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Ⅵ 迷う魔女
viii 苦いココと強い酒(下)
しおりを挟む「これで俺には母の面影が結構あるらしい。父と母は本当に仲がよかった。母が逝ったあと、まさに片翼を失ったような父は俺の顔を見て母を思い出すのが辛かったんだろう。それからはっきりと俺を避けるようになった」
一度口を開けば、カルロスはなかなか饒舌だった。
まるで、長く蓋をし続けた過去を早く消し去ろうとでもしているかのように滔々と話し続ける。
「俺もまだ幼く、母の死はかなり堪えた。そして父に放置された数年のうちに、俺は今の上司に拾われ、軍に入った。……あれも一種の現実逃避だったんだろうな。隊で昇格して仕事が忙しくなったのにかこつけて家を出た。父が放っておいてくれるのも好都合だった。……気づいたら、知らない女が父の正妻を名乗り、顔も見たことのない弟が父の子として家にいた」
「あなたは文句、言わなかったの?」
「正直、本当に家のことに興味がなかったんだ」
アズレイアを見たカルロスが、頭をかきかき苦笑いする。
それは強がりや引け目からの笑顔ではなく、純粋にどうでもいいという乾いた笑いだ。
「難しい政治は俺の性に合わない。金儲けも全く上手くならない。爵位にこだわりも執着もなかったし、なにより近衛隊での仕事が楽しく順調だった。だから俺は正式に俺を廃嫡して、爵位はその新しい息子に継がせろと親父に一筆出したんだ」
そう言って肩をすくめたカルロスの顔には、決してまだ終わっていない過去が影を落とす。
「それからしばらくは家から手紙が送られてきてたが全部無視した。数年が過ぎてやっと諦めたと思った頃、今度は俺の上司を通して縁談話が回ってきた」
カルロスが声音を一段落とすのを聞いて、アズレイアもこの話の行方が決していいものではないのだけは理解した。
「俺は最後まで父の手紙を見るのは拒否したが、無理やり上司に聞かされた話に驚いた。なにを考えたのか、目をかけている生徒を俺に娶せて家を継がせたい。それが貴族の『正しい』ケジメだと言い出した……」
待って。
カルロスのお父様、それは私の師、モントレー伯爵のことではないか……?
じゃあ、その生徒というのは……?
正直遠い貴族の家内の事情だと、半分他人事のように聞いていた。
それが突然自分の過去と繋がって、冷水をあびせかけられたように身震いがくる。
「正直迷ったよ。弟には特に恨みもない。それどころか会ったことも大してなかった。母は違えど血は繋がっている。しかも俺よりずっとあの家にいて、父のそばにいたわけだ。俺がここでしゃしゃり出て、今更家を継ぐ理由なんてひとつも思いつけなかった」
「かといって上司の手前、無下に断るわけにもいかない。だから俺は──」
言葉を切ったカルロスが、唇をキツく噛み締めアズレイアを見る。
「──俺はレイモンドに、俺の代わりに父の薦める縁談を受けろと言っちまったんだ」
目をそらさず、アズレイアを見つめて話すカルロス。
その様子はまるで己の罪を許さず、断罪を望む懺悔のようにみえた。
が、とうとう耐えきれず、視線を外す。
「……まさかアイツが、君にあんなことをするとは夢にも思わなかった」
その声にはレイモンドへの怒り、己への怒りと、そして深い後悔が響く。
「本当にすまない」
下げられた頭に、アズレイアの視線が刺さる。
謝罪の一言を聞いたあと、答えるまでにはゆうに十を数えた。
「じゃあ……私が本当に結婚するはずだったのは……」
「俺だ」
呆然と尋ねるアズレイア。
尋ねる声に力が籠らず、視点がぼやけ、自分が今尋ねた実感さえも薄い。
ゆっくりと暗い顔を上げ、カルロスが呻くように苦しげに答える。
「信じてくれというのは俺の身勝手だ。それでも聞いてくれ。過去は過去だ。起きたことに、心から謝罪させてほしいが、今再び結婚を申し込むのはこの件とは全く関係ない」
そんなことがあるだろうか。
私はこんな研究以外取り柄もない魔女の塔の住人だ。
農民の出で、なんの後ろ盾もなく、可愛くもなければ若くもない。
対して相手はモントレー家の嫡子で近衛隊のカルロスだ。
過去への罪悪感でもなければ、結婚を申し込む理由など思いつけはしない。
今聞いた真実をまだ咀嚼しきれず、自分が怒るべきなのか泣くべきなのかもよくわからないアズレイア。
なのに反射的に尋ねてしまう。
「……どうしてそんなことが言えるの?」
これを答えるのは、俺の言い訳になりはしないか。
そう思うも、もうこれ以上、アズレイアに嘘はつけないとカルロスは覚悟する。
張り付いてしまいそうな重い舌を無理やり動かして、カルロスが改めて口を開く。
「俺は、君を知っていたんだ。縁談話が上がる、もっとずっと前から」
そう言って、カルロスはさっきまでココの入っていた自分のカップに大きなため息を吐き出すと立ち上がり、アズレイアと自分の空のカップをテーブルに戻す。
「お前はこの国が二度に渡って南に遠征したのを知っているか?」
「いいえ」
唐突に変わった話題に一瞬戸惑いつつも、アズレイアが返事を返す。
貴族の子息ならまだしも、農村育ちのアズレイアが学べたのは魔術に関する分野だけだ。
「……そうだよな」
手に2つのグラスを持って戻ったカルロスが、その片方をアズレイアに手渡す。
中には少量の琥珀色の液体がゆらゆらと表面を揺らしていた。
一体いつの間に持ち込んだのやら。
どうやらカルロスはどうやっても今日この話をするために、こんなものまで持ち込んだらしい。
杯を手に取ったアズレイアに、自分の酒に口をつけてから、カルロスが酒気を帯びた息をゆっくりと吐いて先を続ける。
「あれは俺がまだ近衛兵隊所属の青年兵だった頃のことだ──」
そう言って、カルロスは長い過去の話をはじめた。
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