万全というわけではないが、薬のお陰もあってか昨夜ほどの腹を焼き尽くすような熱もなければ体を這う感触もない。それはよかったです、と黒羽は頷いた。
ずっと、俺を見ててくれたのか。側には座布団が一枚敷かれていて、黒羽はそこへと座り直す。
「何か食べたいものはありますか」
「……ないです」
「まだ、本調子ではないようですね」
「あの、黒羽さん……浴衣、ありがとうございます」
お礼を口にすれば、黒羽は何も言わずに頷いた。
昨夜に比べ、黒羽の態度が余所余所しくなった気がしないでもない。やはり、昨夜のことが原因か。
寂しくはあるが、我が儘言って余計困らせるような真似もしたくなかった。布団から起き上がろうとしたとき、外が騒がしい事に気付く。
どうしたのだろうか、とまで考えて、昨夜の惨状を思い出す。真っ赤な通路を更に濃く染め上げる黒い血。あれが原因だろうか、それとも半壊した俺の部屋か。
黒羽に目を向ければ、黒羽も気付いたようだ。「問題ありません」と、一言。俺の気持ちを汲み取った黒羽はそれだけを口にした。
「でも……」本当に大丈夫なのか、と尋ねようとしたときだ。
扉がノックされる。瞬間、黒羽の周囲の空気が一瞬にして張り詰めた。ひやりとした空気の中、固まる俺に、黒羽は「ここにいてください」とだけ口にし、扉へと向かった。
一人になるのは心細いし不安だが、すぐ目と鼻の距離だ。俺は、手元に置かれていた黒羽から貰った懐中時計に手を伸ばす。開けば、丁度午前五時を差していた。
満月の時間は終えたようだが、それでも、油断は出来ない。ここは人間界とは違うのだから。
ふと、扉の外で何やら言い争うような声が聴こえてきた。続いて、ドタバタとけたたましい足音。
本当に大丈夫なのだろうか、不安になって玄関口に目を向ける。けれど、昨夜のことを思い出し、大人しくしておくことにした。
そして暫くもしない内に黒羽は戻ってきた。
「黒羽さん、なんか外すごい騒がしかったけど……」
「ご心配なく。伊波様の部屋があの有様だったから色々聞かれただけです。事情は説明しております。部屋も片付けさせるように伝えましたが、暫くは私の部屋で過ごした方がよろしいかと」
万が一のこともある。黒羽の言葉に反対することはできなかった。幸い、部屋には大切なものもない。最初から手ぶらである俺はこのまま居座ることも可能なわけだ。
「今日の初登校時ですが、細心の注意を払うようにお願いします。私も側にいますが、伊波様、貴方も不用意に他の者に接触しないように」
「は、はい……」
「それと、登校時刻までまだ時間があります、もう一眠りしたらいかがですか?」
勧められ、俺は言葉に甘えることにした。
体調は戻ったが、疲労感が拭えない。初日から最悪のコンディションで朝を迎えたくはない。
今は、眠って落ち着こう。不思議と黒羽が側にいると分かるだけで、安心することが出来た。
俺は、再び布団へと潜る。
その間、黒羽は何をするのだろうか。ただじっと大人しく時間が過ぎるのを待ってるのか。……有り得そうだ。なんて、考えながら目を瞑る。
二度目の眠りは案外すぐにやってきた。一度目の、意識を手放すような気絶に近いものとは違う、ちゃんとした眠りだ。
次に目を覚ましたのは、どこからか聴こえてくる鐘の音を耳にしたからだ。ゴーン、ゴーン、と遠くで響くその音は耳を塞いでも聴こえてくる。起き上がれば、案の定黒羽が側の座布団で正座していた。
「おはようございます、まだ目を覚ますには些か早い時間ですよ」
「おはようございます。……あの、なんか、今鐘の音がしなかった? ゴーンって……」
「ああ、あれは毎朝六時に鐘を撞くんですよ。……確かに響きますね、明日からは辞めさせますか?」
「い、いや……そうじゃなくて、ただ、驚いたっていうか……アラーム代わりにはいいかな」
「アラーム、ですか……」
黒羽にはアラームが伝わらなかったのか、少しだけ不思議そうな顔をしていた。
六時に起床なんて、まだ人間界にいた頃よりも早起きで健康的ではないか。そんなことを思いながら、ふと、家族のことを思い出す。
今日、俺がいない朝を迎えて何を思ったのだろう。気にしないで元気にやっていてほしいが、少しは思い出してくれたらそれで嬉しいのだけれど……。
そう思いながら、布団から抜け出す。
居間、座卓の上には見覚えのある黒地の服が畳まれていた。
「これ……」
「学園指定の制服のようです。伊波様の部屋に置いてあったものを持ってきました。不審なところがないかは確認してますのでご安心を」
「黒羽さん、ありがとう」
「いえ。着替えならば、この部屋でどうぞ。私はその間、別室で支度をしてきますので」
言うだけ言って、黒羽は居間から脱衣室へと移動する。
黒羽の真面目な性格からしてその場にいると思いきや、 その辺の配慮はちゃんとしてくれるようだ。気遣ってくれたのだろうか。ありがたいような、申し訳ないような……。
シャツを下に羽織り、上着に袖を通す。伸縮自在のそれはすぐに体にフィットしたものになり、その軽さに、服を着ている感覚すらも忘れるようだった。
この部屋に鏡がないので確認は出来ないが、恐らく寝癖は大丈夫だろう。顔を洗おうかと水場のある脱衣所へと向かえば、丁度黒羽が現れたところだった。
「う、わ……」
いきなり開いた扉に驚き、続いて、全身黒尽くめの黒羽の威圧感に驚く。元々俺よりも高い位置にある顔に、筋肉質ながらも無駄のない体つき。
学生服というよりも、黒羽の場合は軍服と言った方がしっくりした。
「黒羽さんも、そういえば転校生ってことになるんだっけ……」
「ええ、私の役目は伊波様の護衛・補佐ですから」
「……学生って感じじゃないですよね」
「……私はあくまで伊波様の側近です。学生ではございませんので」
なんだか自分に言いきかせるような口ぶりだが、あまり深くは突っ込まないでいた方がいいかもしれない。
けれど、俺の制服姿よりかシャキッとしてて羨ましいなと思ったのも確かだ。
「伊波様は、黒がよくお似合いで」
「……そうかな? なんか、俺、余計なよなよしてしまってんじゃないかって思ったんですけど……」
「伊波様ほど、黒が似合う人間は見たことありません」
……本当かな。
黒羽のことだ、俺の気持ちをよくさせるために言ってるだけの可能性もある。けれど、悪い気はしない。それこそ黒が似合う男が目の前にいるのだけれど。
改めて身支度を整えた頃には懐中時計の針は七時を差していた。俺はその蓋を閉じ、内ポケットに仕舞った。
閉め切られた黒羽の部屋からでは外の様子は分からないが、窓の外は相変わらず夜空が広がってることだろう。
朝食へと向かう前に、黒羽に呼び止められた。
「伊波様、これを」
そう、黒羽に差し出されたのは薬包紙だった。それを更に手拭いで包み、黒羽は俺に手渡してくる。
なんだろう、と受け取ったところで昨夜口移しで飲まされた薬のことを思い出した。
「解毒剤と、鎮痛剤と、抑制剤です。それぞれ分かるように包に印をつけています。何かあればこれをすぐに飲むように」
「あ、ありがとう……」
あの苦味を思い出し、舌がピリピリと傷んだ、気がした。
それと同時に昨夜、とんでもないことを黒羽にしたことを思い出し、顔が熱くなる。
黒羽も、当たり前のように接してくるので忘れていたが、キス、したんだった。それを、何度も。
あの状況だからといえばそれまでだが、こうして意識してしまっている自分が余計恥ずかしくなって、今更目を合わせられなくなる。
それを何と勘違いしたのか、「伊波様、背が曲がってます、背筋を伸ばしてください」と、黒羽に叱られた。
……本人がこれだ、気にしたら負けなのだろう。
