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痛みを思い出させる人
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意味深な言葉に思わず朱夏は眉根を寄せ、岡崎を見る。しかし彼は何事もなかったかのように平然とした顔で、「そろそろ仕事の説明をお願いできますか? リーダー」と言った。
朱夏は慌てて「はい」と答え、岡崎を従え研究室の案内を始める。しかし、胸はざわめいていて仕方がなかった。
さっきの発言も妙に意味ありげだったが、朱夏が声を掛ける前、岡崎の口から出た『アンバーグリス』という単語も、朱夏には何らかのメッセージに思えていた。
なぜならロンドンで彼と共に仕事をしていた時期、その香料を彼に教えたのは他でもない朱夏だった。
そして、実物のアンバーグリスの香りが嗅げるという、香水メーカー主催のイベントに彼と共に出かけ、その初めての体験にふたりで感動したのを覚えている。
『朱夏、嗅いでごらん? とても甘くて官能的だ』
先に香りを試した岡崎にそう言われ、『本当だ』と笑っていたあの頃の自分は、岡崎に遊ばれているなんて微塵も思わず、ばかみたいに浮かれていた。
もしも過去に戻れるなら伝えたい。これ以上その男と親密になったら、痛い目を見るぞ、と。
しかしそれは現実的でないので、とりあえず現在の岡崎に深入りしないようにと、朱夏は肝に銘じた。
「桐野、このサンプルだけど。ティーン向けならもっと爽やかなものがいいんじゃないのか?」
「ええ、わかっています。ただ、シトラスやフローラル、フルーティー系の香りはありがちなので、あえて使わないようにした試作品がこれです」
「確かにありがちだが……組み合わせ次第じゃないか? 例えばピーチやベリー系に、ミントノート、あるいはスイートノートを合わせたらどうだろう。爽やかさを強調したければ前者だし、背伸びして色気を演出したいなら、甘いバニラノートを加えるのもありだ」
「……いいですね。やってみましょう」
仕事の上だけで考えれば、岡崎は新メンバーとして素晴らしい人材だった。朱夏と対等な目線で、的確な意見をくれる。研究室はふたりを中心にして活気づき、他のメンバーにもいい影響を与えていた。
「そういえば、最近みんな言ってますよ。朱夏さんと岡崎さん、お似合いのカップルだって」
「え?」
ある日の昼休み、会社近くのイタリアンレストランでともにランチしていた咲からそんなことを言われた朱夏は、思わず食事の手を止めて口をぽかんと開けた。
フォークに巻いていたパスタがするするとほどけて、皿に落ちる。
「ふたりとも嗅覚が鋭くて、勉強熱心で。美人系の朱夏さんに、男の色気ムンムンの岡崎さんって、見た目にもうっとりしちゃうくらいお似合いなんですもん」
「いやいや……岡崎さんにだって選ぶ権利あるでしょ」
朱夏は苦笑して、パスタをまき直し口に入れた。それまでおいしかったはずのカルボナーラがやけに油っぽく感じ、舌にいやな後味が残る。
「ってことは、朱夏さんはまんざらでもないんですか?」
咲がにやにやしながら突っ込んでくるが、朱夏は大きくかぶりを振った。
「まさか。仕事では頼りにしているけど、それ以上の感情はまったく――」
「……そう。残念だな」
不意に、彼女たちのテーブルのそばで、男性がそうつぶやいた。
朱夏は慌てて「はい」と答え、岡崎を従え研究室の案内を始める。しかし、胸はざわめいていて仕方がなかった。
さっきの発言も妙に意味ありげだったが、朱夏が声を掛ける前、岡崎の口から出た『アンバーグリス』という単語も、朱夏には何らかのメッセージに思えていた。
なぜならロンドンで彼と共に仕事をしていた時期、その香料を彼に教えたのは他でもない朱夏だった。
そして、実物のアンバーグリスの香りが嗅げるという、香水メーカー主催のイベントに彼と共に出かけ、その初めての体験にふたりで感動したのを覚えている。
『朱夏、嗅いでごらん? とても甘くて官能的だ』
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もしも過去に戻れるなら伝えたい。これ以上その男と親密になったら、痛い目を見るぞ、と。
しかしそれは現実的でないので、とりあえず現在の岡崎に深入りしないようにと、朱夏は肝に銘じた。
「桐野、このサンプルだけど。ティーン向けならもっと爽やかなものがいいんじゃないのか?」
「ええ、わかっています。ただ、シトラスやフローラル、フルーティー系の香りはありがちなので、あえて使わないようにした試作品がこれです」
「確かにありがちだが……組み合わせ次第じゃないか? 例えばピーチやベリー系に、ミントノート、あるいはスイートノートを合わせたらどうだろう。爽やかさを強調したければ前者だし、背伸びして色気を演出したいなら、甘いバニラノートを加えるのもありだ」
「……いいですね。やってみましょう」
仕事の上だけで考えれば、岡崎は新メンバーとして素晴らしい人材だった。朱夏と対等な目線で、的確な意見をくれる。研究室はふたりを中心にして活気づき、他のメンバーにもいい影響を与えていた。
「そういえば、最近みんな言ってますよ。朱夏さんと岡崎さん、お似合いのカップルだって」
「え?」
ある日の昼休み、会社近くのイタリアンレストランでともにランチしていた咲からそんなことを言われた朱夏は、思わず食事の手を止めて口をぽかんと開けた。
フォークに巻いていたパスタがするするとほどけて、皿に落ちる。
「ふたりとも嗅覚が鋭くて、勉強熱心で。美人系の朱夏さんに、男の色気ムンムンの岡崎さんって、見た目にもうっとりしちゃうくらいお似合いなんですもん」
「いやいや……岡崎さんにだって選ぶ権利あるでしょ」
朱夏は苦笑して、パスタをまき直し口に入れた。それまでおいしかったはずのカルボナーラがやけに油っぽく感じ、舌にいやな後味が残る。
「ってことは、朱夏さんはまんざらでもないんですか?」
咲がにやにやしながら突っ込んでくるが、朱夏は大きくかぶりを振った。
「まさか。仕事では頼りにしているけど、それ以上の感情はまったく――」
「……そう。残念だな」
不意に、彼女たちのテーブルのそばで、男性がそうつぶやいた。
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