曖昧なパフューム

宝月なごみ

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思惑は交錯して

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 店を出た貴人はタクシーで実家に移動した。

 都心から少し離れた、高級住宅街の中でもいっそう存在感のある邸宅。しかし貴人にとって、あまり家族との思い出はない。

 別につらい少年時代を過ごしたわけでもないのだが、両親とも忙しい人なので、家族の絆は希薄。だからこそ、世間体のために結婚や交際にだけ口を出してくる貴政に反発心を覚えるのかもしれない。

「貴人さんが到着されました」

 家政婦に連れられて、リビングに入る。正面のひとり掛けソファに座っていた貴政が、岩のように険しい表情で貴人を見る。

「外してくれ」

 貴政がそっけなく言うと、家政婦は委縮したように部屋を出ていく。貴人は彼の向かい側のソファに腰かけ、口を開いた。

「朱夏さんとのこと、反対する前にちゃんと彼女を知っていますか?」
「知らん。知る必要もない。お前にはお前にふさわしい相手がいるのだからな」

 取り付く島もない貴政の態度に、貴人の眉根がぐっと中央に寄る。

 どうやら朱夏のことを認める気は毛頭ないようである。しかし、ふさわしい相手とはいったい誰のことを指しているのか。

「まさか、また誰かと無理やり結婚させるつもりじゃないでしょうね?」
「察しがいいな。話が早くて助かる」

 それまで厳しかった貴政の表情がふっと緩む。しかし、貴人にとっては苛立つ展開でしかない。

「俺は朱夏さん以外の女性と結婚する気はありません」
「そう早まるな。これはビジネスの話だ」

 熱くなる息子をなだめるように、貴政はゆったりした口調で言い、ソファの背に体を預ける。その態度に神経を逆撫でされた貴人は、棘のある口調で問いかける。

「政略結婚というわけですか。今度は誰なんです? 相手は」
「今度もなにも、涼音さんだよ。昔よりずいぶん顔が売れて、彼女の広告としての価値が上がっている。お前と結婚できるなら、うちの新商品のイメージキャラクターを引き受けてくれるとも言ってくれているんだぞ。これはチャンスだ」

 貴政は、息子が涼音との結婚をさんざん拒否した過去を忘れているかのように愉快そうである。貴人は呆れたように鼻で笑った。

「俺は再放送を見せられているんですか? 彼女との結婚はあり得ないと、何度も説明したはずですが」
「お前がほかに結婚したい女性というのが、もう少し魅力的で利用価値のある相手なら私も認めたよ。しかし、年下の男を養うことで悦に入るような女性だろう? お前は真剣に交際しているようだが、向こうは遊びなんじゃないのか? 痛い目を見る前にさっさと別れ――」

 貴政が言い終わる前に、貴人は衝動的に彼に詰め寄り、シャツの胸ぐらをつかんでいた。息子の豹変ぶりに目を白黒させる貴政に、貴人は怒りで肩を上下させながら言い募る。

「朱夏さんを侮辱しないでください。彼女はそんな人じゃない」
「……手を離しなさい、貴人」
「いやです。俺はこれからもずっと、朱夏さんだけを愛し続ける。認めていただけないのなら俺を専務から解任し、親子の縁を切ってくださっても構いません。それと、イメージキャラクターを引き受ける交換条件に自分の個人的欲望をちらつかせるような下品な女性、こっちから願い下げだ。猪狩涼音本人にそう伝えてくださるなら、この手を離します」

 ふたりはしばらく至近距離でにらみ合っていたが、やがて先に目を逸らしたのは貴政の方だった。

「……わかった。彼女に伝えよう」

 結婚に関しては毎度親の思惑通りに動いてくれない貴人だが、仕事の手腕についていは貴政も認めている。

 貴人を勘当し会社から追い出した場合、次期社長候補をまた一から選び直さなければならず、それは貴政にとって悩ましい展開であった。

 シャツからようやく手を離した貴人に、貴政は問う。

「お前がこうまで熱くなるとは……桐野朱夏はいったいどんな女性なんだね?」

 貴人の脳裏に、朱夏の色々な表情が浮かんでは消える。一種の才能とも呼べる鋭い嗅覚でフレグランス開発に全身全霊を傾ける真剣な顔。プライベートでの笑顔、照れた顔、それに、貴人の前だけで見せる、女性としての艶めかしい顔――。

 父親である貴政にすべてを伝えるわけにはいかないが、彼女の仕事への情熱は、直に肌で感じてほしい。

「連休明けに〝四季〟をモチーフにしたフレグランスのプレゼン会議があるでしょう? 彼女の魅力は、そこでわかると思います」
「ほう……。楽しみにしていよう」

 貴政の挑戦的な眼差しに軽い笑みを返し、貴人は早々と実家のリビングを後にする。

 父親を納得させることができたのには安堵したが、涼音のあきらめの悪さがそこまでだったとは予想外だった。結婚の意思がないことは貴政に伝えてもらうとしても、それで終わるとも思えない。涼音とは一度直接話した方がいいのかもしれない。

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