それにしても、昨夜の分身だ。分身というのだから、本体があるのだろうが黒羽はその手掛かりも掴めなかったという。
不安もあるが、気を引き締めなければならない。今更逃げ場などないのだから。
黒羽から貰った薬も、一緒にまとめて内ポケットに仕舞った。
「では行くか」と、ようやく、黒羽が敬語をやめてくれたとき。扉がノックされ、黒羽は動きを止めた。
「後ろに下がってろ」と片手でいなされ頷き返す。先頭を行く黒羽。その扉を開いたとき。
「っ、あ、の……」
扉の前、まず目に入ったのは血のように真っ赤な髪だった。左目を覆うような長い前髪を流した、青白い肌のその生徒は俺と同じ制服を着ていた。薄紫の唇。対象的に、淡い緑色のその瞳は挙動不審に宙を彷徨っていた。
「ぼ、ぼく、は、その、伊波様に用があって……その、学校に、教室まで、一緒に行きたくて、そうするように先生に言われて、それで、来たんです……けど……」
消え入りそうな声。その少年は、目の前の黒尽くめの男を前に酷く怯えてるようだった。
もはや土色になってるその顔に、俺は、黒羽の服の裾を軽く引っ張る。俺が出る、とそう告げれば、黒羽は視線だけを返した。敵意がないと判断したようだ。「伊波様ならここにいる」と、下がる黒羽。
「……伊波って俺のことだけど、もしかして、迎えに来てくれたんだ?」
何故だろう、相手が人間ではないと分かってても何故か無意識に人間の子供に話すような言葉になってしまう。
そう、少年の前へと出れば、赤髪の少年は「あっ、う……ぁ……」と震えながら後ずさる。
「何したはるの、テミッド。ちゃんと喋らんと、曜クンには伝わらへんよ」
聞こえてきたのは、特徴的な京都訛の男の声。
テミッドと呼ばれた少年の背後、ぬっと現れた金髪糸目のその男は、俺たちを見るなり「おはようございます、曜クン」と更に目を細めて笑いかけてきた。
相変わらず着崩した和服姿のその男に、すかさず黒羽が俺と能代の前に割り入った。
「ちょお、そない警戒せんでええやないですか。傷付きますわぁ」
「あっ、う、……能代さん、は、その、悪くないです、ぼく、僕が……僕のせいで……うう……」
どうも、このテミッドという少年はコミニュケーションというものが苦手なようだ。ゴニョゴニョと口ごもるなり、そのままナメクジか何かみたいに萎んでいくテミッドに、あまり気が長くはない黒羽の我慢の緒が切れた。
「貴様……さっきからごちゃごちゃと鬱陶しい……男児ならば何が言いたいのかハッキリしろ! 要件のみを話せ! 伊波様は暇なお方ではないんだぞ!」
「ヒッッ!!」
壁を殴る黒羽に驚いたテミッドは飛び上がり、そのまま能代の背後へと隠れてしまう。そして、メソメソと泣き始めるテミッドに能代は「あ~あ」と愉快そうに笑う。
黒羽も、もう少し柔らかく言えたならばもう少し違うのだろうが……。
テミッドの言葉の断片からして、教師に頼まれ、教室までの案内役を押し付けられたのだろう。
「あの、テミッド? ……ごめん、驚かせて。あの、この人は黒羽さん。顔は怖いし、声は大きいけど、悪い人じゃないから」
「ほ……本当に……?」
「うん、俺の友達」
「と、友達……」
黒羽が何か言いたそうにしていたが敢えて無視する。
相手に目線を合わせれば、ようやくテミッドと目が合うことに成功した。薄緑色のその瞳は目玉というよりも水晶玉のようにすら思えた。不思議な色だ。見透かすような視線に胸の奥がざわついたが、俺が目を反らしたら不信感を与えてしまう。俺は、テミッドを見つめたまま続ける。
「俺、学校のことなんもわかんないからすごい助かったよ。……それじゃあ、お願いしてもいいかな」
「……ぼく、なんかでいいの? ……ぼ、僕、鈍くさいし、伊波様、楽しくないと思い、ます……それでも、いいんですか……」
やたら自己卑下する人間は、人間界ではよくいた。
