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第10章 エルフの試練

13 シアンの主様

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 しばし物思いにふけった後、シアンがボツボツと彼女の知っている初代王の話を始めた。

「主様は建国王と呼ばれ、皆に慕われて沢山の偉業を残しました。しかし元々気の弱い主様にはそれがとっても負担だったの。やらなければならないことがあったうちはまだ良かったんだけども、国内外の動乱が治まって中央政府も機能し始め、主様なしでも全てが滞りなく働き始めると周りからの過大な賞賛と必要以上に政治的な関係に追われる事に嫌気がさされてしまって」

 昨日本で読んだ時も思ったが、改めてシアンに話を聞く限りこの初代王はかなりまともな奴だったらしい。要は趣味の暴走がちょっとばかり過ぎちまっただけか。
 俺がそう思うのもつかの間。

「主様には私を含め9人の情を交わした娘たちがいたのだけれども人も獣人も主様ほど長く生きることが出来ず、結局最後までお傍に残れたのは私だけだったの」

 待て! 今色々聞き捨てならねーこと言ったよな!?
 ギョッとしたがさっきのことがあるからつい一瞬口をはさみそこなった。

「ま、待って下さい、その初代王……紗亜王でしたっけ?」
「それは後の王家の者たちが広めてしまった偽りの名よ。本当のお名前は太郎様」

 代わりにあゆみが問いただそうとすると、眉をピクリと上げながらシアンが割って入って訂正する。

「た、太郎さん……じゃあ太郎さんが自分で名乗られてたわけじゃなかったんですか」
「もちろん。主様の趣味で書いてらしたお話の中の主人公のお名前だったんじゃないかしら?」

 あゆみと二人、無言で顔を見合わした。
 言いたい事は分かる。これもしかするとその太郎ってやつがスゲー可哀想な話なんじゃねーのか?

「そ、それじゃあその……太郎さんは何歳まで生きてらっしゃったんですか?」

 あゆみお前、ツッコむのはそっちかよ。ハーレムはいいのかハーレムは?
 俺の内心のツッコミを他所にあゆみの問いかけにシアンが少し恥ずかしそうに頬を染めながら答える。

「主様ったら、私と少しでも一緒にいられるようにって無茶な延命魔法まで使って結局350歳ほどまで生きてらっしゃったわ」
「「350歳!」」

 驚いた。あゆみも俺もつい叫ばずにはいられなかった。

「待て、初代王ってやつは俺らと同じ日本人だったんだろ? それなのにそんなに長く生きたのか?」
「ええ。まあ延命魔法など使わなくても主様も200歳くらいまでは普通に生きてらっしゃったんですけどね。そのあたりで他の娘たちは皆先に逝ってしまい私と二人きりになってしまわれた主様は城や中央を捨てて私と一緒にここに移って下さったのよ。だからここは主様が私と一緒に住むために立てて下さった二人の終の棲家なの」

 そう言ってシアンが懐かしそうに目を細めて屋敷の中を見回した。

「ここにこうしているとあの頃に戻ったよう。主様はいなくても同じように村があって神殿があって。あの教会は本当に余計ですけれども」

 最後にそう付け足したシアンは一瞬教会のある方角をキッと睨む。だがすぐに笑顔に戻って俺たちに説明を続けた。

「この場所は主様が少しでもご自分のいらした異世界の様子を思い出せるようにと異世界に因んだ懐かしい物を国中から集めて来て作らせたの。屋敷の周りには異世界のような田畑を広げ、気のおけない者を呼びよせ農家に住まわせ、主様のいらした世界で食していたような作物を作らせていました。あゆみさんとネロさんなら分かるんじゃないかしら?」

 そう言われてあゆみが目を細めて庭を見ながら答える。

「そうですね。所々違いはあっても確かに懐かしい。私の家にも小さいけど庭があってここと同じように紅葉が植わってました。この木も他では見た事ないですもんね。それにツルを張ってる昼顔も懐かしい」
「確かにな」

 俺がぶっきらぼうに同意するとあゆみがあれって顔でこちらを見る。

「黒猫君、海外が長かったのにそれでもやっぱり懐かしいって思うの?」
「あのな、俺だって17までは日本に居たんだぞ。当たり前だろ」
「そうなんだぁ。じゃあもしかして黒猫君でも和食が食べたいって思う事あるの?」
「お前なぁ。そんなの当たり前だろ。味噌、酒、醤油は俺だって大抵どこ行っても買ってたぞ」
「なんだそうなんだ。じゃあ黒猫君にもっと愚痴ればよかった。分かってもらえないと思って我慢してたのに」

 そう言ってあゆみが不服そうに口をとがらせてる。
 ああ、こいつがあまり日本のそういう話しをしねーと思ったらそういう事だったのか。
 ふと気づいて見ると俺たちの会話を聞いていたシアンが何やら目を輝かせ、コクコクと頷きながらこっちを見てる。

