港西高校山岳部物語

小里 雪

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第2章 一本取ったり、武器を忘れたり、キジを撃ったり、デポされかけたり。

11. キジ、デポ、金峰。

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 ハプニングはあったが、ぼくたち食当の手際が良かったため、予定からほとんど遅れることなく、六時二分にテン場を出発した。無雪期なら九時過ぎには金峰の頂上に着けるはずだが、雪の状態によってはもっと時間がかかるらしい。空は昨日同様の高曇りで、秩父の大きな山塊の上にやっと顔を出した朝日が霞んで見えた。まず標高差にして二百mほど樹林の中を登ると、いったん下り坂になる。しばらくは傾斜も緩いため、後ろを歩くまっきーと話をする。

「まっきー、珍しいね。まっきーのミスらしいミスって、初めて見た気がするよ。ぼくなんて昨日二回もミスしちゃったから、これ以上失敗してりょうさんに迷惑かけないようにしないと。」

「わたしも去年の秋の山行はミスばっかりだったよ。何度も転んだしね。でも、今日のは凡ミスだったなあ。考え事してたらうっかり救急セットまでパッキングしちゃった。それよりさ、」

 平らで、すこし広い登山道だったので、まっきーがぼくのザックを引っ張り、振り向かせる。

「なんかあった?昨日。」「え、なんのこと?」

 ぼくは一瞬たじろいだが、すぐに前を向いて再び歩き始めた。

「呼び方。今も。『りょうさん』って。」

「まっきー、聞こえてるよ。内緒話には向かないよ、こういう場所は。」

と、前から稜さんが笑いながら言った。

「私が頼んだんだ、先輩って呼ばないでほしいって。まっきーにもできればそうして欲しいんだけど。」

「わかりました。努力してみますけど……」

「それから、つるちゃんにいろいろ話を聞いてもらったりしてね。で、今まで以上に仲良くなれた気がするよ。照れくさくて今まで話してなかったけど、別に隠してるわけじゃないから、帰ったらまっきーにも聞いてほしいな。」

 稜さんは少し進んだ場所で振り返り、ニカっとぼくらに向けて笑って見せる。



 二本目で再び急登になり、雪が出てきた。実はこの辺りで、ぼくは問題に直面し始めた。おなかを下し始めていたのだ。今にして思えば、ゆうべのおならのときからその兆しはあった。にっちもさっちもいかなくなる前に相談するべきだと思い、恥を忍んで前を歩く稜さんに話す。

「あー、そうか。ゆうべから変なおならしてたもんね。」

 すいません、みんなの前で言わないでください。

「すいませーん。つるちゃんおなか痛いみたいなので、キジ撃つあいだ小休止にします。」

「キジ?」

「あとで教えてあげるから早く行っといで。ちょっと向こうの陰の方で。ちゃんと穴掘って、全部埋めてくるんだよ!」

 そんな大声で言わなくても……と呟きながら、ザックを置いて紙だけ持って、ぼくは身を隠せる場所に向けて登山道を外れて歩いて行った。

 出すものを出したら、だいぶ良くなった。みんなに謝ってから、再出発。キジについて話を聞こうと思ったが、登山道が急になってきて、雪も多くなって緊張を強いられるようになってきたため、機会を逸してしまった。

 急登を登り詰めて、大日岩だいにちいわと呼ばれる大岩を過ぎたあたりで尾根に入る。雪の量はますます増え、先生はそろそろアイゼンを着けるタイミングを見計らっているようだった。最初は緩やかだった尾根が傾斜を増すあたりでストップし、アイゼンを着けた。同時に、一個目のパンを口にする。

 山に積もった雪の様相は、標高が上がって気温が下がるとともに徐々に変化していくものだと思い込んでいたが、実際には地形や陽射しの影響を受けて目まぐるしく変化している。雪が締まってアイゼンが効き、夏道よりも歩きやすい場所もあれば、下層の雪が柔らかくなっていて、表面の雪を踏み抜いて、太腿まで埋まってしまうような場面もあった。

 そんな『ズボズボ』に足を取られると、這い上がるのにかなりの労力を必要とする。慣れているはずの稜さんや先生までも、何度も足を取られていたが、なんといってもぼくがはまり込む回数が圧倒的に多かった。どこが潜りやすい場所なのかの判断ができなかったのだ。

 また左足が潜り込み、ほとんど腰近くまで落ちる。不運だったのは落ちた先に木の根のようなものがあり、左足に変な力がかかってしまったことだった。

「痛たたたっ!」

 ぼくは思わず声を上げてしまった。後ろを歩いているまっきーが心配そうに近寄ってくる。まっきーに手を引っ張ってもらって何とか左足を引き抜き、少しずつ体重をかけて様子を見てみる。

上市かみいち! 大丈夫か? 歩けるか?」

 久住くじゅう先生がぼくに声を掛ける。少し痛みはあるものの、何とか歩き続けられそうだった。登山靴ではなく、もっと足首の柔らかい靴だったらひどい捻挫は免れなかっただろう。

