港西高校山岳部物語

小里 雪

文字の大きさ
上 下
17 / 36
第2章 一本取ったり、武器を忘れたり、キジを撃ったり、デポされかけたり。

5. 初めての食訓当番。衝撃のテント割り。

しおりを挟む
 今週の食訓しょっくんの当番はぼくだったが、明らかにまっきーの方が張り切っていて、朝、ぼくが部室に行ったときにはもう鍋や包丁やまな板を準備していた。

 さっそくぼくは人参をみじん切りにし、同じように油揚げも小さく切る。まっきーが3番鍋に無洗米四合を入れて水を汲んできてくれたので、その中に入れて行く。干しシイタケは丸ごとお米と一緒に水に漬けて戻しておき、直前に刻んでから炊き込むことにする。浸水の段階から調味液を使ってしまうと、浸透圧でうまく水が吸収されない気がしたので、混ぜ込むのは直前にした。そのため、まっきーにはその分の水を少なめにしてもらってある。

 塩、醤油、みりん、料理酒、砂糖で、炊き込みご飯の調味液を作り、カップにラップをかけて保存しておく。その間にまっきーは、空いた包丁とまな板であっという間にポトフ用の人参とジャガイモを刻んで、ボウルに放り込み、水に漬けた。

「昨日、勢い余ってキャベツ一玉買っちゃったけど、今日だけじゃ使い切れないから、今度の山行で回鍋肉ホイコーローを作ることにしたよ。それでもまだ余るので、翌朝は炊き込みご飯とキャベツの味噌汁。キャベツ山行だね。」

と、まっきーが笑う。

「と言うわけで、今回の炊き込みご飯は今度の山行の前哨戦。おいしかったらこのままのレシピで行くから頑張ってね。」

「調味料の量はちゃんと調べて計ったので、たぶん大丈夫だと思うけど、山にはどうやって液体の調味料を持ってくの?」

「ふたが固く締まるプラスチックのボトルがあるから、長い山行のときは、それにお醤油やみりんやお酒を入れて持って行くんだ。どのくらいの量になるのかをきちんと判断するのも食料係の重要な仕事。今回は一泊だけなので、あらかじめ調味液を作ってそのボトルに入れて持って行く方が簡単でいいね。」

「食料係って、すごくいろいろ考えなきゃいけないから、大変だね。」

「装備係だって大変だよ。これからも力を合わせて頑張ろうぜ、相棒。やー、ご飯の炊く量が多いのって、なんかちょっと嬉しいね。」

 まっきーが3番鍋のふたを開けてふふふと笑う。



 つつがなく午前中の授業が終わり、ダッシュで部室に向かう。まずは3番鍋から戻った干しシイタケを取り出し、刻んで再び鍋に入れる。カップの調味液とツナ缶二缶を加えると、ちょうどいい水加減になるようになっているので、すぐにストーブに火をつけてご飯を炊き始めた。

 まっきーが遅れているようなので、キャベツと玉ねぎとブロックベーコンも切り始める。キャベツの芯は分けておく。

「ごめん、先生に呼ばれちゃって。」

 まっきーが部室に駆け込んできた。

「大丈夫。お米、もうすぐ沸騰すると思うから、火加減よろしく。」

 材料を切り終わったので、2番鍋に油を敷き、もう一台の分離型ストーブでベーコンと玉ねぎを炒める。ベーコンから脂が出て、玉ねぎが透き通ってきたあたりで人参、ジャガイモ、キャベツの芯を加えてさらに炒める。ある程度火が通ったところで、煮込みに入る。

 炊き込みご飯も沸騰が始まり、まっきーは火を弱火にした。

「炊き込みご飯は焦げ付きやすいから、沸騰が終わった後の火を止めるタイミングが重要。沸騰が止んだらすぐに火を止めて、あとは予熱くらいでいいと思う。」

 まっきーのアドバイスに、ぼくはうなずく。

 しばらくは余裕があるので、その間にボウルやまな板、包丁などを外の水道で洗ってしまう。そのうちにポトフも沸騰が始まり、コンソメと残りのキャベツを入れる。

「みーち、いろいろ勉強してるみたいで感心するよ。さっきのお米の水の量の指示とか、キャベツの芯と葉っぱで火の通し方を変えるとか。」

「うん。家でも山向けの料理を作らせてもらったりしてる。ツナ缶で炊き込みご飯を作るのは、実は祖母のアイディアなんだ。なんか今、ぼくの生活は完全に山岳部中心に回ってるよ。」

「いつも部室にいるもんね。まあ、わたしもりょう先輩もそうか。」

 炊き込みご飯の水分がなくなったようで、音が変わった。まっきーはふたを開けて確認して、火を止める。おいしそうな匂いが部室中に漂う。

「うわー、これは素晴らしい匂いだな。たまらん。」

と言いながら、あさひ先輩が部室に入ってくる。りょう先輩もそれに続いてやって来た。

 ご飯を蒸らしている間に、塩とコショウでポトフの味を調えれば完成だった。

「さあ、それでは頂きましょう。つるちゃんの記念すべき初めての食訓。」

 稜先輩の頂きますのあいさつで食べ始める。

「あ、なにこれ。なんかいま私、ものすごい敗北感なんだけど。」

 稜先輩が呟く。

「うまいなあこれ。おれ、ポトフって米のおかずにならないからあんまり好きじゃなかったんだけど、炊き込みご飯となら全然オーケーだよ。炊き込みご飯の味付けもちょうどいいし、ツナの味がよく合ってる。」

