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第10章 エルフの試練

28 黒猫君の災難

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「──このシモンをあゆみさんの婿にして頂きたいの」

 シアンのはっきりとした言葉の意味が俺の鈍い頭にもようやく到着した途端、一発で気が遠くなった。
 思いっきり横っ面ぶん殴られた気分だ。
 なんで俺はこの可能性を考えなかったんだ?
 昨日俺にあんな引っ掛けしてきた奴らだ、これくらいするのは予測しとくべきだった。

 テリースがすぐに騒ぎ出すとシアンがとんでもねえこと言いだした。
 この女、俺と一緒にシモンをあゆみの夫にする気でいるらしい。
 何考えてんだこの女?
 ああ、あの初代王のせいでハーレム状態が当たり前だとでも思ってやがるのか?
 冗談みたいな話だがシアンの目はスゲー本気の色をしてやがる。
 最初はまた俺を試すためなのかと勘ぐったりもしたが、どうも様子が変だ。シアンはすごく真剣だし、驚いたことにシモンも満更でもないようだ。

 あゆみがツッコミ入れたおかげで今日のおかしな文官面接の謎は解けたが全然嬉しくねえ。
 結局上手く切り抜けられるような言い訳は全く見当たらず。
 キールに返答を尋ねられたあゆみが自分の手を見つめてうなだれ、そのままジッと考え込んだ。

 この時俺は内心死ぬほど焦ってた。
 あゆみのやつ、これ受けちまうんじゃねーか?
 常識だとか義務だとかにやたら律儀なやつだ。こんな大義名分ぶら下げられた上で追い込まれたら嫌とはいえねーかも。
 以前キールに、あゆみを他の奴との結婚に追い込んでやろうかと脅されたのを思い出す。まああん時は結局あゆみと俺が結婚してるって俺にばかり都合のいいデマを流されて終わったんだが。
 だが今回は違う。政治的な背景のある、国と国の折衝だ。普通に考えて受けるほうが順当だろう。
 それなら俺がせめて助言して、あゆみにこんな申し出受ける必要ねーことを言ってやればいいじゃねえか。

 そこまで来てはたと気が付いた。
 待て、本当にそれでいいのか?

 相手はシモンだ。あんまこういうの考えたくねーけど見るからの美形で頭もいい。肝も座ってるしマジもんの王族だ。
 ふと余計嫌な考えが浮かんだ。
 これ、いわゆる玉の輿ってやつじゃねーか。
 まああゆみも俺ももう別に金には困っちゃいねーが、こいつには俺にないこの世界の知識が山とある。こいつの嫁になれば全エルフもあゆみのバックアップに付くだろう。

 ……間違いなく俺と二人で森で暮らすよりはいい生活できんだろうな。

 悲しい事実が頭に浮かんできた。
 死ぬほどつれえけどこれ、俺一人諦めりゃいい話じゃねえのか?
 そうすりゃシアンは文句なくウイスキーの街に結界石付けるだろうし、今後北ザイオン帝国やキールの支援にも回るだろう。
 あゆみも安定した生活に移れるし、こいつの足だってシモンたちなら治せるだろう。

 それに引き換えこっちは今朝猫もどき宣言されたばっかの教養もなんもねえ元フリーターだ。
 得意と言えるのは喧嘩くらいのもんで、乱暴な上にあゆみが引くような過去しか持ってねえ。

 ふとシアンを見た。何を恐れてるのか俺が見つめてもまるっきりこっちを見ようとしない。
 まあ気まずかろうさ。こんな申し出をしてくるくらいだ、よっぽどあゆみを囲い込みたいんだろう。テリースの言葉が正しければ、命の恩人を俺みてえな害虫から守るつもりなのかもしれねえ。

 シモンも貰ってくれ、か。
 シアンにしてはきっと最高の妥協なんじゃねえかこれ?
 だがまあ無理だそりゃ。
 悪いがシモンとあゆみを共有とか、それだけはゼッテー勘弁だ。
 どう考えても俺が我慢しきれるはずがねえ。
 どっかで切れてシモンと殺しあいになっちまうのが落ちだろう。

「!…………」 

 俺が視線を戻すとあゆみが突然顔をあげた。
 何か言おうとして口を開き、でもまた口をつぐむ。
 そして皆が見守る中、またもギュッと自分の手を握りしめ俯き、我慢するように眉根をきつく寄せてしばらく考え込んでから、とうとうポロポロ涙をこぼし始めた。

 ああちくしょう、見てらんねえ。
 あゆみがそんなに苦しむ必要ねーんだよ。
 どの道今までだって俺には特別な女なんか誰もいなかったんだ。
 身体だけならまた幾らでも見つけられんだろうし、前だってそうやって過去を忘れてきた。
 それで充分生きてこれた。
 ……今度こそ、もう二度とあゆみみたいのは無理だろうがな。

 オレナンカ、シアワセニナレルハズ、ネーヨナ。

 俺の中で小さい俺が呟くのが聞こえる。
 それは昔聞き慣れた声だった。
 両親をなくしてから何度となく聞いてきた。
 そんなことある訳ねえ!
 俺だっていつか!
 そう思って抗いつつも、いつも聞き続けてきた俺自身の声。
 どんなに反抗してもいつも俺の限界を思い出させる。
 俺が幸せになれるはずねえって。

