魔法省事故処理班オメガは史上最低の愛を喰らってます

トノサキミツル

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第一話 魔法省指定のアルファとツガイになってもらいます

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 アルファの溺愛は愛の妙薬よりもあまく、愛を溶かしてやまない。
 そんな科白が、このイカれた世界にある。
 魔法使いがうじゃうじゃと存在し、アルファがオメガを求めてやまない、人と魔獣が入り混じったこの狂った娑婆に。

 職場である魔法省、合同庁舎第二号館の健康管理センターの医務室。窓からは、暗黒色の棚雲がひろがって見え、すぐ近くに積乱雲があるとわかった。もうすぐ嵐だというのに、まさにその中で死亡宣告を受けている。

 それがおれ。

「ミスタ・ヴィンセント、もう時間がないわ。あなたは国から指定されたアルファとすぐにツガイになるべきよ」
「すぐに……。む、むりです……!」

 首を懸命にぷるぷるとふるが、彼女はそうは思わないらしい。平然とした口調でいった。

「あら、これはあなたにとって希望なのよ」
「希望なのよって……それは……」

 絶望、その文字のほうがしっくりくる。
 目の前の机にはビーカー、フラスコ、蒸焼き鍋、ハンマーにひしゃくが所せましと並んで、乳鉢には檳榔樹の実が潰されていた。さらにその奥には亜麻製のろ過器、蒸留器に昇華用凝縮器がずらりと揃っている。
 医務室というよりは、錬金術師の部屋みたいだ。
 ただ、ここの主であるミズ・クランツは魔法省専属の産業医だ。彼女はきっぱりとした口調でいった。

「いい? これは国の命令なの。あなたの名前はロン・マゼール・ヴィンセント。オメガ性で、ウォンバットとドワーフのハーフ。ツガイ欠乏症により、フェロモンとマナの数値が最低値ギリギリ。第二の性が未熟という判断で、すぐにアルファとツガイになるべきと命令文書が下っているわ。前と同じように適当に理由をつけて、退けることはできないわよ」

「できないって、以前みたいに候補がいるとか、恋人になりそうだとか、なんとかいえば済まないんですか?」

「そうよ。今回はムリ。魔法省総務局文書課から魔防法番契約命令書が送られてきているのよ。これは決定事項なの。ノーとはいえないわ」

 ミズ・クランツは医者らしい目つきで、黄緑を帯びた羊皮紙を眼前に突きだした。
 たしかにそこにはちゃんと「命令書」と明記されており、その下には自分の住所と名前が列記されていた。
 おれは青みがかった灰色のローブを膝元あたりでぎゅっとつかみ、手のひらが汗ばんでいることに気づく。
 首を覆うネックガードがきつく締めつけ、息すらうまくできる気がしない。

「……それは、つまり」

「つまり、登録リストに上がってきた重種アルファとすぐにツガイにならなければいけないってこと。えーと、あなたはもしかして恋人がいるのかしら?」

「……いまはいません」

「いまは? その口ぶりからすると、以前はいたのかしら? もしかして相手はベータかオメガなの?」

 鋭いご指摘と重なる疑問符に、おれは首を横にふった。
 たしかに以前まではいた。
 国家総合職のトップエリートのアルファ。
 それはもう、とびっきりの美形の恋人。
 光沢がかった艶々の黒髪。穏やかな光を漂わせ、グレーの瞳は理知的な容貌を際立たせて、物腰柔らかな態度で、おれの頭をよしよしと撫でてくる。おれのコンプレックスの塊をつぶしてくれる稀有な男というべきか。
 そんな完璧な恋人とツガイになると確信したのはおれだけで、破局ははやかった。

 蜜月は半年。
 婚約者ができたと告げられ、キスひとつせず、完璧な別れだったと思う。
 相手からも「つき合えてよかった」という余計な礼をいわれるぐらいに。相手の婚約者とも同じ職場なので、進捗状況は聞かないでもよくわかる。

 そういうわけなので、おれはというと性格が急速に悪くなり、レッドドラゴンの炎のブレスを浴びたようにひしゃげて歪んだ。ちなみに相手は三ヶ月後に結婚式をむかえる。今朝、招待状がポストに投函されて発狂しそうになった。
 別れても友達でいようというのは賛成するが、ここまではっきりと線引きと追い打ちをかけろとはいっていない。

