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Ⅲ 過去の魔女
iii 蜜月
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どう考えても、高位貴族のレイモンドと自分では、不釣り合いなのは明らかだ。
たとえ口約束があったとしても、体を重ねてしまった今、自分はこれで忘れ去られるのでは……。
レイモンドと正式に付き合うようになり、敏いアズレイアがそんな不安を抱くのは当然のことだった。
だが、その不安は日々を重ねるうちに薄れていく。
契りを交わした夜を境に、レイモンドはアズレイアを社交界へ連れ出し、正式なパートナーとして扱うようになった。
それは、それまでアズレイアが一度も経験したことのない、煌びやかな世界。
数々のお茶会、ガーデン・パーティー、舞踏会、記念式典、講演会……。
学院内の催しとは言え、彼が招かれた社交の場には、必ずアズレイアを伴って二人で出席する。
しかも、公の場で夫が妻にするように、常にアズレイアを隣において優先してくれた。
一転、二人きりの夜には常にアズレイアを求め、情熱に燃える瞳で組み敷いてくる。
止むことない愛の言葉と欲情の熱。
重ねる体は、まるでお互いを永遠の伴侶と認めたかのようにぴったりとくっついて。
「言っただろう? 手続きなんて関係ない。君はもう僕の妻だよ」
甘くそう囁いてはアズレイアに誓いのキスを繰り返す。
日々重ねられるレイモンドの愛の言葉に、いつしかアズレイアは胸の中の不安を忘れていった。
☆ ☆ ☆
「これ……面白いね」
年も明け、早咲きのスイセンが蕾を膨らませはじめる頃。
アズレイアの部屋で目覚めたレイモンドが、机の上に放置されていた紙束を見つけた。
「非常に興味深い」
ボソリとそう言った彼が、半覚醒でベッドに横たわるアズレイアの元に紙束を持ったまま戻ってくる。
眠気から目元をこすっていたアズレイアが、隣に座ったレイモンドの手に握られたそれを見て、焦ったように手を伸ばした。
前夜、レイモンドの激しい愛責に気をやったアズレイアは、夜中に一人、目が覚めてしまった。
レイモンドは隣で静かな寝息を立てている。
だがアズレイアは一度目が覚めてしまうとなかなか寝付けない。
結果、レイモンドを起こさないように静かにベッドから抜け出したアズレイアは、一人机に向かって遅れ気味になっていた論文作業を進めたのだ。
きっとそのまま机の上に書きかけの論文を置き忘れて寝てしまったのだろう。
いくらレイモンドといえども、同じ研究者。
見られて困るというより、まだ完成もしていない論文を見られるのは非常に恥ずかしい。
焦るアズレイアの手を笑いながら避けたレイモンドは、片手に論文を持ったままアズレイアを組み敷いて、その首筋に熱いキスを落とす。
「そんな恥ずかしがらなくていいよ。僕の論文はもう大方まとまってしまったから、少し暇なんだ」
首元でクスクス笑いながら、悪戯っぽく笑ってアズレイアを見る。
「それに賢いアズレイア先生の書きかけの論文なんて、そうそう見れる機会ないだろうし」
茶化すように言うレイモンドを睨みつけるアズレイア。
そんな彼女を見返して、ベッドヘッドに寄りかかるように座りなおしたレイモンドが眉尻を落とす。
「ごめんごめん、今のは冗談。でも正直、気になってはいたんだよ。君の手元にはきっと研究室ごとの論文傾向の情報は回ってきてないんじゃないかってね」
そんなもの、無論アズレイアには回って来ない。
農村出のアズレイアに声をかけてくる変わり者は、嫌味の止まらないリズとレイモンドくらいのものなのだ。
ふと最後に見たリズの不機嫌な顔を思い出して眉をひそめてしまう。
リズはアズレイアの元友人だ。
同じ研究室で、唯一アズレイアにも声をかけてくる奇特な者だったのだが。
諸事情により、去年の夏ごろからアズレイアは彼女から敵認定を受けてしまっていた。
結果、今もアズレイアが研究室にいづらくなっている。
どうせもう後は論文提出だけだからいいけれど。
難しい顔で考えはじめたアズレイアをレイモンドが覗き込む。
