曖昧なパフューム

宝月なごみ

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【番外編】庄司家からの刺客

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(もう……涙もろいのも、妊娠のせいかな……)

 慌てて目尻にハンカチをあてていると、沙月がクスクス笑うのが聞こえた。

 貴人の考えが甘いと嘲笑っているのか。

 朱夏は思わずひねくれたとらえ方をしたが、沙月の表情はさっぱりとしたものだった。彼女は唐突に、貴人の肩をバシッと叩く。

「もう、ホントに立派になっちゃってつまんないんだから。仕事がなくなるのは痛いけれど、こんなにラブラブな夫婦の家庭にお邪魔するのも気が引けるし、どこか別の派遣先をあなたのお父さんに探してもらうわ」

 先ほどまではねっとりまとわりつくような話し方だった沙月が、別人のようにドライな口調に変わった。

 朱夏が面喰らって瞬きしていると、沙月の猫のような瞳が優しげに細められた。

「朱夏さん、意地悪してごめんなさいね。大丈夫よ、私はたっくんの初体験の相手ではないから」
「えっ……」

 考えを読まれていたようで、急に恥ずかしくなる朱夏。

 沙月はにっこり笑って、何かを指折り数え始めた。

「初めてのプリン、初めてのパウンドケーキ、初めてのハンバーグ、初めてのシチュー。私が与えたのは、そういう健全なお料理の経験だけ」
「ちょっと……ふたりで一体なんの話をしてたんですか?」

 貴人が訝しむような目をして、沙月と朱夏を交互に見る。

「秘密よ。ね、朱夏さん」
「え、ええ……」

 貴人は不服そうだが、この場で先ほどの嫉妬心を暴露するわけにもいかない。

 朱夏は曖昧に微笑みつつ、内心ほっとしていた。

(すっかり沙月さんに弄ばれちゃった。だけどよかった……貴人くんが家政婦さんとそういうことをしていたんじゃなくて)

 安心したら、お腹が空いてきた。

 席を立った朱夏は、貴人が「自分でやるから座ってて」というのにも構わず、上機嫌で貴人の食事の準備を進めるのだった。





 貴人が父親に家政婦は必要ないと断りの連絡を入れ、今まで通りふたりきりの生活を続けられることになった。

 あと数カ月もすればここにかわいい赤ちゃんが仲間入りする。そう思うだけで朱夏も貴人も幸せで、休みの日には仲良くベビー用品を選びに行ったり、夫婦水入らずのデートを楽しんだり。

 出産予定日までの残り少ない日々を、大切に過ごした。


 そして、翌年の春――朱夏はと貴人は、元気な女の子のパパとママになった。

 娘の名前は明日香。夫婦の縁を繋いだ〝香り〟が、わが子にも明るい未来をもたらしてくれると信じて、二人で決めた名前だ。

 自分が苦しむ姿は見せたくないという朱夏の希望で立ち合い出産にはしなかったが、貴人はわが子が誕生した知らせを受けてすぐ病院に駆けつけた。
 
 くしゃくしゃで赤い顔をした生まれたての明日香。

 ひと目見ただけでも、貴人はこみ上げる涙をこらえることができなかった。

「ああ、本当に可愛いな……朱夏さん、お疲れ様。それに、ありがとう」

 朱夏は額に汗を浮かべてぐったりしているが、とても幸福そうに貴人に微笑みかける。

 その姿はまるで聖母だ。

 貴人はまた彼女の新しい魅力に気づき深く惹かれるとともに、家族を守りたいという意思がいっそう固くなる。

 たまらず朱夏と明日香とをまとめて抱きしめ、精一杯の愛情を込めてふたりに優しくキスをした。





 番外編 FIN


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