「味噌、酒、醤油、いいですわよね。私も大好き」
「え? ええ?」
「はぁあ?」

 あゆみと二人素っ頓狂な声が出た。
 そんな俺たちをシアンが少し拗ねた様子で見返してくる。

「あら、私だって主様と一緒にずっとご相伴にあずかってましたもの。和食大好き」
「ご相伴ってちょっと待った! じゃああんたらここで味噌、酒、醤油も作ってたのかよ!? どこだ、どこにあるんだ?」

 あゆみが驚愕にポカンと口を開けている。俺だって興奮を押さえきれない。ここで米と綿を見つけた時もかなり驚いたが、これはケタ違いだ。味噌とか醤油の作り方なんて聞いた事もねーしもう二度と食えねーんだろうとすっかり諦めきってた。
 俺がありったけの期待を込めてシアンに詰め寄ると、そこで突然シアンが悲しそうに顔をゆがめた。

「ありません。無いのですよ。全く。全然」
「はぁあ? なんだよ、あるって言ったりないって言ったり」

 あゆみは無言だが俺と同じくスゲーがっかりした顔してる。そりゃあそうだ、今まで諦めてただけに今の話で俺もあゆみもいらない期待を抱いちまった。その分がっくり来る。
 だがシアンも俺たち同様スゲーがっかりした顔でブチブチと文句を垂れ始めた。

「本当はね、昔っからこの場所は結界石を仕組んだ石壁で周りを囲って他者が入り込めない様にしていたの。主様ご自身と私だけの為に作っていた作物も何もかも、他に広めるにしても分けるにしても少なすぎましたから」

 そう言ってシアンは自分のお茶をまるで敵のように睨みつける。

「……主様が無くなられて数年の後、私はここを封鎖してエルフの森に帰ったの。まあ正直に言えば主様のいない世界に楽しみも見つけられず、数百年ふて寝……じゃなかったお休みしてましたのよね。でも300年ほど前、例年になく膨れ上がったオークの大群がこのあたり一帯を踏み荒らし、壁を崩して神殿の一部も壊してしまったらしいの」
「あの結界、そんな簡単に壊れるもんだったのか?」
「いいえ、多分長い間魔力を供給してなかったから結界が弱ってたんでしょうね。それであの頃ナンシーはまだ小さな農村だったんだけれども、オークの群れを追い払いに中央から来てた討伐隊がここの結界が壊れているのに気がついちゃって。どうやら当時は大きな騒動になったみたい」
「騒動、ですか?
「ええ。ここに栽培されていた特殊な植物の栽培権と発見された初代王の『聖遺物』を巡って教会と王家が争ったんですって」
「……あんま聞きたくねーがその『聖遺物』ってのはなんだ?」
「何って、あなた方もここの教会で見たんでしょ? 主様の肖像画。あれ主様がまだ若いころにノリで描かせた物なのよ。黒歴史、って言うんでしたっけ? だから自分の死後は絶対誰にも見せない様にって言い残してここに保管してあったのに」
「うあああ、それは太郎さんが可哀想……」
「聞かなきゃよかった……」

 下手に有名になっちまうと黒歴史も抹殺できなくなるのか。俺たちも他人事じゃねーよな。これからよっぽど気を付けねーと。
 俺とあゆみが二人して頭を抱えてるのを他所にシモンが話を続けてた。

「まあそれで数年の間争った結果、教会が『聖遺物』を得る代わりにここの修復を行って管理し、王家に生産物を献上する形で合意したんですって。でもそんなのは彼らが勝手に彼らの間だけで決めた事だったのよね」

 そこでシアンが一息ついてお茶をすする。喉を潤し、再度勢い込んで説明し始めた。

「私がここを封印した後もここに残る事を選んだ農村の者たちの子孫は平和でのどかなここの生活に慣れ親しんでたから突然来た教会の支配なんてもちろん拒絶しようとしたのだそうです。教会がここに来た当時、村にはまだ私のことが伝わっていたらしく彼らは何とか助けを呼ぶつもりで教会の者たちに私の存在を教えてしまったらしいの」

 いつの間にかすっかり俺たちから庭へと視線を移したシアンは、どうやらここにはないなにかを思い浮かべて話しているらしかった。

「だけど私の存在を聞いた教会の者たちはその村長の名前を使って私に連絡を寄こしたの。神殿の修復の完了を祝して私に祝福を施して欲しいって。その言葉を真に受けて懐かしさに目覚めた私は使節団を連れてここに参りました」

 そこでシアンはフッと視線を落とし、先を続ける。

「ところが到着してみれば神殿の前には見たこともない教会の建物が建っちゃってるし、出迎えた者たちも私の見知らぬ者だらけでした。もう数百年経ってたから仕方ないのだけれども、それでもただ一人村長と呼ばれていた者には知った者の面影があって。それでつい気を許して言われるままに祝福を施そうと一緒に神殿に入ってしまったの。でも神殿に入ると教会の者たちがその村長を人質に私に主様のあの部屋に入る様に強要しました。正直私にはお断りする事も出来たんですけど……主様のいない今、ここで朽ちるのもまた良しっと思いまして……」
「入っちゃったんですか?」
「入っちゃいました」

