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Ⅶ 魔女の決意
viii 父の誤算(上)
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「親父……いや父上。あなたが俺の婚約をレイモンドのものにすり替えたことはもう聞いた。あなたには、俺たちになにか言うべきことがあるんじゃないか?」
王城での出来事を説明し終わったカルロスは、そのまま静かな声でモントレー伯爵に尋ねる。
カルロスの話が正しいのであれば、モントレー伯爵は前もってカルロスを庇ったようにも思えた。
一体どこまで伯爵は知っていたんだろう?
そう思ったのはアズレイアだけではないだろう。
一拍の沈黙を置いて、腕組みして半分目を閉じていたモントレー伯爵が、とうとう重い口を開いた。
「私は魔術学院の教授であり、王室の教育役だ。この伯爵家の当主として以上に教育者として研究や判断、そして『正しく』教えることに尽力してきた」
東屋にモントレー伯爵の低い声が響き出す。
久しぶりに聞く恩師の声に、アズレイアの胸の中で想いが千々に乱れて締めつけられた。
「だが『正しく生きる』のは、時に矛盾しかない。君たちを平等に扱おうと思えば思うほど、すべてが狂っていった」
もう、話す覚悟はできたのであろう、伯爵がゆっくりと語りだす。
「私は何度も間違えた。妻を失った悲しみの傷を庇うあまり幼いカルロスを遠ざけ、外面を気にしすぎるが故に後妻を入れた。レイモンドをカルロスと平等に愛そうといいつつ、それでも貴族の慣習を破ってまでお前を当主にとは思えなかった」
そう言いつつ、伯爵はひとりひとりの顔を見る。
「なぜアズレイアを俺と娶せようと?」
「お前がアズレイアを支援しているのを知ったからだよ」
目があったカルロスが、伯爵に尋ねると、伯爵は微かに笑んで答えた。
「ですが、俺は一度もモントレー家の金で支援したことはありません。どうやってアズレイアと俺の関係を知ったのですか?」
「何を言っているんだ。モントレー家の支出には間違いなくアズレイアの村への支援が入っていたじゃないか」
割って入ったレイモンドに、モントレー伯爵が静かに首を横に振る。
「それはカルロスではない。その費用を出していたのは私だ。カルロスとは別に、私も彼女に支援していたのだよ。多分、カルロスよりも早く、彼女を見つけたあの日から」
驚くレイモンドとカルロスに、モントレー伯爵は先を続けた。
「アズレイアの村に水精霊の守りの魔法陣を刻んだのは私だ」
驚くべき告白に、カルロスが呻いた。レイモンドですら黙り込んでいる。
「カルロス、君とアルフォンソ王子の救援請求を受けてあの村に向かったのは私だよ」
「なんで親父がわざわざ……」
「久しぶりに教え子と息子の名を見れば、私だって一役買おうと言う気にもなる」
訝しげに尋ねたカルロスに、伯爵が薄く口元を笑ませて応える。
「だがいくら私でも、永遠に動き続ける魔法陣など描けない。だから毎年うちの者に魔法粉を注ぎ足しに行かせていたんだ」
アズレイアは、その事実を知っていた。
年に一度、村長がそれを管理していた。
だが、無知な他の村人たちが、許された以上に使い込んで空にしてくれたのが、カルロスに出会った年だった。
あの時アズレイアは支援に頼る危うさを目の当たりにした。だからいずれ支援がなくなる日を見越して魔法陣の改良を試みたのだ。
「彼女の母親は、私の手の中で亡くなった。私が見つけた時には手遅れだった。例え水が返ってきても、食べ物はそんなすぐには戻らない。お前たちが置いていった物資も尽きていたのだろう。もう水も食べ物も尽きていた彼女は、娘にすべてを与えて永らえさせていた」
伯爵の語る言葉にアズレイアの胸が締め付けられる。
当時のアズレイアはまだ幼すぎて、大したことは思い出せない。
だから母を看取り、アズレイアが落ち着くまで共にいてくださったのがこの伯爵だったのだと、今日初めて確信が持てた。
学院に入り、教授を見かけた頃から、薄々そうなのではと思ってはいた。
アズレイアが彼の研究室に入れると知って喜んだのはそれもあったのだ。
