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第1章 四月、横浜市の西のはずれ、丹沢の見える街で物語は始まる。
11. 三ノ塔を経て、塔ノ岳へ。
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大倉を出発するとすぐに、吊橋を渡る。しばらくはずっと舗装された林道で、車でも入っていけるようだった。登り坂で標高こそ上がっているものの、まだあまり登山という気はしない。しばらく行くと登山道への分岐の標識があったが、
「林道の方が早いし、今日は先も長いので林道にしよう。」
という先生の声で、そのまま林道を進んだ。ほかの登山者もこちらの道を選ぶ人の方が多いようだった。歩きやすいので、普通に道を歩くのとほぼ変わらないペースで登り坂を歩いて行く。荷物もそれほど重くないため、階段歩荷のような辛さは全く感じなかったが、暑さで汗が噴き出てきた。前を歩く稜先輩も首にかけたタオルで汗をぬぐいながら歩いている。
余裕があるので、まっきーと学校のことをおしゃべりしながら歩いていると、すぐに林道が二方向に分かれている場所に着き、
「ここで一本にします。」
と、先輩が言った。歩き始めてから五十分ほど経っていた。
「休みから休みまでの歩いている区間を『一本』って言うんだ。『頂上まで三本で登る』って言えば、途中に休みを二回はさむことなので、休みを取ることも『一本取る』って言うようになったみたい。」
と、まっきーが解説してくれた。
一本締めのザックを開けて、ペットボトルを取り出して水を飲む。陽射しがあって暑かったので、フリースを脱いでTシャツ一枚になる。ほかのみんなもそうするようだった。『港西山岳部』の文字がぼくの胸に現れる。
稜先輩が、
「はははっ、そのTシャツ着てきたんだ。」
と、飴を配りながらぼくに話しかける。今日初めて話をする。今まで、山に登る姿の先輩がまぶしくて話しかけられなかったのだ。
「はい。せっかくなので着てきました。そう言えば、今日は荷物が軽いので、先輩はこの前買ったアプローチシューズで来ると思ったんですが、違ったんですね。」
「まあ、もしかしたらアイゼンを使うかもって思ったからね。それに、私だけ元気なのは靴が軽いせいだって思われるのも嫌だったし。」
先輩はちょっとニヤッとした。ロングスリーブのTシャツは白地に紺の細かいボーダーで、それを肘までまくり上げた先輩の姿は、少し意地悪な顔をしていても直視できないくらいに美しかった。
十分ほどの休憩が終わる。
「ここから予定では九十分くらいで三ノ塔なんですが、どうしますか?一本でいきますか?二本に切りますか?」
と、先輩が先生に尋ねる。
「まあ、四年生が二人いるし、もう一回休もう。四~五十分経ったところでいい場所があったら一本取って。」
と先生が言い、先輩はうなずいて歩き始めた。
ここからは山道になり、何も考えずに足を置けた今までの道とはわけが違う。歩き始める前は、急な登り坂で、目の前に先輩のお尻があることを想像してドキドキしていたが、視線はほとんど先輩の足元に向けて、同じ場所をたどるようにしなくてはならなかった。ぼくはちょっとほっとして、ちょっとがっかりする。
先輩の歩き方は、大股にならず、足の裏を常に地面にフラットにしていたため、ぼくもそれを真似ようとする。樹林帯は陽が陰り、涼しい風が通り抜けるので気持ちがいい。年配の登山者を追い抜いたり、トレイルランの人に追い抜かれたりするたびに挨拶をする。時折目を上げて周りを眺め、先輩のお尻や、タオルを取ったときに現れる首筋に目が行き、慌てて目をそらす。
登山靴の下の土の感触と、岩の感触。鳥の声が聞こえ、ときおり茂みがざわざわと音を立てる。土と、木と、苔と、汗のにおい。さっきもらった飴の梅の味がまだ口に残っている。ぼくは今、山にいるのだ。すべての感覚が、ぼくが今、ここにいることの証しだった。
斜面は傾きを増し、木の階段を登ることが増えてきた。階段では一歩の負荷が大きいため、稜先輩は意識してゆっくりと足を運んでいることが分かる。
