曖昧なパフューム

宝月なごみ

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曖昧なパフューム

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「開発チームのリーダーを務めています、桐野です。ただ今のご質問にお答えする前に、サンプルをお手に取っていただけますでしょうか」
「これかな」

 社長は自分と貴人の間に置かれたひと箱を手に取り、ふたを開ける。中に納まる小瓶のうち、適当なひとつを握る。夏のフレグランスだった。

「お席にムエットのご用意がありますので、まずは香りをお試しください。会議の短い間では、トップノートしかお試しになれませんが……」
「ふむ……」

 朱夏に促されるまま、貴政は短冊状のムエットにサンプルをスプレーする。そして鼻先に近づけ、目を閉じた。

「……海、迷子」

 貴政が、小さくひとりごちた。隣にいる貴人は、その謎の呟きに首を傾げる。

 しかし、マイクの前にいる朱夏はなにかを察しているかのように微笑んでいて、続けて貴政に告げる。

「よろしければ、別の季節もお試しください」
「そうだな。では、せっかくだから追加された梅雨を」

 会議の参加者全員の視線が、貴政に集中する。

 新たなムエットを鼻先に近づけた貴政は、再び目を閉じると呟いた。

「期末考査……一位。誇らしかった、父として」

 まぶたを開いた貴政は、横にいる貴人を見ると照れくさそうな苦笑を漏らす。

「私の季節には、いつもお前がいるな」
「えっ?」

 貴人は未だにわけがわからず、怪訝な顔で固まるばかり。そんな彼に構わず、貴政は朱夏が促すまでもなく、箱の中から次の一本を楽しげに選び取った。

 今までと同じ動作で香りを試し、それが終わると椅子の背もたれに深くよりかかり、気が抜けたように息をつく。

「参った……。私は香りの持つ力というのを侮っていたようだ。この商品の香りはどれも不思議と懐かしく、記憶の扉が勝手に開いていく感覚を覚える。なんとも不思議だ」

 貴政の言葉を受け、朱夏は笑みを深めた。今回のフレグランスの開発には、ある仕掛けを施していたのだ。

 とはいえ、それが貴政の心に響いたのは、ある意味ラッキーなのだが。

「特定の香りを嗅ぐと、その香りと共にある自分の中にある記憶が呼び覚まされる……これはプルースト効果と呼ばれています。今回のフレグランスは、できるだけ多くの消費者にその効果をもたらすことができるよう、開発前に大規模なアンケート調査を行いました」

 人によって、思い出深い香りは様々に違う。しかし、春なら沈丁花、夏なら潮風といったように、多くの人が共感できる香りがあるというのも、アンケートからわかってきた。

 朱夏たちは、季節ごとにできるだけ多くの人の記憶を揺さぶる香りをできるだけ網羅したうえで、フレグランスとしての芳香を洗練させる作業を繰り返した。

 朱夏がチームメンバーたちに多くの注文をつけていたのも、アンケート結果と全体の香りのバランスとを、注意深く吟味していたからだった。

 アンケートのデータは量が膨大なため今回の会議の資料としては出さなかったが、パソコンには保存されている。

 朱夏は咲に頼んで結果の一部をモニターに映し出してもらい、話を続ける。

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