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痛みを思い出させる人
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この、まったりとした低い声は。
まさか、と思いつつ朱夏が顔を上げると、テーブルのそばにはたった今噂していた岡崎の姿があった。会社近くのレストランとはいえ、彼がこんな場所にいるとは思いもよらず、動揺してしまう。
「岡崎さん!? どうして……」
「気づいてないようだったけど、たまたま近くのテーブルにいたんだよ。話しかけようと思ったら俺の名前が聞こえてきたから、ちょっと盗み聞きしてしまったよ。ごめんね」
そう言って余裕のある大人の笑みをこぼした岡崎に、咲の目がわかりやすくハートになる。
岡崎が「せっかくだからご一緒してもいい?」と聞くと、彼女は迷わず「どうぞ!」と頷いた。
朱夏は異議を唱えたかったが、岡崎はすでに店員に声を掛け、テーブルの移動を申し出ていた。間もなく彼の料理や飲み物が朱夏たちのテーブルに置かれ、彼は朱夏の隣の椅子を引いて座る。
その瞬間、朱夏の鼻先を岡崎のつけているムスク系のフレグランスがかすめ、彼女はほんの少しだけ顔をそむけた。仕事中は平気なのに、こういう場だと嫌でも意識してしまう。
そもそも、フレグランス開発の仕事に携わるのに香りを纏うのは、ルール違反。岡崎に恋をしていた時の盲目な自分はなにも感じなかったが、今ではとても不快だ。
朱夏は自分の嗅覚を誤魔化すため、相変わらず美味しく感じられないカルボナーラを一気に頬張った。
「あのう、岡崎さんって独身ですよね? 彼女とかいらっしゃらないんですか?」
朱夏と同じく典型的なリケジョで恋愛関係は不得手な咲だが、その空気の読めなさから、大胆にも直球な質問を岡崎に投げかけた。
「彼女はいない。でも、日本に忘れられない人がいて……だからこっちに戻ってきたんだ」
朱夏の喉に大量のパスタが詰まり、ゴフッとせき込んだ。「大丈夫?」と言いながら紙ナプキンを差し出す岡崎の、余裕綽々な態度が腹立たしい。
「す、すみません」
無愛想に紙ナプキンを受け取り、口元を拭う。咲がそのぎこちなさを見て、なにか勘付いたようだ。向かいに座るふたりの顔を交互に見比べ、探るような目つきで言う。
「もしかして、岡崎さんの忘れられない人って……?」
「うん。中島さんの推理で合ってる思うよ。だけど、彼女は俺に興味がないみたいだ」
岡崎は他人事のように言った後、頬杖をついて隣の朱夏を見る。
その甘ったるい視線の意味するところは、誰から見ても明白。不本意ながら頬が赤くなった朱夏は、俯き気味に尋ねる。
「こ、婚約者の方はどうしたんですか?」
「別れたよ、とっくに。朱夏が忘れられなくて、俺から切り出した」
なんて勝手な男だろう。朱夏は思わず眉根を寄せ、岡崎を見つめた。
一見、そのまなざしは真剣なものに見える。しかし、当時だってそんな目をして自分を欺いていたのだ。今さら信用できるはずがない。
まさか、と思いつつ朱夏が顔を上げると、テーブルのそばにはたった今噂していた岡崎の姿があった。会社近くのレストランとはいえ、彼がこんな場所にいるとは思いもよらず、動揺してしまう。
「岡崎さん!? どうして……」
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そう言って余裕のある大人の笑みをこぼした岡崎に、咲の目がわかりやすくハートになる。
岡崎が「せっかくだからご一緒してもいい?」と聞くと、彼女は迷わず「どうぞ!」と頷いた。
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その瞬間、朱夏の鼻先を岡崎のつけているムスク系のフレグランスがかすめ、彼女はほんの少しだけ顔をそむけた。仕事中は平気なのに、こういう場だと嫌でも意識してしまう。
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「あのう、岡崎さんって独身ですよね? 彼女とかいらっしゃらないんですか?」
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「す、すみません」
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「もしかして、岡崎さんの忘れられない人って……?」
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「別れたよ、とっくに。朱夏が忘れられなくて、俺から切り出した」
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