 いや、違うな。
 俺は間違いなく幸せだった。
 あゆみと出会えて。あゆみと暮らして。あゆみに告り告られて。
 結婚して受け入れられて昔感じたような幸せな時間に酔っちまって。
 この幸せがずっと続くような気がしてた。
 正直出来すぎだよな。俺みたいのがあゆみを独占してていいはずねえ。
 こいつは俺が死ぬ気で心配せずにはいられねえほど素直で、魅力的で、優しくて、賢くて。抜けてるようでいていつの間にかちゃっかり自分の居場所確保してるし、魔術だって桁違いで。しかも。
 ホントに綺麗になったよな。
 ここ一月、ずっと思ってた。
 ここに来た当時の、殻に閉じこもったような頑なさが減ったあゆみは、日々花開くように綺麗になってきてる。多分内面の輝きが増してるからなんだろうな。
 たとえ別れることになっても、以前とは違う。こいつは無事だし前より断然強くなってるし。いっそ俺といるより安全で幸せになれるだろう。
 たとえ俺がまた一人になっちまうとしても『あの時』とは全く違う。

 そう思えばフッと胸が軽くなった。
 黙り込むあゆみを見てるうちに俺の気持ちのほうがサッパリしちまった。
 これ以上あゆみを困らせる必要ももうねえよな。
 とっとと言ってとっとと終わらせよう。
 なに、バッカス連れて外出りゃまあ愚痴ぐらい聞いてくれるだろ。

 意を決した俺は最後に声が震えないように、何とか普通を装えるように、思いっきり力いっぱい深呼吸して、胸の痛みと共に肺に溜まってた全ての息を吐きだした。
 代わりに新鮮な空気を吸い込んでグッと腹に力を籠める。
 なるべくあゆみが困らねーように何とか笑顔を作り上げた。

「あゆみ、俺の事はどうでもいいから。ちゃんとこれからの自分の人生の事をよく考えて答え──!」

 俺の一世一代の嘘が終わらねーうちに、あゆみに横っ面を思いっきり引っ叩かれた。

「馬鹿言わないで! 黒猫君の事がどうでもいいわけないでしょ!」 

 見ればあゆみの奴、片足だけで膝たちになって思いっきり俺を睨みつけてる。

 あゆみに張られた頬がジンジンと痛む。
 たとえそれがあゆみの全力だったとしても、こいつに殴られたくらいで痛むわけねーのに。
 痛いはずなんかねーのに。
 スゲー痛かった。
 あゆみの手が当たった部分から何だか知らねえがスゲー痛え何かが響いてくる。
 ボロボロ真っ赤になって泣きながらあゆみに睨みつけられ、あゆみが俺を平手打ちした手をさすってて。
 もうどーでもいいからまずはその手を何とかしてやりてえ、とか一瞬そんなことに思考が飛んで、まともになんも考えらんねえ。

「なんでそんな顔してそんな事言うの、黒猫君! ちゃんと好きだって言ったよね私。結婚だってしたよね? なんで、そんな……」
「え……?」

 ちょっとま、え?

 嘘だろ、信じらんねぇ。
 迷ってたんじゃねえのかよ……
 俺の前で受け入れるっていえなくて、それで苦しかったんじゃねえのかよ……

「わ、私がこんなに苦しいのも、答えが出せないのも、別に迷ってるからなんかじゃぜっんぜんないんだからね! どうやって言ったら私が断る理由、皆に分かってもらえるか、すっごく悩んでた、だけなんだから!」

 とぎれとぎれに、一生懸命あゆみが紡ぎ出した言葉のあまりの衝撃に、俺は身じろぎもできずにシアンとキールに謝り続けるあゆみをマジマジと見つめてた。

 あゆみがスゲー怒ってる。
 この前の嫉妬とかそんなんとも全然違う。
 全身で俺への怒りを表現してやがる。
 身体プルプル震わせて、顔真っ赤にして頬に何本も涙の跡つけて。
 それが100%全部、俺のためだった。

 全部俺。
 俺だけの為にこいつ滅茶苦茶怒ってやがる。
 怒ってくれてる。
 想ってくれてる……

 息が苦しい。余りに嬉しすぎて息が苦しい。
 あゆみが俺がいいと言ってくれた。
 誰でもなく、シモンと一緒でもなく、俺だけを選んでくれた。
 迷いもなく、ただ当たり前のように俺を選び、不甲斐ない俺を叱ってる。

 俺、どうやら幸せでいいらしい。

「あゆみ……」

 俺が両手を伸ばしてあゆみを抱きしめようと、そう声をかけたその時。
 突然グンッと何か俺の中の感覚が変わった。
 何が起きたのか分からず一瞬身構えて、だがすぐその原因に気づいて気が抜ける。
 スゲーいい匂いがする。あゆみの匂い、それに煮干しの匂い。
 だが次の瞬間、あゆみの身体が火を入れたエビのようにキュゥっと丸まり始めた。膝を抱え込むように前のめりに丸まってく。

 このままじゃ頭ぶつけちまう!

 慌てて俺があゆみを抱きとめたのとあゆみが完全に脱力しちまうのがほぼ同時だった。
 ぎりぎりで抱き留めたあゆみの上半身を起こしあげて顔を覗き込むと、あゆみが白目向いて気絶してやがる。

「お、おい、これどうなってんだ! シアンお前なんかしやがったのか!」

 動転して俺が叫ぶと、慌てる俺を横目にシアンとシモンが顔を見合わせてため息をつく。
 キールがテリースを見やり、テリースがすぐにあゆみの脈をとって額に手を当てた。

「ネロさん、あゆみさんは今日一体何をされてたんですか?」
「なんだよ! ちゃんと説明しろよ、おい!」

 焦る俺の肩に手をおいてなだめながらテリースが小さな微笑みを浮かべ答えてくれる。

「あゆみさんに限ってこれは起きないのかと思ってたんですがね……。安心してくださいネロさん。これは普通誰もが一度はかかる、典型的な『魔力切れ』の症状ですから」

 テリースの気の抜けた声が部屋に響き、俺は脱力してあゆみを抱えたままその場にへたりこんだ。
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