「あの村にはそんな家族が沢山いました。教授、いえ伯爵様が気にやまれることではありません」
アズレイアの慰めの言葉も、伯爵の自責の念を和らげるには至らない。
思い切って口を挟んだアズレイアを見て静かに首を横に振り、伯爵が続ける。
「確かに我々貴族が何をしたって、何十年、何百年に一度やってくる旱魃はどうすることもできない。例えあの村を一時的に救えたとしても、それは私のエゴでしかない。それは解決とは程遠い」
アズレイアを見るモントレー伯爵の顔には、積年の苦悩が見えるようだ。
それを見たアズレイアの胸に名称し難い不安が広がった。
「それでもなお、妻同様、私の腕の中で消えたもう一つの女性の命は、その後私が彼女の娘や村を支援するには充分な理由だった」
……伯爵は、もしかしたら亡くされたカルロスのお母さまを私の母に重ねたのかもしれない。
ふと、アズレイアの胸にそんな想いがよぎった。
「そんな中、彼女が街に通い始めたと魔法粉を届けた者に伝え聞いた。そろそろ就学の支援をしようかと調べれば、驚いたことにカルロス、お前が彼女の支援をしているという」
カルロスに視線を移し、そこで伯爵が息をつく。
「彼女が学びはじめた経緯を聞いて、私の中にも微かな希望が湧いた」
そして初めて生気が感じられる笑みを浮かべた顔で伯爵が続けた。
「彼女ならば、その一生を賭して私にはできない研究をやり遂げられるだろう。それは決して私欲のためではなく、『正しく』なされると思えた」
そこまで言うと、もう一度私を見た伯爵が真剣に続ける。
「カルロスを家に戻し、『正しく』家を継がせ、アズレイアに『正しく』必要な研究の費用を用意する。君らの婚姻は私のエゴの賜物だ。そしてそれは一方でレイモンドの努力を完全に無視する形になってしまった」
またも目に暗い影を落とし、今度はレイモンドに視線を移すモントレー伯爵。
「あの論文がアズレイアのものなのは、アズレイアが提出したものを目にした瞬間に分かった」
思いがけない告白に、アズレイアもカルロスも、レイモンドでさえも息を飲む。
「じゃあなぜ」
最初にその質問を口にしたのはカルロスだった。
「レイモンドの言う通りだ」
それに応え、すっと視線をアズレイアに向けた伯爵が苦しそうに続ける。
「私は確かに情に流される愚かな親だ。私は、息子を庇ってしまったんだよ」
苦し気な師の告白に、アズレイアの胸が軋んだ。
「一体なにが『正しく』だ。私はすべてにおいて間違いしか犯せなかった」
胸が張り裂けそうな伯爵の懺悔はまだ続く。
「レイモンド。君とアズレイアの様子は私も見かけたよ。私の目には、二人は幸せそうに見えた。私はただ、自分のエゴをただすために婚約をカルロスから君の名に変えただけだ」
そうか。
今思えば、だから教授からの呼び出しもあの頃に止まったのだ。
「最初にレイモンドの論文を見た瞬間、私は感動すらした。私はレイモンドを見誤っていた、煌びやかな題材だけではなく、こんな地味な研究もしっかりやっていたのだとね」
伯爵の言葉を聞いたレイモンドの頬がピクリと動く。
「だがアズレイアの論文を見て、すべてを悟った。君がやったことは、間違いなく彼女の尊厳を貶め、その理知をかすめる卑劣な行いだ。貴族である前に、教育に携わる者として、いや人の親として、私は本当に恥ずかしい」
それを聞いても、レイモンドは無表情のままだ。
だが、かといって先程までのように混ぜかえすこともしない。
彼の中にもまだ、一抹の悔いはあるのかもしれない。
「それでもなお、私はレイモンドを諦めきれなかった。彼を追い詰めたのもまた、自分なのだろう。レイモンドの努力は本物で、なのにそれに報いたことがなかった。私は道を違えた」
もうレイモンドに話しかけると言うよりは、ただ自分を責めるために吐き出した伯爵は、最後にアズレイアに向きなおり、まっすぐに見る。
「アズレイア、本当にすまなかった」
伯爵の謝罪の言葉は、下げられた頭とともに東屋の床に落ちた。
王城での出来事を説明し終わったカルロスは、そのまま静かな声でモントレー伯爵に尋ねる。
カルロスの話が正しいのであれば、モントレー伯爵は前もってカルロスを庇ったようにも思えた。
一体どこまで伯爵は知っていたんだろう?
