天国か地獄

田原摩耶

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√β:ep. 4『日は沈む』

15【side:芳川】

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 夏季休暇中は学園から人の姿は消えていく。
 部活動に勤しんでいた生徒たちも合宿が始まれば学園を離れ、学園に残るのは帰る場所がない人間くらいだ。
 ――齋藤佑樹が消えた。
 彼だけではない、志摩裕斗も、あれだけ毎日のように俺の様子を見に来ていた縁方人も暫く見ていない。
 何者かの意図があるのは間違いないだろう。しかしそれは俺にとっては予期せぬことだった。
 齋藤君はまだしもだ、志摩裕斗が姿を消すのはおかしい。……それも、志木村に何も告げずにだ。

 ――学園、風紀室。

「……本当に何も知らないのか?」
「しつこいぞ、何度聞いても答えは変わらない。――連中がどこに隠れてようが俺には知るすべがない、それはお前がよくわかってるだろうが、八木」

「それに、俺に聞くよりも問い質すべきは他にいるだろう」そう返せば、やつは忌々しげに舌打ちをした。その全身から滲む敵意を隠そうともしない、苛立ったように「クソ!」と声を荒げるやつに近くにいた風紀委員が僅かに怯んでいるようだった。

「おかしいだろ、もう一週間近くだろ。……急に、おまけにお前は釈放って、いくらなんでも都合が良すぎる」

 この男の言い分としてはだ、俺が、自分の邪魔となる人物――志摩裕斗を揉み消したのだと言いたいのだろう。馬鹿らしい浅く、短絡的な考えだ。俺は自室にいたのはこいつも知ってる、それに見張りをつけたのもこの男だ。

「勝手に疑えばいい。時間を無駄にするだけだ」
「……っ、お前」
「それよりも、志摩裕斗を探したいのならば俺よりも適任の男がいるだろう」

 寮長である志木村は志摩裕斗が生徒会長の頃、俺が裕斗の補佐をしていた頃、生徒会の会計としてその実務に加え志摩裕斗をサポートしていた。今思えば当時から志摩裕斗に懐いていたが、やつが生徒会長ではなくなった今でもああやってその尻を追いかけてるくらいだ。
 こうしてもうなにも残っていない俺を叩くよりもまだホコリくらいは出るだろう。

「……できるならやってんだよ、知ってんだろ。あいつもいなくなってんの」

 ――ああ、そうだ。
 志摩裕斗が姿を消した翌日、青い顔をした志木村が俺の部屋を訪ねてきた。志摩裕斗と齋藤佑樹を見ていないかと。

『見ていない。……そもそも俺には接触禁止令も敷かれている、会ってすらいない。当たるなら他を当たれ』
『君は本当に嘘吐きですね』
『……なんだと?』
『裕斗さんと齋藤君の関係、君は知ってたんでしょう』

 頭痛のするような話だ。志木村は全てを知っていた。齋藤佑樹が吐いたのだ。執拗に問い詰めてくる志木村だったが、生憎俺には吐けるようなものもない。けれど、それで納得できるほど物分りのいい男ではなかった。

『放っておけ、気分転換に里帰りでもしてるのかもしれないだろう』

 結論から言えば志木村は襲いかかってきた。話にもならない。相手にするだけ無駄だ、幸い側には灘がいたお陰でなんとか大事に至らずに済んだが、あの男は最後まで俺を疑っていた。
 それからのことは知らない。知ろうとも思わない。けれど、灘が志木村を追い返したのだけは覚えている。そして、あいつは言ったのだ。

『会長。本当に貴方は無関係ですか』

 そんなことを聞くようなやつではない。無駄なことだとわかっておきながら確認する、なんの意味も持たない無駄なやり取りを灘がすること自体に驚いたが俺の答えは一つしかない。
「無関係だ」と吐いた言葉を信じたのかは知らないが、灘はそれ以上無駄な話はしなかった。

 栫井平佑は一命を取り留めたようだ。
 出血が酷いせいで暫く入院することとなったが、死ぬほどではない。それでもやつは部屋を変えて暫く入院することとなった。医者が言うには心の問題だという。無駄なことだ、あいつは今更薬をつけたところでどうにもならない。
 どいつもこいつも不合理だ。
 いないやつのことを考えたところでなにも生まれない。

