カースト最下位落ちの男。

田原摩耶

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カースト最下位落ちの男と生徒会長。

03

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 保健室には八雲に呼ばれた養護教諭がいて、殴られた俺の顔をみて心配してくれた。
 それでも、深くは聞かれることはない。カースト制度も学園公認のシステムだ、カーストのせいで何が起ころうが全ては黙認される。
 それでも、今回ばかりは余計なことを聞かれずに済んで助かった。顔、それからいつの間にかに腕にできてた擦り傷に絆創膏を貼ってもらう。
 ベッドで休んでいくかと聞かれたが、こんなセキュリティもガバガバのところで休む気にはなれなかった。俺は丁重にお断りし、手当を終えたあとすぐに保健室を後にする。
 その間、俺の手当を見守っていた八雲も後ろからついてきた。

「休んでいったらよかったじゃないか」
「……一番ケ瀬が、」
「一番ケ瀬? ああ、彼のことを心配してるのか?」

 気にならないわけないだろ、と八雲を見上げれば、やつはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた。

「だったら君も生徒会室に来るといい。今なら面白いところ見れるかもしれないよ」

 口調そのものはいつもと変わらないものの、こちらをみて細められる八雲の目。そこには間違いなく性格の悪さが滲んでいた。


 ◆ ◆ ◆


 八雲の言葉に惑わされたくはない。
 全て自分の目で見たものを信じたい。

 そう思った俺は八雲の誘いに乗った。また罠かもしれないが、それでも断ることはできなかったのだ。
 八雲とともに生徒会室へと向かう。

「そう言えばあんたのこと、七搦が探してたぞ」

 そう隣を歩いていた八雲に告げれば、八雲は「ああ」とさして興味なさそうに呟いた。

「会ったよ。だからあそこを通りかかったんだ」
「……どういう意味だ」
「さあ、どういう意味だろうね?」

 あまり深く考えたくなかった。それでも、どうしても嫌な想像しか浮かばない。
 思わず立ち止まりそうになる俺の腕を軽く引き、八雲は「どちらにせよ些細な問題だろう」と歩き出す。

「些細なって、ふざけるな……ッ! まさか、一番ケ瀬はハメられて……ッ!」

 俺を襲わせて、わざと一番ケ瀬や八雲たちが通りかかるようにおびき寄せた。
 もしそれが事実だとしたら冗談ではない。俺はあいつのダシに使われたのだ。それも、最悪な方法で。
 そんな俺の唇に指を押し付けた八雲は微笑む。

「だから、静かにね」
「……ッ、あんたは……楽しそうだな」
「寧ろ僕からしてみたら、何を君がそんなに怯えているのかが理解できないくらいだよ」

 この男に人の心を求めていたわけではないが、それでも耳を疑った。価値観からなにまで違う、わざわざ怒ることにすらも疲れて視線を外したとき、八雲はこちらに視線を向けるのだ。

「一番ケ瀬君が理由もなくわざわざこんな危険を侵すと思うのか?」

 どういう意味だ、と尋ねるよりも先に、八雲は立ち止まる。
「さあ、ついたよ」と目の前の扉にそっと触れた八雲はそのまま扉をノックし、「入るよ」と声をかける。そして返事を待たずして扉を開いた。

 生徒会室の奥、会長席に腰をかけた九重と、その向かい側に立つ一番ケ瀬がいた。……あの暴漢の姿はない。
 それから、その手前のソファーには七搦もいる。面倒臭そうにソファーに腰をかけ、一番ケ瀬の背中を睨んでいた七搦だったが、生徒会室へと入ってきた俺たちを見るなり「お」と楽しげに笑うのだ。

「っ、一番ケ瀬……」

 そう、咄嗟に一番ケ瀬の背中に声をかけた。
 まさか俺がいるとは思わなかったらしい、こちらを振り返った一番ケ瀬は「十鳥」と俺の名前を呼ぶのだ。その表情にいつものような元気はない、疲弊と不満、怒りと困惑が入り混じったようなぐちゃぐちゃな感情が浮かんでいる。
 一番ケ瀬に駆寄ろうとしたとき、八雲に首根っこを掴まれた。

