港西高校山岳部物語

小里 雪

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第3章 ザイルは伸び、無駄に荷物を背負い、二人は歩き、一人は助ける。

4. 夏が兆し始める。

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 金曜日の朝学校に行くと、昨日、まっきーが階段歩荷ボッカで二十五kgを背負って二十五往復したという噂でもちきりになっていた。というのは嘘で、たぶん山岳部員以外の誰も階段歩荷なんて単語は知らないのだけれど。



 普段、山岳部の活動は月水金なのだが、今週は水曜までずっと連休だったため、昨日の木曜日に部活があった。そこでまっきーは階段歩荷の自己記録を軽々と更新したのだった。実は同時にランニングに出ていたぼくとりょうさんは、火曜日にぼくが家で走った距離と同じ十六kmを走り、このタイムもぼくの火曜日の記録を大幅に上回っていたのだったが、まっきーのすごさで霞んでしまった。

 まっきーはそのことを話したくて話したくて仕方なくて、うずうずしていたそうなのだが、ランニングの距離を伸ばしたぼくたちが一向に帰ってこないので、部室に帰るとプリプリ怒っていた。

「や、でも二十五kgって体重の半分を超えたね。体重比だと私の三十kgを超えたな。ちょっと悔しいので次は私も荷重を上げよう。」

「でもひどいですよ。距離伸ばすなら、あらかじめ言っといてくださいよう。そうしたら少し遅らせてスタートしたのに。」

「ごめんごめん、まっきー。でもほんとにすごいよ。ぼくも次は二十五kgでやってみよう。」

「そういえばみーち、十六kmも走れるようになったんだね。」

「うん。二時間近くかかっちゃったけどね。しかも、今週二本目だよ。」

 ぼくもちょっと自慢をしてみる。

「じゃあ、土日のどっちかで二十kmに挑戦してみようか。いや、思ったより早かったなあ。まっきーは冬に二十km何回か走ったよね。」

「はい。めちゃめちゃしんどかったですけど。」

「週末、ぼくは全然大丈夫です。二十km、走ってみたいです。稜さんは大丈夫なんですか?」

「あははっ。彼氏でもいれば別なんだろうけど、その心配はないからね。お金の心配さえなければ、毎週山に登っていたいよ、私は。」

 まっきーがこっそりぼくをつついてニヤニヤしている。

「ついでに、今週出来なかった食訓しょっくんもやりましょう。次はわたしでしたね。人参とジャガイモを処分したいので、肉じゃがと菜飯にしますね。」

 なるほど、肉じゃがだとご飯が進まないので、菜飯にするんだな。まっきーはいくつのことを同時に考え、いくつのことに対して同時に頑張ってるんだろう。

 クラスメートと出かけたときの会話を思い出す。まっきーが楽しそうに部活をしていると、ぼくまで嬉しくなってくる。走るのも階段歩荷も辛いはずなのだけれど、部活がある日が純粋に待ち遠しくて、楽しい。そう言えば、変なことを言ってしまって気まずくなるかもしれないと思った稜さんも全く今まで通りで、今日は二人でランニングをしながら『古今東西山の名前』で遊んでいた。もちろんぼくの完敗だったが。



 というわけで、今日、金曜日の話に戻るが、今朝もまっきーは八組にやってきて、

「みーち、明日も来て走るから、今日の部活は夏合宿のミーティングってりょうさん言ってた! そういえば高柳くん吹部すいぶだって? 内進生のパーカッションの子が、上手い子が入ったって戦々恐々としてたよ! じゃあね!」

と、台風のようにしゃべって帰って行った。

「いや、高萩です、僕。」

 横で高萩が苦笑いをする。



 ミーティングには久住くじゅう先生とあさひ先輩も顔を出していた。まず、先生が口火を切る。

巻機まきはた上市かみいちも部誌を読んでいるから知っていると思うが、うちの夏合宿は二回ある。第一次は定地で、三泊四日で剱に登る。第一次夏合宿のコースはだいたい毎年同じだ。一日目に室堂むろどうから別山乗越べっさんのっこしを越えて剱沢に入ってテントを張る。以後三泊、ずっと剱沢に定着する。二日目は雪渓で雪上訓練の日だ。アイゼンをつけた歩行や、滑落停止、雪上での確保の訓練だな。三日目はいよいよ剱岳に登る。一般ルートではなく、長次郎谷ちょうじろうたんという雪渓を詰めて登る。二日目の雪訓せっくんは、この日のためにある。四日目だけは二通りあって、立山を回って室堂に下りるか、大日だいにち岳を通って称名の滝に下るかだ。これは追い追い決めよう。で、第二次が縦走で、今日のテーマは二次合宿の行き先だ。だいたい北アルプスと南アルプスを隔年で行ってる。去年は北アだった。」

