天国か地獄

田原摩耶

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四月一日目【転校生】

06

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 本日の昼食の入った買い物袋をぶら下げ、早速俺は志摩の待つラウンジへと向かった。

 ――学生寮一階、ラウンジ。

「遅い」
「ごめんて」
「まあ、いいけどさ、別に。なにかいいのあった?」
「色々あって迷っちゃったんだけど……適当にパンにしたよ」

 志摩の隣のベンチに腰を下ろす。
「いただきます」と、早速袋を開けて一口食べてみればなかなか美味しいではないか。
 もぐもぐと食事を続けていると、ふと、志摩と目が合う。

「……なに?」
「いや、別に」

 何が面白いのか、ニコニコと笑いながら人の食べる姿を見詰めてくる志摩に居た堪れなくなってくる。

「あ、あの……志摩、食べにくいんだけど」
「食べさせてやろうか?」
「なんでだよ」
「あはは、冗談だって」

 そう笑う志摩。
 怒ったり笑ったりコロコロ変わる志摩の表情に戸惑わずにはいられないが、それでも、楽しげに笑う志摩に悪い気はしない。
 ……なんとなく、見過ぎだとは思うが。なんて思ってる間に食べ終える。「ごちそうさま」と口にすれば、「お粗末さまでした」と志摩はニコニコ笑っていま。
 それを志摩が言うのだろうか。なんて思いながら、遅くなった昼食を済ませた俺はゴミを集め、立ち上がる。

「それじゃあどうする?」
「……そうだね」
「校舎の方も案内しようか? ……って思ったけど、わざわざあっちに戻るのも嫌だよね」

「別に面白くもなんともないからなー、向こうは」と1人考え込む志摩。

「それなら、校舎は学校に行った時、暇なときでいいから案内してよ」
「それくらいお安い御用だよ」

 我ながら図々しいかなと思ったが、あっさりと引き受けてくれる志摩に安堵する。
 やっぱり、一番最初に話し掛けてくれたのが志摩で良かった。軽薄な態度が逆に取っ付きやすくて、たまに戸惑う時もあるけれど、面倒見のいい志摩に感謝せずにはいられなかった。

「……どうしたの? そんなに俺の顔見て」
「あ、ご、ごめん……つい」
「つい? なに? 見惚れちゃったの?」
「そういうわけじゃないんだけど……」
「齋藤って結構バッサリ言うよね」
「いや、あの……委員長が志摩みたいな人で良かったって、思って」

 友達、なんて口にするのはやはり怖かった。何も知らないのに、知り合ったばかりなのに、何言ってるんだ。そう笑われてしまいそうで。
 さっきは十勝の前もあって志摩はああ言ってくれたけれど、やっぱり俺の口から出すのには躊躇われた。それでも、感謝は伝えたかった。けれど。

「……」

 やはり、変なことを言ってしまったのだろうか。押し黙る志摩に不安になってきて、「あの、」と恐る恐る口を開いた時だった。ぽんっと、頭の上に手を乗せられた。
 そして、

「ちょっ、待っ、志摩……っ!」

 わしゃわしゃと乱暴に頭を撫で回される。というよりも髪をぐちゃぐちゃにされていると言った方が適切かもしれない。いきなりの志摩の行動にビックリして顔を上げれば、志摩と目があった。

「本当に、俺、結構そういうの慣れてないからさ……やめてよね、まじ、照れるから」

 笑みを引き攣らせる志摩。その耳が微かに赤くなっていて、それに気付いた俺の顔まで熱くなっていくのを感じた。
 正直、志摩は笑って流してくれると思っていた。それだけに、恥ずかしがる志摩に、自分だけがドキドキしてるんじゃないんだって思えて……嬉しくなる。
 これから、志摩たちと一緒に過ごす学園生活のことを考える。友達も増やして、皆で遊んだりして、当たり前の、普通の楽しい毎日のことを考えるだけでわくわくして……忘れかけていた感情が、胸の奥で芽吹き始めるのが分かった。
 ――今度こそ、俺は。



