殺され聖女は嗤う

ひとみん

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―――聖女が殺された・・・・


その衝撃的な事実は、あっという間に国内外を駆け巡った。
そして、聖女の訃報には様々な憶測が飛びかう。


――聖女と言っても、何の力もなかったじゃないか。
――無能の聖女だったろ?王太子にイイ人ができたから邪魔になったんじゃないの?
――とても美しい方だったのに。無能でもなんでもいいんじゃないのか?綺麗なら。
――無能よりは、聖女の力を発揮するクリノス伯爵令嬢に乗り換えるのもわかるよな。

・・・・無能より・・・無能では・・・・無能だから・・・・
―――無能だから、王家に消されたのではないのか?


だが、そんな噂話もすぐさま消え失せ、聖女アリアドネの生家でもあるプラリウム侯爵家の話でもちきりになる。
アリアドネの両親でもあるプラリウム夫妻が、彼女が亡くなり数日後にはアルヘナ帝国に移り住んでいた事が分かったのだ。
素早い侯爵の行動に世間は、王家の聖女暗殺を事前に察知し、聖女を守るために帝国へ移住する準備を前もってしていたのではないかと囁いていた。
そして聖女であるアリアドネの真実も同時に広がり、国民は呆然とする。

もし、噂通り聖女を殺したのが王家なのならば・・・と、あれほど無能呼ばわりしていた事を忘れたかのように国民は王家に怒りをぶつけるのだった。




事の始まりは、美しい水色の髪と金色の瞳という聖女の色を纏った、セティ・プラリウム侯爵の娘アリアドネが産まれた事から始まる。

このリンデル国は『唯一聖女に愛される国』と呼ばれていた。
これまで聖女は、何故かリンデル国にしか生まれず、他国とは一線を画す国でもあった。
だが聖女が亡くなればすぐに次の聖女が産まれるという訳ではない。現在のリンデル国も、ここ数百年以上聖女が産まれてはいなかった。
よって『唯一聖女に愛される国』と持て囃されていたのが、今では「聖女が産まれないのは、その国に原因があるからでは」と囁かれるようにもなっていた。
元々、鼻持ちならない態度に評判が良くなかったリンデル国。聖女がいなくても国は成り立つのに、聖女一人に依存し続ける彼等を理解できない事も悪しく言われる原因でもある。

そんな中での聖女の色を纏ったアリアドネの誕生。リンデル国は大いに盛り上がり、すぐさま王太子の婚約者として王家に取り込んだ。
地に落ちた国の威厳を取り戻すために。

だが、アリアドネの父でもあるセティ・プラリウム侯爵は「実際に聖女であるかなどわからない。色だけで判断するのは早計だ」と婚約に反対した。
まさか身内からの反対の声が上がるとは思わず、王家は焦る。王家に嫁げるなど、名誉以外のなにものでもないと思っているのだから。
断固反対の意見を通すセティに国王は「たとえ聖女でなくとも大切にする」と神に宣誓した為、致し方なく従ったのだ。

宣誓は、宣誓した対象によってその効力が異なる。決して破ってはいけない、撤回もできない、それが神に対する宣誓。
ましてや聖女とは神の愛し子そのもの。
その宣誓を破れば、神からの罰が下る事は間違いない。

父であるセティがこの婚約に反対したのには訳がある。
聖女に関しての正しい歴史が、ちゃんと伝わっていないのではという懸念があったからだ。
父親であるセティですら、聖女に対する知識が少ししかない。だから侯爵は再三国王に、聖女に対する認識をどれだけ持っているのか確認していたのだ。ただでさえ望まぬ婚約。国の為とは言え、どのように娘が扱われるのか不安しかなかったから。
それに対し、「当然知っている。王家にしか伝わっておらぬもの故、父親である侯爵にも話せぬが。大丈夫だ」と、自信満々に答える国王を、その時は信じるしかなかった。だが後に、これが間違いだったと後悔し彼はこの国を捨てる決意を固める事となる。
数年後、幸いな事にセティは、他国に伝えられている聖女に関する書物を手に入れる事が出来た。
よって、聖女はいかなる存在でどの様な力を発揮するのかを正しく理解する事も出来た。だが、この書物を読む前の彼は、全くもって正しい知識が無かった。
『唯一聖女に愛される国』と言われながらも、聖女に対するまともな情報が無い。そして、聖女を国の象徴のように思っている国民意識。

セティは本当に国王には正しい知識があるのかを疑った。
あればきっとアリアドネを守ってくれる。だが、無ければ?

セティが懸念していた通りの最悪の事態を迎えるとは、その時は誰も想像できなかった。





王宮の庭園では、恒例の婚約者同士のお茶会が開かれていた。
このリンデル国の王太子フィリップ・グリンワルトと、その婚約者でもある聖女アリアドネ・プラリウム二人の。

「先日美味しい茶葉を見つけてね、アリアドネにも味わってもらいたくて、今日持ってきたんだ」
柔らかくウェイブした色味の薄い金髪がそよ風に揺れ、若葉色の瞳を少し細めながらアリアドネに微笑んだ。
そんな彼に微笑返しはするものの、心から笑う事は出来なかった。
傍から見れば、仲の良い婚約者同士に見えるかもしれない。
だが、アリアドネは先ほど偶然、我が婚約者とスーザン・クリノス伯爵令嬢が熱い抱擁を交わしているのを見てしまっていた。

「どうしたんだい?」
知らず知らず俯いていたのか、フィリップが心配そうに顔を覗き込んできた。
「いいえ、何でもありませんわ」
まるで全ての憂いを覆い隠すように、清流の様な水色の髪を風に揺らし金色の美しい瞳を細めた。




アリアドネはフィリップと婚約し、十六年が経つ。
産まれてすぐに婚約させられたのだから、彼女の年齢も婚約した年数と同じだ。
王太子でもあり婚約者でもあるフィリップは二歳年上。
傍から見れば、婚約者同士仲が良いように見えるだろう。
だが、実際はお互いに距離を置いている事は誰もが知る事だった。
と言うのも、聖女と呼ばれ期待されていたアリアドネが、無能だったから。

聖女なのだから、何かしら目に見える力が発揮されるのではと期待されていた。
だが、彼女が成長しても、何ら変わらず何の力も発揮できずにいる。
それにより、王太子妃の座を狙う令嬢達に陰口や嫌がらせを受ける様になっていた。
特に公爵令嬢でもあるグロリア・イデイは、過激だった。
陰口は勿論、顔を合わせる度に「無能」と罵り、取り巻き令嬢達を使ってアリアドネに危害を加える。
それに対し王家は何も対処できずにいた。なぜなら、グロリアの父がこの国の宰相でもあり、王家の強力な後ろ盾でもあったからだ。

フィリップも初めの頃は、聖女と結婚できるのだと鼻が高かった。
残されている数少ない聖女の歴史書には、国の安寧に尽力していたと書かれており、そんな素晴らしい神の愛し子と結婚し歴史に残る国王になれるのだと、期待に胸を膨らませていたのだ。
しかもアリアドネはとても美しい。容姿も何もかも、自分にこれほどふさわしい人はいないと思っていた。

なのに、彼女は無能だった。
今年で十六歳になるのに、変わらず何の力も発揮できずにいる。
希望は次第に諦めへと変わり、アリアドネに対し何も思わなくなってしまった。
そして、これは色だけが聖女と同じで間違いだったのでは・・・と、思い始めた頃、スーザン・クリノス伯爵令嬢に癒しの力が発現したのだ。

スーザン・クリノス伯爵令嬢はアリアドネと同じ十六才。チェリーブロンドの髪にピンクの瞳をしている可愛らしい令嬢である。
ただ、女性の前と男性の前では態度が違う事で、令嬢達の間では有名な人物でもあった。
そんな彼女が突然癒しの力が使えるようになったのだから、色んな思惑を持っていた貴族達は騒然とした。
特に宰相は、昔から娘を王太子と結婚させたかった。聖女が無能であればどんな形であれ娘を王太子に嫁がせることができると思っていた。
だが、本物の能力者が現れてしまった。グロリアとフィリップの結婚は絶望的になった瞬間でもあった。

無能の聖女と呼ばれるアリアドネと、癒しの聖女と呼ばれ始めたスーザン。
フィリップは聖女を妻として迎えた賢明王になる為に、スーザンに近づく。
スーザンもまた、見目麗しい王太子に恋焦がれていた一人でもあり、この幸運を掴もうと必死だった。
それぞれの思惑の中で次第に、無能の聖女が邪魔になっていった。

