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第10章 エルフの試練

24 バッカスたちからの贈り物

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「もう一つ伝えておく事がある」

 黒猫君が落ち着くのを待ってキールさんが少し首を傾げながらおもむろに一枚の手紙をテーブルに置いた。

「実は君たち二人にヨークの教会本部から招待状が届いた」

 拡げてくれた羊皮紙の上には綺麗な文字で丁寧な招待の文句が並んでる。

「君たちは知らないだろうがヨークには教会の総本山がある。実質的には枢機卿のいる中央のほうが政治的な影響力もあり活発だが、形式上その上に立つ教皇がいるヨークの教会こそが全教会組織のトップということになっている」

 一緒にテーブルの上の手紙を眺めながらキールさんが私と黒猫君に説明してくれた。

「これ、行かないとマズイのか?」

 黒猫君が用心深く手紙を手にして読み直しながら聞くとキールさんが少し困った顔で腕を組む。

「教会はこの国の王室に次ぐ権力を持っている。常識的にいって今後の事を考えれば無視するのはマズイな。それでも本来なら前回の事もあるし、教会からの招待など捨て置くところなんだが……。見ての通り、この前の教会との争いについては一言も触れられていない。しかもここを見ろ」

 そういってキールさんが指さしたのは黒猫君の持ってる手紙の一番下、サインが入っている部分。

「このサインの前の白星のマークは教皇直属の『福音推進委員』通称、異端審問官の物だ。そしてこちらの三本線のマークが『内赦院長』通称、冤罪恩赦長。要はこの組み合わせは教会組織内でたった一人、罪を問い、罪を許すことを許された『法の絶対執行人』を指す。その立場の重責と危険を鑑みて普通は名前は伏せられるんだが……」
「タカシ……」
「やはりそう読むか」

 サインはかなり文字を崩してるから今ひとつ読みにくい。でも確かにタカシって読める気がする。

「本名かどうかはともかく、これはお前に身元を知らせるためのメッセージだろうな」
「…………」

 黒猫君が沈黙しちゃった。考え込んじゃってるけどタカシって確か前に黒猫君が猫の姿で教会に入った時に会った人だよね?
 何やら沸々と考えてた黒猫君がため息を吐き出しながら答えた。

「やっぱりどうやっても今俺が行くわけにはいかねーよな」
「ああ俺も出来れば今は北を優先してほしい。だからこの手紙はお前らの出立に間に合わなかったと返答するつもりでいる」
「そうしてくれ。あの時ちょっと話しを聞いただけだが、それほど悪いやつじゃねーと思うし本当は話くらい聞きてーんだがな。どうやっても時間ねえ」

 そういって黒猫君はキールさんに手紙を返しながら、ふと思い出したように尋ねた。

「バースのほうはどうなった?」

 黒猫君の問いかけに、キールさんが手紙を受け取って丁寧に巻き上げながら答えた。

「ああ、マイクが狼人族と一緒に行ってくれるそうだ」
「えっとマイクさんってどなたでしたっけ?」

 突然出された思い出せない名前に私と黒猫君が共に首を傾げるとキールさんが「お前ら自分たちの崇拝者の名前を忘れちゃいかんだろう」って真顔で答えた。
 す、崇拝者!?

「あ! あいつか! あの教会で俺が殴り倒しちまった」

 ああ、思い出した! エミールさんに偽の包弾もたされて教会で囮やってくれた人だ。

「お前らの奇跡を他の街にも知らしめたいんだとよ」
「ゲッ! そんなの止めさせろ! っていうかマジ他のやつに行かせろよ」

 黒猫君がつばを飛ばす勢いでそう言い返し、それにウンウンと力いっぱい頷いてる私をキールさんがすごく面倒くさそうに見返した。

「よーく考えろ二人共。お前たちの代わりに魚の買い付けなんて喜んで請け負うやつは他に誰もいないぞ」

 キールさんが脅すようにいうのを聞いて、私と黒猫君の顔が引きつった。
 そ、そう言えばお願いするはずだったんだ!