 少し自虐的にほほ笑みながらシアンが顔を上げるとあゆみが思わずといった風に問い、やはり思わずと言った風にシアンが答える。そのまま頬杖をついてため息交じりに続けた。

「実は入っちゃった当時は出れたのよ。まだ結界にしか魔力を供給してなかったし。でも私もちょうどしばらく一人になりたいなって思ってたところだったからいいやってしばらくあそこに籠ってたの」
「籠ってたのって……そんなことしてたんですか!?」

 あ。シモンが突然キレた。どうやらこれはシモンも知らなかったらしい。
 それにぺろりと舌を出して軽く「ゴメンね」っとなんでもない事のように答えるシアンを見ていれば、流石に俺だってほんの少しシモンが不憫になる。案の定シモンの顔色が怒りで真っ赤に染まり始め、シアンが慌てて先を続けた。

「で、でもそれから50年ほどたった頃、突然より大きな魔力が引き出されるようになってそれからは本当に主様ほど力のない私では支えるのがやっとだったのよ。信じて。多分あなた方お二人や主様と同じ世界から来た方が何か装置を変更したんでしょうね。それまでは自分なんてなかなか死ぬこともできそうになかったのにお陰さまで後すこしで私も消滅できそうだったわ」

 ああ。不憫なシモンの顔色が今度は真っ青になった。すぐにシアンのすぐ横に寄り添ってシアンの肩を抱いて優しくさすってる。その一方シアンの唇の端が上がってるのを俺は見逃さなかった。シモンも頭がいいくせに何でシアンにはこうも簡単に手玉に取られてるんだか。これが世に聞くシスコンってやつか。

「結局その後250年の間私は全く外の様子を知らなかったんですけどね。村の者たちによるとあの時の村長は結局最後まで教会に歯向かって米、砂糖や木綿といった一部の簡単に作れる物以外は全て秘蔵してしまったのですって」
「じゃ、じゃあ、味噌酒醤油は……?」
「ありません」

 長い話は興味深いものではあったが、やっぱり味噌酒醤油がない事のショックは隠しきれない。
 あゆみも俺もがっくりと肩を落とし、暫く声が出せなかった。
 そこにシアンが悪戯っぽく続ける。

「ありませんが……また作りますわ」
「え!?」
「おい!」

 驚いた俺たちを見ながらシアンがペロリと舌を出す。

「作り方は私、覚えてますもの。実際エルフの村では今も作ってますわ。一度慣れてしまうとあの味はなくては味気なくて堪りませんもの」
「な、だったらなんでそれを先に言わねーんだよ!」

 俺が流石にキレそうになってそう語気を荒げるとしれっとした顔でシアンが返答する。

「だって先にそれを言ってしまったらお二人ともすっごくがっかりされるでしょ、今すぐ食べられないことに」

 そう言われてはグウの音も出ない。あゆみも俺の横でぎゅっと口を引き結んで堪えてる。確かにそうだ。そうなんだが。何でこうもこいつのいいようにあしらわれた気がするんだ、全く。
 そんな俺たちの顔をイタズラが成功した子供のような喜色を浮かべて見比べながらシアンが楽しそうに続ける。

「実はもう仕込み始めてますの。あゆみ様のおかげで大豆も大量に取れましたし、米も充分に取れました。ただ発酵でしたっけ? それが上手くできるまでしばらく仕込みを繰り返すことにはなるでしょうけど」

 その言葉を聞いた俺はジッとあゆみを見た。あゆみもこっちをジッと見てる。多分考えてることは同じだ。

「なあ。お前が一晩ここにいればもしかしてもしかしないか?」
「黒猫君もやっぱりそう思う? 食べたいよね、和食」

 あゆみが答えながら生唾を飲み込む。俺もだ。一人意味が分からない顔をしてるシアンにあゆみが少し恥ずかしそうに説明を始めた。

「私、その、近くにある物を勝手に育てちゃうみたいなんです。今までも酵母とか色々勝手に育っちゃって。お酒なら多分あっという間? 特に今私無茶苦茶、メチャクチャ、すっごくとっても食べたいですし、和食!」
「あ、まてあゆみ少しは我慢しろ。お前が下手に食欲上げると周りがとんでもない事に──」

 話しているうちにどんどん興奮していくあゆみを見て不安になった俺が声を掛けたが手遅れだった。俺の言葉が終わらないうちに、遠くから幾つもの野太い驚きの叫び声が響き始め。
 それを聞いて完全に手遅れな事を悟った俺はどっと襲ってきた疲れと共に目の前の机に突っ伏した。
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