「君の席はここだよ、十鳥君」

 そして、そのまま八雲に引っ張られ、九重の元まで引きずられるのだった。
 目の前までやってきた会長様の威圧感は相変わらずだ。座っているこの男を見下ろす形になってるはずなのに、見下されてるようなそんな圧に押し負けそうになる。
 そして、俺を一瞥した九重はそのまま俺の横にいた八雲に視線を向ける。

「八雲、なに部外者を勝手に連れてきているんだ」
「部外者って言い方はないだろう。……彼も一応被害者に当たる」
「被害者だと? 何も問題はなかったはずだ、不必要な抵抗に及んだせいで騒ぎが大きくなった。……お陰で、こいつが馬鹿な真似をした」

『こいつ』と一番ケ瀬を一瞥する九重。その言葉と仕草にカッと頭に血が昇りそうになる。
 俺のことを馬鹿にするのはまだいい。それでも、助けてくれた一番ケ瀬を馬鹿扱いされるのは堪えられなかった。
 それでも、ここで大人しく引き下がってはわざわざついてきた意味はない。

「一番ケ瀬は、悪くありません。……っ、全部、俺が悪いです」

 だから、一番ケ瀬を帰してください。
 罰するなら俺に与えればいい。これ以上なにかを失うこともないのだから。そう続けようとしたときだった、九重の鋭い双眼がこちらを捉えるのだ。まるで人の温かみを感じさせない、冷たく鋭利な視線に突き刺され、その場から動けなくなってしまう。

「――……一番ケ瀬は悪くない、か」

 一切の笑みも優しさもない。そう低く喉を慣らす九重。やつが笑っているのだと気付いた。

「一番ケ瀬、お前はどう思う」
「……会長」
「今回のことだけではない。今までの自分の行動を踏まえた上で答えろ」

 何故そんなことを言わなければならないのか。
 偉そうな態度にムカついたが、後ろ手に八雲に腕を引っ張られ、止められた。
 そして、一番ケ瀬は九重の方を向いたまま答えるのだ。

「……俺は、九重会長の意見に納得できません」

 そんな一番ケ瀬の言葉に、俺も八雲も、七搦までも一瞬凍りついた。ただ一人、一番ケ瀬の視線を真っ向から受け止めた九重だけが動じず、耳を傾けていた。

「一番ケ瀬君……」
「いい、続けろ。……一番ケ瀬」
「新しいカースト……四軍を作ることな賛成です。俺も、最初は九重会長の意見に賛同してました」
「ああ、そうだったな。……最初の四軍にこの男を指名したのもお前だ」
「ええ、そうです」
「だったら何がそんなに納得できない」
「何故、彼を庇って助けることが罪に問われるのかが分かりません」

 あまりにも真っ直ぐな一番ケ瀬の言葉に、目の奥がじんわりと熱くなってくる。
 対する九重は表情を変えないまま、「本当に分からないのか」と顎を指で擦るのだ。

「分かりません」
「庇って助けること自体は罪ではない。それこそ俺の関与する部分ではない」
「じゃあ……」
「生徒会副会長であるお前がそれをやること自体が悪手だと言ってる。……お前も分かっていた、だから自分の立場を利用してこいつを恋人にするなど言いふらしていたんだろう?」

 四軍である俺が一軍である一番ケ瀬の恋人だという理由で優遇されれば、カースト制度、その本来の目的が機能しなくなってしまう。
 九重が言いたいのはそのことだろう。そして、それは俺自身よく分かっていた。だからこそ、一番ケ瀬に甘えていた。

「それがお前の罪だと言ってる。……カースト制度は我が校の誇るべき伝統だ、それがたった一人のために破綻させるわけにはいかない。この言葉の意味がわかるか? 一番ケ瀬」
「…………」
「そんなに恋人ごっこがしたいというならさせてやる。――ただし、四軍同士でな」