「あいつならお前ら二人のために何でも買い付けてくるだろうな」
「た、確かに……」

 黒猫君、断れないよ、断らないで。噂がちょっと広がるくらいもうこの際気にしないから。
 横でそんな祈りをささげてる私に気づいたらしい黒猫君は、しばらく微妙な顔で悩んでたけど結局「明日仕入れてもらうもの交渉しとく」って返事してくれた。


 それからがちょっと大変だった。
 キールさんについて領城の馬車回しまで下りていくとイリヤさんとイアンさんが二人で馬車の前に立ってた。

「今後必ずお二人にも乗って頂けるよう、ネロ様のご要望を取り入れてこちらの馬車を改良いたしました」

 そういって二人の後ろに停まってる馬車を指し示す。

「だぁぁ!」

 黒猫君が呻いた。なぜって馬車の車輪がほとんど地面についてない。

「お前ら一体どれだけの軽石を使ったんだ!?」

 喚く黒猫君にイアンさんが胸を張って答える。

「王室研究所に依頼して効率的に馬車を軽くする仕組みを入れてもらったんですぞ」
「え? うちですか?」

 俄然興味が湧いてきた!
 私はそれらしき仕組みを探して馬車の周りをクルクルと見てまわる。
 ああ、そっか。馬車のフレーム全体に薄い軽石を貼って、この前の飛行機と同じ要領で私の溜め石から魔力を供給してるんだ!

「黒猫君、これあの飛行機と同じような仕組みだよ。だから車体がメチャクチャ軽いの!」
「却下な」
「「「えええ!?」」」

 素晴らしい仕組みに私が躍り上がりそうだったのに私の説明を聞いた黒猫君が一言で切り捨てた。

「な、なんで? 軽くなるから揺れないよ?」
「よく考えろ、これ飛行機じゃなくて車だぞ。軽い車なんて危なっかしくて乗れるか!」
「ネロの言うとおりだ。何かあって体当たりでもされたらすぐ横倒しになったり轍がずれたりするような馬車では安心できん」

 あ。うー、そっか。揺れなければいいってもんじゃなかったんだよね。私はイアンさんとイリヤさんと並んで一緒にがっくりと肩を落とした。


 結局またも新政府の馬車を借りて『秘書官邸』に到着すると何故かバッカスたちがニコニコと微笑みながら出迎えてくれた。

「バッカス! あなたたち昨日いつの間にいなくなってたの?」

 黒猫君は何も言わなかったけど私はついそう聞いてしまった。昨日は和食のことで頭がいっぱいになっててすっかり失念しちゃってた。申し訳ないけど今日テリースさんに言われるまで彼らがいなくなってたことに気づいてなかったんだよね、私。

「ああ、いいもん持ってきた」

 そう言って「まずは入れ」って自分の家のように私たちを中に案内する。
 昨日と同じ大広間に入ると今日も同じ和机にシアンさんとシモンさん、そしてアントニーさんともう一人、全然見覚えのない狼人族の人が座ってた。あそこにしばらくお世話になってた間に皆の顔はほとんど覚えたと思ってたんだけど。やっぱり全員は毛づくろいしてなかったのかな。って思ってから重大な事に気が付いた。
 この狼人族さん、お胸がある!
 服を着てる上半身の胸の辺りがふっくらと盛り上がってるの。
 女性の狼人族さんだ!

「これはハビアの母ちゃん、アンドレア」

 驚く私を面白そうに見ながらバッカスが紹介してくれた。

「え、ハビアさんの母ちゃんって確か奥様だよね?」
「ああ」
「ここに連れてきちゃっていいの? ハビアさんまだ砦でしょ?」
「ああ、伝言は残してきたから大丈夫だろ」

 バッカスの気軽な返事にすっごく嫌な予感がするよ。

「バッカス、どんな伝言残したの?」
『母ちゃんは預かってる。心配するな』
「今すぐ返してらっしゃい!!!」

 私が激高するとすぐに横でアンドレアさんがカラカラと笑い出した。

「あゆみさんですよね。心配ないですよ、ハビアならそれで充分納得しますから」
「そ、そうなんですか?」
「はい。今日はあゆみさんとネロさんに先日のお詫びに参りました」

