港西高校山岳部物語

小里 雪

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第2章 一本取ったり、武器を忘れたり、キジを撃ったり、デポされかけたり。

10. はじめての朝。

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 明け方は寒さで目が覚めた。ダウンジャケットを着たままシュラフにくるまっていたが、それでも完全に寒さは防ぎきれなかった。足元から聞こえるりょうさんの寝息は、規則正しく、穏やかで、彼女が熟睡していることを物語っている。眠っている稜さんを起こさないようにそっと腕時計を取って時刻を確かめると、午前三時半を少し回ったところだったので、起床まで三十分弱の時間を、シュラフの中でじっとして過ごすことにした。

 テントの外では、すでに起きて出発の準備を始めているパーティーも多いらしく、ヘッドランプの灯りがぼんやりテントの向こうを照らし、足音、低く抑えた話し声、ストーブのバーナーが立てる音などが聞こえていた。

 稜さんの頭がぼくの足元にあり、暖を取るために体をもぞもぞ動かすのもためらわれたが、そっと横を向いて体を丸め、少しでも暖気が逃げないようにした。音を立てないように筋肉を緊張させ、少しでも体から熱を発生させるようにする。

 テントの外の音と、稜さんの寝息を聞きながらうとうととしていると、ぼくと稜さんの腕時計のアラームが、同時に小さな音を立てた。ぼくはシュラフから上半身を出して寒さに震える。ヘッドランプをつけて稜さんの足元のザックにぶら下がっている小さな温度計を覗くと、テント内でも気温は氷点下二度だった。頭がテントに触れると、さらさらと霜が落ちてくる。

 稜さんも起き上がって、ヘッドランプをつけた。お互いの顔を直接照らさないように、ランプを下向きにする。

「おはよう、つるちゃん。寝られた? うわ、これは寒い。」

「中でマイナス二度です。明け方、寒くて起きちゃいました。」

「夜中、私が一度目を覚ましたときはいびきかいて寝てたよ。さあ、まずシュラフと個人マットを畳んで。」

 稜さんは寝るときに解いていた髪を、手際よくさっとお団子にまとめる。その優雅な仕草をヘッドランプの反射光越しに見ながら、ぼくはゆうべ、二人のダウンジャケット越しに背中に感じた稜さんの体温のことを思い出していた。いつの間にか寒さが気にならなくなっていた。

 シュラフとマットを丸め、ザックをずらすとテント中央に少しスペースができた。昨日のことを思い出してちょっと照れ臭くなったぼくは、

「水を汲みに行ってきます。」

と言い、登山靴をつっかけ、外に置いてあるラージポリタンを持って水場へ出かけた。

 外の気温は氷点下六~七度だろうか。真冬の横浜よりもずっと寒い。手袋をしてこなかったことを後悔する。水場でポリタンに水を入れるときに、どうしても手に水がかかり、その冷たさは痛いほどで、五Lほどの水を持ってテントに戻るまでの時間は苦行に近かった。

「ありがとう、つるちゃん。手、脇の下に入れて暖めるといいよ。大きな血管が皮膚のすぐ下を通ってるから、いつでも暖かい。あ、私のじゃないからね。」

 すいません、そういう微妙なギャグを拾えるほど今のぼくには余裕がありません。

 ぼくが両手を脇の下で暖めている間に、稜さんは食料と火器をテントの中に持って来た。

「本当はよくないことなんだけど、雨の日や寒い時期は、テント内で火を焚いて食事を作る。そのときはテントの入り口を開けて、必ず換気をする。」

 入口の吹き流しを開けてフックで止め、早速、調理にかかる。包丁とまな板は一セットしかないため、ぼくがテントの外に半身を出して野菜を切っている間に、稜さんが三番鍋に米と水と、あらかじめ用意しておいた調味液、ツナ缶などを入れる。昨日の夜からジップロックで水に漬けておいた干しシイタケの戻し汁がシャーベット状になっていたが、これも計って一緒に炊き込む。

「くれぐれも水の量、ちゃんと計ってくださいね。」

「分かってるよう。ちゃんと調味液と戻し汁の分を引いて計るからね。よっぽど信頼ないんだな私。」

 細めに切った人参と油揚げと干しシイタケを稜さんから受け取った鍋に入れ、米を炊き始める。中のスペースを確保するために、米を炊くのは入口の外だ。ぼくが火加減を調節している間、テントの中でも稜さんが遮熱板を敷いて分離型ストーブに火をつけ、2番鍋に湯を沸かし始める。稜さんは包丁を握り、味噌汁用のキャベツを切ると無造作に鍋の中に投入した。本当は芯の部分を先に入れてほしかったが、まあ仕方ない。

