14 / 35
笑覧と妖雲
しおりを挟む
雅也の死に顔は美しかった。高く整った鼻梁と切れ長の目尻はなんとくなく章太郎に似て、肉感的な唇と濃い睫毛は千秋が受け継いでいる。
肌は透き通るように白く、生きているときの瑞々しさはない。背が高く、精悍な体躯も棺にすんなりとおさまっている。
背の小さな女性社員に案内された場所は橙色の光が照らされた、冷たいホールだった。四人はちいさく固まって、台車の乗った棺に視線を送る。このあと、雅也は主燃料炉に入れて火葬されてしまう。
「どうぞ皆さま、最後にお別れの言葉をお掛けください」
お別れなんて。なんて言えばいいのか……。眠っているような雅也を裕は唇を嚙んで見下ろす。灼熱のような恋に落ちては自由に愛を貫く。アルファという強いバース性と優秀な頭脳をもち、一緒にいたいと願って添い遂げようと永遠の愛を誓った夫。
これが、俺と雅也の最後。
……雅也、ありがとう。お前の分まで、俺はがんばる。
小さく柔らかな手を握り、裕はうつむき加減にそっと硬く微笑んだ。
「まだねてる?」
「とーしゃん、ねんね?」
「うん、ばいばいしてあげような。ばいばいて」
「ばいばい」
「バイ、バイ」
三人でいつもと同じように手を振ると、蓋閉めが終わった。
鉄板の扉が静かにひらかれ、真っ暗な闇に棺がはいっていく。闇に白く浮かぶ雅也の顔がみえそうで、二度と帰ってこないような一抹の寂しさが胸に残る。あっ……と思って、駆け寄ろうとしたとき、頑丈な黒い扉は閉じられていた。
「では、またお呼び致します」
はっとして、黙って軽く頭を下げる。裕は踵をかえし、元来た方向へ歩きだす。太郎はなにも言わず、裕の背中を見ていた。
同情してるに違いない。裕はそう思いながらも、窮屈に身をかがめ、二人の幼い手を引いて歩く後ろ姿は物悲しさを帯びていた。
先刻歩いてきた廊下をたどって待合室に到着すると、隣の遺族はすでに潮が引いたようにいなくなっていた。靴を脱がしてやると、二人は遊びの気分に浮き立ってはしゃぐ。裕はそろそろと歩いて、青磁色の座布団の上に腰を下ろすと、疲れが一気に体の隅々までしみわたる。
「裕さん、おにぎり食べましょ。たくさん食べてください。僕が作ったんです」
「え、きみが? てっきり澄江さんかと……」
「えへへ、料理は得意なんです」
太郎がさも嬉しそうに、なにやらごそごそと大きな包みをだす。風呂敷で包まれたものは木製の一段のお重だった。朱内黒で塗られた漆器の光沢は透明なつやをだし、優しい温もりがあらわれていた。
お腹が空いている子供達の手を拭いて、蓋をあける。葬儀場にお重なんて面白いなと思いつつ、なかを覗くと、鮭、梅、昆布、ツナマヨなど様々な種類が一つひとつ丁寧に並べられていた。香り豊かな海苔の匂いに誘われたのか、子供たちも食べる気満々だ。水筒や紙皿も取り出すと、勢いよく飛びつく。
「おにぎり! 鮭がいい!」
「まんま! まんま!」
「あはは、これ、随分多いな。大変だったろ? 朝からありがとう」
まるでピクニックのような子供のはしゃぎぶりに笑いがこみ上げてしまう。久しく外出もしてなかったので、葬儀場でも楽しめるおかしさが悲しみを解きほぐすように染み込んでくる。
「いえいえ、気にしないで沢山食べてください」
太郎も手に取って、四人で黙々と食べた。座って噛んで食べるなんて久しぶりだった。
ずっと走ってる気がする。食べても、寝ても、起きても、誰かに追われているような緊張感がふつりと切れないように。
雅也も逃げ場が欲しかったのだろうか。最後はろくに目を合わせることも、会話を交わすことも少なかった。保育園のプリントですら目を通さない雅也になにも期待しなくなっていた自分もいた。
甘酸っぱい梅肉を噛みながら、大きな太郎をみて、なんとなく雅也のことを思い返す。四人でご飯なんて、いつだ? いや、千秋が生まれてからないな。ない。ちゃんと揃って食べても、裕だけがお茶やおかわりの為に腰を上げてしまう。
でも、家族だ。子どもたちを守るためには走り続けるしかない。
千秋が楽しそうに笑みを浮かべて海苔だけを食べていた。米がこんもりと皿にのっている。
「はい、ご飯もたべよっか」