今までで一番の急登が終わり、少し平らになったところで先輩が二回目の休憩に入ることを告げた。
最初の一本より時間は短いが、標高差は二本目の方が大きいようだった。脚に疲労がたまり始めていた。まっきーはなんと、もうおにぎりを食べている。
「まっきー、まだ九時過ぎだよ。もしかして朝ごはんとか?」
「朝は家で食べてきたよ。こまめに、ちょこちょこ食べた方が後半バテないからね。」
前を見ると、稜先輩もビスケットを取り出して口にしている。ぼくはまだ全く腹が空かないので、今回も水を飲むだけにした。そう言えばもう一時間半以上歩いているが、こんなに長い時間歩くのは、実は生まれて初めてだった。
次の一本では、だんだん余裕がなくなって、稜先輩の足元しか見えなくなってきた。後ろのまっきーは先生と何か話していて、息も上がっていないようなのが悔しい。またしても急登。階段ばかりだ。階段歩荷の苦い思い出。先輩が振り向く回数が増えてきた。
「大丈夫、荷物が軽いから、階段歩荷みたいに急に脚に来たりしないから。」
だんだん視界が開けてくる。右から別の道と合流してしばらくすると、広場に到着した。ここが三ノ塔だった。
「さあ、ここで大休止。お疲れ様!」
今の状態は、階段歩荷で十往復目に急にペースが落ちた時と似ていた。この休みで足を少しでも回復させたかったので、ベンチに腰を掛ける。さっきのまっきーの話を思い出して何か食べようと思ったが、疲れて食欲がなく、喉ばかり乾くので水を飲むだけにした。まっきーは二個目のおにぎりを早速ほおばっており、先輩や先生もパンやおにぎりを食べていた。
水を飲むと少し落ち着いた。気が付くと二Lの水が、もう半分近くになっている。
やっと余裕ができて、ぼくは今、素晴らしい眺望の中にいることに気付く。紙の地図と地図アプリを見て、山の名前を確かめる。広がっている市街地はおそらく秦野市で、横浜は大山の向こうになって見えないようだった。まだ雪を頂いた富士山の姿は地図で確認しなくても間違いようがなく、その富士山の右側には、これから登る塔ノ岳に連なる『表尾根』と呼ばれる稜線が見えていた。
「これでだいたい千m弱登ってきたところ。あとは標高差にすると三〇〇m足らずなんだけど、今見えているあそこまでいったん下って、また登り返しになる。この先はちょっと険しくなるから、注意してね。」
と、稜先輩が声を掛けてくれた。もう標高差なら四分の三近くは登ったことになる。一kmって、歩くのもちょっと躊躇する距離で、それを垂直方向に来たのだと思うと感慨深いものがあった。あと三〇〇mなら何とかなりそうだと思えた。
少し風が出てきて肌寒いので、再びフリースに袖を通す。稜先輩も、あの深い青のウィンドブレーカーを羽織り、景色を眺めていた。春の青空は少し霞んでいたが、先輩の周りだけは季節が違うようにさえ思え、ぼくはただただ、空と山並みを背景にした先輩の姿を見つめていた。いつの間にか隣にやって来たまっきーが、「ほらほら」と小声で言いながらぼくを肘で小突く。
ほかの登山者の方に記念写真を撮ってもらい、再び塔ノ岳に向けて出発する。二十分ほどの休憩で、少し脚も回復したような気がしていた。三ノ塔から見えていた最初の下りはかなり急で、鎖場になっているところもあり、脚の疲労を考えて慎重に通過する。
鞍部からは再び登りになる。階段歩荷で分かってはいたが、下りで疲労は取れない。今までのような連続した急登こそないが、再び足が動かなくなってくる。道は岩場が出てくるようになり、急なところでは鎖がかかっていて、滑り落ちれば怪我をすることは必至だった。ただ、手で体を引き上げることで、脚への負担を減らすことができることに気付く。先日横浜へ行ったときの、電車での懸垂のことを思い出す。
休みを取る適地がなかったため、この一本は一時間を超えた。ようやくベンチのある場所で一本。この一本は稜線に出たため、眺めの良い場所をたくさん通り過ぎてきた。海まで見える場所もあったが、悲しいことにぼくには余裕がなく、後ろを歩くまっきーに言われて初めて気づく始末だった。標高差はそれほど大きくないのだが、細かいアップダウンと距離の長さで、脚が攣りそうになっていた。