「すいません、なんとか歩けそうです。昨日ひねったところが悪化してしまいましたが、歩く分には大丈夫そうです。」

「よかった。心配したよー。みーち、さっきからズボズボ潜ってたもんね。」

「どういうところが潜りやすいのか、ちょっと考えながら歩いてみるといいよ。」

 まっきーや旭先輩も、次々に安堵やアドバイスの声を掛けてくれた。

「まあ、昼間はそんなに寒くないから、ひどいようならデポして帰りに回収するよ。」

 ただ一人、稜さんだけはひどい言いようだ。朝のまっきーと今のぼくの扱いが、あまりにも違うことに思わず笑ってしまう。

「行けます。なるべく稜さんと同じ場所に足を置いて、潜らないようにします。」

「よし、じゃあ、行こうか。両神りょうかみ、少しゆっくり目に歩いて、上市が両神をトレースしやすいようにしてやって。」

 稜さんは頷いて歩き始めた。ぼくは、稜さんの足をよく見て、同じ場所を歩くように心がけた。それでもまた何度か潜ったが、その頻度はかなり減り、左足に負担のかかる潜り方もしなくなった。

 砂払ノ頭すなはあらいのあたまと呼ばれる場所で森林限界を迎え、ここからは開けた稜線を進む。ぼくの『キジ』や、潜って足をひねってしまったときのロスタイムで、明示的な『一本』以外にも立ち止まる頻度が高くなり、予定の時間から遅れ気味だったが、ここでも軽く一本取り、食料を補給しておくことになった。

 再び歩き始めてしばらくすると前方の視界が開け、五丈岩ごじょういわと呼ばれる金峰山頂手前にある大岩の姿も確認できるようになった。地面には岩が増えてきて、雪と岩を交互に歩かなければならない。いちいちアイゼンの付け外しをすることはできないため、岩の上もすべてアイゼンで歩く。

 岩の上をアイゼンで歩くと、どうしても足が変な方に向いてしまうため、左足に痛みが走ることもあった。そこでぼくは稜さんに声を掛け、ゆっくり進んでもらうようにお願いした。足に負担がかからない足の置き方を探ってから、丁寧に前に進むようにしたかった。

 だんだん、周囲にはガスがかかってきて、視界が悪くなってくる。

 しかし、ゆっくりでも五丈岩は確実に近づいていた。ついに麓までやって来る。

「この岩、上まで登れるんだよ。帰りがけに行ってみるか?」

と、先生がが言っている間に、頂上はもうすぐそこだった。九時五十二分、金峰山頂に到着。途中でストップしたり、雪にてこずったりしたが、無雪区間のペースが速く、予定の二十分遅れで収まった。

 ガスで眺望は全くなかったが、ここまで来られたことが嬉しかった。標高差も活動時間も、この間の丹沢よりずっと楽なはずだが、雪道を歩いたせいで思ったより脚に疲労を感じていた。気温が低く、ザックから取り出したダウンジャケットを羽織って岩に腰掛けていると、隣に稜さんがやってきて座った。

「大変だったけど、頑張ったね。たぶんつるちゃん、今日、ものすごくいい経験をしたと思うよ。ゆっくり進むように声を掛けてくれたのは大正解だったね。私もおんなじくらい迷惑かけちゃった山行があったけど、それがあったから、今は少しだけ自信を持って山に登れるようになった気がする。」

「はい。デポされなくてよかったです。稜さんの足を見ながら歩いて、どこを選んでいるのか、理由がなんとなく分かってきた気がします。」

「体力、かなりついてると思うよ。普通、あれだけ潜るとかなり消耗するからね。」

 昨日の夜のように、静かな、穏やかな声だった。そこへ、聞きなれたトーンの高い声が入り込んでくる。

「なんか、ほんとに仲良しになりましたね、二人。さっきもみーちが足やっちゃったとき、りょうさんがみーちにかけてる言葉が辛辣で、なんだかうらやましくなっちゃいました。」

 お、まっきーもついに『りょうさん』と呼んだ。っていうか、辛辣なのがうらやましいって、まっきー変態かよ。

「ふふふ、私とつるちゃんは、カラキジを撃ち合って会話できるくらいの仲だからね。」

「そうそう、キジって何ですか?」

「わはは、それはわたしが説明しよう。」

と、得意気でもったいぶった調子のまっきーが答える。

「狩猟できじを撃つときは、草むらにしゃがんで身を潜めて打つんだけど、その恰好が用を足すときの格好に似ているから、まあ、そういうことなんだよね。女の子の場合は『花を摘みに行く』って言うことも多いみたいだけど、わたし自分でもキジって言っちゃうなあ。その方が気分が出るから。それから、キジもいろいろ拡大解釈されて行ってね。そういう姿勢を取らなくてもいい奴も含むようになって、『大キジ』、『小キジ』、『空キジ』なんて言い方も出てきた。まあ何のことかすぐに分かるよね。」

 まっきーは、嬉しそうに、滔々とまくし立てる。やっぱり変態かよまっきー。

「っていうか、みーち、りょうさんのおなら聞いたの? いいなあ。わたしゆうべずっと先生と旭先輩のおならばっかり聞かされてたよ。いいなあ、わたしもまたりょうさんのおなら聞きたかったよ。みーちのはどうでもいいけど。」

 もう、変態すぎて訳が分からないよまっきー。横で稜さんが笑い転げている。なんだよこの部活は。もう訳が分からなすぎるよ。訳が分からないけど、なんだかあまりに幸せで、ぼくも笑いが止まらなかった。
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