当然周りの反応も、これまで以上にアリアドネに冷たくなっていく。
元々、アリアドネはフィリップをなんとも思っていなかった。アリアドネの心の中には、初恋の君がいつまでも存在していたから。
だから、今更冷たくされようと何されようと気にはならない。
ただ・・・彼とは結婚したくない・・・そういう思いが強くなっていく。
幼い頃は頻繁に侯爵邸を訪れていたフィリップも、アリアドネが聖女ではないのではと噂が流れ始めるとその回数は徐々に減っていき、月に一度しか顔を合わせない時もあるくらいだった。
そんな彼等の態度で、アリアドネに何を求め何に絶望しているのかが十分にわかり、王家や国民に対して心が冷え込んでいくのを止めることはできなかった。

父であるセティからアリアドネは、聖女とは何たるかは聞いていた。
だから無能なのは自分ではなく、周りの人間なのだという事もわかっていた。
だが、嫌みを言われれば腹が立つし、傷つけられれば痛い。
癒しの聖女スーザンが現れてからというもの、アリアドネに対する態度の悪さ。
アリアドネだけではなく、プラリウム侯爵家も我慢の限界を迎えつつあった。

そんな時に事件は起きた。


聖女が毒殺されたのだ。恒例のお茶会の最中、婚約者が入れた紅茶を飲んで。
勿論、第一容疑者として王太子は一時捕縛された。
だが、すぐに毒を仕込んだとされる使用人が見つかり、王太子は釈放される。それはまるで茶番のように。

表面上は国全体が聖女を亡くしたと悲しみに暮れるなか、プラリウム侯爵家の行動は実に早いものだった。
王家には一切アリアドネの身体には触れさせる事無く侯爵家に連れ帰り、翌日には爵位は親類の者に譲りこの国を出ていく事を告げに来た。

「アリアドネを殺したのはあなた達だとわかっている。聖女とは何たるか、あなた達はわかっていると言っていた。その言葉を信用し、婚約を許したというのに・・・」
例え不敬に当たる発言だったとしても、国王達は何も言わなかった。プラリウム元侯爵が国を出ていけば、全てが終わるのだから。
本物の聖女を、王家は捕まえたのだ。

「きっとあなた達は己の無知を後悔するだろう」
その一言と、セティの最後の置き土産がこの国を揺るがす事になろうとは、その時は誰も思わなかった。
そしてあえてセティは言わなかったが、王家は神に宣誓していたのだ。「たとえ聖女でなくとも大切にする」と。

―――宣誓は破られた。いや何年も前から、既に破られていた。


セティからそれ・・が届いたのは、彼が謁見した二日後の午後だった。
数冊の絵本と歴史書。それはこの国ではなく、近隣諸国で発行されている物。

「なんだ、プラリウム前当主が送ってきた物とは、こんなものなのか?」
絵本などと、バカにしているのか?と国王や王太子、宰相がそれぞれを手に取り軽く読み始めた。
そしてその表情は次第に険しくなり、先程の馬鹿にしていた態度とは打って変わりまるで食い入るような勢いで読み進めていく。
何冊も、何冊も。

「まさか・・・・そんな・・・」
誰が呟いたのだろうか。ばさりと絵本が床に落ちる。
「嘘だ・・・嘘だ・・・」
絵本や歴史書に書かれている内容を、何度も何度も繰り返し目で追う。拒絶するような思考を抑え込むように、その血肉すべてで理解できるよう。
発行されている国や著者、年代が全て違うのに、大まかな内容は全て同じもの。

「・・・・・我々は、本物を殺し、偽物を掴んだのか・・・?」
それぞれがそれそれの反応を示し、呆然としているところへ一人の騎士が駆け込んできた。
「大変です!陛下!!クリノス伯爵令嬢が力を失くしました!!癒しの力が発動されません!!」

国王は急いでプラリウム侯爵邸へと使いを出したが、既にセティとその家族はリンデル国を出国したと、新たな当主から門前払いを食らうのだった。
そして聖女の真実が書かれた書物は、何者かの手によってリンデル国中に出回る事となる。