「あいつらは逃げたんだろ。どうせ今頃海で遊んでいる」

 齋藤佑樹は志摩裕斗と志木村に助けを求めた。それは確かだ。そして、その証拠に二人は姿を見せない。

「……っ、芳川、お前は……」
「それで、いつになったら戻れるんだ?俺の処罰は決まったのだろう」

 停学、そして冬期休暇までの生徒会長としての権利剥奪。
 訴えた本人不在のため審議は中断となったが、実質リコールとさして変わらない。生徒会長としての業務は実質二学期までだ、その二学期の仕事も大半は新任の生徒会長への引き継ぎが主になり、それが済めば表立って出るのは新生徒会長だろう。その権利が剥奪されるということは生徒会長が不在の時期が必然的に生まれる。
 それぞれの生徒会役員への処罰はまだ確定したわけではないが、現状で残るとなれば五味だけだろう。そして、新たな生徒会長が生まれるまで五味が業務を請け負う。八木や各委員長も協力するという話にはだが俺にとってはもうどうでもいい話だった。

「今のお前を野放しにできると思ってんのか」
「何故だ。理解出来んな。俺が余計な真似をするのが怖いと言うならまた手錠で縛り付けておけばいいだろう」
「人の後輩脅して鍵外させてたやつがよく言うよな」
「今更どうこうするもりはない。俺の用は――もう済んだ」

 何もかも、台無しだった。
 この三年間積み上げてきたものは全て崩れてしまった。手元には何も残っていない。今俺に残されているものは『一般生徒に恋人を強要し、影で暴力を奮っていた』という不名誉だけだ。

「芳川、お前は……」

 これ以上ここにいる必要はない。
 この男と話す必要もだ。
 今度は八木は止めてこなかった。
 不思議とこの状況に何の感情も沸かなかった。あれほど欲し、望み、手にした立場だった。何年もかけ、耐えてきた。けれど呆気ない、一瞬にしてそれらは崩壊してしまう。

「…………」

 くだらない。どいつもこいつも。
 ――人に好きだと抜かした口で他の男に愛を囁くあいつも。俺を珍獣のように面白がり、手駒だと思い込んでいるあの男も。吐き気がする。
 風紀室の前、待機していた風紀委員は何も言わずに俺の後ろから着いてくる。八木のやつが用意した監視役だろう。無視して俺は歩を進める。
 風紀室を出て、学生寮へと続く通路を進んでいたとき。廊下の奥から甘い匂いがした。
 甘ったるい、俺の『嫌い』な匂いだ。
 そして次の瞬間、背後から「うわっ!」と悲鳴が聞こえてきた。

「はっ!おいおい、今のくらい避けろよなー。そんなんで会長のお守り?バーカ、雑魚は死んどけ!」

 ……振り返らずとも背後で何が起きているのか想像ついた。うめき声とともにどさりと物音が聞こえ、舌打ちとともに背後を振り返ればそこにはやつがいた。

「かーいちょ、お久しぶりです!俺ですよ、貴方の櫻田よーすけ君ですよ!」

 そう、笑いながら呻く風紀委員の腹を軽々と蹴り飛ばす櫻田は俺を見るなりぱっと微笑むのだ。あれほど目立つような真似はするなと言っていたのにこれだ。あの妙な女装はやめたが、ズラの下の髪も染め直すどころか以前よりも明るいし、そもそもこの男はまるで人の言うことを聞く気はないようだ。

「櫻田貴様……」
「っ、お、まえら何を……ぐえっ!」
「うるせえな、てめぇ会長話してんの遮ってんじゃねえよ」
「ぅ゛ぐッ!」
「その辺にしておけ」
「えー?いいんですか?二度と会長に逆らわないようにしないとこの手のイキがってるやつは後々面倒っすよ」
「ならば人目につかないところに捨て置け。それに俺はもう会長ではないと何度言えばわかるんだ」
「会長は会長っすよ」

 人の話を聞く気もないらしい。気絶したのか蹲る風紀委員を引き摺り、近くの空き教室に放り込む櫻田はそのまま扉を閉める。

「それよりどうします?俺は会長と早く二人きりになりたいんですけど」

 人選を誤ったか。今更後悔したところで遅い。

「ああそうだな、騒ぎに反応して誰かが来る前に移動するぞ」

 皮肉も関係なく「はーい」とまとわり付いてくる櫻田を引き剥がし、その場を移動することにした。
 人目を避けるために場所を移動する。
 今は使われていない倉庫。埃っぽいが、人目に目立たなければどこだってよかった。念の為扉に鍵を掛ける。そして目の前の男に目を向ける。

