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香しい雅兄

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 あっという間に一週間たった。
 二階にある雅也の書斎に入って、裕は遺産の整理に精を出していた。その隣で、手伝うのはベータの佐々木 悟ささき さとる。保育園の担任で、世話になっているうちに心を通わせる仲となった唯一の友人である。年上でオメガの裕に普通に接し、少々口が悪いが、さばけた性格で子供たちからの好感度も高い。

「裕さん、ご主人の衣類、ここにまとめておいていっすか?」 
「ああ、お願い。ありがとう」

 二人の背後には雅也の写真、スーツ、本、楽譜、CDなどが山のように積まれていた。葬式が終わったせいか憑き物が落ちて、さばさばした気持ちで遺品を段ボール箱へ放り込む。
 北向きの薄暗い小部屋は真っ白な壁が四方を囲んで、全体にえたような臭いが籠っていた。佐々木が来る前に窓をあけて、空気を入れ替えて正解だった。

「裕さん、これなんすか?」

 佐々木はてのひらサイズの木箱を差しだして、怪訝そうに首をひねる。

「……へその緒だな。一応残しておくよ」

 箱をもらうと棚の隅へ置いて、さくさくと書類に目を通した。朝から動き回り、昼におにぎりを食べて、ずっとせわしなく動いている。せめてもと貴重品や印鑑、重要書類をきちんと一か所に整理していた過去の自分に感謝した。

「はぁ、まさか太郎先輩に会えるなんて、オレ、幸せです」

 ふぅと恍惚たる声を洩らし、隣にいた佐々木は正座した膝で服を畳んで、うっとりと溜息をこぼす。

「同じ高校で、部活の先輩なんだっけ?」
「そうっす! 弱体化したバレー部を情熱の炎で煽り、全国大会へと導いて、さらには最優秀選手賞を受賞した我が高校のエースですよ!? 裕さん、こんな素晴らしい人がそばにいるなんて幸せじゃないですか!」
「へぇ、すごいな」
「太郎先輩は彼女もいたんですが、もう一途で最強カップルだったんですよ! めっちゃ彼女さんを大事にしてて、他校からも人気ありまくりだったんすよ! いやぁ、全てが最高なんすよね。オレ、抱かれてもいいって思ってましたもん!」

 ……ほんとかよ。そいつ、太郎なのか?

 佐々木の歯の浮くよう賛辞を聞き過ごしながらも、裕は黙々と手を止めずに動かす。裕は積み重なる紙類をチェックして、保険証書、登記簿謄本、家の売買契約書、預金通帳などを纏めていた。普段目にしない書面に目を光らせ、税理士に提出する相続税の申告へ必要な書類をかき集める。

 くそ! 太郎のやつ、結局こうなるなら、もういいじゃねぇか!

 今朝、裕は寝坊した。昏々と眠って、とろけるような眠りに負けて、目を覚ましたのは午前九時。約束の一時間前だった。慌ててスティックパンと牛乳で腹を満たせ、歯磨き、着替え、準備を完了して玄関を出る。すると、千秋が靴を履かずにぐずった。けたたましく泣いて、家に居たいと発狂する。その様子をごみ捨てに向かう太郎に見られて、結局、頭を下げる始末だった。

 謝ったのに、機嫌ぐらい直せよ!

 一階のリビングから、太郎と子供たちが遊んでるのか、キャッキャとはしゃぐ声が鳴り響く。すっかり千秋もご機嫌になっている。
 かという太郎はあれから、裕に他人行儀だ。いや、元々他人なのだが、どこかぎこちない。目も合わせず、言葉数も少ない。そんな冷戦状態を一週間続けている。まさにキューバ危機のような緊張の高まりのなか、お互い警戒しまくっていた。
 昨日なんてひどい。

『タオル変えておきました』
『おう、ありがとう』
『じゃあ、帰ります』
『またな』
『……はい』

 子供達には笑顔爛漫のくせに、裕を目にするとぶすっと無愛想に口を閉ざす。

 なんなんだよ、急に!

 思い当たる節はある。太郎は裕が好きだ。なんとなく、それはわかる。雅也の好きな料理、好んで飲んだ酒、手を絡ませて鑑賞した映画。もし自分が百合子の好みのものを見せられたらどうする?

 ……死にたくなる。

 なら、聞くなよ、と言いたい。これ以上雅也のことを思い出させないで欲しい。ヘドロのように溜まった黒い塊が放熱して溶けて蒸気のように消えていくが、そうさせているのは太郎だ。

「あれ? 裕さん、こっちは二億円也って書いてますけど? ウケる」
「におくえんなり?」

 悟は一枚の紙切れを見つけたようで、裕に手渡す。古びた紙の匂いが鼻をついて、手に取ると朽葉色に変色していた。書面には定期預金証書と書いてあり、金額は二億円也と記載されている。

 宛名は東雲雅也。
 銀行名は帝大銀行。

 統合合併を繰り返し、現在は「日本帝大銀行」と名を変えている大手メガバンクだ。
 何度も見返すが、偽物のような胡散臭さはない。銀行に電話しようとも土曜日なので、窓口はやっていない。

 二億円。いや、まて。これは……。

「裕さん、どうしたんすか?」
「あ、いや、なんでもない。なんだろうな。あとでよく確認してみるよ。見つけてくれてありがとう」

 証書を手にしたまま、微笑むと太郎が階段を軋ませて、ひょっこりと顔を出した。

「あの、もう夕方だし、ご飯を用意したので一緒に食べませんか?」
「まじっすか! うれしいす!」
「あ、たろ……」

 ぱっと佐々木の顔が明るくなり、言いかけたうちから太郎に視線を逸らされて、裕の胸がまたちくりと痛んだ。
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