35 / 48
Ⅵ 迷う魔女
x 心に明かり灯して
しおりを挟む
「結局、俺にできたのは彼女が学ぶための機会を与えることだけだった」
カルロスが淡々と話を進める間、アズレイアの胸の中では沢山の寂寥と、望郷、そして驚愕が渦を巻いていた。
「年を経て、彼女は奨学金で王都の魔術学院にまで進学した。生活を切り詰め、すべてを勉学につぎ込んで。たった一つの楽しみは、たまに町の食堂で食べるパンばさみ」
語り終えたカルロスが、再びアズレイアと視線を合わせる。
そして、添えるように付け足した。
「アズレイア、君のことだ」
申し訳なさと、恥ずかしさと、愛おしさと。
カルロスの瞳にも、また沢山の感情が渦巻いているのが見て取れる。
あの日、ひげを剃り塔にきたカルロスを見て、なぜ私は思い出せなかったのだろう。
まあ思い出せないか。
幼い頃、数度会っただけの恩人だ。
しかも今はすっかり厳ついおっさん顔のカルロスだ。
そこまで考えて、とんでもないことに気づいてしまった。
アズレイアがレイモンドとあんなにも簡単に恋に落ちた理由。
そうか、レイモンドには、どこかあの頃のカルロスの面影があったのだ。
ならばあの頃、自分を助けてくれたあの兵士に感じていた気持ちこそ、自分の初恋だったのやもしれない……。
そう思い至って、目前のカルロスを見る。
「ずっと見ていた。たぶん、かなり前に恋に落ちていた」
じっと見つめるカルロスの瞳に自分の姿が映りこむ。
その声が、一層甘く聞こえてしまう。
「もしあの時、俺や俺の上司が遠征をやめて手を尽くしていれば、もしかしたらお前の母を助けられていたかもしれない」
思い出せば、今もやるせない苦しみがカルロスの胸を締め付ける。
だがアズレイアは思う、それはムリだと。
あの時、死ぬものは母や父だけではなかった。
誰もが死と隣合わせで生きていた。
生き残った自分こそが単なる幸運だったのだ。
「父から送られてきていた手紙をなぜ読まなかったのかと何度後悔しただろう。もしあの時、父からの手紙を読んでいれば、俺たちはもっと違う形で出会えていたはずだった」
その後悔の言葉は、今やアズレイアを悲しませない。
それどころか、今自分たちがここで共にいられることこそ奇跡な気さえしてきた。
あの時の兵士がカルロスだった。
アズレイアが人生で巡り合った数々の疑問や謎のピースが、答え合わせのようにぴたりぴたりとハマっていく。
それはまるで謎解きの終わったときのような、えも言われぬ感覚だった。
「あの日、レイモンドが出したモントレー家の婚約破棄の通達を目にするまで、俺は相手の女性が誰なのか知らなかった。知っていたら、すべては違っていたのかもしれない」
全てを告白し終えたカルロスは、脱力気味に懺悔する。
「俺は二度お前を裏切った。言い訳はできない。だからこそ誓う。もう二度とお前を裏切ることはない」
その顔には積年の後悔が深い影を落としている。
だが、それをしてもなお、強い彼の想いが言葉を紡ぐ。
「好きだ、アズレイア。賢く美しい俺の運命の人。俺はお前以外、結婚するつもりはない」
『運命の人』
なんて壮大で陳腐な言葉だろう。
なのに、それが今カルロスの口からこぼれた時、自分も全く同じ気持ちだったのに気がついた。
アズレイアの許しを請うように、カルロスの手が伸ばされる。
今これをとれば、アズレイアはその運命の相手と結ばれるのかもしれない。
だが、ここにきてもまだ、アズレイアの胸の内の不安は消え切らない。
本当にこの手をとっていいのだろうか?
また同じことが繰り返されるのではないか?