 先生は旭先輩と稜さんの方を見る。

「去年も部員は三人だったんだけど、みんな脚が強くて技術もあったから、北アの中でも一番難しいコースにチャレンジした。針ノ木雪渓から針ノ木岳に入って、そこから船窪、烏帽子、野口五郎、水晶、鷲羽、三俣蓮華、双六、槍、穂高を縦走する予定だった。ただ、天気が悪くて、疲労が溜まっていたこともあって、五泊目に槍ヶ岳山荘に泊ったあと、上高地に下山した。翌日が最大の難所である大キレットで、そこを通過するのは厳しいと思ったからだ。」

「先生の判断は正しかったと思います。あの状態で大キレットに行っても、大事故になった可能性が高かったと思います。」

と、旭先輩は言った。

「私は、自分自身の中で、去年の二次夏合宿は成功だったと思っています。もちろん穂高に行けなかったのは私も悔しいです。ただ、四日目の烏帽子から三俣と、五日目の三俣から槍まではほんとに長くて、辛くて、それを越えて槍ヶ岳まで行けたときは涙が出ました。こんな重い荷物を毎日背負って、自分がこれだけ歩けるということに自信が持てました。」

 稜さんが泣いているところなんて想像ができなかった。

「あの後、槍から上高地までの下りも長いし、バスの時間に間に合うように急いで下ったからもうボロボロだったな。そういえばあのときおれだけ学校に寄って、そこでまっきーに会ったんだよな。」

 旭先輩がまっきーの方を見る。まっきーは真っ赤になって照れている。

「今年は南アに行きましょう。まっきーとつるちゃんが良ければ、秋に北アルプスに行って、二泊三日で槍穂に再チャレンジしたいです。」

「わたしは異存ありません。」「ぼくもありません。」

 第二次夏合宿は、南アルプスになりそうだった。

「分かった。南は北と違って、主稜線が一本しかないから、そんなにたくさんのコースが選べない。旭、一昨年はどこ行ったっけ。」

「北岳から入って、赤石まで行く予定でしたが、熊ノ平から三伏さんぷく峠にたどりつけずに塩見小屋で泊って、翌日鳥倉に下りて三泊四日で終わっちゃいました。あれはおれが体力なさすぎでした。」

「あー、そうだった。まあ、熊ノ平から三伏はちょっと厳しかったよな。今年はどうしようか。塩見からてかりなんてどうだ? 一日目三伏峠まで、二日目に塩見ピストン、三日目途中で悪沢をピストンして荒川小屋、四日目赤石を越えて百間洞、五日目聖を越えて聖平、六日目上河内、茶臼を越えて光まで。七日目に易老渡いろうどに下山。予備日を一日。停滞があったり疲労が溜まったりしても、荒川でも赤石でも聖でも切れるからね。まあ、うちの山岳部では、南アの一番の定番コースだな。とは言え、全部行けたのは俺が知る限り二回だけだが。」

「北岳は一泊二日でも登れます。荒川や赤石は山が深くて、縦走じゃないと行きにくい場所です。合宿中盤なので、行ける可能性が高いと思いますので、そのコースがいいと思います。」

 ここで、まっきーが口を開いた。

「わたしは、『縦走』がしたいです。できるだけ長く山に入っていたいです。そのためには、厳しすぎる日がなくて、少し厳しい日があっても、翌日に休める行程の作れるコースがいいと思います。『独標』をたくさん読みましたが、塩見から光は定番だけあって、長く歩ける可能性が一番高いコースだと思います。わたしも賛成です。」

 まっきーはやりたいことがはっきりしている。ぼくはまっきーの真っ直ぐな山に対する気持ちを、素直に賞賛したかった。

「ぼくはまだ稜さんやまっきーほど縦走のことを知りませんが、荒川と赤石を越えていく『独標』の場面は心に残っています。行ってみたい山です。」

「じゃあ、決まりだな。旭たちが敗退したルートの続きってことになるね。南アは大登りと大下りが交互にやってくるから、俺は体力的に北より厳しいと思っている。最大の山場は三日目の三伏から荒川までで、悪沢のピストンは空身からみで行けるけど、その日は十時間近い行程になる。技術的に厳しい場所はほとんどないが、毎日重い荷物を背負って歩く体力が一番大切になる。まずは、来週末の第一次歩荷だ。また塔ノ岳に行くぞ。」



 夏が兆しはじめた。祖父が愛した剱岳に登る。そして、港西山岳部が一番大切にしている縦走を、南アルプスで行う。一生に一度しかない、高校一年生の夏は、もうぼくの手の届くところまで来ていた。
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