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悪い人
03
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…………。
それからどれほどの時間が経ったのか。ようやく勇者たちが帰ってきたときには既に日は落ち、外は真っ暗になっていた。
扉の外で足音が聞こえた。勇者だ。そう体を起こした。そして、扉が開いたとき、俺は目の前の扉を無理矢理押し開いた。驚くわけでもなく、あいつ――勇者は俺の拳を避けることなくそこに立っていた。
「っ、お前……よくも……っ! 俺をこんな……っ!」
ふざけるな、と掴み掛かろうと伸ばした手ごと手首を掴まれる。そして、俺の拳に目を向けたやつは顔を歪めるのだ。
「……済まなかった」
そして、次の瞬間拳が暖かく包み込まれる。傷は癒え、痛みはなくなっていた。
治してくれた勇者にも驚いたがそれ以上に素直に謝る勇者に驚いたのだ。
「なんだよ、済まないって……」
「…………」
何か言ったらどうだ、と詰め寄ろうとしたとき、傷の癒えた手を握り締められるのだ。指を絡められ、ぞわりと背筋が震えた。振り払おうとするが絡み付いた指は離れるどころか指一本すら動かせず、その力の強さに堪らず息を飲んだ。
「お前の体が傷付く可能性を考慮していなかった。……次はこのようなことがないようにしないとな、お前は何をしでかすかわからない」
背筋が凍るようだった。
こいつ、と言葉を失ったとき、勇者はそのまま俺の部屋へと押し入ってくるのだ。そして、後ろ手に扉が閉められる。
「おい……っ」
「考えを改める気にはなったか?」
「それはこっちのセリフだ、こんな真似して『はいわかりました』って言うと思ったのか、おまけにメイジにまで妙な真似させやがって……!」
怖気づいてはならない、そう感情のままに声を上げてから俺は自分の失言に気付いた。
あいつは変わらない、何を考えているのかわからない目でただ俺を見ていた。
「……メイジ、あいつが余計なこと口にしたのか?」
「っ、……少し考えれば分かることだ、あんな汚い真似できるのあいつしかいないだろ」
メイジを庇ったつもりではないが、メイジのことを話せばこいつがどんな反応をするのか、考えただけでもぞっとしない。咄嗟に誤魔化したつもりだったが、勇者の表情に、その目に怒りの色が現れるのを見てしまった。
そして肩を掴まれ、壁へと体を押し付けられる。
昨夜の記憶が蘇り全身に冷たい汗が滲んだ。おい、と勇者を見上げたとき、すぐ目の前にやつの顔があることに気付き息を呑む。
「……なんで、今嘘吐いた?」
「……っ、別に……」
「なんでお前があいつを庇う必要があるんだ。……おかしいだろ」
「人の話を聞けよっ、この……」
この馬鹿、と言い返そうとしたときだった。
「――お前、俺に何か隠してるだろ」
その一言に、一瞬、ほんの一瞬だけ言葉に詰まってしまったのだ。
そしてあいつはそれを見逃さなかった。
隠してなんかない、そう言いたいのに勇者の気迫に気圧され言葉を失う。
こいつに隠し通せるとは思ってなかった、それでも知られるわけにはいかない。
「……っ、いい加減にしろよ、なんなんだよお前さっきから……」
おかしいだろ、と言い返す。けれど、勇者の目は変わらない。俺を疑う目だ。
「以前のお前なら即座に本当になにもないなら否定しただろ、あんなやつと一緒にするなって」
「そんなのお前の思い込みだ」
「じゃあなんで俺の目を見ない」
「っ、お前がめちゃくちゃだからだよ!」
勘付かれてはならない、この男にだけは。
そうあいつの手を振り払おうとするが、離れない。それどころか胸倉を掴まれ、鼻先にぐっと勇者の顔が迫る。まずい、と思ったとき。
階段の方から足音が聞こえてきた。誰かが来たのだ。誰だっていい。とにかくこの状況から逃れたかった俺は勇者の腕を払い除け、部屋から飛び出そうと扉を開いた。蹴破る勢いで扉から出ていこうとしたとき、追いかけて来たあいつにすぐ腕を掴まれた。
やめろ、離せ、と。そう振り払おうとするが手首を掴む腕はびくともしない。それどころか勇者は無視して俺の体を通路の壁に押し付けた。
「ッ、この……」
目の前の男を思いっきり引き離そうとするが力は緩まるどころか一層強くなる。近付いてくる足音、まずいここじゃ見つかる。そう思ったときだった。顎を掴まれ、唇を塞がれる。
「ん゛ぅ……ッ?!」
誰か来る、そう血の気が引いて思いっきり勇者の胸を殴るがあいつはびくともしない。それどころか更に俺の動きを封じるかのように唇を深く塞ぐのだ。
やめろ、ふざけるな、とうとういかれたのか。ギチギチと痛む手首を動かすこともできない。濡れた舌に唇を割り開かれそうになったときだった。
「――勇者殿、こんなところに……………………」
……ああ、嘘だろ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。
階段を登ってやってきたナイトと、確かに目があったのだ。勇者の腕の中、抱き締められた俺を見て固まったナイトに俺は全身から熱が失せていくのを感じた。
やめろ、こいつの前で変なことをするな。そう思うのに、勇者はわざと見せつけるように更に深く唇を重ね舌を絡めるのだ。
「っ、ふ、……ぅ……ッ!」
これは違う、と言うこともできない。こんなことろ見られたくもない。
俺は思いっきりあいつの舌に歯を立てたのだ。