「わたしも手伝いましたけど、ほとんどみーちの指示に従っただけですよ。」

 嬉しいけれど、なんだか照れ臭くなってしまう。

「いや、これお米四合じゃ足りなかったね。旭さん一人で一合五勺くらい食べてるし。」

「でも、ポトフのジャガイモが煮崩れてしまったのがちょっと残念です。」

「これはこれでおいしいよ。夕食だと、時間かけて準備できる日もあるから、そういう日に、野菜を大きめで作ってもいいしな。しかし、このツナ缶炊き込みご飯は定番入り決定だな。炊き込みご飯は火加減が難しいから、りょうが食当じゃない日の方がいいけどな。」

 旭先輩はやっぱり不思議な人だ。そこにいるだけで周囲が明るく、活気に満ちてくるみたいだ。稜先輩のちょっと意地悪な側面さえ、旭先輩の横ではかわいらしく見えてくる。ぼくの隣に座っているまっきーは、そんなやり取りを聞きながら、ニコニコ笑ってご飯を食べている。

 そうか、まっきーが好きになったのはこういう人なんだな。



 その日の練習は、ぼくが階段歩荷ボッカだった。前と同じ二十㎏の荷重だったが、この日はなんと二十三往復できて、しかもまだ余裕があった。

 さっきの食訓のときもそうだったが、技術面でも、体力面でも、こんなふうにいろいろなことができるようになって行く感覚が毎日のようにある。まだ入部して一月も経っていないが、少しずつ自分が変わって行っていることを実感している。

 練習が終わって帰る前に、軽く次の山行に向けたブリーフィングを行った。久住くじゅう先生と旭先輩も部室にやって来た。稜先輩から山行計画書が渡される。

「今回は泊りだけど、大荷物を持って歩くのは富士見平までの一時間足らずだから、それほど軽量化には気を使わなくて大丈夫。テン場の標高は千八百mくらいあるので、夜は氷点下になる可能性が高いと思います。ダウンジャケットとかのインサレーションがないと、かなり寒い思いをすると思うので、用意してください。」

 稜先輩が計画書を見ながら説明する。

「今年はかなり雪が多いということなので、アイゼンは十二本爪にします。ピッケルも持って行きます。初日はテン場で設営したあと、瑞牆山をピストン。頂上付近の岩場が凍っていそうなので、たぶんアイゼンをつけることになります。登山靴に合うやつを選んで持って行ってください。それから、土の上で少し練習しておくこと。」

 ぼくとまっきーはうなずく。

「二日目は金峰のピストン。こっちはかなり雪が深くて、グサグサの雪なので、かなり潜りそう。稜線ではかなり雪が固くなっているので、こちらもアイゼンが必須です。時間は五六七ゴロチでも大丈夫だと思うけど、念のため四五六シゴロにします。後になるほど天気が崩れそうなので、撤収は金峰出発前にします。」

「そうだね、雪の状態によってはコースタイムの倍くらいかかることもあるから、出発は早い方がいいと思う。」

と、先生が助言した。

「ゴロチとシゴロって何?」

 ぼくはまっきーに聞く。

「ゴロチは、食当五時起き、その他六時起き、七時撤収出発。シゴロはそれより一時間早い。夏の縦走中の基本は三四五サシゴらしいけど。」

 稜先輩が続ける。

「前日の土曜日は学校に十三時に集合して買い出しと団装の分配、最終ミーティングをします。当日の集合は八王子駅に七時十五分。『あずさ一号』に乗って韮崎にらさきで降りて、そこからはバスになります。八王子までは各自調べておいてください。じゃあ次、食料係から。」

 まっきーが立ち上がる。

「一日目の夕食は回鍋肉ホイコーローとご飯、二日目の朝食は炊き込みご飯とキャベツの味噌汁にします。キャベツを処分しないといけないので。ご飯は両方とも五合炊きます。朝は余るかもしれませんが、おにぎりにしておけば誰か食べると思います。」

 まっきーは旭先輩の方をちらりと見て、ちょっと笑う。

「一日目と二日目の昼は各自で用意してください。食当しょくとうは、普通は前日の夜と次の日の朝は続けて同じ人がやるんだけど、今回は平等にするために、二人ずつ、夜と昼で分けます。さあ、じゃんけん!」

「つるちゃん、勝ったら迷わず『夜』だからね。クソ寒い朝に早起きするよりずっとましだから。」

と、稜先輩からアドバイスをもらったが、結果としては、夜が旭先輩とまっきー、翌朝が稜先輩とぼくという組み合わせになった。稜先輩が頭を抱えている。

「まあ、仕方ないか。それじゃあ私とつるちゃんが二天だね。」

 待て。ちょっと待て。テントは男女で分けるんじゃなくて、食当かそれ以外かで分けるのか。食当テントに、ぼくと稜先輩は二人で泊まるのか?
しおりを挟む

処理中です...