あや猫

ゆむん

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3日目

その人

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「相談の相手が僕で良かったの?」

 正午、仄かに薄暗いカラオケで彼はその人に頷く。
昨日カレンダーに赤丸を付けた彼は1番真摯に相談に答えてくれたその人にメッセージを送り、今日会う予定を取り付けたのだ。

「今はとにかく前に進みたくて、だからもう少し相談に乗って貰えませんか?」

 迷いで伏せ勝ちだった昨日と違い、真っ直ぐと目の黒点を見つめて話す彼の姿をその人は不覚にも愛らしいと思いながらもう一度その話の経緯を聞く。

 「なるほど、それで次の金曜日までに答えを出したいんだね」

「はい」

その人は顎を手の甲の上に乗せてしばらく悩んだ後、苦しげな顔で彼に提案をする。

「やっぱり決断を出すなら恋人さんと1度話すのがいいと思うよ。気まずいと思うけれど、相手の気持ちを聞いた上で考えることが出来るからね」

 彼は少し迷ってしまった。一昨日、他の人と裸で抱き合っていた恋人と一体どんな顔で会えば良いのだろうか。
 確かに、この出来事は彼一人で解決できるものでは無い。彼はあの日逃げるように部屋を出てきてしまったが、恋人は今どう思っているのかをしっかりと聞くことも大切な事の1つであると理解出来る。
 しかし、会ったからといって一体何を話せば良いのだろう。

どうして浮気をしたの

僕の事は愛していますか

貴方はこれからどうしたいですか

 聞きたい事は沢山ある。箇条書きにすれば直ぐにノートが埋まるだろう位は簡単に思い付く。だが、聞いても良いのだろうか。
 理由の分からない悩みが1つ増え、彼が前に進もうとする足を止める。

「昨日のあの子じゃ無いけどね」

悩む彼を見兼ねてその人は口を開く。

「一応、このまま連絡を取らないで関係を終わらせてしまう方法も有るには有るんだ。モヤモヤするだろうし綺麗な思い出にはならないけど、心の傷はきっと軽く済むよ」

 なるほど、そう言う手もあるのか。確かに彼と今後連絡を取らなければお互いに忘れていけるのかもしれない。学生カップルがいつの間にか自然消滅しているように彼らもきっとお互い過去の男になれるのだろう。
 しかし恋人の気持ちを知りたいのも事実である。
 
 1つ、深呼吸をして彼は自分に問いかける。
 

 今、貴方はあの人に会いたいですか。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

20時

 チェーンの居酒屋で彼は恋人と相対していた。
 あの後、自分の気持ちが変わらない内に恋人へメッセージを送った彼は流れるように慣れ親しんだ安い居酒屋を予約し話し合いの場を設けた。
 
 つい先日まで出口の無い迷路にいるような気持ちだったが、案外直ぐに解決出来るかもしれないと安心した彼は居酒屋で遅れて正面に座った彼と対峙して自分の考えの甘さを痛感する。
 何を話せば良いかわからない。
 先程まであった筈の聞きたい事の山は蜃気楼のように消え去り、残ったのは真っ白な思考回路だけとなってしまった。

帰りたい
逃げ出したい

 きっと話し合いは長くなるだろうと思って飲み放題を2時間にしたのは失敗だった。
 お互い相対してもうすぐ1時間が経過しようとしているのに進展が無い。
 進展といえば彼が何度もカルーアミルクを頼むからいつの間にかジョッキで渡されるようになった程度である。
 かくいう恋人の方も1杯目に「とりあえずビール」と頼んだ後、彼に変に気を使ってメニューを見ないものだからビール以外のメニューが分からずひたすらビールを飲み続けている。
 この気まずい空気をなんとかしなければと思い必死に思考を巡らせるが言葉が出てこない。
 彼は一昨日の出来事を思い起こしながら恋人へ聞くことを模索し続ける。

「大丈夫?」

 突然、声を掛けられて彼は驚く。大丈夫?とは何の事だろうか。
 恋人は自身の目下に指を当て、ゆっくりと顎の辺りまでラインを引くジェスチャーをする。彼は恋人にならい自身の目元に触れると彼の目から涙が落ちている事に気が付いた。

「ごめん、俺のせいで傷付けたよな」

 恋人はそう言ってテーブルを迂回して彼の元へ来る。


怖い


 咄嗟に彼の頭に過ぎったのはその2文字。
 何が怖いのかわからない。


好きと言われるのが怖い?
それとも
別れようと言われるのが怖い?

「ごめん、ごめんな」

恋人は優しく彼を抱きしめると耳元で囁く。

「愛してる」

 彼は恋人を突き放し、居酒屋を後にするのだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

23時

 日曜の深夜での突然のメッセージであったにも関わらずその人は快く彼の話を聞いてくれている。
 逃げるように居酒屋を後にした彼は昼間相談をしたその人に結果報告のメッセージをしたのだった。軽くチャットをするだけのつもりだったのだが、まさか家に招かれるとは思っておらず萎縮している。
 丁寧に紅茶とお菓子まで用意されており、彼は出された紅茶を飲みながら経過をその人へ説明する。
 彼の話を一通り聞いたその人は「それで」と付け加えた後に彼に聞く。

「話を聞いてた限り、僕には君が恋人さんを突き放した理由がわからないんだけどどうしてかな?」

 彼の気持ちを整理するかのようにその人は穏やかな表情で質問をしていく。その人の表情や口調から伝わる優しさによって彼も次第に落ち着きを取り戻していく。

「最初は僕も何が怖いのかわからなかったんです。ただ漠然と何かが怖くて、その正体には触れてはいけない様な感じがあって、、、」

「それで、その怖いものについては何かわかったかい?」

 彼は「はい」と静かに返事をすると、一呼吸をおく。

 この気持ちはきっと自分の正直な気持ちであると彼は理解している。
 正体が分かれば彼が怖いと思っていた理由も納得できてしまう。

「信じられなかったんです。恋人を」

彼は確信のこもった口調で告げる。


愛してる


恋人から聞こえた言葉を
本来なら歪みなく受け取っていたであろう言葉を
付き合った日から何度も聞いた言葉を
そして彼自身も恋人に1字1句変わらず返していた言葉を

今まで変わらず当てはめていたパズルのピースがその時は彼に合わなかったのである。

「浮気を目にしたばっかりだし、そんなすぐには恋人さんの事を信じられないよね」

 優しい言葉を掛けながらその人は彼の頭をそっと撫でる。

「恋人さんとどうしたいかは気持ち決まった?」

「わからないです」

 次にその人は下を向き首を振る彼の背を撫でる。
 そして彼を静かに押し倒す。


「なら1度、僕に抱かれてみよっか」


 そう言ったその人の声は変わらず優しかった。
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