ここで初めて、自分が空腹であることを自覚する。立て続けにおにぎりと菓子パンを食べる。まっきーはもう3個目のおにぎりだ。まっきーが元気なのはそのおかげなのかもしれない。先輩もパンを食べながら、
「たぶん今日一日の消費カロリーは、基礎代謝まで合わせると四千kcalは軽く超えると思う。食べないと絶対歩けないから、どんどん食べてね。」
と言った。
補給をしてやっと周りを気にすることができるようになったぼくは、まっきーのザックに括り付けてある団装のポールを思い出した。
「そう言えば、トレッキングポールを使って登ってる人がたくさんいるんですが、ぼくたちは使わないんですか?」
と、稜先輩に聞いてみる。
「怪我をしたときとかのために、団装としては持って行くけど、基本的には使わないよ。ポールを使わずに歩くときの体の使い方を覚えてほしいから。それに、面倒くさがって、しまわずに岩場を通過しようとして、引っかけて転倒してしまう事故も多いんだよね。」
ポールを使わせてもらえれば少し楽かもしれないと思ったが、そう言われてしまっては使うわけにもいかない。もっと休みたかったが、十分で出発。またしても階段の急登が続き、階段歩荷のときのようにぼくは膝に手を当てて登った。しばらく登ると小屋跡のあるピークで、稜先輩がこれから進む方向に指を差す。
「あそこが塔ノ岳。今日の目的地。ここからはなだらかだから、あと少し頑張ろう。」
緩やかに道は上下しているが、今までのような急な登りはないようだった。相変わらず階段もあるが、登山者が歩くことで起こる土の浸食を防ぐための、木道と呼ばれる、木の板が渡してある道の上を歩くことも多くなった。何もなければ山道より歩きやすいのだが、脚に力が入らないこともあり、湿っている場所では滑って転びそうになる。
「上市! 集中力を切らすな!」
と、後ろから先生の叱咤の声がかかる。
塔ノ岳は目前に迫り、最後に少しだけ急な登りが残っていた。岩がごろごろしていて足場が悪かったが、目の前の先輩のペースに合わせて一歩一歩足を進める。周りから木がなくなり、視界が開ける。最後に階段を登ると、そこが塔ノ岳の頂上だった。これ以上登ったら、ぼくの両足は完全に攣っていただろう。
「林道の方が早いし、今日は先も長いので林道にしよう。」
という先生の声で、そのまま林道を進んだ。ほかの登山者もこちらの道を選ぶ人の方が多いようだった。歩きやすいので、普通に道を歩くのとほぼ変わらないペースで登り坂を歩いて行く。荷物もそれほど重くないため、階段歩荷のような辛さは全く感じなかったが、暑さで汗が噴き出てきた。前を歩く稜先輩も首にかけたタオルで汗をぬぐいながら歩いている。
余裕があるので、まっきーと学校のことをおしゃべりしながら歩いていると、すぐに林道が二方向に分かれている場所に着き、
「ここで一本にします。」
と、先輩が言った。歩き始めてから五十分ほど経っていた。
「休みから休みまでの歩いている区間を『一本』って言うんだ。『頂上まで三本で登る』って言えば、途中に休みを二回はさむことなので、休みを取ることも『一本取る』って言うようになったみたい。」
と、まっきーが解説してくれた。
一本締めのザックを開けて、ペットボトルを取り出して水を飲む。陽射しがあって暑かったので、フリースを脱いでTシャツ一枚になる。ほかのみんなもそうするようだった。『港西山岳部』の文字がぼくの胸に現れる。
稜先輩が、
「はははっ、そのTシャツ着てきたんだ。」
と、飴を配りながらぼくに話しかける。今日初めて話をする。今まで、山に登る姿の先輩がまぶしくて話しかけられなかったのだ。
「はい。せっかくなので着てきました。そう言えば、今日は荷物が軽いので、先輩はこの前買ったアプローチシューズで来ると思ったんですが、違ったんですね。」
「まあ、もしかしたらアイゼンを使うかもって思ったからね。それに、私だけ元気なのは靴が軽いせいだって思われるのも嫌だったし。」