がりっと肉に食い込む感触が歯から伝わり、すぐに口の中に血の味が広がる。ほんの一瞬、確かに勇者の隙きが出来たのだ。俺は思いっきり目の前の勇者を蹴り、離れた瞬間その隙間を縫って逃げるように階段を降りた。
「っ、スレイヴ……っ!」
「スレイヴ殿!」
二人の声が聞こえたが止まることなんてできなかった。とにかくこの場にいたくない。パニックになっていたと自分でもわかっていた。階段を降りて宿屋から出ていこうとしたとき、背後からいきなり腕を掴まれた。
勇者が追いかけて来たのだと震え上がったとき、「スレイヴ殿」と名前を呼ばれ、はっとする。
「っ、ナイト……」
「……ここじゃ勇者殿も来るだろう、場所を変えても構わないか」
なんで、どうして。そう混乱し、固まる俺の背中をナイトは押すのだ。ナイトの顔を見ることもろくにできなかったが、それでもナイトの手を振り払うことまでできなかった。
そのまま俺たちは宿を出る。
会話なんてあるわけではない、道中奇妙な沈黙が続く。ゆく宛もなかった、きっとナイトも勢いで出たはいいが行く先に迷ってるのだろう。賑やかなこの都市では静かになれる場所を探す方が難しい。俺はまるで死刑囚のような気持ちだった。
ナイトにあんなところを見られて軽蔑されたかもしれない。
シーフやメイジはまだいい、あいつに軽蔑されたところで痛くも痒くもないからだ。けれど、こいつは、この男は――。
「スレイヴ殿」
「……ッ!」
「確か貴殿は甘いものは平気だったな」
「……あ、あぁ……」
そう頷いたときだ、ローブ姿の店員からなにかを受け取ったナイトはそれをそのまま俺に手渡した。それは飲み物のようだ。女子供が喜びそうな色鮮やかにデコレーションされたお菓子のようなドリンクに驚く。
「ずっと歩きっぱなしで疲れただろう、……すまないな、この辺りは土地勘がないためまだどこになにがあるか把握しきれていない。詫びというわけではないが、飲んでくれ」
「なんで……」
「俺がそうしたいと思ったからだ」
「それだけでは不服だろうか」そう、申し訳なさそうにナイトは項垂れる。
ああ、と思った。俺を励ましてるつもりなのか、言いたいことを言わないナイトに腹の奥底にじわりと嫌なものが溢れる。優しくされるのが今は余計辛かった。
「っ、アンタは、……言いたいことがあるんじゃないのか。俺に……っ」
「…………ああ」
「なら、言えばいいだろ。なんで、こんな……っ」
「あれは、本位ではなかったのだろう」
「……ッ」
「貴殿を見れば分かる。……それに、もしそうでなくとも俺は貴殿の後を追った」
「……ッ、ナイト……」
「他人の色恋に口を出すつもりはなかったが……貴殿を一人にしてはいけない気がした」
「何故だが無性にな」そう口にするナイトの眼差しは優しく、そしてどこか憐憫を孕んでいる。
俺は……自分がとても恥ずかしい生き物のように思えて耐えられなかった。ナイトにだけは知られたくなかった、見られたくなかった。怖かったからだ、嫌われることが。軽蔑されるのが。
……けれど今は、それでも尚俺に優しくしてくれるナイトの気遣いが針のように突き刺さり、息苦しくなる。
「お、れは……っ」
俺は。ナイトといるときだけは気が楽だった、あいつらみたいに変なことしてこないし、ちゃんと一人の人間として接してくれるから。
でも今は、同情するようなその態度が苦しくて、そんな自分が情けなくて無性に腹立って――自分でも感じたことのない感覚に戸惑う。
じわりと目頭が熱くなる。こんなことで、口づけされてるところを見られたくらいで泣くな。まるで想い人に振られた女子のような――……。
「っ、スレイヴ殿……っ」
堪えきれず、ぼろ、と溜まった涙が溢れたときだった。ナイトに抱き締められた。勇者とは違う、けれど力強く、それでも俺に負担がかからないようにしっかりと回された鍛えられた腕。
「ナイト……俺……っ、違う、こんな……っ」
「ああ、大丈夫だ。……俺は何も見てない、だから安心しろ」
「……ッ、ふ、ぅ……ぐ……ッ」
道中、賑わう露店通りのど真ん中。
冷やかすような声が野次が飛んでくるが気にならなかった。子供みたいに泣くことが恥ずかしかった、それなのにこの男に抱き締められると子供に戻ったみたいに自分を偽れなくなるのだ。
宥められるように背中を撫でられる。流れ込んでくるナイトの脈動と心音が混ざり合い、心地良かった。
どれくらいナイトの腕の中にいたのだろうか。次第に嗚咽も収まり、脈も緩やかになっていた。
足元で小さい子供がじっと見上げていたことに気付き、ここがどこだか思い出した。
「っ、悪い……もう、大丈夫だ……」
「本当に大丈夫なのか」
「……ああ、悪かった。こんなガキみたいな真似……あんたまで変な目で見られてしまう」
「俺は構わない。……それに、泣くことは悪いことではない」
「自分を責めるな」と、ナイトは続けるのだ。その声が優しくて、せっかく収まりかけていた涙がじわりと滲みそうになって慌てて俺は目を擦った。
「……あんたは凄いな」
「なにがだ?」
「……」
「スレイヴ殿……?」
「……俺はこのパーティーから抜けようと思ったんだ」
そう言葉を口にしたとき、ナイトの顔が強張るのを見た。過去形とは言えど、俺はナイトにその旨を伝えたこともなかった。
「今朝、皆が寝てる間に出ていこうと思って……だから最後に、あいつにだけは伝えようと思った」
「…………」
「けど、駄目だった。……おかしな話だよな、あいつは最初俺に出て行けって言ったのに、今度は許さないって」
「……それで、揉めていたのか」
「ああ、……アンタには見苦しいところ見せたと思ってるよ」
