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第一部

4.死闘の果て

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 オロフの配下である男たち四人を相手に、ロランは善戦していた。
 イェートたちは決して弱くはない。
 むしろ彼らは、歴戦の手練れである。
 対してロランは、剣術の天才というわけではない。
 ひとかどの素質を秘めてはいたが、実戦経験の豊かなイェートたちに比べれば、まだまだ未熟であった。
 ならばどうして善戦などできようか。
 その理由は一つ──それはリリィの存在だ。
 ロランは対人の戦闘において、リリィと一致協力いっちきょうりょくすることで己の能力を遺憾いかんなく発揮できるのだった。
 
「──なっ!?」

 ロランに斬りかかろうとしたイェートの仲間の一人が、急に前につんのめった。
 リリィが彼の頭を後ろから両足で小突いたのだ。
 間髪かんはつれず、ロランが低い位置に下がった男の側頭部を蹴り飛ばす。
 虚をつかれた男は、こめかみに大きな衝撃を受けてその場に崩れ落ちた。
 がら空きに見えたロランの背中に、今度は別の男が斬りかかる。
 
「うっ!!」

 ロランに斬りかかった男の右目に、まるで膜翅虫まくしちゅう(蜂に似た虫)が針で刺すような動きでリリィが飛び蹴りを見舞い、男の動きを鈍らせる。
 ロランはすぐにその隙をとらえて、男の脚の膝裏に剣を差し込んだ。
 男は堪らず地面に転がってうめいた。
 ロランとリリィは短い間に二人を無力化し、残りは二人。
 残ったイェートらはどちらも驚いた表情を見せていた。
 リリィが見えていない彼らには、何が起こったのか理解できていなかった。
 
「……」

 イェートは浮かべていた軽薄な笑みを消し、神妙な面持ちでロランと相対した。
 あなどっていたのは否めない。
 目の前の少年は、強者の持つ特有の風格をまとってはいない。
 ロランの身ごなしは確かに目を見張るものがあったが、総合的に見れば少年が自分たちにまさっているとは到底思えない。
 だが一瞬の内に、こちらの戦力を半分にされてしまった。
 イェートは己の失策を認めながら、改めて少年を見た。
 しかしどれだけ凝視ぎょうししようとも、その印象はこれまでと一切変わらなかった。
 イェートの頭に疑問符が浮かぶ。
 
万象術ばんしょうじゅつか?)

 だがロランには法式ほうしきを唱えたようすはなかった。
 さっとロランの剣を確認する。
 こちらも理法剣りほうけんではなく、普通のものだ。
 身体全体を探しても式陣しきじんはどこにも見当たらない。
 
(万象術じゃなく、何か仕掛けがあるのか?)

 歴戦の傭兵であるイェートは経験則でそう判断し、現状の把握につとめた。
 
(ステンは昏倒、オットは膝をやられたか。しばらく戦闘は無理だな)

 ロランと油断なく見合ったまま、イェートが思考をめぐらせる。
 
(おれとオルソンの二人がかりなら倒せるか? それとも、ここは一旦引くべきか……)

 イェートはそこでふと、ロランの目線が少し気になった。
 その目がたびたび虚空をさまよう動きをしていたのだ。
 
(何だ?)

 イェートがロランの目線を追う。
 
(羽虫か? いや、何もいねぇ。けれど──)

 思い切ってイェートは素早く前に踏み出すと、ロランの目線の先、何もない虚空に斬りかかった。
 すると──
 
「──っ!?」

 ロランがイェートの剣を自らの剣で弾いた。
 イェートが剣を戻し、すぐさまもとの位置に戻る。
 
(……なるほど)

 イェートはロランの行動に得心とくしんした表情を浮かべて、立っているもう一人の仲間に向かって叫んだ。
 
「おい!オルソン! この場に何かいやがる!」

「何かって、何だ?」

 仲間内で一番大柄な男──オルソンが困惑しつつ尋ねる。
 周りを見まわすが、特に変わったものなど目にはつかない。
 
「それは分からねぇ。だが、目には見えない何かだ。多分そいつが、ステンとオットに何かしやがったんだ」

「……そういうことか」

 イェートの言葉にオルソンも納得する。
 オルソンも奇妙だと思っていた。
 目の前の年端としはもいかない少年が、自分たちを手玉にとるなどあるはずがない。
 
「ロランよ。手口は読めたぜ」

 ロランに対して、イェートは再び笑みを向けた。
 
「……」

 ロランは口を引き結び、黙ったままイェートをにらむ。
 
「それじゃあ、そろそろ終わりにしようや」

 イェートが剣をひらめかせる。
 その刃はロランにではなく、彼の周囲の空間に向けられていた。
 イェートがロランの視線の先に向かって、四方八方、でたらめに剣を振り回す。
 