 そう言って改まった様子でアンドレアさんが私と黒猫君に向き直った。

「まずは皆さん座ったらどうですか?」

 すぐにシモンさんがそういって私たちの分の座布団を持って来させてくれた。

「昨日ネロたちが着替えに行ってる間にシモンがいいことを教えてくれてな」

 皆がそれぞれ机の周りに座るとバッカスが得意そうにそういった。
 ‎昨日と同じ農村の娘さんが皆にお茶を煎れてくれる。

「私達がついゴーティ先生のいる所であゆみさんたちのお話をしてしまったばっかりに、お二人のお話がこの街に広まっちゃったそうで。ホントにごめんなさいね。お詫びに今日はこれをお二人に差し上げたくてお持ちしました」

 そういってアンドレアさんが机の上に人の頭程もある大きな袋をドスンと乗せた。すぐにシアンさんが嬉しそうに話し出す。

「以前主様と各地を旅している時にたった一度だけ、狼人族の群れに遭遇したことがあったんですよ。その時ご馳走になったスープに日本のだしの味がした気がするって、ずっと主様がいってらして。もしかしてっと思って今回バッカスさんに聞いてみたんです」
「ああ。まあ俺たち男連中は大した料理も作んねーから詳しいこと分かんねえしシアンの所のエルフを一人乗っけて女どもの所まで行ってきたんだ」
「いらっしゃったカインさんが多分間違いないだろうといってたんですが本当にこんな物をあゆみさんたちが喜ばれるんですか?」

 そういって袋を開いたアンドレアさんが取り出したのは──

「煮干しか!?」
「ホントだ、なんかちょっと大きいけどこれ煮干しだよね!」

 人の頭程もある大きな袋いっぱいの煮干し。立ち上る匂いだけでうっとりしちゃう。

「これは北の森を追い出される前に買った最後の残りです。あの森にいた頃は毎年獣人の商人から大量に買い付けてたんですけどね」
「ええ!? 獣人さんたちがこれを作ってるんですか!?」
「はい、北の獣人国は海に面してますから色々と海産物が豊富なんですよ。まあ煮干し自体は昔うちの先祖がわざわざ海辺まで行って作り方から仕込んで、毎年仕入れるルートを作ったって言われてるんですけどね」

 それってきっと黒猫君と前話してた転移者かもしれない人だ!
 それにしても。

「……バッカス、なんであなたこれ持ってなかったの! これさえあればこの前だってもっと色んなスープ作ってあげたのに」
「こんなもん、女連中しか使い方しらねぇし。昔はツマミ代わりに皆持ち歩いてたが、もう残りすくねぇから勝手に食っちまうわけにも行かねえしな」

 そ、そう言えばさっきもこれが最後の袋って言ってたもんね!?

「じゃ、じゃあそんな貴重なものを貰うわけにいかないよ……」

 垂れそうになるヨダレを我慢しながら私がそういうとバッカスが鼻で笑って私の頭をグルグリ掻き回した。

「あのなあゆみ、お前は俺たちの家族なんだろ? 変な遠慮はすんなよ。この前のお詫びなんてのはまあ言い訳の一つだ。俺たちもお前らを喜ばしてやりてえってだけだ」
「そうですよ。それに男連中なんて、これ使ったって骨使ったってどうせ違いもわかりゃしないんですからね」

 二人ともそう言ってくれるしアントニーさんも頷いてるけど。
 それでもまだ私が申し訳なくて手を出せないでいると、今度はシモンさんが割って入った。

「そういうことならば一度ゴーティとお話をされることをお勧めします。確か彼らの所にも獣人の商人が度々来てるはずですから」
「「本当ですか!?」」

 私とアンドレアさんが叫んだのが同時だった。

「明日早速聞きに行ってきてやるよ……だからいい加減これ一匹食っていいか?」

 黒猫君、さっきからやけに静かだと思ったら態度がすっかり猫になってた!
 目をギラギラ輝かせて一心不乱に煮干し見つめて耳がキュって前に向いてて。
 ‎……そりゃ猫だもんね。しょうがないよね。
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