「研究室にはそれぞれクセがあるから、書き方ひとつでも評価が変わるんだ」
論文を手の中できちんと整え直し、アズレイアを見下ろして心配そうに言うレイモンド。
その顔は、二人きりの甘い時間に見せるものとは違う、いち研究者の頼りがいのあるそれに変わっていた。
「ねえ、僕がチェックしてあげようか。モントレー教授の研究室には僕も席を置いてるから」
レイモンドがモントレー教授の研究室に名前を置いているのは前にも聞いた。
だが、研究室で彼を見かけたことは一度もない。
彼は普段、別の教授の研究室を使っているらしい。
それなのに、彼の手元にはそんな資料が届いているという。
一体、いつの間にみんなそんな情報を交換していたのだろう。
学院にきて友人が出来ないことには慣れていた。
それでも、ここまで自分だけ仲間外れにされていると流石に少し落ち込んでしまう。
「資料を渡してもいいけど、僕はもう全部目を通してあるし。……それに君がどんな研究をしてるか、興味もある」
そう語るレイモンドの眼には純粋な興味心が見てとれた。
自分の研究は決して派手なものではない。
そんな研究にまで興味を持ってくれる彼に、アズレイアも少し嬉しくなる。
その一方で、一抹の不安がアズレイアの胸をよぎった。
でもこれは不正になるのでは?
本来、共同研究を前もって申請しない限り、最終学年の研究論文は他人の手を借りてはいけない。
この場合、レイモンドに添削してもらうのは許されるのだろうか?
そんな不安が顔に出ていたのだろう。レイモンドが柔らかく微笑んで、アズレイアの頭を撫で、安心させるように髪の間に指を滑らせていく。
「大丈夫、君の研究内容には触れないよ。僕はこれを読んで君が書き方を変えたほうがいい場所を指摘するだけ」
そう言って片目を瞑ってみせるレイモンドの快活な様子に、アズレイアはもう何の疑問も抱かずに論文を預けた。
それからも、レイモンドと過ごす日々はしばらく続く。
だが今思えば、この頃からレイモンドの口数が減った。
そして学期末が近づき、お互い、論文の追い込みと提出準備に忙しくて会えない日々が始まる。
それでもまだ、アズレイアの中に不安はなかった。
たとえ口約束があったとしても、体を重ねてしまった今、自分はこれで忘れ去られるのでは……。
レイモンドと正式に付き合うようになり、敏いアズレイアがそんな不安を抱くのは当然のことだった。
だが、その不安は日々を重ねるうちに薄れていく。
契りを交わした夜を境に、レイモンドはアズレイアを社交界へ連れ出し、正式なパートナーとして扱うようになった。
それは、それまでアズレイアが一度も経験したことのない、煌びやかな世界。
数々のお茶会、ガーデン・パーティー、舞踏会、記念式典、講演会……。
学院内の催しとは言え、彼が招かれた社交の場には、必ずアズレイアを伴って二人で出席する。
しかも、公の場で夫が妻にするように、常にアズレイアを隣において優先してくれた。
一転、二人きりの夜には常にアズレイアを求め、情熱に燃える瞳で組み敷いてくる。
止むことない愛の言葉と欲情の熱。
重ねる体は、まるでお互いを永遠の伴侶と認めたかのようにぴったりとくっついて。
「言っただろう? 手続きなんて関係ない。君はもう僕の妻だよ」
甘くそう囁いてはアズレイアに誓いのキスを繰り返す。
日々重ねられるレイモンドの愛の言葉に、いつしかアズレイアは胸の中の不安を忘れていった。
☆ ☆ ☆
「これ……面白いね」
年も明け、早咲きのスイセンが蕾を膨らませはじめる頃。
アズレイアの部屋で目覚めたレイモンドが、机の上に放置されていた紙束を見つけた。
「非常に興味深い」
ボソリとそう言った彼が、半覚醒でベッドに横たわるアズレイアの元に紙束を持ったまま戻ってくる。
眠気から目元をこすっていたアズレイアが、隣に座ったレイモンドの手に握られたそれを見て、焦ったように手を伸ばした。
前夜、レイモンドの激しい愛責に気をやったアズレイアは、夜中に一人、目が覚めてしまった。
レイモンドは隣で静かな寝息を立てている。
だがアズレイアは一度目が覚めてしまうとなかなか寝付けない。