聖女はそこに居るだけで周りに恩恵を与える事ができる存在である。
常に聖力を体から溢れさせている為、固有の力を使う事はできない。
例えるなら、怪我した者を治したり、病気の者を癒したりなど、目に見える力を振るう事が出来ない。だが、彼女が傍にいれば傷や病の治りは早く、作物は不作になることは無い。気付かない程度ではあるが、確かに恩恵が与えられているのだ。
だが、その聖女の力を効率的に振るう人達がいた。
彼等は、聖女の力を借り常に聖女に寄り添い、手足となり働く『聖女の使徒』と呼ばれていた。
空気のように、風のように漂う聖力をわが身に取入れ、人を癒したり田畑に恵みを与え、国を豊かにする役目を担っていたのだ。
聖女は一人でも、彼女を支える人達は無数にいた。その人達はリンデル国内だけではなく、聖女が望めば他国へも癒しに向かった。
だからこそ他国では、その奇跡に対しての感謝を忘れないように、記するのだ。


リンデル国では、数百年以上も生まれていなかった聖女。
聖女に関しての伝聞は途絶え、僅かな歴史書にしか残されていない。それも大まかな事のみ。
聖女が産まれる国であるのに、何故聖女の実態を記する書物がわずかしかないのか・・・
それは、聖女が常に身近な存在で、常に傍にいるのだから誰もが分かっている・・・・・・のだと、驕り高ぶっていたから。
真実を正しく伝えられていないのは、王家も同じ。
よって、聖女の色を纏っているアリアドネは正真正銘の聖女であるのにも関わらず、無能と貶されていたのだ。
初代聖女が誕生した時は正しく理解されていたものが、ほぼ白紙状態となってしまった聖女の力の真実。よって、聖女に力を借り特殊能力を発揮する者達への注目が高まり、本来の聖女の働きが正確に伝わらなくなったことで誤った考えが広がっていった。

聖女が産まれない国ほど伝承は正しく受け継がれ、聖女の母国にのみ誤った伝承が受け継がれるという、歪んだ現象がおきたのだ。


よって今世は、聖女に対し正しい知識を持っていない環境に、本物の聖女を投げ込むと言う間違いを犯してしまう。
父であるセティが危惧していた通りに。
その結果、悲惨な事件を引き起こしてしまったのだ。



特殊能力者も、聖女がその身から溢れさす力を借りて発揮しているだけなのに、自分は特別なのだと勘違い。特殊能力が使える者が聖女だと、スーザンとクリノス伯爵家が故意に噂を流した。
力が使えるのだから、自分が聖女なのだとアリアドネを見下していたスーザン。無能の彼女が、美しい王太子の婚約者であることも許せなかったのだ。
憧れてはいても、決して手の届かない存在だと思っていたフィリップ。それが、癒しの能力が開花した事で彼から接触してきてくれた。
正に舞い上がるとはこの事。

あぁ・・・私が次期王妃よ。無能のくせにあの方の隣に居座るなんて、なんて恥知らずなのかしら。さっさと消えてしまえばいいのに。

そんな様々な思惑が絡む中、聖女殺しに直接手を下したのはフィリップ。
だが、直接であろうと間接であろうと、リンデル国が聖女を殺した。それが全てだった。




アリアドネはベッドから体を起こし、滑らかな指先で絵本を一頁一頁、丁寧に捲っていく。

此処は、リンデル国の隣にあるアルヘナ帝国。
セティはアリアドネが毒殺された翌日、王家に乗り込んだ足で帝国へ向け出発していた。
国を出る準備はかなり前からしていた為、迅速かつ順調に進められた。
国王が聖女に対し正確な知識が無い事は、早いうちからわかっていた。だから、最悪の事態を想定しアルヘナ帝国と秘かに連絡を取り合っていたのだ。

元々、帝国の皇太子でもあるヴァルト・アルヘナとは知らぬ仲では無かった。
彼が幼い頃、帝国では継承権争いで内紛が起き、ヴァルトの命が脅かされたのだ。
そんな時、皇帝の親友でもあったリンデル国のセティ・プラリウム侯爵に匿われていた事があった。
アリアドネとは二年ほど一緒に住んでおり、とても仲の良い兄妹のように過ごしていた。ヴァルト10才、アリアドネ6才の頃の話である。