『きゃっ!!』

 剣先がかすめたのか、リリィが悲鳴をあげた。
 
「くそっ!!」

 ロランがイェートの剣を弾く。
 イェートの剣の行く先にリリィがいたのだ。
 イェートの手加減のない重い一撃を受けたロランは、一瞬身体を硬直させた。
 その隙を見逃さず、イェートがロランの腹部に蹴りを叩き込んだ。
 
「──ぐっ!!」

 ロランは身体をくの字に折って、後方に弾き飛ばされた。
 しかしすぐに体勢を立て直し、剣を構えなおす。
 
「動くな!」

 オルソンがロランに向かって叫んだ。
 オルソンの腕の中に、エリシールが捕らえられていた。
 イェートが動いた瞬間、オルソンもまたエリシールへ走り寄っていたのだ。
 エリシールの首元にはオルソンの剣の刃が突きつけられている。
 それを見てロランはすぐに動きを止めた。
 その表情は苦渋に満ちていた。
 
「はぁ……どっちが奸者なのやら」

 オルソンの方を見やり、本気とも冗談ともつかない声でイェートが呟いた。
 
「よし! イェート、そいつを殺せ!」

「なりません!!」

 オルソンの非情な言葉に、エリシールがありったけの声で叫ぶ。
 
「私を連れていきなさい! 貴方たちの用は、それで済むはずです!」

「……やれやれ」

 イェートはエリシールの覚悟に毒気を抜かれ、握った剣を鞘に収めようとした。

「イェート!」

 オルソンはそんなイェートに再び声を上げた。

「そいつを殺せ!」

「そ、ぐっ──」

 エリシールが声を出そうとして、突然覚えた身体の痛みに苦悶する。
 オルソンが腕に力を込め、エリシールを締め上げたのだ。
 
「やめろ!!」

 今度はロランが大声で叫んだ。
 だがオルソンはエリシールを締め上げたまま、
 
「早くやれ!」

 苛立った声で指示する。

「ま、待ちなさ、い……」

 苦しみに耐え、エリシールが声を絞り出す。
 イェートは思案気な表情でオルソンとエリシールの顔を交互に見つめた。
 
(よし、今なら──)

「……リリィ」

 隙を見て、ロランが傍らのリリィに小声で話しかけた。
 
『……ロラン、どうしよう?』

 不安げなリリィの声。
 その声はロランにしか聞こえていない。
 
「リリィ、大丈夫? 怪我は無い?」

『うん、大丈夫。助けてくれてありがとう』

「よかった……」

『エリシールさま、捕まっちゃった。どうする、ロラン? あたしがあいつの目を──』

「だめだ。もし気付かれたら、殿下の身が危ない」

『じゃあ、どうしたらいい?』

 一瞬の間にロランが決断する。

「君はエリシール殿下の側に着いててさしあげて」

『そんな!? ロランはどうするのよ!』

「僕は……自力で何とかするよ」

『自力でって……』

「頼む、リリィ。エリシール殿下を護れるのは、もう君しかいないんだ」

 真剣な表情のロランを見て、リリィの顔が心配そうに曇る。

『ロラン、本当に……大丈夫なの?」

 涙声でリリィが尋ねた。
 これほどまで追い詰められたのは二人にとって初めてのことだった。
 
「ああ、大丈夫。心配しないで」

 リリィを安心させるため、ロランは小さく笑みを浮かべた。
 
『……分ったわ。エリシールさまのことは任せて』

 リリィもまた、ロランを安心させるために約束する。
 彼らはお互いのことを誰よりも信頼している。
 リリィがロランの額に優しく口づけをして、
 
『あなたに妖精の加護がありますように……』

 祈りの言葉を呟き、ロランの側をゆっくりと離れていった。
 二人がやりとりを終えるのとほとんど同じ頃、イェートたちのやりとりも終わった。

「まぁ、こうなっちゃあ仕方がねぇな……」

 イェートは鞘に収めかけていた剣を抜き、ロランに近付いていく。
 その足取りは心なしか、やや重い。
 立ち尽くすロランに、イェートが告げる。
 
「じゃあな。悪く思うなよ」

 イェートが剣をロランの胸に深々と突き刺した。
 その直後、すぐに剣を引き抜く。
 ロランは立ち姿のまま、地面に倒れた。
 彼の赤い血が砂に埋まった石畳に広がっていく。
 
(あ……ああ……)

 それを目にしてエリシールの顔が絶望一色に染まった。
 ぼろぼろと涙を流し、声にならない悲鳴を上げる。
 オルソンの腕がなければ、地面にしていたことだろう。
 彼に二度と会えないことがこんなにも悲しいとは、今まで彼女自身も知らなかった。
 エリシールが落とした涙が、乾いた地面の砂に吸われていく。
 そして、また新しい涙が落とされる。
 それがいつまでも繰り返された。
 エリシールの涙が涸れ果てるまで。
 その隣でリリィは大きな瞳に溢れんばかりの涙を溜めながらも、ロランの姿を見つめ続けていた。
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