 あれから何時間経ったのだろうか。随分と長い間志摩と話してたような気がする。
 部屋の前まで志摩に送ってもらった俺は、扉についたドアノブに手をかけた。開いている。
 どうやら阿佐美は部屋にいるようだ。

「……た、ただいま」

 そう、恐る恐る扉を開けば、中で人が動く気配がした。
 そして、パタパタと足音が聞こえてくる。

「おかえり、ゆうき君」

 わざわざ走ってきてくれたようだ。俺を出迎えてくれる阿佐美に、俺は少し驚いて、嬉しくて、頬を綻んだ。誰かが待ってくれているというのは、やはり、変な感覚だ。

「ただいま、詩織」

 でも、悪くないな。なんて思いながら、俺は玄関へ入った。

「どうだった? 掃除」

 何気ない阿佐美の一言にぎくりと全身が強張った。
 本当は掃除どころか教室にも行かずに志摩とショッピングモールを歩き回っていたと言ったら、さすがの阿佐美も気を悪くするだろう。内心ドキドキしながらも「まあまあかな」と意味の分からない感想を口にすれば「そっか」と阿佐美は笑う。

「早く、教室に馴れるといいね」
「うん、そうだね」

 本当は、阿佐美も一緒にいてくれたら心強いのだけれど。流石にそこまで言う気にはなれなくて、曖昧に笑って返すことしか出来なくて。

「ああ、そうだ!」

 そう一人思案に耽けていたときだ。ふと、思い出したように阿佐美は声を上げた。
 そして、いそいそと付属の冷蔵庫を開いた阿佐美は何かを取り出す。

「っ! そ、それって……」
「あの、お腹、減ったんじゃないかなって思って俺、コンビニで買ってきたんだけど……」

「転校祝い……って言ったら可笑しいかもしれないけど、どうかな」一緒に、と恐る恐る尋ねてくる阿佐美の手に持たれたそれは二人用のケーキだった。
 まさか、そんなものまで用意してもらえるとは思ってもおらず反応に遅れてしまう俺を不安に思ったようだ。

「も、もしかして……甘いの苦手だった?」
「ち、違う、そんなことないよ! 寧ろ……好きだし!」
「あの、無理だったら……」
「無理じゃないよ!」

 咄嗟に、俺は阿佐美の手を掴んでいた。

「無理じゃないよ……っ! その、ちょっとビックリしちゃったけど……すごい、嬉しい……」

「こんなこと、されたことなかったから」小さな頃、多忙な両親は誕生日の日にも家にいなくて、誰もいない食卓で一人で名前入りのケーキを突くということばかりだった。
 だからこそ、余計、こうしてもらえることが嬉しくて仕方ない。

「ありがとう……詩織」

 長い前髪の下、詩織が笑ったような気がした。

 その日、阿佐美と細やかなパーティーをした。
 豪勢な料理もないし二人き理だし賑やかとは程遠いものだったが、それでも楽しくて、恐らく忘れることのない一日になることには間違いないだろう。
 阿佐美が予め溜め込んでいたジュースを飲み、話し、時間だけが過ぎていく。
 どれくらい経ったのだろうか。眠くなりながらも壁のデジタル時計に目を向ければ既に消灯時間が近付いていた。

「ゆうき君、眠たい?」
「……うん、ちょっと」
「寝るならベッドで寝ないと、風邪引いちゃうよ」

 肩を揺すられ「うーん」と返事をする。
 今日一日色々なことがあったお陰で大分疲れているようで、既に目を開けることすら億劫になっていた。ゆうき君、と名前を呼ぶ阿佐美の声が心地良い。
 もう少し、このまま、そう、ソファーに凭れかかった。
 今日から、本当に何もかも変わってしまうんだ。敵もいなければ味方もいない。作らないと、なんて夢うつつに思いながら。戦う相手もいないというのに。
 微睡む意識の中、俺はとうとう夢に落ちる。頑張ろう、俺は生まれ変わるんだ。夢の中、繰り返し、口にする。今度こそ、と平穏な生活を夢見ては何度も。
 そして、次の日、目を覚ますと俺は爆睡する阿佐美に抱き枕にされていた。
 ……どうやら、平穏な生活にはまだ少し時間が掛かるようだ。
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