強制補習ヘドニズム

田原摩耶

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エリア1・始まりの町

寝坊・遅刻は厳禁です

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 因幡樂、三十三十月、頸城万里。上記三名、行動開始、と。
 起動している間、佐藤の記憶やデータは全てこの電脳世界の外にいる博士の元に届けられる。
 それは佐藤の意思も関係ない。
 昨夜の出来事も博士の元に届いているはずだが、佐藤にとっては特に気になるようなことでもなくて。
 それよりも、問題は伯万玄竜だ。恐らく、というか間違いなく四人の中で一番自分と相性の悪い生徒はなにかと反発してくる。
 単純だが厄介な伯万に、佐藤は伯万への対抗策を脳内でシミュレートしながら二階の伯万の部屋へと向かう。

 伯万の部屋の前。
 そっと扉をノックしてみるが返事どころか大きなイビキが返ってきて、問答無用で佐藤は扉を開いた。
 すると、質素な部屋の中、簡易ベッドの上に伯万がいた。枕を抱き締め、爆睡している伯万が。

「……」

 なんだかもうわざわざ起こすのもバカバカしくなって、直接毒電波を流し込んでやろうかと佐藤が思案した時だ。ふと、窓の外に気配を感じた。
 次の瞬間、窓ガラスになにかが映ったかと思えば凄まじい衝突音とともにガラスが吹き飛ぶ。そして、部屋の中へそれは飛び込んできた。
 辺りに広がる獣の匂い。獅子の形をしたそのモンスターは、昨日倒したものよりもやや小さいものの同じ種類に見えた。
 鋭い牙を剥き、涎をぼたぼた垂らしながら唸り声を上げるモンスターの狙いは、部屋の隅に置かれたベッドの上に定められていた。

「……へ?」

 さすがの物音に伯万も目を覚ましたようだ。
 慌てて眼鏡をかけ直した伯万は、部屋の中にドンと佇む獣に青褪める。

「っうわ!なにこれ!って、佐藤!お前なにしたんだよ!」
「俺はなにもしてません。まだ」
「まだ?!」

 ベッドの上、慌てて臨戦体制に入る伯万は脇においてあった椅子を手に取る。
 グルグルと唸りながら飛び掛かるモンスターの顔面を椅子で殴打し、なんとか応戦するが勿論木製の古ぼけた椅子がもつはずもなく。
 派手な音を立て、呆気なくひしゃげる椅子だが構わず伯万はモンスターの顔面を殴りつけた。

「っくそ!ようやく寝付けそうだったのにもう!つーかミトちんは?!他のやつらは!」
「皆さんはレベル上げに出掛けました。ここに残ってるのはだらだら寝てる伯万さんだけです」
「あと役立たずのてめえもな!」

 ガシャンと音を立て、モンスターに叩きつけられた椅子はバラバラになる。
 それでも構わず、椅子の足を一本掴んだ伯万はそのままモンスターの眼球に突き立てた。
 潰れるような音共に飛び散る血飛沫。
 モンスターは大きな咆哮を上げ、僅かに怯んだ。

「っしゃあ!くだばれ!」
「伯万さん、もう少し上品にお願いします」
「じゃあてめえも手伝えっての!」
「俺は非戦闘要員なので」
「なら大人しくすっこんでろ!」

 間髪入れずにモンスターの片方の目を潰そうとしたとき、痛みに狂ったモンスターは我武者羅に伯万の腕に噛み付く。
 歯が食い込む前に咄嗟にモンスターの口から腕を引っ張り出そうとする伯万だったが、皮膚に尖った牙が引っ掛かり、鋭い痛みが伯万を襲う。

「っ、ぅぐゥ……ッ」
「伯万さん、頑張ってください」
「わかってるよ、うるせえなっ!」

 歯を食いしばり、痛みを堪えながら傷だらけの腕をモンスターの口から抜く。
 ぼたぼたと垂れる鮮血を拭う暇もないまま、伯万はモンスターの顎に蹴りを入れた。
 大きく呻き、後退するモンスター。
 隙を見て、距離を取った伯万は自分の腕に目を向ける。
 皮膚が破れ、滲む血は雫となって指先から滴り落ちる。
 それを服で拭いながら、顔を歪めた伯万は舌打ちをした。

「っくそ!まじでいてえじゃんこれ……っ!」
「伯万さん、こういうときは回復魔法です。初歩的なものなら学校で習ったでしょう」
「そんなもんとっくに忘れたに決まってんだろ」
「そうですね、あなたに一般常識を求めた俺が間違いでした」

 そう、佐藤が言い終わると同時に体勢を立て直したモンスターが再び伯万へと向かって猛突進する。
 間一髪、なんとか避けたがモンスターが突っ込んだ壁が大きく抉れているのを見て、伯万は青褪めた。

「おい、ロボ!どうすんのこれ!」

 辺りを見渡し、モンスターの攻撃を防げるようなものがないか探す伯万だが、簡素な部屋にはものらしいものは棚くらいしか見当たらなくて。
 そんな中、モンスターの注意を掻い潜り棚を開いた佐藤はそこに入っていたものを手にした。
 そして、それをモンスターと対峙する伯万へと放る。

「伯万さんっ!」
「っうわ、これ……っ!」

 佐藤から投げ渡されたものを受け取った伯万は、驚いたように目を丸くした。
 それは安っぽい装飾が施された長剣だった。
 どちらかと言えばブランド嗜好の伯万は普段なら絶対手にしたくないようなダサさだが、こんな状況だからだろう。酷く頼もしく感じた。

「部屋の中のものを調べるのも常識ですよ」
「そういや……そうだな」

 長剣の柄を片手で掴み、口元笑みを浮かべた伯万は目の前のモンスターに視線を向ける。

「っしゃおらぁッ!かかってこいやぁ!!!ぶっ殺してやるッ!!!」

 そして、挑発に反応するかのように再び突進してきたモンスターに向かって伯万は思いっきり刃を振り被った。
「伯万さんそれバットじゃないですよ」という佐藤のツッコミを無視し、力いっぱい振り回された刃に噛み付こうと開かれた大きな獣の口はそのまま大きく避ける。
 上顎と下顎が綺麗に分かれるその隙間。
 吹き出す真っ赤な血を浴びる伯万の顔が楽しそうに歪むのを見て、佐藤は目を逸らした。
 モンスターの血を浴び、真っ赤に汚れた部屋の中には濃厚な血の匂いが充満している。
 浴びた血飛沫を拭い、伯万玄竜は長剣を一振りし、刃先についていた肉片を振り払った。

「やっぱ、魔法よりもこっちのが俺にはしっくりくるな」
「聞き捨てならない言葉ですが、死なれるよりかはましです」
「はいはい、そりゃどーも」

 ぴちゃりと音を立て、水溜りの中央に横たわるモンスターだったものに歩み寄る伯万。
 瞬間、近付いてくる伯万に反応するかのようにピクピクとモンスターの体が動き出した。

「こいつ……っまだ……!」

 既に息絶えたと思っていただけに、しぶといモンスターに伯万は露骨に顔をしかめる。
 不審に思い、伯万の背に隠れるようにモンスターの亡骸に歩み寄った時だ。
 赤い血が吹き出す大きな切り口の中に蠢く影を見つけた。

「伯万さん、もう一体いますっ!戦闘準備に入ってください!」
「はぁっ?!」

 佐藤の言葉に伯万が目を見開いたと同時に、血溜まりの中から半透明のスライムが長剣を握る伯万の手に絡みつく。
 そのぶよぶよとした感触に青褪めた伯万は脊髄反射で長剣を振り、目の前のスライムを切り付けた。
 しかし、分裂したスライムはダメージを受けるどころかなにもなかったかのように伯万に迫る。

「っちょ、ちょちょちょっ!なんだこれっ!まじ気持ち悪いんだけど!」
「スライム。物理攻撃は無効。主な特徴として戦闘能力は低いですが今のように下手な攻撃をすれば分裂し、増えます。ここは焼き尽くして一掃するのがオススメです」
「なんだよそれッ」
「俺はこっちに隠れてますので早く済ませて下さい」
「せめてっ!サポートぐらい!しろやこのポンコツロボっ!」
「してるじゃないですか。ほら、頭上にも気を付けたほうがいいですよ」

 そう佐藤が警告したのと天井に張り付いていたスライムが伯万の頭上に落ちてくるのはほぼ同時だった。
 間一髪で落ちて来るそれをよけ、ぼたぼたと足元に叩きつけられるスライムに「ヒィっ!」と声を上げた伯万は慌てて長剣を握り直す。

「くっそ、魔法とか覚えてねえよいちいち……っ」

 佐藤の話に、流石の伯万もこの状況の悪さに気が付いたようだ。
 一匹が二匹、二匹が四匹、と分裂していったスライムが目の前で漂うという異様な光景に伯万の顔色は悪い。
 そういえば伯万は軟体生物が苦手というデータがあったような気がしたが、今の佐藤には些細な問題だ。
 サポーターである佐藤は、いくら可愛くない補習生だとしても自分の目の前で伯万を見殺しにするわけにはいかなかった。

「伯万さん、いい機会です。初歩的な魔術についておさらいしましょうか」
「お前、そんな場合かよ」
「そんな場合です。実際使用しなければならない状況にならなければ何を言ったところで右から左に抜けていくでしょう」

「まあ、こんな雑魚モンスターに囲まれて全身溶かされても構わないというのなら言いませんが」部屋の外からそう声を掛ければ、バツが悪そうにこちらを睨んだ伯万は舌打ちした。

「御託はいいからさっさと言えっ、お前とお喋りしてる暇はないんだよっ!」

 ――なるほど。やはり伯万さんのようなタイプは自分に関係あると自覚を持てば話を聞く気になると。
 脳に記録されている伯万についてのデータを更新しながらも、窮地に立たされているらしい伯万のために佐藤は口早に説明することにした。

「魔力とは即ち思念の強さです。本来ならば魔法陣などがあれば簡単なのですが、どうせ貴方は覚えてないでしょうから猿でもできる方法を教えてあげます」

 襲い掛かってくるスライムを切り刻み、増殖し、足元に忍び寄るスライムを踏み潰す伯万。
 早く言えと無言の圧力を掛けてくるので、気を取り直した佐藤はこほんと小さく咳払いをした。

「イメージを固めるんですよ。何でもいいです。火事、料理、薪。とにかく炎をイメージしてください。魔法に必要なものは集中力と想像力です」

 本来、伯万たちが通う学園を含め一般的には魔術使用の際、ある一定の動作を行うのが基本だ。
 それは魔法陣や魔術書という古典なものから専用サーバーを利用し、専用の携帯端末を利用するものまで様々だ。
 その動作が統一されていないのは動作自体には然程意味がないからだ。
 魔術を使用するに必要な集中力と想像力を高めるには一連の動作があった方がより手軽に安定した魔法を使うことが出来るという実験結果によりそれが義務付けられているだけだ。
 逆に言えば、集中力と想像力を駆使することができれば一連の動作は不必要だということになる。

「イメージ、イメージ……?」

 しかし、予想通り伯万には集中力と想像力が欠けている。
 スライムに囲まれテンパっているのも関係しているだろう。

「伯万さん、焼き鳥は好きですか」
「焼き鳥……?」
「アンズー、朱雀、八咫烏、ルフ鳥、なんでも構いません。焼き鳥を想像してください」

 一か八か、適当な言葉を並べ伯万の思考の誘導を試みる。
 考えているのか、伯万の動きが静止する。
 そんな伯万を不思議に思ったのか、うぞうぞと足元に集まったスライムの群れが、次の瞬間、ゴォッと大きな音を立て火柱を上げた。しかし、それも一瞬だ。

「っ、うわ……」

 いきなり自分の周囲に現れた火に慌てた伯万は後ずさる。

「今の俺が?」
「そうですよ。その集中力のなさ、伯万さん以外に誰がいるんですか。足元を見て下さい」

 文句を言いかけた伯万だが、つられるように自分の足元に目を向け、口を閉じる。

「……消えた?」
「今の炎で蒸発したんですよ。スライムは全身が水でできていて、それが薄い膜に覆われていると考えた方がわかりやすいかもしれませんね」

 血液が染み込んだ床の上、いなくなったスライムの代わりにしっかりと焦げ痕が残っているものの、さして問題ではないだろう。
 それよりも。

「伯万さん、安心するのは部屋の中の害虫を全て駆除してからでも遅くないですよ」

「残りのスライムもさっさと焼き尽くしてみましょうか」なにも言わない伯万の背中を押すように、矢継ぎ早に佐藤は告げた。
 いつの間に増殖したのか、家具の影やモンスターの影から現れた新たなスライムに、伯万は長剣を握りしめる。
 先程よりも多い数だが、先程と違い青ざめていた伯万の顔には笑みが浮かんでいて。

「うるせえ、用済みはすっこんでろ」

 すぐ調子に乗るのは伯万玄竜の短所に違いない。
 思いながら、佐藤は獲物を前に目を輝かせた補習生に口元を緩めた。
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