そう思ったのはアズレイアだけではないだろう。
一拍の沈黙を置いて、腕組みして半分目を閉じていたモントレー伯爵が、とうとう重い口を開いた。
「私は魔術学院の教授であり、王室の教育役だ。この伯爵家の当主として以上に教育者として研究や判断、そして『正しく』教えることに尽力してきた」
東屋にモントレー伯爵の低い声が響き出す。
久しぶりに聞く恩師の声に、アズレイアの胸の中で想いが千々に乱れて締めつけられた。
「だが『正しく生きる』のは、時に矛盾しかない。君たちを平等に扱おうと思えば思うほど、すべてが狂っていった」
もう、話す覚悟はできたのであろう、伯爵がゆっくりと語りだす。
「私は何度も間違えた。妻を失った悲しみの傷を庇うあまり幼いカルロスを遠ざけ、外面を気にしすぎるが故に後妻を入れた。レイモンドをカルロスと平等に愛そうといいつつ、それでも貴族の慣習を破ってまでお前を当主にとは思えなかった」
そう言いつつ、伯爵はひとりひとりの顔を見る。
「なぜアズレイアを俺と娶せようと?」
「お前がアズレイアを支援しているのを知ったからだよ」
目があったカルロスが、伯爵に尋ねると、伯爵は微かに笑んで答えた。
「ですが、俺は一度もモントレー家の金で支援したことはありません。どうやってアズレイアと俺の関係を知ったのですか?」
「何を言っているんだ。モントレー家の支出には間違いなくアズレイアの村への支援が入っていたじゃないか」
割って入ったレイモンドに、モントレー伯爵が静かに首を横に振る。
「それはカルロスではない。その費用を出していたのは私だ。カルロスとは別に、私も彼女に支援していたのだよ。多分、カルロスよりも早く、彼女を見つけたあの日から」
驚くレイモンドとカルロスに、モントレー伯爵は先を続けた。
「アズレイアの村に水精霊の守りの魔法陣を刻んだのは私だ」
驚くべき告白に、カルロスが呻いた。レイモンドですら黙り込んでいる。
「カルロス、君とアルフォンソ王子の救援請求を受けてあの村に向かったのは私だよ」
「なんで親父がわざわざ……」
「久しぶりに教え子と息子の名を見れば、私だって一役買おうと言う気にもなる」
訝しげに尋ねたカルロスに、伯爵が薄く口元を笑ませて応える。
「だがいくら私でも、永遠に動き続ける魔法陣など描けない。だから毎年うちの者に魔法粉を注ぎ足しに行かせていたんだ」
アズレイアは、その事実を知っていた。
年に一度、村長がそれを管理していた。
だが、無知な他の村人たちが、許された以上に使い込んで空にしてくれたのが、カルロスに出会った年だった。
あの時アズレイアは支援に頼る危うさを目の当たりにした。だからいずれ支援がなくなる日を見越して魔法陣の改良を試みたのだ。
「彼女の母親は、私の手の中で亡くなった。私が見つけた時には手遅れだった。例え水が返ってきても、食べ物はそんなすぐには戻らない。お前たちが置いていった物資も尽きていたのだろう。もう水も食べ物も尽きていた彼女は、娘にすべてを与えて永らえさせていた」
伯爵の語る言葉にアズレイアの胸が締め付けられる。
当時のアズレイアはまだ幼すぎて、大したことは思い出せない。
だから母を看取り、アズレイアが落ち着くまで共にいてくださったのがこの伯爵だったのだと、今日初めて確信が持てた。
学院に入り、教授を見かけた頃から、薄々そうなのではと思ってはいた。
アズレイアが彼の研究室に入れると知って喜んだのはそれもあったのだ。
「あの村にはそんな家族が沢山いました。教授、いえ伯爵様が気にやまれることではありません」
アズレイアの慰めの言葉も、伯爵の自責の念を和らげるには至らない。
思い切って口を挟んだアズレイアを見て静かに首を横に振り、伯爵が続ける。
「確かに我々貴族が何をしたって、何十年、何百年に一度やってくる旱魃はどうすることもできない。例えあの村を一時的に救えたとしても、それは私のエゴでしかない。それは解決とは程遠い」
アズレイアを見るモントレー伯爵の顔には、積年の苦悩が見えるようだ。
それを見たアズレイアの胸に名称し難い不安が広がった。
「それでもなお、妻同様、私の腕の中で消えたもう一つの女性の命は、その後私が彼女の娘や村を支援するには充分な理由だった」
……伯爵は、もしかしたら亡くされたカルロスのお母さまを私の母に重ねたのかもしれない。
ふと、アズレイアの胸にそんな想いがよぎった。
「そんな中、彼女が街に通い始めたと魔法粉を届けた者に伝え聞いた。そろそろ就学の支援をしようかと調べれば、驚いたことにカルロス、お前が彼女の支援をしているという」
カルロスに視線を移し、そこで伯爵が息をつく。
「彼女が学びはじめた経緯を聞いて、私の中にも微かな希望が湧いた」
そして初めて生気が感じられる笑みを浮かべた顔で伯爵が続けた。
「彼女ならば、その一生を賭して私にはできない研究をやり遂げられるだろう。それは決して私欲のためではなく、『正しく』なされると思えた」
そこまで言うと、もう一度私を見た伯爵が真剣に続ける。
「カルロスを家に戻し、『正しく』家を継がせ、アズレイアに『正しく』必要な研究の費用を用意する。君らの婚姻は私のエゴの賜物だ。そしてそれは一方でレイモンドの努力を完全に無視する形になってしまった」
またも目に暗い影を落とし、今度はレイモンドに視線を移すモントレー伯爵。
「あの論文がアズレイアのものなのは、アズレイアが提出したものを目にした瞬間に分かった」
思いがけない告白に、アズレイアもカルロスも、レイモンドでさえも息を飲む。
「じゃあなぜ」
最初にその質問を口にしたのはカルロスだった。
「レイモンドの言う通りだ」
それに応え、すっと視線をアズレイアに向けた伯爵が苦しそうに続ける。
「私は確かに情に流される愚かな親だ。私は、息子を庇ってしまったんだよ」
苦し気な師の告白に、アズレイアの胸が軋んだ。
「一体なにが『正しく』だ。私はすべてにおいて間違いしか犯せなかった」
胸が張り裂けそうな伯爵の懺悔はまだ続く。
「レイモンド。君とアズレイアの様子は私も見かけたよ。私の目には、二人は幸せそうに見えた。私はただ、自分のエゴをただすために婚約をカルロスから君の名に変えただけだ」
そうか。
今思えば、だから教授からの呼び出しもあの頃に止まったのだ。
「最初にレイモンドの論文を見た瞬間、私は感動すらした。私はレイモンドを見誤っていた、煌びやかな題材だけではなく、こんな地味な研究もしっかりやっていたのだとね」
伯爵の言葉を聞いたレイモンドの頬がピクリと動く。
「だがアズレイアの論文を見て、すべてを悟った。君がやったことは、間違いなく彼女の尊厳を貶め、その理知をかすめる卑劣な行いだ。貴族である前に、教育に携わる者として、いや人の親として、私は本当に恥ずかしい」
それを聞いても、レイモンドは無表情のままだ。
だが、かといって先程までのように混ぜかえすこともしない。
彼の中にもまだ、一抹の悔いはあるのかもしれない。
「それでもなお、私はレイモンドを諦めきれなかった。彼を追い詰めたのもまた、自分なのだろう。レイモンドの努力は本物で、なのにそれに報いたことがなかった。私は道を違えた」
もうレイモンドに話しかけると言うよりは、ただ自分を責めるために吐き出した伯爵は、最後にアズレイアに向きなおり、まっすぐに見る。
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