結婚はなんの保証にもならない。
一生の愛など、誰も図れないのだから。
取りかけたアズレイアの手が震え、そしておずおずとカルロスの服の端にとまる。
今にも消え入りそうな声で、アズレイアが伝えた。
「それを私が信じられるまで、もう少し待ってくれる?」
今度は間違えたくはない。
自分のためにも、この優しいカルロスのためにも。
それがアズレイアが出した、逃げ腰ながら一番前向きな結論だった。
希望と欲望、苛立ちと哀れみ。
じっとアズレイアを見つめるカルロスの目が、いろいろな感情に染まり上がる。
自分の服の裾を掴むアズレイアが、あのときの少女と重なって……。
「もうどれだけ待ったと思うんだ。お前が頷くまで、俺はいくらでも待つ」
耐えきれずカルロスがその腕にアズレイアの体を包み込んで囁いた。
アズレイアもまた、自分を抱きしめるその腕に、遠い過去の日、幼い自分を抱きかかえて村に向ってくれたあの兵士のそれが重なる気がした。
カルロスが淡々と話を進める間、アズレイアの胸の中では沢山の寂寥と、望郷、そして驚愕が渦を巻いていた。
「年を経て、彼女は奨学金で王都の魔術学院にまで進学した。生活を切り詰め、すべてを勉学につぎ込んで。たった一つの楽しみは、たまに町の食堂で食べるパンばさみ」
語り終えたカルロスが、再びアズレイアと視線を合わせる。
そして、添えるように付け足した。
「アズレイア、君のことだ」
申し訳なさと、恥ずかしさと、愛おしさと。
カルロスの瞳にも、また沢山の感情が渦巻いているのが見て取れる。
あの日、ひげを剃り塔にきたカルロスを見て、なぜ私は思い出せなかったのだろう。
まあ思い出せないか。
幼い頃、数度会っただけの恩人だ。
しかも今はすっかり厳ついおっさん顔のカルロスだ。
そこまで考えて、とんでもないことに気づいてしまった。
アズレイアがレイモンドとあんなにも簡単に恋に落ちた理由。
そうか、レイモンドには、どこかあの頃のカルロスの面影があったのだ。
ならばあの頃、自分を助けてくれたあの兵士に感じていた気持ちこそ、自分の初恋だったのやもしれない……。
そう思い至って、目前のカルロスを見る。
「ずっと見ていた。たぶん、かなり前に恋に落ちていた」
じっと見つめるカルロスの瞳に自分の姿が映りこむ。
その声が、一層甘く聞こえてしまう。
「もしあの時、俺や俺の上司が遠征をやめて手を尽くしていれば、もしかしたらお前の母を助けられていたかもしれない」
思い出せば、今もやるせない苦しみがカルロスの胸を締め付ける。
だがアズレイアは思う、それはムリだと。
あの時、死ぬものは母や父だけではなかった。
誰もが死と隣合わせで生きていた。
生き残った自分こそが単なる幸運だったのだ。
「父から送られてきていた手紙をなぜ読まなかったのかと何度後悔しただろう。もしあの時、父からの手紙を読んでいれば、俺たちはもっと違う形で出会えていたはずだった」
その後悔の言葉は、今やアズレイアを悲しませない。
それどころか、今自分たちがここで共にいられることこそ奇跡な気さえしてきた。
あの時の兵士がカルロスだった。
アズレイアが人生で巡り合った数々の疑問や謎のピースが、答え合わせのようにぴたりぴたりとハマっていく。
それはまるで謎解きの終わったときのような、えも言われぬ感覚だった。
「あの日、レイモンドが出したモントレー家の婚約破棄の通達を目にするまで、俺は相手の女性が誰なのか知らなかった。知っていたら、すべては違っていたのかもしれない」
全てを告白し終えたカルロスは、脱力気味に懺悔する。
「俺は二度お前を裏切った。言い訳はできない。だからこそ誓う。もう二度とお前を裏切ることはない」
その顔には積年の後悔が深い影を落としている。
だが、それをしてもなお、強い彼の想いが言葉を紡ぐ。
「好きだ、アズレイア。賢く美しい俺の運命の人。俺はお前以外、結婚するつもりはない」
『運命の人』
なんて壮大で陳腐な言葉だろう。
なのに、それが今カルロスの口からこぼれた時、自分も全く同じ気持ちだったのに気がついた。
アズレイアの許しを請うように、カルロスの手が伸ばされる。
今これをとれば、アズレイアはその運命の相手と結ばれるのかもしれない。
だが、ここにきてもまだ、アズレイアの胸の内の不安は消え切らない。
本当にこの手をとっていいのだろうか?
また同じことが繰り返されるのではないか?
結婚はなんの保証にもならない。
一生の愛など、誰も図れないのだから。
取りかけたアズレイアの手が震え、そしておずおずとカルロスの服の端にとまる。
今にも消え入りそうな声で、アズレイアが伝えた。
「それを私が信じられるまで、もう少し待ってくれる?」
今度は間違えたくはない。
自分のためにも、この優しいカルロスのためにも。
それがアズレイアが出した、逃げ腰ながら一番前向きな結論だった。
希望と欲望、苛立ちと哀れみ。
じっとアズレイアを見つめるカルロスの目が、いろいろな感情に染まり上がる。
自分の服の裾を掴むアズレイアが、あのときの少女と重なって……。
「もうどれだけ待ったと思うんだ。お前が頷くまで、俺はいくらでも待つ」
耐えきれずカルロスがその腕にアズレイアの体を包み込んで囁いた。
アズレイアもまた、自分を抱きしめるその腕に、遠い過去の日、幼い自分を抱きかかえて村に向ってくれたあの兵士のそれが重なる気がした。
10
お気に入りに追加
69
あなたにおすすめの小説
不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない
かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」
婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。
もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。
ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。
想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。
記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…?
不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。
12/11追記
書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。
たくさんお読みいただきありがとうございました!
男装騎士はエリート騎士団長から離れられません!
Canaan
恋愛
女性騎士で伯爵令嬢のテレサは配置換えで騎士団長となった陰険エリート魔術師・エリオットに反発心を抱いていた。剣で戦わない団長なんてありえない! そんなテレサだったが、ある日、魔法薬の事故でエリオットから一定以上の距離をとろうとすると、淫らな気分に襲われる体質になってしまい!? 目の前で発情する彼女を見たエリオットは仕方なく『治療』をはじめるが、男だと思い込んでいたテレサが女性だと気が付き……。インテリ騎士の硬い指先が、火照った肌を滑る。誰にも触れられたことのない場所を優しくほぐされると、身体はとろとろに蕩けてしまって――。二十四時間離れられない二人の恋の行く末は?

一途なエリート騎士の指先はご多忙。もはや暴走は時間の問題か?
はなまる
恋愛
シエルは20歳。父ルドルフはセルベーラ国の国王の弟だ。17歳の時に婚約するが誤解を受けて婚約破棄された。以来結婚になど目もくれず父の仕事を手伝って来た。
ところが2か月前国王が急死してしまう。国王の息子はまだ12歳でシエルの父が急きょ国王の代理をすることになる。ここ数年天候不順が続いてセルベーラ国の食糧事情は危うかった。
そこで隣国のオーランド国から作物を輸入する取り決めをする。だが、オーランド国の皇帝は無類の女好きで王族の女性を一人側妃に迎えたいと申し出た。
国王にも王女は3人ほどいたのだが、こちらもまだ一番上が14歳。とても側妃になど行かせられないとシエルに白羽の矢が立った。シエルは国のためならと思い腰を上げる。
そこに護衛兵として同行を申し出た騎士団に所属するボルク。彼は小さいころからの知り合いで仲のいい友達でもあった。互いに気心が知れた中でシエルは彼の事を好いていた。
彼には面白い癖があってイライラしたり怒ると親指と人差し指を擦り合わせる。うれしいと親指と中指を擦り合わせ、照れたり、言いにくい事があるときは親指と薬指を擦り合わせるのだ。だからボルクが怒っているとすぐにわかる。
そんな彼がシエルに同行したいと申し出た時彼は怒っていた。それはこんな話に怒っていたのだった。そして同行できる事になると喜んだ。シエルの心は一瞬にしてざわめく。
隣国の例え側妃といえども皇帝の妻となる身の自分がこんな気持ちになってはいけないと自分を叱咤するが道中色々なことが起こるうちにふたりは仲は急接近していく…
この話は全てフィクションです。
伯爵は年下の妻に振り回される 記憶喪失の奥様は今日も元気に旦那様の心を抉る
新高
恋愛
※第15回恋愛小説大賞で奨励賞をいただきました!ありがとうございます!
※※2023/10/16書籍化しますーー!!!!!応援してくださったみなさま、ありがとうございます!!
契約結婚三年目の若き伯爵夫人であるフェリシアはある日記憶喪失となってしまう。失った記憶はちょうどこの三年分。記憶は失ったものの、性格は逆に明るく快活ーーぶっちゃけ大雑把になり、軽率に契約結婚相手の伯爵の心を抉りつつ、流石に申し訳ないとお詫びの品を探し出せばそれがとんだ騒ぎとなり、結果的に契約が取れて仲睦まじい夫婦となるまでの、そんな二人のドタバタ劇。
※本編完結しました。コネタを随時更新していきます。
※R要素の話には「※」マークを付けています。
※勢いとテンション高めのコメディーなのでふわっとした感じで読んでいただけたら嬉しいです。
※他サイト様でも公開しています
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

忘れたとは言わせない。〜エリートドクターと再会したら、溺愛が始まりました〜
青花美来
恋愛
「……三年前、一緒に寝た間柄だろ?」
三年前のあの一夜のことは、もう過去のことのはずなのに。
一夜の過ちとして、もう忘れたはずなのに。
「忘れたとは言わせねぇぞ?」
偶然再会したら、心も身体も翻弄されてしまって。
「……今度こそ、逃がすつもりも離すつもりもねぇから」
その溺愛からは、もう逃れられない。
*第16回恋愛小説大賞奨励賞受賞しました*
契約結婚のはずが、幼馴染の御曹司は溺愛婚をお望みです
紬 祥子(まつやちかこ)
恋愛
旧題:幼なじみと契約結婚しましたが、いつの間にか溺愛婚になっています。
夢破れて帰ってきた故郷で、再会した彼との契約婚の日々。
★第17回恋愛小説大賞(2024年)にて、奨励賞を受賞いたしました!★
☆改題&加筆修正ののち、単行本として刊行されることになりました!☆
※作品のレンタル開始に伴い、旧題で掲載していた本文は2025年2月13日に非公開となりました。
お楽しみくださっていた方々には申し訳ありませんが、何卒ご了承くださいませ。
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる