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第二章 私がキスをするまで
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しおりを挟む「し、失礼しました…!」
このままではいけない。とにかく私は、フロラヴィ婦人から離れようとした。
「うふふ。離しませんわ」
しかし婦人はそれを許さなかった。私の首の後ろに手を回し、首根っこのあたりを押さえつけている。さらに両脚で私の胴をがっちりと挟みこんだのだ。どちらの力も凄まじく、婦人の執念めいたものを感じてしまう。
おそらく、私ならば力づくで引き離せるはずなのだ。しかし、それができない。婦人の並々ならぬ執念、密着した肉肌の柔らかさ、上品で官能的な香り、そして、蕩けた婦人の顔…婦人の全てが私の五感を刺激して、引き離すことを阻んでいる。
「こんな風に暴漢に押し倒されてしまったら…次はどうなるのでしょう?」
婦人が、じっと私の目を見つめている。いつも凛々しい婦人の目が、とろんと潤んでいる。
ダメだ。本能のままに自由になりたがっている。それでも私は、この感情を制御しなければならないのだ。
「婦人、やめてください…」
「うふふ。やめませんわ。私、ザール様のことが好きですもの」
「っ…!?」
こんな状況になっているのだ。その言葉は予想の範疇なのかもしれない。それでも面と向かって、身体をこれでもかと密着させて告白をされるのだ。心がこれでも高鳴ってしまい、動揺を抑えられなくなってしまう。
「リザがあなたに惚れ込んだのと同じように、私もすっかりあなたに夢中になってしまいましたの。愛する夫を亡くして絶望の淵にいた私を救ってくれたのはザール様でしたから」
「婦人、いけません…」
「それなのに、あなたはリザと結ばれてしまいました。愛娘といえど…いや愛娘だからでしょう。お慕いしている殿方との結婚を認めるというのは、私にはできませんでしたわ」
私の制する言葉を耳に入れることなく、婦人はありのまま心を打ち明ける。もう冗談では済まない。婦人は本気で私と…
「だって、お慕いしている殿方が他の女と愛し合う姿を四六時中見せつけられるのですよ?そんなの私には耐えられませんわ」
婦人の本心はあまりに赤裸々だった。意固地になって私とリザの結婚を認めなかったのは、婦人が私のことを好きでいたからなのだ。
「でも、リザに言われて目が覚めましたの。『絶対にダメ』なんて固定観念捨てちゃえって…ふふふ♪」
そう言うと婦人は私の顔をじっと見つめて微笑んだ。リザにはない、私の全てを包み込んでくれるような笑顔で…
「だから私、欲しいものは何としてでも手に入れるって決めましたの。それが娘の旦那だろうと関係ありませんわ。絶対にザール様を堕とすって決めましたの」
婦人の言葉はいっそう力がこもっている。美しい花のような上品さを誇る婦人の奥には、毒蛇のような本性が潜んでいた。
なぜだか分からないが、まるで私は蛇に睨まれたカエルのように身体が固まった気がした。抵抗する力が、抜けていく…
「リザったら…私にあんな説教をしたのに、ずいぶんと保守的なんだから。生殺しにされていたザール様が可哀想でしたわ」
婦人の白い指が私の顔を優しくなぞっている。細くて長い指は私の頬を伝って…そして、私の唇を優しく撫でている。
婦人が何をしようとしているかは分かる。だからこそ、「それ」を止めなければならない。「それ」をしてしまったら、おそらく私は…
「婦人…これ以上は…」
「あら、どうしてですの?」
「私にはリザがいます。私はリザを愛しています」
「ふふふ。今のところは、ですわね」
婦人は私の言葉を聞いている間も、ずっと指で私の唇をなぞっている。何とか婦人に諦めさせなければ…これ以上は…
「それに初めてのキスは…愛する人としたいのです」
「はい、隙ありっ♪」
ちゅっ♪
私の意表をつくようにして、婦人の唇が私の唇と重なった。ほんの一瞬のことだが、確かに婦人の顔が近づいて、そしてあの肉厚な唇が私の唇と重なったのだ。
婦人の柔らかい唇の感触がじんと残っている。ああ、私はついに婦人とキスをしてしまったのだ…
「うふふ。初めてのキス、しちゃいましたわね。ということは、ザール様は私のことを愛してくれているかしら?」
「そ、そういうわけでは…!」
ちゅ、ちゅっ、チュっ、ちゅっ♪…
まるで口うるさい私の言葉を閉ざすかのように、婦人は何度も私の唇を奪った。私の力が抜けていく。キスのたびに、私の理性が溶かされていくようだ。
そして、仕上げと言わんばかりに、婦人は私の後頭部をぐいと寄せて、濃厚なキスを始めた。
レロ、ちろ、レロォ、ちゅう、チロ、チロ、レロレロォ…
婦人の舌がにゅるりと私の口内に入ってきた瞬間…私の心の中の何かが壊れてしまった。
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