先輩はちょっとニヤッとした。ロングスリーブのTシャツは白地に紺の細かいボーダーで、それを肘までまくり上げた先輩の姿は、少し意地悪な顔をしていても直視できないくらいに美しかった。
十分ほどの休憩が終わる。
「ここから予定では九十分くらいで三ノ塔なんですが、どうしますか?一本でいきますか?二本に切りますか?」
と、先輩が先生に尋ねる。
「まあ、四年生が二人いるし、もう一回休もう。四~五十分経ったところでいい場所があったら一本取って。」
と先生が言い、先輩はうなずいて歩き始めた。
ここからは山道になり、何も考えずに足を置けた今までの道とはわけが違う。歩き始める前は、急な登り坂で、目の前に先輩のお尻があることを想像してドキドキしていたが、視線はほとんど先輩の足元に向けて、同じ場所をたどるようにしなくてはならなかった。ぼくはちょっとほっとして、ちょっとがっかりする。
先輩の歩き方は、大股にならず、足の裏を常に地面にフラットにしていたため、ぼくもそれを真似ようとする。樹林帯は陽が陰り、涼しい風が通り抜けるので気持ちがいい。年配の登山者を追い抜いたり、トレイルランの人に追い抜かれたりするたびに挨拶をする。時折目を上げて周りを眺め、先輩のお尻や、タオルを取ったときに現れる首筋に目が行き、慌てて目をそらす。
登山靴の下の土の感触と、岩の感触。鳥の声が聞こえ、ときおり茂みがざわざわと音を立てる。土と、木と、苔と、汗のにおい。さっきもらった飴の梅の味がまだ口に残っている。ぼくは今、山にいるのだ。すべての感覚が、ぼくが今、ここにいることの証しだった。
斜面は傾きを増し、木の階段を登ることが増えてきた。階段では一歩の負荷が大きいため、稜先輩は意識してゆっくりと足を運んでいることが分かる。
今までで一番の急登が終わり、少し平らになったところで先輩が二回目の休憩に入ることを告げた。
最初の一本より時間は短いが、標高差は二本目の方が大きいようだった。脚に疲労がたまり始めていた。まっきーはなんと、もうおにぎりを食べている。
「まっきー、まだ九時過ぎだよ。もしかして朝ごはんとか?」
「朝は家で食べてきたよ。こまめに、ちょこちょこ食べた方が後半バテないからね。」
前を見ると、稜先輩もビスケットを取り出して口にしている。ぼくはまだ全く腹が空かないので、今回も水を飲むだけにした。そう言えばもう一時間半以上歩いているが、こんなに長い時間歩くのは、実は生まれて初めてだった。
次の一本では、だんだん余裕がなくなって、稜先輩の足元しか見えなくなってきた。後ろのまっきーは先生と何か話していて、息も上がっていないようなのが悔しい。またしても急登。階段ばかりだ。階段歩荷の苦い思い出。先輩が振り向く回数が増えてきた。
「大丈夫、荷物が軽いから、階段歩荷みたいに急に脚に来たりしないから。」
だんだん視界が開けてくる。右から別の道と合流してしばらくすると、広場に到着した。ここが三ノ塔だった。
「さあ、ここで大休止。お疲れ様!」
今の状態は、階段歩荷で十往復目に急にペースが落ちた時と似ていた。この休みで足を少しでも回復させたかったので、ベンチに腰を掛ける。さっきのまっきーの話を思い出して何か食べようと思ったが、疲れて食欲がなく、喉ばかり乾くので水を飲むだけにした。まっきーは二個目のおにぎりを早速ほおばっており、先輩や先生もパンやおにぎりを食べていた。
水を飲むと少し落ち着いた。気が付くと二Lの水が、もう半分近くになっている。
やっと余裕ができて、ぼくは今、素晴らしい眺望の中にいることに気付く。紙の地図と地図アプリを見て、山の名前を確かめる。広がっている市街地はおそらく秦野市で、横浜は大山の向こうになって見えないようだった。まだ雪を頂いた富士山の姿は地図で確認しなくても間違いようがなく、その富士山の右側には、これから登る塔ノ岳に連なる『表尾根』と呼ばれる稜線が見えていた。
「これでだいたい千m弱登ってきたところ。あとは標高差にすると三〇〇m足らずなんだけど、今見えているあそこまでいったん下って、また登り返しになる。この先はちょっと険しくなるから、注意してね。」