可愛い娘を王家に取られさえしなければ、ヴァルトと婚約をさせたいとまで思っていた。
聖女の知識も亡命してきたヴァルトが持っていた書物から知りえたものだった。
この国以外では、聖女の存在を正しく伝えられている。歴史書でもだが、なじみ深い絵本と言う形で子供の頃から親しまれているのだ。

だからこそ、この度のリンデル国の仕出かした事に他国は信じられないと冷ややかな目を向けていた。
偽物を掴んで喜ぶ、間抜けな国だと。


「アリア、体調はどうだい?」
ノックの返事も待たずに入ってきたのは、この帝国の皇太子ヴァルト。
「ルト・・・・もう大丈夫よ。帝国に来て二週間も経つのよ。もう、ベッドから出たいのに、みんなに止められるの」
「それだけアリアが大事なんだよ。勿論、俺もね」
そう言いながらアリアドネを優しく抱きしめ、その頬に唇を寄せた。

アリアドネよりも四歳年上の彼は、艶やかな黒髪にアリアドネとは色合いが違う琥珀色の瞳を持っている。そして、皇太子としての貫禄と落ち着いた雰囲気を纏う、元婚約者と比べ者にならないほど大人な男性だ。
何を隠そう、アリアドネの初恋の相手がヴァルトなのだ。幼少時「アリア」「ルト」と呼び合い、たった二年だったが一緒に過ごしていくうちに、互いが惹かれあい愛を誓い合った。
叶わぬ想いと諦めながら。幼い子供の戯言だと言い訳をして。

だが、その誓いは神に受諾されたのだ。神の愛し子の心からの願いなのだから。

そんな二人を見ていたセティと妻のバーシェは、覚悟を決めた。愛する娘をどんな手段を使ってでも守ると。
帝国や近辺諸国から聖女に関する書物を集め調べていくと、ある事実を突き止める。

―――聖女は死なない・・・

ただし、それには条件があった。
遺体の損壊が激しい場合、例えばバラバラにされたり、焼かれたりした場合は無理だが、毒殺や刺殺であれば蘇生が可能なのだと記されていた。
体内に渦巻く膨大な聖力は、全て再生の為に使われるのだそうだ。ただしそれには、七日程度の時間がかかるのだという。
だから、セティ達は急いだ。アリアドネが毒殺され翌日には国を出た。この国の人間にアリアドネが、本物・・であることがすぐにばれないように。

帝国までは本来四日かかるのだが、夜通し馬車を走らせ三日とかからず帝国に到着した。
アリアドネの体は丁重に扱われ、皇太子妃の部屋へと安置される。
本当に目が覚めるのかと、周りの不安をよそにアリアドネは四日と少し経った頃に目覚めたのだった。

「俺達は、本当に心配していたんだ。色を失い冷たいままで、ピクリとも動かないアリアを見ている。正直な所、本当に目覚めるのかも半信半疑になるほどに」
ヴァルトは毎日時間を見つけては、アリアドネのもとを訪れていた。
指先に触れる頬は柔らかい感触はあるが氷のように冷たく、まさに遺体そのもの。このまま目覚める事無く彼女を失くしてしまうのではと、とても怖かった。

やっと、やっと愛する人をこの手に抱けると思っていたのに。

だが、セティの案に賛同したのも自分の意志だ。何よりもアリアドネが望んだ事でもあったから。
だからこうして、美しい金色の瞳に自分を映し出している事が奇跡としか言いようがなく、周りの人達は過保護になっているのだ。

「ルト・・・心配をかけてごめんなさい。でもね、私は後悔はしていないの」
そう言いながら絵本を閉じた。
「私は聖女失格なのかもしれない」
「何故?」
「だって・・・・リンデル国に復讐したいと思って、この話に乗ったんですもの」
アリアドネとて、やられっぱなしで済ませるつもりはなかった。
この日の為に、ずっと我慢していたのだ。アリアドネが、家族達みんなが。

嫌がらせは何もアリアドネだけにではなかった。プラリウム侯爵家にも及んでいたのだから。
あからさまに嫌がらせを受けるようになったのは、十三歳を過ぎた頃から。これも、宰相の家が絡んでいた事は、調べて分かっている。

