強制補習ヘドニズム

田原摩耶

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エリア1・始まりの町

契約完了

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 頸城万里はなけなしの体力を振り絞り、宿屋で買い足してきた魔獣用のフードに傷薬をカゴに詰めてそれを近隣の森へと運んできた。
 途中伯万や三十三に「手伝おうか」と誂われたがそれを断って一人この辺鄙な森へと戻ってきたのには理由があった。

「よし……っ」

 恐らく、このエリアのボスである獅子のテリトリーに入るか入らないかの瀬戸際。
 そこに運んできたカゴを設置した頸城は、これでいいかと辺りを見渡した。
 ここに来るまでにモンスターは現れなかった。
 警戒されているのか、それともボスを倒したということになってるからなのか、理由は分からないがなるべく戦闘を避けたい身としてはこれほどのチャンスもない。
 気付かれる前に退散しよう、そう、腰を持ち上げたときだ。すぐ足元で何か毛玉のようなものが動いた。
 わふっと聞き覚えのある鳴き声がして、驚いて視線を落とせばそこには昨日の仔獅子がいる。
 もしかして自分の幻覚かとも思ったが、くいくいと頸城の制服の裾を噛んで引っ張ってくる姿は紛れもない本物だ。

「お前、あのときの……!って、おい、制服を噛むな……」

 そっと撫で、やんわりと制服から外そうと抱えれば仔獅子は遊んでもらえると勘違いしたらしい。頸城の手に頭を擦り寄せてくる仔獅子に、全身が緊張する。
 今すぐにでも抱き締めて持ち帰りたい衝動に駆られたが、自分には前科がある。
 それに、午後にはこのエリアとはおさらばになるのだ。
 後ろ髪を引かれる思いだったが、それをぐっと圧し殺し、そして仔獅子を先程設置したカゴの傍へと降ろしてやる。

「餌ならここにあるぞ、ほら……お前のお母さんにも食わせろよ」

 雀の泪のような全財産を叩いて買ってきたのは、傷ついたモンスターたちへの傷薬と餌だ。自己満足だった。
 縄張りを荒らしてしまったことにより傷ついたモンスターたちを少しでも癒せたらと思って用意したのだが、仔獅子はすんすんと鼻先でカゴを突き、それから頸城の方へと再び寄ってくる。

「……?い、いらないのか?」

 もしかして好みに合わなかったのか、それとも野生のモンスターには餌付け出来ないようになっているのか。
 困惑する頸城を無視して、仔獅子は頸城の制服のポケットを引っかく。

「おい、もう餌はここにねえって……」

 何か興味あるものが入ってたのだろうか。
 思いながらポケットの中に手を突っ込んだとき、硬い手応えが指先に触れた。
 ――首輪だ。昨夜、佐藤健太が自分にくれたその首輪が入ったままになっていた。
 仔獅子はそれを見て、目をキラキラとさせる。そして「わふっ!」とまるで人間のように受け答えするかの如く首輪に噛み付いてきた。
 警戒してるわけでも、威嚇してるわけでもない。寧ろこれで遊びたいというかのように噛んではくいくいと引っ張ってくる仔獅子に、一抹の可能性が頭を過る。
 それはあまりにも都合がよく、可能性というよりは願望に等しい。

「……っ、お前……まさか……」
「自分も連れて行け、と言ってますね」
「のわっ!!」

「ま、またお前か……!!」ぬっと横からいきなり現れたその男は尻餅をつく頸城を見ても表情一つすら変えない。
 着替えさせてもらったらしい、いつものジャージに戻った佐藤健太は頸城の方を向き直る。

「生徒の様子を見るのも俺の仕事なので」
「なのでって……声くらい掛けろ!心臓に悪いんだよ!」
「声を掛ければ頸城さんが警戒するでしょう。……それで、決心はついたんですか」

 ざっくばらんというよりも、本当に情緒がないというか……。
 人の心の機微をあっさりと無視してくる佐藤になんだかもう返す言葉もなかった。
 突っ込むことを諦めた頸城は小さく溜息をつき、そして、首輪に戯れ付いてくる仔獅子の頭を撫でる。

「もし、俺なんかが連れて行ってこいつに怪我でもさせたらって思うと……やっぱ……」
「……」
「責任持てねえってか、俺、弱いし……そんな無責任なことできねーってか……」

 口にしてみればみるほど自分の惨めさが浮き彫りになるようで嫌だった。それでも、このアンドロイドにはきちんと言わなければならない。そうでないと、また何か勘違いして余計なことをしでかすだろう。そんな気がした。
「頸城さん」と、佐藤は神妙な面持ちのまま頸城を見る。黒黒とした丸い目が頸城をじっと覗き込む。
 その視線に気圧され、思わず「なんだよ」と声が上擦った時だ。

「頸城さん……回復魔法を習得しましょう」

『貴方なら大丈夫です』『そう自分を卑下しないでください』そんな気の利いた言葉を期待していたわけではないが、佐藤の言葉は頸城の予想していたどれもを外していた。
 まさかそんなことを言われるとは思わず、不意を突かれた頸城は唖然とした。そんな頸城を無視し、佐藤は続ける。

「戦闘では後衛のサポート役によって大きく戦況は代わります。回復魔法もですが、仲間の能力を大幅に増強する強化魔法も覚えることができれば敵を攻撃せずとも戦闘に勝利することもできる」

「モンスター相手のバトルを回避したいのであれば、後に有効になってくるでしょう」過大評価するわけでもなく、下手に慰めるわけでもない。誰も望んでない戦闘指南をしてくる佐藤に出鼻を挫かれ、頸城は唖然としていたが……やがて、佐藤は饒舌な口を閉ざし、小さく息を吐く。
 ……そして。

「自分が言いたいのは『戦うことを恐れないでください』。それだけです」
「…………」

「わふっ」と、佐藤に同調するかのように仔獅子は小さく吠えた。なんとなく、この佐藤という人工知能に出会ってから違和感を覚えていた。その正体が今わかった……気がする。
 目だ。生きてるはずのない、無機物なその目は機械のくせに純粋で、汚れ一つないのだ。

「……お節介野郎」
「そういう風に作られてるので仕方ありません。文句ならば開発に言ってください」

 本当に、可愛くねえ。
 口の中で吐き捨て、首輪に触れ直す。首輪自身の心に反応するかのよつに首輪は光だし、そして、仔獅子の首に件の首輪が巻き付く。
 成獣用のそれは子供には大きすぎるらしい、まるでそういうアクセサリーのようにその毛に覆われた首に巻き付く大きめの黒いベルトに、胸がずきりと思う。
 早々後悔しかけたときだ。
 嬉しそうにくるくるとその場で回る仔獅子はそのまま頸城に飛びつく。

「……は、何尻尾振って喜んでんだよ。俺なんかに飼われて嫌だって言わねえと駄目だろ……って、おわ、顔を舐めるな!こら!」

 ――契約完了。
 頭の中で無機質な声が響いた。
 好ましい展開ではないはずなのに、アホみたいに喜んでる仔獅子を見てるとなんだかそこまで考えていた自分が馬鹿みたいに思えてくるのだ。
 仔獅子と頸城を眺めながら、佐藤は人知れず笑った。何が面白かったのか自分でも理解できなかったが、もしかしたら頸城の表情が移ったのかもしれない。
 そんなことを思いながら、仔獅子が頸城から落ちないようにそっとその背中を抑えた。
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