と、稜先輩が声を掛けてくれた。もう標高差なら四分の三近くは登ったことになる。一kmって、歩くのもちょっと躊躇する距離で、それを垂直方向に来たのだと思うと感慨深いものがあった。あと三〇〇mなら何とかなりそうだと思えた。
少し風が出てきて肌寒いので、再びフリースに袖を通す。稜先輩も、あの深い青のウィンドブレーカーを羽織り、景色を眺めていた。春の青空は少し霞んでいたが、先輩の周りだけは季節が違うようにさえ思え、ぼくはただただ、空と山並みを背景にした先輩の姿を見つめていた。いつの間にか隣にやって来たまっきーが、「ほらほら」と小声で言いながらぼくを肘で小突く。
ほかの登山者の方に記念写真を撮ってもらい、再び塔ノ岳に向けて出発する。二十分ほどの休憩で、少し脚も回復したような気がしていた。三ノ塔から見えていた最初の下りはかなり急で、鎖場になっているところもあり、脚の疲労を考えて慎重に通過する。
鞍部からは再び登りになる。階段歩荷で分かってはいたが、下りで疲労は取れない。今までのような連続した急登こそないが、再び足が動かなくなってくる。道は岩場が出てくるようになり、急なところでは鎖がかかっていて、滑り落ちれば怪我をすることは必至だった。ただ、手で体を引き上げることで、脚への負担を減らすことができることに気付く。先日横浜へ行ったときの、電車での懸垂のことを思い出す。
休みを取る適地がなかったため、この一本は一時間を超えた。ようやくベンチのある場所で一本。この一本は稜線に出たため、眺めの良い場所をたくさん通り過ぎてきた。海まで見える場所もあったが、悲しいことにぼくには余裕がなく、後ろを歩くまっきーに言われて初めて気づく始末だった。標高差はそれほど大きくないのだが、細かいアップダウンと距離の長さで、脚が攣りそうになっていた。
ここで初めて、自分が空腹であることを自覚する。立て続けにおにぎりと菓子パンを食べる。まっきーはもう3個目のおにぎりだ。まっきーが元気なのはそのおかげなのかもしれない。先輩もパンを食べながら、
「たぶん今日一日の消費カロリーは、基礎代謝まで合わせると四千kcalは軽く超えると思う。食べないと絶対歩けないから、どんどん食べてね。」
と言った。
補給をしてやっと周りを気にすることができるようになったぼくは、まっきーのザックに括り付けてある団装のポールを思い出した。
「そう言えば、トレッキングポールを使って登ってる人がたくさんいるんですが、ぼくたちは使わないんですか?」
と、稜先輩に聞いてみる。
「怪我をしたときとかのために、団装としては持って行くけど、基本的には使わないよ。ポールを使わずに歩くときの体の使い方を覚えてほしいから。それに、面倒くさがって、しまわずに岩場を通過しようとして、引っかけて転倒してしまう事故も多いんだよね。」
ポールを使わせてもらえれば少し楽かもしれないと思ったが、そう言われてしまっては使うわけにもいかない。もっと休みたかったが、十分で出発。またしても階段の急登が続き、階段歩荷のときのようにぼくは膝に手を当てて登った。しばらく登ると小屋跡のあるピークで、稜先輩がこれから進む方向に指を差す。
「あそこが塔ノ岳。今日の目的地。ここからはなだらかだから、あと少し頑張ろう。」
緩やかに道は上下しているが、今までのような急な登りはないようだった。相変わらず階段もあるが、登山者が歩くことで起こる土の浸食を防ぐための、木道と呼ばれる、木の板が渡してある道の上を歩くことも多くなった。何もなければ山道より歩きやすいのだが、脚に力が入らないこともあり、湿っている場所では滑って転びそうになる。
「上市! 集中力を切らすな!」
と、後ろから先生の叱咤の声がかかる。
塔ノ岳は目前に迫り、最後に少しだけ急な登りが残っていた。岩がごろごろしていて足場が悪かったが、目の前の先輩のペースに合わせて一歩一歩足を進める。周りから木がなくなり、視界が開ける。最後に階段を登ると、そこが塔ノ岳の頂上だった。これ以上登ったら、ぼくの両足は完全に攣っていただろう。
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