悪かったな、と続けるよりも先にナイトに手を掴まれた。丁度背後を荷台が通ろうとしていたのだ。
「……ここじゃ人通りが多い、場所を変えて話を聞かせてくれないか」
どことなくナイトの声が硬い。先程まで優しかったから余計そう感じるのかもしれない。
怒ってるのだろうか、確かに俺は散々助けてくれたナイトにも黙って出ていこうとしていたわけだ。……怒っても無理もないか。
ナイトの申し出を断る理由もない、俺は「ああ」と頷き返した。
気付けば日が暮れていた。
広場の片隅、俺たちは隣り合うよう腰掛けに座っていた。
広場は昼間様々な出店や旅芸者たちで賑わっているようだ。けれど今は帰り支度をしているため、昼間よりも人気はない。
食事をする気にもなれなかったのか、敢えて個室を避けてくれたのか俺にはわからない。
けれど、ナイトの横顔は固いままだ。
「……パーティーを抜けようとしたのは前からずっと決めていたことなのか?」
そう静かに訪ねてくるナイト。首を横に振る。嘘ではない、寧ろ俺は意地でもここに残ってやるとしがみつくつもりでいた。
「昨日……あんたと話してからだ。あんたはちゃんと人の為、世の為と考えてるのを聞いて自分が恥ずかしくなったんだ」
「それがなんで貴殿が去ることと関係あるんだ」
「……俺がいるとあいつが……勇者が駄目になるから」
ナイトは言葉を失っていた。
この男は何も知らないのだ、俺と勇者のことだって正しいことは伝えてない。シーフやメイジとのことも、なにも。
けど流石に今は勘付いているのだろう、俺と勇者の関係は。
……知られたくなかった、この男には。何も知らないまま出来ることなら別れたかった。でもこれ以上は隠し通せる気がしなかった。
「貴殿と勇者殿は……」
恋仲ではなかったのではないか、と言いたいのだろう。
「……多分、あんたが想像してるような綺麗な関係じゃないな」
ナイトが言葉を飲む。聞いてて楽しい話題でもないし出来ることなら話したくない。けれど、誤解されたままでいる方が耐えられなかった。
「信じてもらえるかどうか知らないが、今までは本当になにもなかったんだ。あいつも、人前であんなことするようなやつじゃなかった」
「じゃあなんで……」
そう言い掛けて、ナイトの表情が強張る。
ああ、と思った。傷つけるつもりではなかった、けれど嘘を吐くような器用な真似もできない。
「……もしかして、自分のせいか。俺が来たから、貴殿は――……」
ナイトの顔から血の気が引いていくのを見て、咄嗟に俺は「違う」と声を荒げた。
「確かにきっかけはあんたが来たあの夜だ。けれど、これは俺が望んだことだった」
「本当はあのまま大人しく俺が出ていけばよかった話だったんだ」あの夜、宿屋にはナイトもいた。勇者に手切れ金を渡され、それを投げ返したときのことは今でも鮮明に思い出せる。
そしてあの夜からだ、俺達の関係が変わったのは。
あんたのせいじゃない、そうナイトに繰り返すがナイトの表情は変わらない。
「っ、……翌日、勇者殿が貴殿を雑用係として残すと言った。それは、まさか……」
「そういう約束だったからだ。……なんでもするから残してくれって」
どんどんと熱が失せていく。一つを見られればボロボロ今まで取り繕ってきたものが崩れてくるのだ。不思議と心の中は穏やかだった。
ナイトも察してるのだろう、何があってどういう契約が交わされていたのか。俺達に肉体関係があったことも。
「……っ、……」
「……しつこいようだがあんたのせいじゃない、元々俺が力不足だったんだ。だからあいつはあんたに声を掛けたんだ」
「スレイヴ殿……」
「……少なくとも俺はあんたが来てくれたから決心付いたんだ。……任せられるって」
情けない話だと思う。実際俺はここに居る。自分で言ってて恥ずかしかった、けれど、それ以上に目の前の優しい男がショックを受けていることに気付いてしまったから俺はまだ冷静にいられたのかもしれない。
「……貴殿は、本当に強いな」
「っ、ナイト……?」
「俺は正直自分が憎くて仕方ない。……っ、なにも気付かず、のうのうと過ごしていた自分が……己のせいでこんなにも身近に苦しんでる者がいるというのに何が平和だ……ッ」
ここまで感情を顕にするナイトを見たのは初めてかもしれない。驚いて、ナイト、と落ち着かせようと手を伸ばしたとき、その腕ごと引っ張られ抱き締められる。
「……っ、おい……」
「……すまなかった、貴殿一人に辛い思いをさせて。……それに気付かないで、俺は騎士失格だ」
「……っ別に、あんたのせいじゃないって言っただろ」
「俺の責任だ。……早々に気付くべきだった、貴殿の様子がおかしいときも。そうすれば、貴殿が必要以上に傷つく事もなかったはずだ」
世界の不幸は自分のせいだと思ってるのか、……いや思うのかもしれない。心優しい男だと知っていたはずだ、きっと今の俺が何を言ってもこの男には焼け石に水なのだろう。
「けど、あんたがいたから俺は助けられたんだ。……前にも言ったが、来てくれたのがあんたで良かったと思ってる」
「貴殿は、本当に……」
そう言いかけて、ナイトは己を落ち着かせるように深く息を吐いた。そして肩を掴んだまま体を離される。「ナイト?」と顔を上げれば、そこには真剣な顔をしたナイトがいて。
「……貴殿はパーティーから抜けたいと、そのつもりだったんだろう」
「……ああ、けど……」
「ならば、俺も協力しよう」
「……っ、え……」
「俺も貴殿に付いて行こう」
一瞬耳を疑った。当たり前のように、平然とした顔で言うものだから余計にだ。
「な……なに言ってるんだ、そんなの駄目だ……っ」
「しかし……」
「『しかし』じゃない、あんたには夢があるんだろ。……俺だって、魔王を倒すまで付いて行きたかったけど……足手まといになる。けどあんたは違う、あいつにはあんたが必要なんだ」
「……っスレイヴ殿……」
「頼むから……頼むから、そんなこと言わないでくれ……」
怖かった。もしここでバラバラになったらどうなるのか、せっかく見えていた道程も全部台無しになってしまえばまた元通りだ。ナイトも俺と同じ苦汁を舐めてきた立場だ、俺の言わんとすることはわかるだろう。
俺とナイトの目指すものは同じだ。けれど、圧倒的に力やスキルの差があったのだ。
しがみつき、懇願する俺にナイトもわかってくれたようだ。スレイヴ殿、と宥めるように俺の頭を上げさせるのだ。
「……貴殿の想いは痛いほど伝わった、ならば俺はそれに応える」
「ナイト……っ!」
「けれど、貴殿が出ていきたいというのならその手助けをさせてくれ。……頼むから、これだけは断らないでくれ」
「……っ、そんなこと、あいつらにバレたら……」
「そんなこと貴殿が心配する必要はない、スレイヴ殿は自分のことだけを考えてくれ」
心強いのに、嬉しいはずなのに、それ以上に不安になるのはきっとあいつのことを思い出すからだろう、手段を選ばなくなってきているあいつにただ恐怖を覚えた。
何も心配しなくていい。自分が協力する。
ナイトはそう言ってくれた。
出来ることなら誰の手も借りたくなかった。借りてしまえばナイトまで共犯になってしまうのだ。
手を煩わせることは気が引けたが、一人では難しいのが現状だった。
「すぐに貴殿が移動できるための馬車を手配しておこう。準備が出来ればすぐに知らせる、そして今夜中にはそれに乗って出るといい」
「……ナイト」
「……貴殿にも勇者殿にも未来がある、今夜で最後だと思うと寂しいが貴殿のためだ」
このナイトの言葉にそうか、と思った。
もうナイトと会えなくなるのだ。……勇者とも。
そう思うと胸の奥がぎゅっと苦しくなるが、俺はそれを見てみぬふりをした。自分で決めたことだ。これは勇者やナイトたちのためでもある。そう言い聞かせて。
「では俺は準備に取り掛かろう。貴殿は……」
「アンタと、一緒にいたい」
「……っ、スレイヴ殿」
「……邪魔か?」
宿にいてまた勇者の顔を見るのも嫌だった。……だから、このままナイトと一緒にいた方が合理的でもあると思った。
全部建前だ、本当は最後かもしれないと思うと離れ難かったのだ。
ナイトは慌てて首を横に振る。そんなわけがないだろう、と表情を柔らかくするのだ。
「……なら一緒に行こう」
「ああ」
俺とナイトは立ち上がり、広場を出た。
不安がないと言えば嘘になる。けれど、それ以上に一人で全て決めたときと比べて明らかに気分がよかった。隣にナイトがいるからだ。
これで最後になるかもしれないと思うと名残惜しいが、自分が決めたことだ。弱音は吐かない。
俺は喉先まで出掛けた言葉を飲み込んだ。
全ては順調だった。恐ろしいほどに。
ナイトが用意してくれた馬車。それで俺の知ってる街まで送ってくれることになる。荷物も全部置いてきた俺は無一文だ、そんな俺の代わりにナイトが金を出してくれたのだ。流石に悪いと断って徒歩で行くと伝えたが「せめて最後なのだからなにかさせてくれ」と半ば強引に渡されたのだった。
出発前、途中何があるかもわからない。日持ちする飯をいくつか買って荷袋に詰め込み、俺たちは再び馬車まで戻ってくる。
「……アンタまで他のやつらを騙させるようなことになってしまって悪かった。……けど助かった。俺はアンタがいなかったらきっとなにもできなかった」
ありがとな、と頭を下げればナイトは「それは違う」と首を横に振るのだ。
「俺が貴殿を助けたいと思ったのも全部、貴殿だったからだ。ひたむきな貴殿の姿を見て力になりたいと思えたのだ」
「……ナイト」
「すまない、どうも湿っぽいのは苦手でな。……貴殿なら何があっても大丈夫だ」
達者でな、と肩を叩かれる。これで本当に最後なのだ。言いたいことは色々あった、もっと色んな話もしたかった。――けど、決めたのは俺だ。
俺はナイトを抱き締めた。身長が足りなくてみっともないかもしれないが、それでも言葉だけでは伝えられなかったのだ。
一瞬腕の中でナイトの体が驚いたように跳ね上がるがすぐにナイトは俺を抱き締め返してくれたのだ。温かい体温に包まれる感触が心地良くはなれ難い。それでも離れないといけないのだ。
どちらからともなく体を離す。これ以上ナイトといると益々別れが辛くなりそうで怖かった。
「――じゃあな」
「ああ」
そう、ナイトに別れを告げ馬車の荷台に乗り込もうとしたほんの一瞬だった。
「……っ、スレイヴ殿」
名前を呼ばれた。振り返ろうとした瞬間、視界が陰る。唇に何かが触れたと気付いたときには既に離れたあとだった。
ナイト、と名前を呼ぶよりも先に背中を押されるように荷台に乗せられる。そして、ナイトの合図で馬車が動き出したのだ。
寂しくないわけではない。悔いだってある。
あいつにちゃんと挨拶もできなかった。けれどもし最後に会ったとしてもあいつは俺の話を聞こうとしなかっただろう。
……これで良かったのだ。そう自分に言い聞かせることしかできなかった。
荷台の片隅に腰を下ろしたまま目を瞑る。ナイトが貸し切りで用意してくれたお陰で馬車の中は静かで、落ち着けた。
――ナイト。
なんで最後にあんなことしたんだ。