「私はね、私や私の大切な人達を苦しめたあの国の人間が嫌いなの」
「それは当然の感情だ。聖女だろうと神だろうと、嫌な事をされ続けられれば当然だと思う。俺だって許せないんだから」
「ふふふ・・・ありがとう。ねぇ、ルトは私が聖女じゃなくなっても、変わらない?」
「当たり前だ。あのボンクラ王太子と一緒にしないでくれ。あの時・・・一緒に過ごしていた二年間、初めこそ聖女と同じ色だと緊張していたけど、次第にアリアの明るさに救われたんだ。先の見えない日々、帝国にいる両親の事。何もかもが辛くて、無力な自分が嫌いだった」
その当時の事を思い出しているのか、ヴァルトが悲しそうに目を伏せた。
アリアドネもその当時の事を思いおこしているのか、慰める様にヴァルトを抱きしめ返した。
「アリア、俺は本当に君と出会えて幸運だった。アリアには婚約者がいたのに、互いの愛も誓い合えた。その想いを胸に帝国で頑張ってこれた」
決して敵わない恋であっても、アリアドネだけを想い生きていくつもりだった。
そう心に決めても、彼女が恋しくて切なくて辛くて、膨らみ続ける気持ちを持て余していた所に、セティから連絡が入ったのだ。
「手に入らないと思っていたアリアを手にいれるチャンスが来たんだ。お義父上の提案に、乗らないわけがない」
まだ婚約はしていないが、ヴァルトはセティを義父上と呼んでいる。それほどまでに信頼と愛情を傾けていた。
だからこそ、彼の話に乗ったのだ。


スーザンに癒しの能力が発現したと聞き、セティは確信していた。

アリアドネは、何らかの形で殺されるかもしれない、と。しかも、手を下すならばきっと王家だろうと踏んでいた。
王家ならばきっと毒を使うだろう事も。
予想ではあったが、万が一の事を考え帝国にも情報を流していた。すぐに行動に出られるように。

「俺はアリアをあの国から引き離したかった。今回の事は本当に賭けのようなものだとも思った。もし上手くいったとしてその結果、アリアが聖女ではなくなったとしても、生きてさえいてくれれば俺は何もいらない」
リンデル国では、家族以外誰一人として言って貰えなかった言葉を、いとも簡単にくれるヴァルトが愛しくてたまらないアリアドネ。
「私は、そう言ってくれるルトと出会えて幸せよ」
「俺も、幸せだ。愛しているよ」
「私も、愛している」
愛を語らい微笑み合い、そして口づけあう。本当に、幸せで仕方が無いと言うように。


アリアドネの体調が戻ると、正式に皇太子ヴァルトと婚約し、そして『聖女の使徒』一人目にヴァルトが就任した。
冗談ではなく、使徒の力が発現したのだ。
それを機に、使徒となる力を持つ者が続々と集まってきた。
その力は、帝国内だけではなく他国でも振るい、近隣国との友好を深めていった。


アルヘナ帝国でアリアドネとヴァルトとの婚約が発表されると、リンデル国では衝撃が走った。
死んだはずのアリアドネが生きていたのだから。国王達は信じられないと、わざわざ帝国に人を向かわせ確認したほどだった。
そして、皇太子自らが『聖女の使徒』となった事も発表され、さらに衝撃を受ける。
それが本来の聖女の活かし方なのだから。
『唯一聖女に愛される国』と言われたリンデル国は、事実上その名を帝国へと明け渡したも同然。
聖女の活かし方もわからず、毒殺したのだから。


その後何度かリンデル国からは、アリアドネと元プラリウム侯爵一家の引き渡しを要求されたが、これに関しては皇帝自ら跳ねのけた。
「癒しの聖女がいるのだから、無能の聖女は必要ないだろう」と。



聖女がいなくても、数多の国々は発展を遂げている。
本来は、聖女の力など必要無いのかもしれない。
それでも、どうにもならない困難が訪れそうになった時に、聖女と言う存在が希望となればいいと思うのだ。


神が、スーザンを能力者とした時から始まった神罰。
聖女を間違え、宣誓を違えた事により内乱が勃発している、瀕死の『唯一聖女に愛される国』と呼ばれた国。

―――あの国の希望にだけは、なれないけれどね。

城の最上階に立つアリアドネは、元故郷があるであろう方角の空を見つめながら、美しさはそのままに金色の瞳を細め嗤った。
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