太郎が新しい箸で千秋の口にむけると、美味しそうに食べて、千秋が顔を崩して笑った。
「……子守り慣れてるな」
「あ、はい! 昔、保育園のバイトをしてて、ちょっとは慣れているんです」
てへへとまた太郎は恥ずかしそうに笑った。
そっか、それで……。
「東雲様、ご準備が整いました」
火葬が終わったのか、また、名前を呼ばれた。
肌は透き通るように白く、生きているときの瑞々しさはない。背が高く、精悍な体躯も棺にすんなりとおさまっている。
背の小さな女性社員に案内された場所は橙色の光が照らされた、冷たいホールだった。四人はちいさく固まって、台車の乗った棺に視線を送る。このあと、雅也は主燃料炉に入れて火葬されてしまう。
「どうぞ皆さま、最後にお別れの言葉をお掛けください」
お別れなんて。なんて言えばいいのか……。眠っているような雅也を裕は唇を嚙んで見下ろす。灼熱のような恋に落ちては自由に愛を貫く。アルファという強いバース性と優秀な頭脳をもち、一緒にいたいと願って添い遂げようと永遠の愛を誓った夫。
これが、俺と雅也の最後。
……雅也、ありがとう。お前の分まで、俺はがんばる。
小さく柔らかな手を握り、裕はうつむき加減にそっと硬く微笑んだ。
「まだねてる?」
「とーしゃん、ねんね?」
「うん、ばいばいしてあげような。ばいばいて」
「ばいばい」
「バイ、バイ」
三人でいつもと同じように手を振ると、蓋閉めが終わった。
鉄板の扉が静かにひらかれ、真っ暗な闇に棺がはいっていく。闇に白く浮かぶ雅也の顔がみえそうで、二度と帰ってこないような一抹の寂しさが胸に残る。あっ……と思って、駆け寄ろうとしたとき、頑丈な黒い扉は閉じられていた。
「では、またお呼び致します」
はっとして、黙って軽く頭を下げる。裕は踵をかえし、元来た方向へ歩きだす。太郎はなにも言わず、裕の背中を見ていた。
同情してるに違いない。裕はそう思いながらも、窮屈に身をかがめ、二人の幼い手を引いて歩く後ろ姿は物悲しさを帯びていた。
先刻歩いてきた廊下をたどって待合室に到着すると、隣の遺族はすでに潮が引いたようにいなくなっていた。靴を脱がしてやると、二人は遊びの気分に浮き立ってはしゃぐ。裕はそろそろと歩いて、青磁色の座布団の上に腰を下ろすと、疲れが一気に体の隅々までしみわたる。
「裕さん、おにぎり食べましょ。たくさん食べてください。僕が作ったんです」
「え、きみが? てっきり澄江さんかと……」
「えへへ、料理は得意なんです」
太郎がさも嬉しそうに、なにやらごそごそと大きな包みをだす。風呂敷で包まれたものは木製の一段のお重だった。朱内黒で塗られた漆器の光沢は透明なつやをだし、優しい温もりがあらわれていた。
お腹が空いている子供達の手を拭いて、蓋をあける。葬儀場にお重なんて面白いなと思いつつ、なかを覗くと、鮭、梅、昆布、ツナマヨなど様々な種類が一つひとつ丁寧に並べられていた。香り豊かな海苔の匂いに誘われたのか、子供たちも食べる気満々だ。水筒や紙皿も取り出すと、勢いよく飛びつく。
「おにぎり! 鮭がいい!」
「まんま! まんま!」
「あはは、これ、随分多いな。大変だったろ? 朝からありがとう」
まるでピクニックのような子供のはしゃぎぶりに笑いがこみ上げてしまう。久しく外出もしてなかったので、葬儀場でも楽しめるおかしさが悲しみを解きほぐすように染み込んでくる。
「いえいえ、気にしないで沢山食べてください」
太郎も手に取って、四人で黙々と食べた。座って噛んで食べるなんて久しぶりだった。
ずっと走ってる気がする。食べても、寝ても、起きても、誰かに追われているような緊張感がふつりと切れないように。
雅也も逃げ場が欲しかったのだろうか。最後はろくに目を合わせることも、会話を交わすことも少なかった。保育園のプリントですら目を通さない雅也になにも期待しなくなっていた自分もいた。
甘酸っぱい梅肉を噛みながら、大きな太郎をみて、なんとなく雅也のことを思い返す。四人でご飯なんて、いつだ? いや、千秋が生まれてからないな。ない。ちゃんと揃って食べても、裕だけがお茶やおかわりの為に腰を上げてしまう。
でも、家族だ。子どもたちを守るためには走り続けるしかない。