唇の熱は未だ取れない。眠ろうとしてもそのことばかりが、あの唇の感触が蘇っては何も考えられなかった。
それからどれほどの時間が経ったのか。ようやく勇者たちが帰ってきたときには既に日は落ち、外は真っ暗になっていた。
扉の外で足音が聞こえた。勇者だ。そう体を起こした。そして、扉が開いたとき、俺は目の前の扉を無理矢理押し開いた。驚くわけでもなく、あいつ――勇者は俺の拳を避けることなくそこに立っていた。
「っ、お前……よくも……っ! 俺をこんな……っ!」
ふざけるな、と掴み掛かろうと伸ばした手ごと手首を掴まれる。そして、俺の拳に目を向けたやつは顔を歪めるのだ。
「……済まなかった」
そして、次の瞬間拳が暖かく包み込まれる。傷は癒え、痛みはなくなっていた。
治してくれた勇者にも驚いたがそれ以上に素直に謝る勇者に驚いたのだ。
「なんだよ、済まないって……」
「…………」
何か言ったらどうだ、と詰め寄ろうとしたとき、傷の癒えた手を握り締められるのだ。指を絡められ、ぞわりと背筋が震えた。振り払おうとするが絡み付いた指は離れるどころか指一本すら動かせず、その力の強さに堪らず息を飲んだ。
「お前の体が傷付く可能性を考慮していなかった。……次はこのようなことがないようにしないとな、お前は何をしでかすかわからない」
背筋が凍るようだった。
こいつ、と言葉を失ったとき、勇者はそのまま俺の部屋へと押し入ってくるのだ。そして、後ろ手に扉が閉められる。
「おい……っ」
「考えを改める気にはなったか?」
「それはこっちのセリフだ、こんな真似して『はいわかりました』って言うと思ったのか、おまけにメイジにまで妙な真似させやがって……!」
怖気づいてはならない、そう感情のままに声を上げてから俺は自分の失言に気付いた。
あいつは変わらない、何を考えているのかわからない目でただ俺を見ていた。
「……メイジ、あいつが余計なこと口にしたのか?」
「っ、……少し考えれば分かることだ、あんな汚い真似できるのあいつしかいないだろ」
メイジを庇ったつもりではないが、メイジのことを話せばこいつがどんな反応をするのか、考えただけでもぞっとしない。咄嗟に誤魔化したつもりだったが、勇者の表情に、その目に怒りの色が現れるのを見てしまった。
そして肩を掴まれ、壁へと体を押し付けられる。
昨夜の記憶が蘇り全身に冷たい汗が滲んだ。おい、と勇者を見上げたとき、すぐ目の前にやつの顔があることに気付き息を呑む。
「……なんで、今嘘吐いた?」
「……っ、別に……」
「なんでお前があいつを庇う必要があるんだ。……おかしいだろ」
「人の話を聞けよっ、この……」
この馬鹿、と言い返そうとしたときだった。
「――お前、俺に何か隠してるだろ」
その一言に、一瞬、ほんの一瞬だけ言葉に詰まってしまったのだ。
そしてあいつはそれを見逃さなかった。
隠してなんかない、そう言いたいのに勇者の気迫に気圧され言葉を失う。
こいつに隠し通せるとは思ってなかった、それでも知られるわけにはいかない。
「……っ、いい加減にしろよ、なんなんだよお前さっきから……」
おかしいだろ、と言い返す。けれど、勇者の目は変わらない。俺を疑う目だ。
「以前のお前なら即座に本当になにもないなら否定しただろ、あんなやつと一緒にするなって」
「そんなのお前の思い込みだ」
「じゃあなんで俺の目を見ない」
「っ、お前がめちゃくちゃだからだよ!」
勘付かれてはならない、この男にだけは。
そうあいつの手を振り払おうとするが、離れない。それどころか胸倉を掴まれ、鼻先にぐっと勇者の顔が迫る。まずい、と思ったとき。
階段の方から足音が聞こえてきた。誰かが来たのだ。誰だっていい。とにかくこの状況から逃れたかった俺は勇者の腕を払い除け、部屋から飛び出そうと扉を開いた。蹴破る勢いで扉から出ていこうとしたとき、追いかけて来たあいつにすぐ腕を掴まれた。
やめろ、離せ、と。そう振り払おうとするが手首を掴む腕はびくともしない。それどころか勇者は無視して俺の体を通路の壁に押し付けた。
「ッ、この……」
目の前の男を思いっきり引き離そうとするが力は緩まるどころか一層強くなる。近付いてくる足音、まずいここじゃ見つかる。そう思ったときだった。顎を掴まれ、唇を塞がれる。
「ん゛ぅ……ッ?!」
誰か来る、そう血の気が引いて思いっきり勇者の胸を殴るがあいつはびくともしない。それどころか更に俺の動きを封じるかのように唇を深く塞ぐのだ。
やめろ、ふざけるな、とうとういかれたのか。ギチギチと痛む手首を動かすこともできない。濡れた舌に唇を割り開かれそうになったときだった。
「――勇者殿、こんなところに……………………」
……ああ、嘘だろ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。
階段を登ってやってきたナイトと、確かに目があったのだ。勇者の腕の中、抱き締められた俺を見て固まったナイトに俺は全身から熱が失せていくのを感じた。
やめろ、こいつの前で変なことをするな。そう思うのに、勇者はわざと見せつけるように更に深く唇を重ね舌を絡めるのだ。
「っ、ふ、……ぅ……ッ!」
これは違う、と言うこともできない。こんなことろ見られたくもない。
俺は思いっきりあいつの舌に歯を立てたのだ。
がりっと肉に食い込む感触が歯から伝わり、すぐに口の中に血の味が広がる。ほんの一瞬、確かに勇者の隙きが出来たのだ。俺は思いっきり目の前の勇者を蹴り、離れた瞬間その隙間を縫って逃げるように階段を降りた。
「っ、スレイヴ……っ!」
「スレイヴ殿!」
二人の声が聞こえたが止まることなんてできなかった。とにかくこの場にいたくない。パニックになっていたと自分でもわかっていた。階段を降りて宿屋から出ていこうとしたとき、背後からいきなり腕を掴まれた。
勇者が追いかけて来たのだと震え上がったとき、「スレイヴ殿」と名前を呼ばれ、はっとする。
「っ、ナイト……」
「……ここじゃ勇者殿も来るだろう、場所を変えても構わないか」
なんで、どうして。そう混乱し、固まる俺の背中をナイトは押すのだ。ナイトの顔を見ることもろくにできなかったが、それでもナイトの手を振り払うことまでできなかった。
そのまま俺たちは宿を出る。
会話なんてあるわけではない、道中奇妙な沈黙が続く。ゆく宛もなかった、きっとナイトも勢いで出たはいいが行く先に迷ってるのだろう。賑やかなこの都市では静かになれる場所を探す方が難しい。俺はまるで死刑囚のような気持ちだった。
ナイトにあんなところを見られて軽蔑されたかもしれない。
シーフやメイジはまだいい、あいつに軽蔑されたところで痛くも痒くもないからだ。けれど、こいつは、この男は――。
「スレイヴ殿」
「……ッ!」
「確か貴殿は甘いものは平気だったな」
「……あ、あぁ……」
そう頷いたときだ、ローブ姿の店員からなにかを受け取ったナイトはそれをそのまま俺に手渡した。それは飲み物のようだ。女子供が喜びそうな色鮮やかにデコレーションされたお菓子のようなドリンクに驚く。
「ずっと歩きっぱなしで疲れただろう、……すまないな、この辺りは土地勘がないためまだどこになにがあるか把握しきれていない。詫びというわけではないが、飲んでくれ」
「なんで……」
「俺がそうしたいと思ったからだ」
「それだけでは不服だろうか」そう、申し訳なさそうにナイトは項垂れる。
ああ、と思った。俺を励ましてるつもりなのか、言いたいことを言わないナイトに腹の奥底にじわりと嫌なものが溢れる。優しくされるのが今は余計辛かった。
「っ、アンタは、……言いたいことがあるんじゃないのか。俺に……っ」
「…………ああ」
「なら、言えばいいだろ。なんで、こんな……っ」
「あれは、本位ではなかったのだろう」
「……ッ」
「貴殿を見れば分かる。……それに、もしそうでなくとも俺は貴殿の後を追った」
「……ッ、ナイト……」
「他人の色恋に口を出すつもりはなかったが……貴殿を一人にしてはいけない気がした」
「何故だが無性にな」そう口にするナイトの眼差しは優しく、そしてどこか憐憫を孕んでいる。
俺は……自分がとても恥ずかしい生き物のように思えて耐えられなかった。ナイトにだけは知られたくなかった、見られたくなかった。怖かったからだ、嫌われることが。軽蔑されるのが。
……けれど今は、それでも尚俺に優しくしてくれるナイトの気遣いが針のように突き刺さり、息苦しくなる。
「お、れは……っ」
俺は。ナイトといるときだけは気が楽だった、あいつらみたいに変なことしてこないし、ちゃんと一人の人間として接してくれるから。
でも今は、同情するようなその態度が苦しくて、そんな自分が情けなくて無性に腹立って――自分でも感じたことのない感覚に戸惑う。
じわりと目頭が熱くなる。こんなことで、口づけされてるところを見られたくらいで泣くな。まるで想い人に振られた女子のような――……。
「っ、スレイヴ殿……っ」
堪えきれず、ぼろ、と溜まった涙が溢れたときだった。ナイトに抱き締められた。勇者とは違う、けれど力強く、それでも俺に負担がかからないようにしっかりと回された鍛えられた腕。
「ナイト……俺……っ、違う、こんな……っ」
「ああ、大丈夫だ。……俺は何も見てない、だから安心しろ」
「……ッ、ふ、ぅ……ぐ……ッ」
道中、賑わう露店通りのど真ん中。
冷やかすような声が野次が飛んでくるが気にならなかった。子供みたいに泣くことが恥ずかしかった、それなのにこの男に抱き締められると子供に戻ったみたいに自分を偽れなくなるのだ。
宥められるように背中を撫でられる。流れ込んでくるナイトの脈動と心音が混ざり合い、心地良かった。
どれくらいナイトの腕の中にいたのだろうか。次第に嗚咽も収まり、脈も緩やかになっていた。
足元で小さい子供がじっと見上げていたことに気付き、ここがどこだか思い出した。
「っ、悪い……もう、大丈夫だ……」
「本当に大丈夫なのか」
「……ああ、悪かった。こんなガキみたいな真似……あんたまで変な目で見られてしまう」
「俺は構わない。……それに、泣くことは悪いことではない」
「自分を責めるな」と、ナイトは続けるのだ。その声が優しくて、せっかく収まりかけていた涙がじわりと滲みそうになって慌てて俺は目を擦った。
「……あんたは凄いな」
「なにがだ?」
「……」
「スレイヴ殿……?」
「……俺はこのパーティーから抜けようと思ったんだ」
そう言葉を口にしたとき、ナイトの顔が強張るのを見た。過去形とは言えど、俺はナイトにその旨を伝えたこともなかった。
「今朝、皆が寝てる間に出ていこうと思って……だから最後に、あいつにだけは伝えようと思った」
「…………」
「けど、駄目だった。……おかしな話だよな、あいつは最初俺に出て行けって言ったのに、今度は許さないって」
「……それで、揉めていたのか」
「ああ、……アンタには見苦しいところ見せたと思ってるよ」
悪かったな、と続けるよりも先にナイトに手を掴まれた。丁度背後を荷台が通ろうとしていたのだ。
「……ここじゃ人通りが多い、場所を変えて話を聞かせてくれないか」
どことなくナイトの声が硬い。先程まで優しかったから余計そう感じるのかもしれない。
怒ってるのだろうか、確かに俺は散々助けてくれたナイトにも黙って出ていこうとしていたわけだ。……怒っても無理もないか。
ナイトの申し出を断る理由もない、俺は「ああ」と頷き返した。
気付けば日が暮れていた。
広場の片隅、俺たちは隣り合うよう腰掛けに座っていた。
広場は昼間様々な出店や旅芸者たちで賑わっているようだ。けれど今は帰り支度をしているため、昼間よりも人気はない。
食事をする気にもなれなかったのか、敢えて個室を避けてくれたのか俺にはわからない。
けれど、ナイトの横顔は固いままだ。
「……パーティーを抜けようとしたのは前からずっと決めていたことなのか?」
そう静かに訪ねてくるナイト。首を横に振る。嘘ではない、寧ろ俺は意地でもここに残ってやるとしがみつくつもりでいた。
「昨日……あんたと話してからだ。あんたはちゃんと人の為、世の為と考えてるのを聞いて自分が恥ずかしくなったんだ」
「それがなんで貴殿が去ることと関係あるんだ」
「……俺がいるとあいつが……勇者が駄目になるから」
ナイトは言葉を失っていた。
この男は何も知らないのだ、俺と勇者のことだって正しいことは伝えてない。シーフやメイジとのことも、なにも。
けど流石に今は勘付いているのだろう、俺と勇者の関係は。
……知られたくなかった、この男には。何も知らないまま出来ることなら別れたかった。でもこれ以上は隠し通せる気がしなかった。
「貴殿と勇者殿は……」
恋仲ではなかったのではないか、と言いたいのだろう。
「……多分、あんたが想像してるような綺麗な関係じゃないな」
ナイトが言葉を飲む。聞いてて楽しい話題でもないし出来ることなら話したくない。けれど、誤解されたままでいる方が耐えられなかった。
「信じてもらえるかどうか知らないが、今までは本当になにもなかったんだ。あいつも、人前であんなことするようなやつじゃなかった」
「じゃあなんで……」
そう言い掛けて、ナイトの表情が強張る。
ああ、と思った。傷つけるつもりではなかった、けれど嘘を吐くような器用な真似もできない。
「……もしかして、自分のせいか。俺が来たから、貴殿は――……」
ナイトの顔から血の気が引いていくのを見て、咄嗟に俺は「違う」と声を荒げた。
「確かにきっかけはあんたが来たあの夜だ。けれど、これは俺が望んだことだった」
「本当はあのまま大人しく俺が出ていけばよかった話だったんだ」あの夜、宿屋にはナイトもいた。勇者に手切れ金を渡され、それを投げ返したときのことは今でも鮮明に思い出せる。
そしてあの夜からだ、俺達の関係が変わったのは。
あんたのせいじゃない、そうナイトに繰り返すがナイトの表情は変わらない。
「っ、……翌日、勇者殿が貴殿を雑用係として残すと言った。それは、まさか……」
「そういう約束だったからだ。……なんでもするから残してくれって」
どんどんと熱が失せていく。一つを見られればボロボロ今まで取り繕ってきたものが崩れてくるのだ。不思議と心の中は穏やかだった。
ナイトも察してるのだろう、何があってどういう契約が交わされていたのか。俺達に肉体関係があったことも。
「……っ、……」
「……しつこいようだがあんたのせいじゃない、元々俺が力不足だったんだ。だからあいつはあんたに声を掛けたんだ」
「スレイヴ殿……」
「……少なくとも俺はあんたが来てくれたから決心付いたんだ。……任せられるって」
情けない話だと思う。実際俺はここに居る。自分で言ってて恥ずかしかった、けれど、それ以上に目の前の優しい男がショックを受けていることに気付いてしまったから俺はまだ冷静にいられたのかもしれない。
「……貴殿は、本当に強いな」
「っ、ナイト……?」
「俺は正直自分が憎くて仕方ない。……っ、なにも気付かず、のうのうと過ごしていた自分が……己のせいでこんなにも身近に苦しんでる者がいるというのに何が平和だ……ッ」
ここまで感情を顕にするナイトを見たのは初めてかもしれない。驚いて、ナイト、と落ち着かせようと手を伸ばしたとき、その腕ごと引っ張られ抱き締められる。
「……っ、おい……」
「……すまなかった、貴殿一人に辛い思いをさせて。……それに気付かないで、俺は騎士失格だ」
「……っ別に、あんたのせいじゃないって言っただろ」
「俺の責任だ。……早々に気付くべきだった、貴殿の様子がおかしいときも。そうすれば、貴殿が必要以上に傷つく事もなかったはずだ」
世界の不幸は自分のせいだと思ってるのか、……いや思うのかもしれない。心優しい男だと知っていたはずだ、きっと今の俺が何を言ってもこの男には焼け石に水なのだろう。
「けど、あんたがいたから俺は助けられたんだ。……前にも言ったが、来てくれたのがあんたで良かったと思ってる」
「貴殿は、本当に……」
そう言いかけて、ナイトは己を落ち着かせるように深く息を吐いた。そして肩を掴んだまま体を離される。「ナイト?」と顔を上げれば、そこには真剣な顔をしたナイトがいて。
「……貴殿はパーティーから抜けたいと、そのつもりだったんだろう」
「……ああ、けど……」
「ならば、俺も協力しよう」
「……っ、え……」
「俺も貴殿に付いて行こう」
一瞬耳を疑った。当たり前のように、平然とした顔で言うものだから余計にだ。
「な……なに言ってるんだ、そんなの駄目だ……っ」
「しかし……」
「『しかし』じゃない、あんたには夢があるんだろ。……俺だって、魔王を倒すまで付いて行きたかったけど……足手まといになる。けどあんたは違う、あいつにはあんたが必要なんだ」
「……っスレイヴ殿……」
「頼むから……頼むから、そんなこと言わないでくれ……」
怖かった。もしここでバラバラになったらどうなるのか、せっかく見えていた道程も全部台無しになってしまえばまた元通りだ。ナイトも俺と同じ苦汁を舐めてきた立場だ、俺の言わんとすることはわかるだろう。
俺とナイトの目指すものは同じだ。けれど、圧倒的に力やスキルの差があったのだ。
しがみつき、懇願する俺にナイトもわかってくれたようだ。スレイヴ殿、と宥めるように俺の頭を上げさせるのだ。
「……貴殿の想いは痛いほど伝わった、ならば俺はそれに応える」
「ナイト……っ!」
「けれど、貴殿が出ていきたいというのならその手助けをさせてくれ。……頼むから、これだけは断らないでくれ」
「……っ、そんなこと、あいつらにバレたら……」
「そんなこと貴殿が心配する必要はない、スレイヴ殿は自分のことだけを考えてくれ」
心強いのに、嬉しいはずなのに、それ以上に不安になるのはきっとあいつのことを思い出すからだろう、手段を選ばなくなってきているあいつにただ恐怖を覚えた。
何も心配しなくていい。自分が協力する。
ナイトはそう言ってくれた。
出来ることなら誰の手も借りたくなかった。借りてしまえばナイトまで共犯になってしまうのだ。
手を煩わせることは気が引けたが、一人では難しいのが現状だった。
「すぐに貴殿が移動できるための馬車を手配しておこう。準備が出来ればすぐに知らせる、そして今夜中にはそれに乗って出るといい」
「……ナイト」
「……貴殿にも勇者殿にも未来がある、今夜で最後だと思うと寂しいが貴殿のためだ」
このナイトの言葉にそうか、と思った。
もうナイトと会えなくなるのだ。……勇者とも。
そう思うと胸の奥がぎゅっと苦しくなるが、俺はそれを見てみぬふりをした。自分で決めたことだ。これは勇者やナイトたちのためでもある。そう言い聞かせて。
「では俺は準備に取り掛かろう。貴殿は……」
「アンタと、一緒にいたい」
「……っ、スレイヴ殿」
「……邪魔か?」
宿にいてまた勇者の顔を見るのも嫌だった。……だから、このままナイトと一緒にいた方が合理的でもあると思った。
全部建前だ、本当は最後かもしれないと思うと離れ難かったのだ。
ナイトは慌てて首を横に振る。そんなわけがないだろう、と表情を柔らかくするのだ。
「……なら一緒に行こう」
「ああ」
俺とナイトは立ち上がり、広場を出た。
不安がないと言えば嘘になる。けれど、それ以上に一人で全て決めたときと比べて明らかに気分がよかった。隣にナイトがいるからだ。
これで最後になるかもしれないと思うと名残惜しいが、自分が決めたことだ。弱音は吐かない。
俺は喉先まで出掛けた言葉を飲み込んだ。
全ては順調だった。恐ろしいほどに。
ナイトが用意してくれた馬車。それで俺の知ってる街まで送ってくれることになる。荷物も全部置いてきた俺は無一文だ、そんな俺の代わりにナイトが金を出してくれたのだ。流石に悪いと断って徒歩で行くと伝えたが「せめて最後なのだからなにかさせてくれ」と半ば強引に渡されたのだった。
出発前、途中何があるかもわからない。日持ちする飯をいくつか買って荷袋に詰め込み、俺たちは再び馬車まで戻ってくる。
「……アンタまで他のやつらを騙させるようなことになってしまって悪かった。……けど助かった。俺はアンタがいなかったらきっとなにもできなかった」
ありがとな、と頭を下げればナイトは「それは違う」と首を横に振るのだ。
「俺が貴殿を助けたいと思ったのも全部、貴殿だったからだ。ひたむきな貴殿の姿を見て力になりたいと思えたのだ」
「……ナイト」
「すまない、どうも湿っぽいのは苦手でな。……貴殿なら何があっても大丈夫だ」
達者でな、と肩を叩かれる。これで本当に最後なのだ。言いたいことは色々あった、もっと色んな話もしたかった。――けど、決めたのは俺だ。
俺はナイトを抱き締めた。身長が足りなくてみっともないかもしれないが、それでも言葉だけでは伝えられなかったのだ。
一瞬腕の中でナイトの体が驚いたように跳ね上がるがすぐにナイトは俺を抱き締め返してくれたのだ。温かい体温に包まれる感触が心地良くはなれ難い。それでも離れないといけないのだ。
どちらからともなく体を離す。これ以上ナイトといると益々別れが辛くなりそうで怖かった。
「――じゃあな」
「ああ」
そう、ナイトに別れを告げ馬車の荷台に乗り込もうとしたほんの一瞬だった。
「……っ、スレイヴ殿」
名前を呼ばれた。振り返ろうとした瞬間、視界が陰る。唇に何かが触れたと気付いたときには既に離れたあとだった。
ナイト、と名前を呼ぶよりも先に背中を押されるように荷台に乗せられる。そして、ナイトの合図で馬車が動き出したのだ。
寂しくないわけではない。悔いだってある。
あいつにちゃんと挨拶もできなかった。けれどもし最後に会ったとしてもあいつは俺の話を聞こうとしなかっただろう。
……これで良かったのだ。そう自分に言い聞かせることしかできなかった。
荷台の片隅に腰を下ろしたまま目を瞑る。ナイトが貸し切りで用意してくれたお陰で馬車の中は静かで、落ち着けた。
――ナイト。
なんで最後にあんなことしたんだ。
唇の熱は未だ取れない。眠ろうとしてもそのことばかりが、あの唇の感触が蘇っては何も考えられなかった。
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