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4日目
二律背反
しおりを挟む優しく押し倒したその人は彼の瞼を柔く撫で、目を閉じさせる。顔にかかる吐息は甘く、絡まる毛糸を解すように強ばる彼の身体を少しずつ落ち着かせた。
触れた唇はお互いを潰し合うことなく素の形のままにただ触れ合っているだけにも関わらず、彼の心は水に絵の具を零したかのようにその人に染められようとしていく。
心の湖に落とされたの絵の具は次第に色を広げていく。優しく鮮やかで、だけど確かにそこにあるとわかる透き通った橙色。
次第にその人の唇は彼を求め始める。彼の唇から首筋へ、その次は鎖骨へ。恋人に染められた体を塗り替えるかのように少しずつ、丁寧に塗りつぶしていく。
彼の手が服のボタンを外していく。
露になった胸にもその人は唇を乗せた。しかしその唇は先程までとは違い、強く彼を求めた。
彼の胸に赤い跡を付けたその人は次に彼の耳に唇を近づけ、
「ひゃんっ!??」
息を吹きかけたのだった。
呆然とする彼を他所にその人は顔をクシャクシャにして笑っていた。
「ごめんね。あまりにもされるがままだったから」
お腹を覆いながら彼の頭を撫でる。変わらずに優しさを抱くその手を見ているとその人は「それにね」と話を続ける。
「そんなに簡単に他人に身体を許してるときっと後悔するよ」
彼は理不尽だと感じた。押し倒してあんな雰囲気まで出しておきながらよくそんな台詞が言えたものである。
「金曜日まで考えるんだよね。それならこんな事で考えるのを止めないで」
そう言ったその人の目はどこか寂しそうで、彼ではない誰かを見つめているように思えた。
「もっと色んな人の話を聞いてみると良いと思う。」
帰り際、頭を撫でながらその人は彼にそう言っていた。
「悩んで悩んで、金曜日までに答えが見つからなかったらまたおいで」
その人はそれだけ言って彼の背中を押した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
18時
仕事を終えた彼は1件のレストランへと向かっていた。
大きなショッピングモール内にあるそのレストランはガラス張りとなっており、彼は先に到着していた友人達を容易に見つけることができた。
「よっ!一昨日ぶり!」
テーブルに着くと友人が手を掲げたので彼もその手を重ねハイタッチをする。
「2人とも急に呼び出してごめんね」
「なんもだよ。それよりも何か気持ちに進展はあった?」
会って早々、友人が欲しい話題を切り出す。自分から相談をいきなり話すのは少し勇気がいるので友人のこういった行動は彼にはとても助かる。
彼は2人に昨日の恋人との一件を話す。友人は前と同じように腕を組んで上を向いて考え込んでしまった。
少年の方はと言うと、相変わらずスマートフォンをずっといじったままこちらに見向きもしない。
「結局、彼の事は嫌いになったの?」
彼は「うーん、、、」と首を横に捻る。彼自身、自分の気持ちに理解が追いついていない。
信じられなかった恋人の言葉
受け入れそうになった唇
どちらの出来事も当てはめられそうな単語のない感情だった。
自分はつくづく面倒な人間だな。そう思いながら慣れた手つきでフォークとスプーンでパスタを口へ運ぶ。「赤ちゃん食いだ~」と友人が茶々を入れた事でテーブルの雰囲気が変わり、食事の時間は楽しいものとなった。
食事の後、少年がトイレに向かったので彼と友人はトイレ近くのベンチで他の買い物客を眺めていた。
「恋人の事、今はどう思ってるの?」
ふと、友人が口を開いた。どう思っているとはどう答えれば良いのだろう。
好きかわからない
嫌いでもない
感情が1と0の2択しか無ければ楽なのにと彼は感じた。
「ゆっくりでいいよ。箇条書きで、矛盾してても良いから」
気持ちを読み取ったかのように友人は付け加えた。
言われた通りに彼は少しずつ口に出して見た。
「最初はただただショックだった」
「うん」
「今は好きかどうかわからない」
「うん」
「でも嫌いになった訳じゃない」
「うん」
「会った時、何も話せなかった」
「うん」
「本当は聞きたい事は沢山あった」
「うん」
「でも聞くのが怖かった」
「うん」
「でも本当に怖かったのは」
ぽつりぽつりと涙が頬を伝う。友人は何も言わず、ただ彼の話に相槌を打っていた。
「愛してるって言葉を信じられなかった」
涙が大粒に変わる。
「嬉しいって思えなかった」
溢れ出る嗚咽を抑えられなくなる。
「僕も愛してるって言えなかった」
前が何も見えなくなる。
「だけど、、、だけど1番怖かったのは」
自分で自分の身体が支えられなくなる。
友人は彼を引き寄せると彼を包み、背中を摩る。
「信じられないって事を僕自身が知ってしまったって事なんだ」
友人は何も言わず、彼の背中を摩り続ける。乳を飲んだ後の赤子を母親が摩るように、吐き出しなさい、気持ちの悪いものは全部出してしまいなさいと優しく摩る。
泣きじゃくる子どものように拙い言葉で彼は「でも」と続ける。
「嫌いになった訳じゃないんだ」
泣く。ただ泣く。泣いたところで答えなど出ない。それでも、今は泣きたい。
ひとしきり泣いて落ち着いた彼は深呼吸をしてベンチに座り直す。冷静になってくるといい歳した大人がベンチで号泣しているなんて、と彼は恥ずかしくなった。今週は泣いてばかりだ。
「二律背反って知ってる?」
友人が突然、話を切り出す。彼が返答に困っていると友人は「んー。」と1度唸った後に
「今は好きか嫌いかわからないんでしょ?」
「そう、、、だと思う」
確信の無い返答しかできず、彼は自然と声が小さくなってしまう。
「俺の考えだとね、きっと二律背反なんだと思う」
二律背反。
相反する答えなのにどちらとも当てはまっていることていること。湾曲しているのに真っ直ぐで、透明なのに濁っていること。
「好き。だけど嫌い。だから恋人を信じられなかった君がいて、その気持ちを知りたくなかった君がいたんだと思う」
彼は妙に納得できた気がした。自分の中に矛盾した2つの感情があり、知らぬまま恋人の言葉を聞いてしまったが為に混乱してあの時は逃げ出してしまったのだと。
「でも、その2つの気持ちはずっと一緒に抱えてはいけないよね」
友人は語り続ける。その顔はどこか遠くを見ていて、反復した言霊を自分自身に言い聞かせているようだった。
「決断の日まであと半分。君ならきっといい答えが見つかるよ」
彼に向き直った友人の顔はどこか清々しかった。
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「出て行きにくい、、、」
合流する機会を見失い、物陰でずっと聞いていた少年は深いため息をついていた。
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