 それだけを吐き捨て、九重はゆっくりと立ち上がる。
 一瞬、その言葉の意味を理解したくなかった。目を見開く一番ケ瀬。そして「まじか」と楽しそうに笑う七搦、それからおやおやと笑う八雲。
 そんな三人の視線に構わず、俺は「待てよ」と咄嗟に九重の腕にしがみついていた。
 広い背中、同じ高校生だと思えない上背。少しでも振払われれば吹き飛んでしまう自信はあった。それでも、止めないわけにはいかなかった。
「っ、やめろ、十鳥」と一番ケ瀬が慌てて俺を呼ぶが、構わず俺は九重の腕を掴む。

「……っ、撤回しろよ」
「……なんだ、お前いたのか」
「あいつは、恋人でもなんでもない。俺が、勝手に利用してやっただけだ。だから、もういらない。興味ないから――」

 だから、撤回しろ。
 そう続けるよりも先に、鬱陶しそうにこちらを振り返った九重に息が詰まりそうになる。
 またいつの日かのように腹を殴られるか、それとも顔か。どちらにせよ来い、という気持ちで九重を睨みつければ、眉間に皺を寄せた九重はこちらをじっと見下ろすのだ。

「興味ないから、こいつを見逃してやってくれ」

 そして、その唇はゆっくりと動く。地を這うような声が下腹部に響き、恐怖で緊張しそうになるのを必死に耐えた。

「……まさか、そういうつもりか?」
「ああ、そうだよ」
「馬鹿馬鹿しい。付き合ってられるか」

 そして問答無用で振り払われる。呆気なく力が抜け、その場に座り込む俺。「大丈夫?」と支えてくる八雲を無視し、そのまま再び生徒会室を出ていこうとする九重の腰にしがみつこうとして思いっきり蹴られた。

「っ、う……ッ!」
「十鳥ッ! 会長、やめてください……っ!」

 そう駆け寄ってくる一番ケ瀬を「触るな!」と振り払い、俺はそのまま俺たちを無視して生徒会室を出ていく九重を追いかけた。

 ――生徒会室前、廊下。

「……っ、おい、待てって! ッ、ぅ゛ぐ!」

 今度はしがみつくよりも先に腹を蹴られ、蹲りそうになったところを胸ぐら掴まれる。そして、そのまま乱暴に壁に背中を叩きつけられた。
 背骨から全身へと伝わる冷たく硬い衝撃に目の前は白ばみ、瞼裏で火花が散るように熱くなる。

「しつこいやつだな。話は終わったはずだが?」
「っ、まだ、撤回されてない……一番ケ瀬のこと……」
「なにが不満だ。四軍が増えればお前の負担も減る。生徒会の恥を晒すような真似はしたくなかったが、このままカースト制度を悪用されるよりかはマシだ」

 堅物野郎、と八雲が九重を揶揄していた意味がよくわかった。
 ただの冷徹クソ野郎というわけではない。恐ろしいほど融通が利かない目の前の男に俺は別の恐怖を覚える。まるで、話の通じない宇宙人でも相手にしたような、そんな恐怖にそれはよく似ていた。

「一番ケ瀬には……俺から言う」
「無駄だ。あいつの頑固さは俺がよく知っている。お前がなにを言ったところで、あいつだったら四軍落ちを受け入れるだろう」

 九重の言葉もわかってしまうからこそ余計嫌なのだ。九重の言うとおり、このままでいるくらいならあいつは四軍落ちをよしとする。
 けれど、俺はそれを望んでいない。
 なら、どうすればこの最悪の状況を回避できるのか。どれだけ考えても思い浮かばない。

 普段からなあなあに生きてきて、全て諦めて流されるがままここまできた。それが今になって仇となったのか。俺にはこの理不尽への逆らい方も、抵抗の仕方もわからない。

 だから、

「っ、おね、がいします……」
「……」
「一番ケ瀬を……巻き込まないでください」

 通路のど真ん中。
 九重の腕から抜け落ちるように膝を折った俺は、そのまま廊下のタイルに額がくっつくほど九重に頭を下げる。血も涙もないこの男に効くのかわからない。それでも、俺にはこうして土下座をすることしかできなかったのだ。
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