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212話「尾武紳士(その二)」(視点・紳士→ドール)

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(ん……?)
 
 風呂上がり、寝室の扉の前でふと足が止まった。
 
「旦那様……どうされましたか?」
「いや──君はここまででいい。今夜は静かに過ごしたいのでな」
 
 私は執事を下がらせた。いつもなら明日のスケジュールの調整を行う時間なのだが、流石に明日一日は空けてくれたのであろう。静かに頭を下げて自室へと帰っていった。
 
「で、君は誰かな? どうやってここに入ってきたんだい?」
 
 扉を開けて、静かに声を掛ける。
 
「……なんだ、気が付いてたのかい」
 
 部屋の隅にあるベッドから声がする。──やがて、そこに美しい女性が現れた。
 どうやら敵意はないようだ。私は後ろ手に扉を閉めた。
 
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 非常にグラマラスな肉体をもった女性。着ている服はまるで下着の様で、肌の殆どが露わにされている。
 そして特徴的なのは、紫の長い髪から覗く『羊のような巻角』。
 
「ほぅ……君は女淫魔サッキュバスだね? 初めて見たよ」
「ん? 分かるのかい?」
「『そういう方面』に造詣が深くてね。こんなオヤジを誑かしにでもきたのかね?」
 
 その変わった来訪者にソファーを勧めて、私はキャビネットからウイスキーを取り出した。氷とグラスは既にテーブルに用意されている。
 
「謙遜しちゃってさ。アンタ、まだまだ精力に満ち溢れてるじゃないか……まぁ、そのアンタの精力をいただくのも悪くないんだけどさ」
 
 氷の入ったグラスにウイスキーを注ぎ、その女淫魔サッキュバスの前に差し出す。ゆっくりと、どこか妖艶さを感じさせる仕草で受け取り、ひとくち飲む女淫魔サッキュバス
 
「私は尾武紳士おぶしんじという。──君の名前を伺っても?」
「ふん、なかなか美味いじゃないか。──アタシの名前はドール。アンタに大事な用があって訪ねてきたのさ」
「息子を失って、葬式まで落ち着く事もなかった。今夜ぐらいは静かに息子との想い出に浸ろうと思ったんだがね」
「その息子の件なんだよ。ヒロヤっていったかね」
 
 思わず口に運んだグラスが止まる。このドールとかいう女性が──息子の死に関わっているのか?
 
「別にアタシは『この世界での』アンタの息子の死に関わっちゃいないよ?」
「──心が読めるのか」
「ちょっと無作法だったかね。許してもらえないかい。これは女淫魔サッキュバスの本能みたいなもんさ」
 
 私は口元で止めていたグラスをひと息に飲み干す。
 
「浩哉がどうかしたのか? 二日前に交通事故で亡くなったよ」
「知ってるさ。カズミ──三浦和美と一緒にだろ?」
「生前に、息子はなにか君の世話にでもなったのかい?」
 
 ウイスキーをもう一口飲み、ニヤリと笑うドール。
 
「この世界に二人の魂を感じなくて慌ててたろ?」
 
(私の『力』まで知ってるのか……)
 
「そりゃそうだ。死んですぐに、ヒロヤとカズミの魂は『アタシの住む世界』に転生したからね」
 
(やはり……)
 
「ヒロヤは、この世界での記憶を持ったまま……『アッチの世界』のアンタとメグミの子として生まれ変わったんだよ」
 
(『アッチの世界』の私──?)
 
 ◆
 
 ドールという女淫魔サッキュバスは、不思議な話を私にしてくれた。
 
 ドールの住む異世界にも私 (シンジ・オブライエンというらしい)が居て、メグミ・オブライエンという妻との間にヒロヤ・オブライエンという息子が居る事。
 ヒロヤは九歳でありながら、凄腕の剣士として活躍している事。
 三浦和美さんは、カズミ・ミュラーとして生まれ変わり、ヒロヤと幼馴染になっている事。二人はそこで仲良くやっている事。
 
「質問がある。いいかな?」
「どうぞ?」
 
 ドールが手のひらを上向きに、私の前に差し出す仕草をする。
 
「時間が合わない。浩哉は二日前に亡くなったばかりだ」
「異世界間の時間の流れが均一で方向まで同じだなんて思ってるのかい?」
 
 なるほど、そうなのかもしれない。
 
「あと、そのメグミ・オブライエンという女性は……『勇者の同行者』という二つ名を名乗ってなかったか?」
「……聞いた事が無いねぇ……。あ、でも彼女も魔王討伐を果たした勇者パーティーのメンバーだったよ。今思い出しても忌々しいけどさ」
「そんな顔をするという事は、君は魔王側の立場だったんだね?」
「ま、腐っても『淫魔』だからね」
 
 ドールが差し出したグラスに、再びウイスキーを注いでやる。
 
「そんな魔王側の立場の君が、浩哉にこだわる理由は? まさか息子の不利益になるような事を……」
「安心しなよ。アタシは何故かヒロヤやカズミ、そして二人の仲間たちとは仲良くやってるんだよ。──返したい恩もあるしね……」
 
 そう言ってウインクするドール。本来なら疑ってかかるのだろうけど、私の探索者としての本能が『信じて良い』と判断した。
 
(しかし……)
 
「そうか……恵は『そっちの世界』の私と……そうか……」
「ちょっと! どうしたのさ急に涙ぐんじゃって!」
 
 ドールが胸元から取り出したハンカチを差し出してくれた。
 
「あぁ、ありがとう。──いや、そっちの世界に行っても……私と所帯を持ってくれたんだな恵は。おまけに、もう一度浩哉を……ヒロヤを産んで、母親になってくれてたんだな……」
 
 受け取ったハンカチで涙を拭う。
『こっちの世界』で自分を産んでくれた母親に、『むこうの世界』でも産んでもらえるなんて、なんて数奇な運命なんだろうな浩哉は。
 
「ドール君は、わざわざそれを私に伝える為に?」
「いや、ここからがややこしい話でさ……」
 
 ■□■□■□■□
 
(裏の権力者とはいえ……このイケオジも人の親なんだね)
 
 私が手渡したハンカチで涙を拭う姿を見て、少し胸が熱くなった。
 
「とにかく、そのヒロヤがむこうの世界で眠りから目覚めないんだよ。で、アタシが坊やの夢の中に入ったんだけど……まさか夢じゃなくて、元の世界の父親と意識がシンクロしちまってるとはねぇ」
「意識がシンクロ……? 私の中に、浩哉──ヒロヤの意識が入ってるというのか?」
「間違いないね。今、アンタが見ている物を坊やはアンタの中で同じ様に見てる」
 
 イケオジが自分の手のひらを見つめる。
 
「浩哉──ヒロヤがそっちの世界に戻らないと、大変な事になるのか?」
「あぁ。少なくとも、不幸になる女がたくさんいるね」
「それはどうしても帰さないといかんな」
 
 フフッとイケオジが笑う。やだ、素敵な笑顔じゃないか。
 
「むこうの恵も心配してるだろう……私はどうすればいい?」
 
 真剣な眼差しでアタシを見る。──ほんとやだねこのイケオジ、アタシのメスを刺激するような表情ばかりするよ。
 
「ア、アンタは魂と会話できるんだろ? その力を自分の内側に向けてみな? 坊やとコンタクトが取れるはずだから」
「なるほど。──試してみる。少し待っててくれ」
 
 イケオジはそう言って静かに目を閉じた。
 
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