結果、レイモンドを起こさないように静かにベッドから抜け出したアズレイアは、一人机に向かって遅れ気味になっていた論文作業を進めたのだ。
きっとそのまま机の上に書きかけの論文を置き忘れて寝てしまったのだろう。
いくらレイモンドといえども、同じ研究者。
見られて困るというより、まだ完成もしていない論文を見られるのは非常に恥ずかしい。
焦るアズレイアの手を笑いながら避けたレイモンドは、片手に論文を持ったままアズレイアを組み敷いて、その首筋に熱いキスを落とす。
「そんな恥ずかしがらなくていいよ。僕の論文はもう大方まとまってしまったから、少し暇なんだ」
首元でクスクス笑いながら、悪戯っぽく笑ってアズレイアを見る。
「それに賢いアズレイア先生の書きかけの論文なんて、そうそう見れる機会ないだろうし」
茶化すように言うレイモンドを睨みつけるアズレイア。
そんな彼女を見返して、ベッドヘッドに寄りかかるように座りなおしたレイモンドが眉尻を落とす。
「ごめんごめん、今のは冗談。でも正直、気になってはいたんだよ。君の手元にはきっと研究室ごとの論文傾向の情報は回ってきてないんじゃないかってね」
そんなもの、無論アズレイアには回って来ない。
農村出のアズレイアに声をかけてくる変わり者は、嫌味の止まらないリズとレイモンドくらいのものなのだ。
ふと最後に見たリズの不機嫌な顔を思い出して眉をひそめてしまう。
リズはアズレイアの元友人だ。
同じ研究室で、唯一アズレイアにも声をかけてくる奇特な者だったのだが。
諸事情により、去年の夏ごろからアズレイアは彼女から敵認定を受けてしまっていた。
結果、今もアズレイアが研究室にいづらくなっている。
どうせもう後は論文提出だけだからいいけれど。
難しい顔で考えはじめたアズレイアをレイモンドが覗き込む。
「研究室にはそれぞれクセがあるから、書き方ひとつでも評価が変わるんだ」
論文を手の中できちんと整え直し、アズレイアを見下ろして心配そうに言うレイモンド。
その顔は、二人きりの甘い時間に見せるものとは違う、いち研究者の頼りがいのあるそれに変わっていた。
「ねえ、僕がチェックしてあげようか。モントレー教授の研究室には僕も席を置いてるから」
レイモンドがモントレー教授の研究室に名前を置いているのは前にも聞いた。
だが、研究室で彼を見かけたことは一度もない。
彼は普段、別の教授の研究室を使っているらしい。
それなのに、彼の手元にはそんな資料が届いているという。
一体、いつの間にみんなそんな情報を交換していたのだろう。
学院にきて友人が出来ないことには慣れていた。
それでも、ここまで自分だけ仲間外れにされていると流石に少し落ち込んでしまう。
「資料を渡してもいいけど、僕はもう全部目を通してあるし。……それに君がどんな研究をしてるか、興味もある」
そう語るレイモンドの眼には純粋な興味心が見てとれた。
自分の研究は決して派手なものではない。
そんな研究にまで興味を持ってくれる彼に、アズレイアも少し嬉しくなる。
その一方で、一抹の不安がアズレイアの胸をよぎった。
でもこれは不正になるのでは?
本来、共同研究を前もって申請しない限り、最終学年の研究論文は他人の手を借りてはいけない。
この場合、レイモンドに添削してもらうのは許されるのだろうか?
そんな不安が顔に出ていたのだろう。レイモンドが柔らかく微笑んで、アズレイアの頭を撫で、安心させるように髪の間に指を滑らせていく。
「大丈夫、君の研究内容には触れないよ。僕はこれを読んで君が書き方を変えたほうがいい場所を指摘するだけ」
そう言って片目を瞑ってみせるレイモンドの快活な様子に、アズレイアはもう何の疑問も抱かずに論文を預けた。
それからも、レイモンドと過ごす日々はしばらく続く。
だが今思えば、この頃からレイモンドの口数が減った。
そして学期末が近づき、お互い、論文の追い込みと提出準備に忙しくて会えない日々が始まる。
それでもまだ、アズレイアの中に不安はなかった。
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