その実、その言葉とは裏腹に他人から認められることを求めているのだ。そう、教育テレビで言ってた気がする。
「大丈夫だよ、俺も人のこと言えないし」
そう返せば、テミッドの目がキラキラと輝いた。そして、すぐに顔が真っ赤になり、テミッドは真っ赤なストールで顔を覆い隠す。
「う……うう……伊波様が……能代様……」
「よしよし、えらいえらい」
「……」
何か茶番のようなものを見せられてるような気がしないでもないが、ちらちらと見ては目があって、ぴゃっと能代の影に隠れるテミッドは面白い。
「この子はテミッド。グゥルいう種族の子です。照れ屋で口下手ですけど、基本的にはええ子やから曜クンも仲良くしはってな」
あんたが保護者か?と聞きたくなるくらいの能代の保護者っぷりだが、ほっとけない気持ちはわからなくもない。
というか、グールって。あまり神話には興味なかったが、名前は聞いたことくらいはあった。悪魔、または人間の死体を貪る屍食鬼。
「ぐ、グール……」
「あ、ぼ、僕……生きてる人、食べない……だから、伊波様も……食べない……怖がらないで……」
「う、うん……わかった……よろしくね」
黒羽の目がどんどん恐ろしい事になってる。下手な動きでもしたらテミッドに切りかかりそうな気迫すら感じられたが、肝心のテミッドに敵意は感じられない。演技でもなさそうだ。戸惑いながらも、接する俺に能代は愉しそうだ。
「ほんなら、自己紹介も済んだし行きましょか」
「……行くって?」
「そら、学舎に決まっとるやないですか」
何言うとんです、と能代は笑う。俺の冗談だと思ったのかもしれない。が、能代はどっからどうみても制服姿には見えない。それとも、その格好で行くつもりなのか。
困惑する俺の視線に気付いた能代はにやりと笑い、そして突然腰の帯に触れ、目の前でそれを緩めた。
「せやかて……坊っちゃんがボクの生着替えをご所望とあらば、それに応えたるのが男ってもんやしなぁ」
「貴様……ッ」
と、黒羽が刀を引き抜くと能代が浴衣を脱ぎ捨てるのは同時だった。豪奢な刺青の羽織りは宙を舞い、一瞬視界を覆った。そして、次の瞬間だ。目の前には漆黒の詰め襟姿の能代がいた。
「ほな、行きましょ」
何食わぬ顔して、制服へと着替えた能代は笑う。
見事な早業というか、明らかに先程まで浴衣の下に何も着てなかったはずの男の生着替えに感動する間もなかった。
俺とテミッド、そして黒羽は能代についていっていいのか分からぬままついていくことになった。
能代も、制服が似合わない勢のようだ。
ちらりと振り返れば、能代が脱ぎ捨てた羽織りは小さな狐たちがせっせとどこかへ運んで行っていた。そちらの行方も気になったが、俺は、能代についていくことを優先させる。
黒羽が着替えさせてくれたのだろう。
寝惚け眼のまま辺りを見渡したとき、視界の端で影が動く。
「体の調子はいかがですか、伊波様」
黒羽はそう、湿った手拭いで俺の口元を拭い、乾きを潤してくれる。それを抵抗するほど目も覚めていなかった俺は、「大丈夫」とだけ口にした。
万全というわけではないが、薬のお陰もあってか昨夜ほどの腹を焼き尽くすような熱もなければ体を這う感触もない。それはよかったです、と黒羽は頷いた。
ずっと、俺を見ててくれたのか。側には座布団が一枚敷かれていて、黒羽はそこへと座り直す。
「何か食べたいものはありますか」
「……ないです」
「まだ、本調子ではないようですね」
「あの、黒羽さん……浴衣、ありがとうございます」
お礼を口にすれば、黒羽は何も言わずに頷いた。
昨夜に比べ、黒羽の態度が余所余所しくなった気がしないでもない。やはり、昨夜のことが原因か。
寂しくはあるが、我が儘言って余計困らせるような真似もしたくなかった。布団から起き上がろうとしたとき、外が騒がしい事に気付く。
どうしたのだろうか、とまで考えて、昨夜の惨状を思い出す。真っ赤な通路を更に濃く染め上げる黒い血。あれが原因だろうか、それとも半壊した俺の部屋か。
黒羽に目を向ければ、黒羽も気付いたようだ。「問題ありません」と、一言。俺の気持ちを汲み取った黒羽はそれだけを口にした。
「でも……」本当に大丈夫なのか、と尋ねようとしたときだ。
扉がノックされる。瞬間、黒羽の周囲の空気が一瞬にして張り詰めた。ひやりとした空気の中、固まる俺に、黒羽は「ここにいてください」とだけ口にし、扉へと向かった。
一人になるのは心細いし不安だが、すぐ目と鼻の距離だ。俺は、手元に置かれていた黒羽から貰った懐中時計に手を伸ばす。開けば、丁度午前五時を差していた。
満月の時間は終えたようだが、それでも、油断は出来ない。ここは人間界とは違うのだから。
ふと、扉の外で何やら言い争うような声が聴こえてきた。続いて、ドタバタとけたたましい足音。
本当に大丈夫なのだろうか、不安になって玄関口に目を向ける。けれど、昨夜のことを思い出し、大人しくしておくことにした。
そして暫くもしない内に黒羽は戻ってきた。
「黒羽さん、なんか外すごい騒がしかったけど……」
「ご心配なく。伊波様の部屋があの有様だったから色々聞かれただけです。事情は説明しております。部屋も片付けさせるように伝えましたが、暫くは私の部屋で過ごした方がよろしいかと」
万が一のこともある。黒羽の言葉に反対することはできなかった。幸い、部屋には大切なものもない。最初から手ぶらである俺はこのまま居座ることも可能なわけだ。
「今日の初登校時ですが、細心の注意を払うようにお願いします。私も側にいますが、伊波様、貴方も不用意に他の者に接触しないように」
「は、はい……」
「それと、登校時刻までまだ時間があります、もう一眠りしたらいかがですか?」
勧められ、俺は言葉に甘えることにした。
体調は戻ったが、疲労感が拭えない。初日から最悪のコンディションで朝を迎えたくはない。
今は、眠って落ち着こう。不思議と黒羽が側にいると分かるだけで、安心することが出来た。
俺は、再び布団へと潜る。
その間、黒羽は何をするのだろうか。ただじっと大人しく時間が過ぎるのを待ってるのか。……有り得そうだ。なんて、考えながら目を瞑る。
二度目の眠りは案外すぐにやってきた。一度目の、意識を手放すような気絶に近いものとは違う、ちゃんとした眠りだ。
次に目を覚ましたのは、どこからか聴こえてくる鐘の音を耳にしたからだ。ゴーン、ゴーン、と遠くで響くその音は耳を塞いでも聴こえてくる。起き上がれば、案の定黒羽が側の座布団で正座していた。
「おはようございます、まだ目を覚ますには些か早い時間ですよ」
「おはようございます。……あの、なんか、今鐘の音がしなかった? ゴーンって……」
「ああ、あれは毎朝六時に鐘を撞くんですよ。……確かに響きますね、明日からは辞めさせますか?」
「い、いや……そうじゃなくて、ただ、驚いたっていうか……アラーム代わりにはいいかな」
「アラーム、ですか……」
黒羽にはアラームが伝わらなかったのか、少しだけ不思議そうな顔をしていた。
六時に起床なんて、まだ人間界にいた頃よりも早起きで健康的ではないか。そんなことを思いながら、ふと、家族のことを思い出す。
今日、俺がいない朝を迎えて何を思ったのだろう。気にしないで元気にやっていてほしいが、少しは思い出してくれたらそれで嬉しいのだけれど……。
そう思いながら、布団から抜け出す。
居間、座卓の上には見覚えのある黒地の服が畳まれていた。
「これ……」
「学園指定の制服のようです。伊波様の部屋に置いてあったものを持ってきました。不審なところがないかは確認してますのでご安心を」
「黒羽さん、ありがとう」
「いえ。着替えならば、この部屋でどうぞ。私はその間、別室で支度をしてきますので」
言うだけ言って、黒羽は居間から脱衣室へと移動する。
黒羽の真面目な性格からしてその場にいると思いきや、 その辺の配慮はちゃんとしてくれるようだ。気遣ってくれたのだろうか。ありがたいような、申し訳ないような……。
シャツを下に羽織り、上着に袖を通す。伸縮自在のそれはすぐに体にフィットしたものになり、その軽さに、服を着ている感覚すらも忘れるようだった。
この部屋に鏡がないので確認は出来ないが、恐らく寝癖は大丈夫だろう。顔を洗おうかと水場のある脱衣所へと向かえば、丁度黒羽が現れたところだった。
「う、わ……」
いきなり開いた扉に驚き、続いて、全身黒尽くめの黒羽の威圧感に驚く。元々俺よりも高い位置にある顔に、筋肉質ながらも無駄のない体つき。
学生服というよりも、黒羽の場合は軍服と言った方がしっくりした。
「黒羽さんも、そういえば転校生ってことになるんだっけ……」
「ええ、私の役目は伊波様の護衛・補佐ですから」
「……学生って感じじゃないですよね」
「……私はあくまで伊波様の側近です。学生ではございませんので」
なんだか自分に言いきかせるような口ぶりだが、あまり深くは突っ込まないでいた方がいいかもしれない。
けれど、俺の制服姿よりかシャキッとしてて羨ましいなと思ったのも確かだ。
「伊波様は、黒がよくお似合いで」
「……そうかな? なんか、俺、余計なよなよしてしまってんじゃないかって思ったんですけど……」
「伊波様ほど、黒が似合う人間は見たことありません」
……本当かな。
黒羽のことだ、俺の気持ちをよくさせるために言ってるだけの可能性もある。けれど、悪い気はしない。それこそ黒が似合う男が目の前にいるのだけれど。
改めて身支度を整えた頃には懐中時計の針は七時を差していた。俺はその蓋を閉じ、内ポケットに仕舞った。
閉め切られた黒羽の部屋からでは外の様子は分からないが、窓の外は相変わらず夜空が広がってることだろう。
朝食へと向かう前に、黒羽に呼び止められた。
「伊波様、これを」
そう、黒羽に差し出されたのは薬包紙だった。それを更に手拭いで包み、黒羽は俺に手渡してくる。
なんだろう、と受け取ったところで昨夜口移しで飲まされた薬のことを思い出した。
「解毒剤と、鎮痛剤と、抑制剤です。それぞれ分かるように包に印をつけています。何かあればこれをすぐに飲むように」
「あ、ありがとう……」
あの苦味を思い出し、舌がピリピリと傷んだ、気がした。
それと同時に昨夜、とんでもないことを黒羽にしたことを思い出し、顔が熱くなる。
黒羽も、当たり前のように接してくるので忘れていたが、キス、したんだった。それを、何度も。
あの状況だからといえばそれまでだが、こうして意識してしまっている自分が余計恥ずかしくなって、今更目を合わせられなくなる。
それを何と勘違いしたのか、「伊波様、背が曲がってます、背筋を伸ばしてください」と、黒羽に叱られた。
……本人がこれだ、気にしたら負けなのだろう。
それにしても、昨夜の分身だ。分身というのだから、本体があるのだろうが黒羽はその手掛かりも掴めなかったという。
不安もあるが、気を引き締めなければならない。今更逃げ場などないのだから。
黒羽から貰った薬も、一緒にまとめて内ポケットに仕舞った。
「では行くか」と、ようやく、黒羽が敬語をやめてくれたとき。扉がノックされ、黒羽は動きを止めた。
「後ろに下がってろ」と片手でいなされ頷き返す。先頭を行く黒羽。その扉を開いたとき。
「っ、あ、の……」
扉の前、まず目に入ったのは血のように真っ赤な髪だった。左目を覆うような長い前髪を流した、青白い肌のその生徒は俺と同じ制服を着ていた。薄紫の唇。対象的に、淡い緑色のその瞳は挙動不審に宙を彷徨っていた。
「ぼ、ぼく、は、その、伊波様に用があって……その、学校に、教室まで、一緒に行きたくて、そうするように先生に言われて、それで、来たんです……けど……」
消え入りそうな声。その少年は、目の前の黒尽くめの男を前に酷く怯えてるようだった。
もはや土色になってるその顔に、俺は、黒羽の服の裾を軽く引っ張る。俺が出る、とそう告げれば、黒羽は視線だけを返した。敵意がないと判断したようだ。「伊波様ならここにいる」と、下がる黒羽。
「……伊波って俺のことだけど、もしかして、迎えに来てくれたんだ?」
何故だろう、相手が人間ではないと分かってても何故か無意識に人間の子供に話すような言葉になってしまう。
そう、少年の前へと出れば、赤髪の少年は「あっ、う……ぁ……」と震えながら後ずさる。
「何したはるの、テミッド。ちゃんと喋らんと、曜クンには伝わらへんよ」
聞こえてきたのは、特徴的な京都訛の男の声。
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相変わらず着崩した和服姿のその男に、すかさず黒羽が俺と能代の前に割り入った。
「ちょお、そない警戒せんでええやないですか。傷付きますわぁ」
「あっ、う、……能代さん、は、その、悪くないです、ぼく、僕が……僕のせいで……うう……」
どうも、このテミッドという少年はコミニュケーションというものが苦手なようだ。ゴニョゴニョと口ごもるなり、そのままナメクジか何かみたいに萎んでいくテミッドに、あまり気が長くはない黒羽の我慢の緒が切れた。
「貴様……さっきからごちゃごちゃと鬱陶しい……男児ならば何が言いたいのかハッキリしろ! 要件のみを話せ! 伊波様は暇なお方ではないんだぞ!」
「ヒッッ!!」
壁を殴る黒羽に驚いたテミッドは飛び上がり、そのまま能代の背後へと隠れてしまう。そして、メソメソと泣き始めるテミッドに能代は「あ~あ」と愉快そうに笑う。
黒羽も、もう少し柔らかく言えたならばもう少し違うのだろうが……。
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「あの、テミッド? ……ごめん、驚かせて。あの、この人は黒羽さん。顔は怖いし、声は大きいけど、悪い人じゃないから」
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「うん、俺の友達」
「と、友達……」
黒羽が何か言いたそうにしていたが敢えて無視する。
相手に目線を合わせれば、ようやくテミッドと目が合うことに成功した。薄緑色のその瞳は目玉というよりも水晶玉のようにすら思えた。不思議な色だ。見透かすような視線に胸の奥がざわついたが、俺が目を反らしたら不信感を与えてしまう。俺は、テミッドを見つめたまま続ける。
「俺、学校のことなんもわかんないからすごい助かったよ。……それじゃあ、お願いしてもいいかな」
「……ぼく、なんかでいいの? ……ぼ、僕、鈍くさいし、伊波様、楽しくないと思い、ます……それでも、いいんですか……」
やたら自己卑下する人間は、人間界ではよくいた。
その実、その言葉とは裏腹に他人から認められることを求めているのだ。そう、教育テレビで言ってた気がする。
「大丈夫だよ、俺も人のこと言えないし」
そう返せば、テミッドの目がキラキラと輝いた。そして、すぐに顔が真っ赤になり、テミッドは真っ赤なストールで顔を覆い隠す。
「う……うう……伊波様が……能代様……」
「よしよし、えらいえらい」
「……」
何か茶番のようなものを見せられてるような気がしないでもないが、ちらちらと見ては目があって、ぴゃっと能代の影に隠れるテミッドは面白い。
「この子はテミッド。グゥルいう種族の子です。照れ屋で口下手ですけど、基本的にはええ子やから曜クンも仲良くしはってな」
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というか、グールって。あまり神話には興味なかったが、名前は聞いたことくらいはあった。悪魔、または人間の死体を貪る屍食鬼。
「ぐ、グール……」
「あ、ぼ、僕……生きてる人、食べない……だから、伊波様も……食べない……怖がらないで……」
「う、うん……わかった……よろしくね」
黒羽の目がどんどん恐ろしい事になってる。下手な動きでもしたらテミッドに切りかかりそうな気迫すら感じられたが、肝心のテミッドに敵意は感じられない。演技でもなさそうだ。戸惑いながらも、接する俺に能代は愉しそうだ。
「ほんなら、自己紹介も済んだし行きましょか」
「……行くって?」
「そら、学舎に決まっとるやないですか」
何言うとんです、と能代は笑う。俺の冗談だと思ったのかもしれない。が、能代はどっからどうみても制服姿には見えない。それとも、その格好で行くつもりなのか。
困惑する俺の視線に気付いた能代はにやりと笑い、そして突然腰の帯に触れ、目の前でそれを緩めた。
「せやかて……坊っちゃんがボクの生着替えをご所望とあらば、それに応えたるのが男ってもんやしなぁ」
「貴様……ッ」
と、黒羽が刀を引き抜くと能代が浴衣を脱ぎ捨てるのは同時だった。豪奢な刺青の羽織りは宙を舞い、一瞬視界を覆った。そして、次の瞬間だ。目の前には漆黒の詰め襟姿の能代がいた。
「ほな、行きましょ」
何食わぬ顔して、制服へと着替えた能代は笑う。
見事な早業というか、明らかに先程まで浴衣の下に何も着てなかったはずの男の生着替えに感動する間もなかった。
俺とテミッド、そして黒羽は能代についていっていいのか分からぬままついていくことになった。
能代も、制服が似合わない勢のようだ。
ちらりと振り返れば、能代が脱ぎ捨てた羽織りは小さな狐たちがせっせとどこかへ運んで行っていた。そちらの行方も気になったが、俺は、能代についていくことを優先させる。
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何をするにも完璧で、なんでも片手間にやってしまうそんなお兄様に執着されるお話。
BLでヤンデレものです。
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処刑エンドの悪役公爵、隠居したいのに溺愛されてます
ひなた翠
BL
目が覚めたら、やり込んだBLゲームの悪役公爵になっていた。
しかも手には鞭。目の前には涙を浮かべた美少年。
——このままじゃ、王太子に処刑される。
前世は冴えない社畜サラリーマン。今世は冷徹な美貌を持つ高位貴族のアルファ。
中身と外見の落差に戸惑う暇もなく、エリオットは処刑回避のための「隠居計画」を立てる。
囚われのオメガ・レオンを王太子カイルに引き渡し、爵位も領地も全部手放して、ひっそり消える——はずだった。
ところが動くほど状況は悪化していく。
レオンを自由にしようとすれば「傍にいたい」と縋りつかれ、
カイルに会えば「お前の匂いは甘い」と迫られ、
隠居を申し出れば「逃げるな」と退路を塞がれる。
しかもなぜか、子供の頃から飲んでいた「ビタミン剤」を忘れるたび、身体がおかしくなる。
周囲のアルファたちの視線が絡みつき、カイルの目の色が変わり——
自分でも知らなかった秘密が暴かれたとき、逃げ場はもう、どこにもなかった。
誰にも愛されなかった男が、異世界で「本当の自分」を知り、運命の番と出会う——
ギャップ萌え×じれったさ×匂いフェチ全開の、オメガバース転生BL。
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