 炊き込みご飯の沸騰が始まり、火を弱めると、しばし余裕のある時間帯に入った。

「つるちゃん、足は大丈夫?」

と、稜さんは尋ねる。

「ほんのちょっと違和感はありますけど、大丈夫です。水場に歩いて行くときも特に痛みはありませんでした。」

「それならよかった。それと、ゆうべ、ありがとう。話を聞いてもらえると、やっぱり楽になるね。最後のおならが一番効いた。」

 稜さんは満面の笑顔で言った。寂しい笑顔でも、意地悪な笑顔でもない、ぼくが初めて見る笑顔だった。その笑顔を見て、ぼくは声を出して笑ってしまった。

「何笑ってるの?」

「だって、稜さん、ほんとに素敵な笑顔でおならのことを話すから、なんだかおかしくって。」

 稜さんも笑い声をあげる。テントの外では、払暁の光が辺りを包み始めていた。



「やー、今回の炊き込みご飯もうまかったな。味噌汁のキャベツの芯がちょっと固かったけど、これはきっとりょうが適当に突っ込んだんだろうな。」

 余ったらおにぎりにする予定だった炊き込みご飯はきれいになくなり、いつも通り残飯の浮いたお茶をみんなで飲んでいた。もうこのお茶にも慣れっこになっていた。

「あー確かにそうだけど旭さんに言われるとムカつく。旭さんの食当も、煮込みすぎて味噌の香りが全然なくなった豚汁とか、ひどいものだったのに。」

「でも、今日の炊き込みご飯の水加減は稜さんがしたんですけど、完璧でしたよ。」
と、ぼくは稜さんの援護射撃をする。隣のまっきーが、何かに気付いてぼくの顔を覗き込む。

「さあ、じゃあ、簡単に今日の予定を確認したら、テントの撤収にかかろう。ピストンから戻ったときには降ってる可能性が高いからね。」

と、久住くじゅう先生が言い、打ち合わせが始まった。

 天候の予測も昨日とほとんど変わらなかったため、確認事項をチェックするとすぐに解散になり、ぼくと稜さんは二天に戻った。まず、シュラフなどの個装こそう、火器、鍋類などの団装だんそうをとりあえずザックに突っ込み、外に出す。テントやフライなどの袋はジャケットのポケットに入れておく。

「雨の日の撤収は、もっと大変。テント以外のものを全部パッキングして、ザックカバーをかけて外に出す。雨具を着てテントを撤収して、びしょびしょのテントをザックにしまって出発。まあ、今日は楽でよかった。」

と、稜先輩は話しながらテントからフライシートを外す。二人で協力してポールをテントの本体から抜き、ポールとテントを袋に収納する。そして改めて、ザックの中に荷物を整理して入れて行く。

巻機まきはた、4天のフライはしまわないでいいよ。雨に濡れないように、荷物はフライに包んでデポしておくから。」

 先生はフライシートを畳みかけたまっきーに声を掛けた。

「『デポ』って何?」

と、ぼくはまっきーに聞く。

「フランス語で、『預ける』とか『倉庫』とか、そんな感じの意味らしいよ。物を置いておくときに使うみたい。」

「冬とかの長期山行の前に、あらかじめ道中のどこかに食料や燃料を置いておくことが本来の『デポ』なんだけど、今ではもっと広い意味で使われるようになってるね。」

と、横から旭先輩も説明してくれた。



 テントの撤収も終わり、サブザックに詰めた日帰り用の装備だけを持って金峰山きんぷさんに向けていざ出発、という段になって、まっきーが救急セットをメインザックの一番下にパッキングしてしまったということが分かった。いろいろなことによく気付き、先のことまでいつも考えて行動するまっきーには珍しいミスだった。

 半泣きでザックの中の物をいったん外に出して、救急セットを取り出しているまっきーを手伝いたかったが、女子の荷物をかき回すのも気が引けた。そこへ、稜さんが歩み寄り、まっきーが取り出した救急セットをサブザックにしまっている間に、広げた荷物をメインザックに再パッキングする手伝いをした。

「大丈夫大丈夫、よくあることだよ。雨が降ってなくてよかった。今日やっとけば、もう雨の日に同じことはやらないでしょ。」

 稜さんは優しくまっきーに声を掛けている。この泊りの山行で、稜さんはいろいろな顔を見せてくれていた。そしてそのたびにぼくは、どんどん稜さんに惹かれて行ってしまうのだ。
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