千秋が楽しそうに笑みを浮かべて海苔だけを食べていた。米がこんもりと皿にのっている。
「はい、ご飯もたべよっか」
太郎が新しい箸で千秋の口にむけると、美味しそうに食べて、千秋が顔を崩して笑った。
「……子守り慣れてるな」
「あ、はい! 昔、保育園のバイトをしてて、ちょっとは慣れているんです」
てへへとまた太郎は恥ずかしそうに笑った。
そっか、それで……。
「東雲様、ご準備が整いました」
火葬が終わったのか、また、名前を呼ばれた。
10
お気に入りに追加
258
あなたにおすすめの小説
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪
【完結】あなたの恋人(Ω)になれますか?〜後天性オメガの僕〜
MEIKO
BL
この世界には3つの性がある。アルファ、ベータ、オメガ。その中でもオメガは希少な存在で。そのオメガで更に希少なのは┉僕、後天性オメガだ。ある瞬間、僕は恋をした!その人はアルファでオメガに対して強い拒否感を抱いている┉そんな人だった。もちろん僕をあなたの恋人(Ω)になんてしてくれませんよね?
前作「あなたの妻(Ω)辞めます!」スピンオフ作品です。こちら単独でも内容的には大丈夫です。でも両方読む方がより楽しんでいただけると思いますので、未読の方はそちらも読んでいただけると嬉しいです!
後天性オメガの平凡受け✕心に傷ありアルファの恋愛
※独自のオメガバース設定有り
それが運命というのなら
藤美りゅう
BL
元不良執着α×元不良プライド高いΩ
元不良同士のオメガバース。
『オメガは弱い』
そんな言葉を覆す為に、天音理月は自分を鍛え上げた。オメガの性は絶対だ、変わる事は決してない。ならば自身が強くなり、番など作らずとも生きていける事を自身で証明してみせる。番を解消され、自ら命を絶った叔父のようにはならない──そう理月は強く決心する。
それを証明するように、理月はオメガでありながら不良の吹き溜まりと言われる「行徳学園」のトップになる。そして理月にはライバル視している男がいた。バイクチーム「ケルベロス」のリーダーであるアルファの宝来将星だ。
昔からの決まりで、行徳学園とケルベロスは決して交わる事はなかったが、それでも理月は将星を意識していた。
そんなある日、相談事があると言う将星が突然自分の前に現れる。そして、将星を前にした理月の体に突然異変が起きる。今までなった事のないヒートが理月を襲ったのだ。理性を失いオメガの本能だけが理月を支配していき、将星に体を求める。
オメガは強くなれる、そう信じて鍛え上げてきた理月だったが、オメガのヒートを目の当たりにし、今まで培ってきたものは結局は何の役にも立たないのだと絶望する。将星に抱かれた理月だったが、将星に二度と関わらないでくれ、と懇願する。理月の左手首には、その時将星に噛まれた歯型がくっきりと残った。それ以来、理月が激しくヒートを起こす事はなかった。
そして三年の月日が流れ、理月と将星は偶然にも再会を果たす。しかし、将星の隣には既に美しい恋人がいた──。
アイコンの二人がモデルです。この二人で想像して読んでみて下さい!
※「仮の番」というオリジナルの設定が有ります。
※運命と書いて『さだめ』と読みます。
※pixivの「ビーボーイ創作BL大賞」応募作品になります。
夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子
葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。
幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。
一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。
やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。
※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる