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Ⅳ 眠る魔女

iii 魔女に恋した男(上)

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 一方、勢い任せのプロポーズの末、振られるどころか、アズレイアにまともに信じてもらえなかったカルロスは、あれ以来真っ暗な顔で門に立っていた。

 その様子たるや惨憺たるもので、たった一週間で頬がこけ、隊服はヨロヨロ、髭はまた無精髭……とこれは以前通りだが、とにかく生気が薄く、目が死んでいる。

 なんせ、カルロスはモテるくせにこの年まで童貞を貫いてきたような堅物だ。
 恋やら愛やらに自信があるわけがない。
 無骨で頑強そうな見た目に反して、いざ色恋事になると大変打たれ弱い男だった。

 門の仕事にも身が入らず、気づけばアズレイアの住む塔を見つめてため息を繰り返す。


「隊長、もう一度アズレイアさんのところに行ってみたらいかがですか?」
「俺はもう隊長じゃないと、何度言えばわかるんだ」


 心配して声をかける門番仲間のハリスに、いつもの文句を返す声も力ない。

 実は、塔までは何度も足を運んでいる。
 だがいざ扉の前に立つと、あの日の彼女の拒絶が思い出されて、結局荷物だけ置いてコソコソと戻ってきてしまうのだ。

 そしてそのたびにまた落ち込んでいくカルロスを、年若いハリスは扱いかねていた。


   ☆   ☆   ☆


「言っているだろう、お前の場合、その頑なさが全ての原因なんだと」


 カルロスを心配しているのはハリスだけではない。
 アズレイアに断られて以来、お節介な親友、アルがカルロスを連日王城に呼び出しては問答をくりかえしている。

 だが今のカルロスには、その受け答えさえ億劫だった。


「全く。折角お膳立てしてやったっていうのにこの数年、お前は一体何をしてたんだ」


 磁器の薄いカップから香り立つ紅い茶を優雅にすするアルが、呆れ声で今日も文句を垂れる。

 アルとカルロスは幼少期からの腐れ縁。
 幼いころ、アルの教育係をカルロスの父が請け負って以来、まるで兄弟のように仲がいい。

 カルロスとは対照的に、アルの外見は見るからに繊細で儚げな顔立ちの優男。
 きれいに整えられた黄金色の髪の下、磨きこまれた宝石のような深く透き通ったエメラルドの瞳。
 ピンクに艶めく薄い唇を開けば、詩人も裸足で逃げ出すような甘い愛の言葉が滔々と流れだす。
 砂糖菓子のような囁きに乗せられて、一体何人の女性が彼に泣かされたことか。

 だが浮名を鳴らした彼も、近年他国の王女をめとって以来、すっかり女遊びから足を洗っていた。
 巷には奥方との仲睦まじい噂が絶えず、下町の寡婦でさえ砂糖を吐きたくなるようなおしどり夫婦である。

 そんな品行方正な生活を続けているストレスからか、最近アルが余計カルロスの恋路に口を出したがる。


「だから言っただろう、俺だってそれは理解した。だから求婚もしたんじゃないか」


 カルロスも黙って聞いているだけではない。
 

「勢いまかせだったのは確かだが」


 ……といいつつ、気安さゆえについ本音もポロリとこぼれ出す。

 今カルロスが大変気安げに話しているこの男、実はこの国の王位継承権第三位、アルフォンソ第三王子その人だ。
 そう、以前アズレイアに最初の淫紋紙を依頼した御仁である。

 だが、カルロスと二人きりになればそんな立場などどこへやら。
 今ここではどん底まで落ち込む友を叱咤する、ただの世話焼きな旧友だ。


「そういう問題じゃない」


 カルロスの反応に怒るでもなく、ただ呆れた様子で答えるアル。


「アズレイア嬢は許すと言ってくれているんだろう。だったらまず、彼女が逃げられないところまでだな──」
「それでは不義理だと何度言えばわかる!」


 アルの友人ならではの気やすい提言を、カルロスが真っ二つに切って捨てた。


「俺は! もう、二回も彼女を裏切ったんだぞ」


 口にして、再び気落ちする。
 過去をやり直すことができるならと、何度思ったことだろう。

 アズレイアが預かり知らぬところで、カルロスは勝手に色々思いつめていた。
 
 上流貴族社会の中で、彼女の噂はかなり前から出回っていた。
 無論、レイモンドとの経緯もその一つだが、実は他にもある。
 学院卒業時の彼女の論文はたとえモントレー教授が口止めしようとも、一部の人間には知れ渡っていたし、昨今では腕利きの淫紋描きとして名を馳せている。

 だがそれよりも早く、もっと以前から、カルロスはアズレイアをよく知っていた。


「お前だって知っているだろう。俺には本来、彼女に償いきれない負い目がある」
「お前がそんなことばかり言って動かないから仕方なくお前を門に送ったんだろうが。いい加減目を覚ませ」


 人払いがされたこの部屋には、二人の言い合いを止めるものはいない。
 だが今日は、この部屋にもう一人同席者がいた。

 話の邪魔をすまいと、酒の入った杯を片手に部屋の調度品を見ているふりはしているが、当たり前のように二人の会話に耳を澄ましている。
 無論二人も彼を忘れた訳ではないのだが、言い合いをやめようとはしなかった。


「お前が俺を門番に降格したのは全く違う理由からだっただろうが!」
「クソガキのころからの腐れ縁のお前に『こうなったら一生お前に童貞を捧げてやる』とか訳わからん宣言されたこっちの身にもなれ。暴走するお前の頭を冷やすにはやむなしと思って彼女の傍に飛ばしてやったんだろうが!」


 そこまで言って、ヒートアップしすぎたと気づいたアルが、頭を一振りして気を落ち着かせる。


「大体、近衛隊長の席はまだ空席のままだ。お前以外をそこに就けるつもりはない。とっととアズレイア嬢を射止めて帰ってこい」


 一体何度このやり取りを繰り返しただろうか。
 アルが本心から自分を心配してくれているのは最初から分かっている。
 それでもこれは譲れない。

 深いため息をついて、カルロスが今日も同じ答えを繰り返す。


「それは、アズレイア次第だ」


 結局またこの同じ問答で終わるのか。


 そう思い席を立とうとしたカルロスの後ろから、それまで部屋の隅で見ぬふりをしていた人物が、静かに歩み寄ってきた。
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