「ミスタ・ヴィンセント。黙っていないで、ちゃんと答えてちょうだい。あなたに恋人はいるのかしら?」

 ミズ・クランツのイライラとした声にはっとさせられ、おれはぼそぼそと口をひらいた。

「……ずいぶん前ですが、アルファの恋人がいました。関係は解消しています」

「失礼だけど、その相手とは性行為などの肉体的接触はなかったの?」

「…………ない、です」

 まるで尋問だ。

 自分で童貞処女とさらけ出して、どうする……。
 たしかにつきあっていた。けれども、そういう行為は一切なく、キス一つ記憶にない。
 それは悔しいほど強烈に覚えてるし、自分に魅力がないと自明にしているものだ。
 雨が降ってきたのか、横に並ぶ窓におれの顔が反射して映った。太い下げ眉に、瞳は黒くちんまりとして、全体的になんともぼんやりしている。

 性別は男。
 第二の性がオメガ。

 父はウォンバット獣人とドワーフのハーフ、建築家。母はエルフの伯爵家のご令嬢で、身分違いの激しい恋を経て、ふたりの子どもを宿した。
 三つ上のすごぶる美人の姉さんと、おれだ。姉さんは母方のエルフの血を濃く受け継いで、おれは太い眉が特徴の父さんに似た。姉さんはすごい。すらりとした脚に、バサバサの睫毛。性格だけは気難しく、そこだけ父さんゆずりだ。
 ミズ・クランツはおれの顔をじっと見るなり、気づいたらしい。

「あら。あなた、あの名高いキャサリンの弟だったのね。ずいぶんと雰囲気がちがうじゃない。彼女、婚約破棄されてから別のお相手と結婚したと噂に聞いたわ。あいかわらず、オメガの彼女はおモテになっているのかしら?」

「そうですね。婚約破棄されてからはアルファの女性と結婚して、子どもが産まれて幸せですよ。いまは両親とともに隣国で暮らしています。姉はしおしおと泣いて引っ込むような人ではないですから」

 いやみでもなく、それは事実だった。姉さんはそんなやわな女じゃないし、賢くて、自分の足で人生を切り拓くような人間だ。ミズ・クランツはくすりと笑って、おれに謝った。

「ごめんなさい、いやみじゃないわ。キャサリンのそういうとところ、好きだったわ。ベータの私とちがって、平々凡々として親の敷いたレールを歩まないところが惹かれていたの。そういうあなたは国から出ないの?」

「ええ。魔法省で働いていますし、隣国に行っても家族ぐらいしか知り合いがいないので就職先がないんです。いまのところ、この国からでる予定はありません」

 おれが答えると、ミズ・クランツは満足げに笑顔をむけてきた。なんとなく話のわかる人でよかった。魔法省専属の産業医に呼ばれて、おれはいままで氷魔法をかけられたのように固まっていたのだから。

「そう。それならちょうどいいじゃない。魔防法に登録されたお相手は重種のアルファよ。重種はナワバリ意識も強くて、執着心もすごいけれどもしっかりとした人たちが多いわ。あなたなら一緒に住んでも問題なさそうね。どう?」

 どう、と急にいわれても……。
 さっきまですぐにつがえといっていたくせに、おれに答えを求めるなんてなんたる矛盾だ。

「ちょっとまってください……。すぐって……」

 だれかとツガイになって、一緒に住むなんてできない。それでも。国からのお達しを断れるような権力も権威もおれにはない。
 いつまでも黙り込むおれに、大きなため息をついて、ミズ・クランツは口をひらく。

「ツガイになったら、確実にフェロモンが安定するわ。体調だってよくなるし、相性がよければそのままつきあえばいいじゃない。悪ければ抑制剤でなんとかできるほど落ち着くはずよ」
「おちつくって……、えっと……」

 それって、早くセックスしろとしか聞こえない。
 いや、事実それだ。

「いい? よく聞いてちょうだい。この世界にはいろんな種族がいるわ。エルフにドワーフ、オークに妖精。その上、特別な性が与えられている。男と女。さらにアルファとベータ、オメガという第二の性があるのは分かっているわね」
「ええ、第二の性にはフェロモンによって左右されて、獣人には獣性カーストがまたありますけど……」

 この国ではバースに加えて、獣人にはピラミッド型のようなカースト的のようなものが存在する。重種、中間種、軽種。三角形は、ベータが軽種と中間種である底辺を支え、頂点である重種はアルファがほとんど専有しているわけだが。

 ミズ・クランツはつづけ、わかりやすいように説明してくれる。

「オメガという性を恥じることはないわ。オメガだけはちがって、獣性カーストを問わず、確実にその種を引き継げる。あの気難しいアルファの重種の女でも着床率が低いといわれているこの世界に、オメガは救世主みたいな存在なの。わかる?」

「それは……、わかります。魔法学校の初等部から理解していますけど……。フェロモンを放って、アルファをツガイにするわけですよね。でも、救世主って……。いい過ぎですよ……そんな……ヒーローみたいな。ははっ」

 なさけない笑いだった。力のないおれのから笑い声はこだまするように響くが、だれも笑い返してくれない。

 その話は、だれでも耳がタコになるほど聞いているし、脳膜に呪文のように刻まれている。
 オメガ性はすばらしい(んなわけあるか)。生まれてきたことに絶望するのでない(だれもが最初は絶望する)。すべては全知全能の主によって定められ、嘆き悲しむことなくよろこびの声をあげなさい……(声を大にしていうが、だれもオメガから後天性アルファになったやつはない)。

 オメガだけが集められた特別授業(性教育ともいう)で、なんども朗読させられ、脳髄にまでしみ渡っている教科書の前文だ。

 大体、オメガ性に生まれた時点でついてないのは身をもって知っている。その運のなさが頂点(つねに)に達しているのに、、ずっとハッピーだと思い込まされる。
 ミズ・クランツは人さし指を立てて、おれにピンクローズの爪先を自慢げにみせてしゃべる。

「いい? あなたはオメガなの。この国ではツガイがいないオメガは強制的に番契約を結ばなければならないのよ。とくにあなたは検査結果が最悪なの。わかってる?」

「それは知っています。十分に理解しています。たしかにおれはオメガで、こないだやった健康診断の数値も最悪でした。ですが、このまま魔法薬や浄化魔法でなんとかすることはできないかと……」

「ダメよ」

 すぐに言葉を遮られた。彼女は肩をすくめ、おおげさに首を横にふった。

「ダメダメ。それは絶対にダメよ。国が許さないわ。それに、いまのあなたはフェロモンの値が安定しない限り、魔素となるマナが不安定になってしまうのよ。魔力が暴走する可能性だってあるの。下手な治療をすると最悪、魔力すら失って死んでしまうわ」

 侃侃諤諤かんかんがくがくと凄んでしゃべる彼女に、おれの頬筋がこわばっていくのを感じた。

「あの……死ぬって、冗談ですよね……」

「冗談でこんなところに呼ぶわけないでしょ。このままほっとけば魔素が体内の神経にたまって、オメガがもつ独自のタンパク質の影響で四肢が壊死して死んでしまうのよ。よく理解してちょうだい。さっきもいったけど、この国ではツガイのいないオメガは最終的に強制的にツガイを持つように定められているのよ。その中でもあなたは緊急で超重要案件なの。すぐにツガイをつくるか、国で決められたアルファを選ぶかどちらか決めてちょうだい」

「そ、そんな……。むちゃくちゃだ……」

 怒涛の勢いの彼女に、おれは悄然とうなだれた。
 いまこの瞬間に、おれとツガイになりたいと手を挙げてくれるアルファなんているわけがない。平々凡々と暮らしたいだけなのに、そんな無茶な要求をぶつけられてもこまる。

 親から譲りうけた実家にはマリンスライムであるオスの「みたらし」がいるし、魔法省の仕事だって薄給だがやりがいがある。
 恋人のいない部屋でポテトチップスをつまみながら、恋愛映画を酷評しつつ、一人で過ごす休日だって慣れた。

「ミスタ・ヴィンセント。あなたに、いま、すぐ、ツガイになる候補がいるならいいわよ。でもいないんでしょう?」

 彼女はさも当然と、いい切った。

「……いないです」
「それならば、一刻も早く、アルファとツガイになるべきよ。これで決まりね」

 そう、断言された。
 希少なアルファが、一生童貞オメガの将来に片棒を担ぐと、手を挙げてくれているのだ。これは大変いいことだと思う。ラッキーだし、そんなのに手を挙げてくれるアルファはそうそういない。

「お相手の名前は……? それと、おれのような相手でなにかいってはこないでしょうか……?」
「いまはいえない。アルファの情報は機密事項よ。あなたが了承したら、これから私が上申書を書いて送るだけ。判断は上層部で行って、相手が了承すればそれで決定。相手があなたに使い魔をつかって連絡してくるはずよ」

 長い長い言葉が途切れ、しんと部屋が静まる。
 つまり、完全に他人とツガイになるしかないわけだ。知り合いでもない、友人でもないやつと番契約を結ぶということ。


「……ミズ・クランツ。承知いたしました。この件、お受けいたします」

 深々と一礼して、顔を上げた。
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