「それでどうだ、尻尾は掴めたか」
「いーや無理っすね、どこ行ったんだか姿すら見かけないっすもん。もうとっくに死んでるか逃げたんすよ、絶対」

 そう、櫻田洋介は近くの机に座りながらあけすけに笑う。

「学校側もなんも連絡受けてないらしいし」
「お前が教えてもらえなかっただけとかじゃなくてか?」
「……あ、その可能性あんのか。もう一回あのクソジジイ問い詰めて来てやりますよ!」
「不要だ」

 俺の言葉が不思議だったのか、「へ?いいんすか?」と小首傾げるやつに頷き返す。

「それよりもお前にはお前の役目がある。……これから先は俺と来い」
「え、会長それって……はわ、まだ俺心の準備が……」
「……」
「わかった、わかってますから。冗談ッスよ、半分ね。もう半分は冗談でも全然嬉しいしつーかあんたが嫌って言ってもどこまでも着いていきますから!」

 どこまでも騒がしい、お目出度いやつだ。
 調子いいことばかりを口にするが俺は知っている。やつが本気だということを。
「勝手にしろ」とだけ答えれば、やつはにっと嬉しそうに笑うのだ。
 何故俺にここまで固執するのか聞いたことがある。やつは笑って言ったのだ。

『栫井サンはずっと憧れだったんすよ、だから追っかけてきたのに……名前変わっちゃったし、眼鏡掛けてるしおまけに生徒会長だし!そりゃ、ついていかないわけないでしょ』

 ――栫井は俺の複数ある内の旧姓の一つだった。
 知ってる人間はこの学園に一人しかいない。栫井平佑、親戚であるあいつ以外は。
 けれど櫻田洋介はこの学園に来る前の俺を知っているというのだ。どこでとは聞かなかった。知りたくもない話だ。興味もない。
 けれど、同時に理解する。俺の素性を知ったその上でここまで付いてくる人間はいない。それを利用しないわけにはいかない、と。

「どうやら目を付けられてるらしくてな。処分は決まったというのに随分としつこい奴らがいるもんだ」
「ソイツラ捕まえて吐かせりゃ何かわかるかもしれねーっすね」
「程々にな。あくまで穏便にだ。あと俺の名前は出すなよ」

「はいよ!」と軽い調子で応えたアイツはそのままの勢いで机から降り、そして倉庫の鍵を開けて出ていく。
 本当にわかってるのかあいつは。扉の外から聞こえてくる揉める声を聞きながら俺は倉庫の奥、取り付けられた窓へと近付いた。
 丁度校門が見える位置だ。学園敷地内への出入りを確認するがあまりない。
 そしていつも学園関係者用の駐車場に放置されている縁方人の愛車も見当たらないのだ。
 どこにも居ないはずがない。隠れているのは違いないだろう。それとも隠されているのか。だとすれば、そんなことをするようなやつは一人しかいない。
 ……いや、二人か。
 そんなことを考えていたときだった。

「櫻田洋介ただ今戻りました!」
「……声がでかい、もっと落とせ」
「櫻田洋介、ただ今戻りましたー……」
「……そこはもういい、要件だけを話せ」

「はーい!」と威勢よく返事する櫻田にコメカミがぴくぴくと痙攣する。……先が思いやられる。

「さっきのやつらはただの因縁吹っ掛けようとした雑魚ですよ、前に会長が処分したようなやつらです。ただの逆恨みっすね」
「阿賀松絡みか?」
「さあ?でも見た感じ勝手にやったって感じですけど」

 確かに、あの気狂い男ならこんなことせずとも直接来るはずだ。

「……それで連中は」
「適当に寝かしてきました」

 追跡者もいないというわけか。
 やはり、難はあるがこういった荒事に櫻田は適役だった。普段妙ちくりんな格好してるお陰で顔も割れていない現状だ。――動くなら今だろう。

「……会長?どこ行くんすか?」
「俺よりも現状について詳しそうなやつに話を聞きに行く。お前は俺の後ろからつけてこい」
「えーっ、隣並ぶんじゃないっすか!腕組み期待してたのに」
「……」

 吠える櫻田を無視して資料室を後にする。
 向かう先は学生寮だ。
 俺と同じように停学処分を受け、そして夏季休暇にも関わらずに自宅に帰らずに学生寮で謹慎を受けることを選んだ物好き。
 十勝直秀。あいつの元へ向かう。
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