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第10章 エルフの試練

1 まずはナンシーへ

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 娼館の段取りはアッというまに終わった。
 タッカーさんが会計をすると言った途端、レネさんは「それでは全てタッカーに任せますね」と放り出したからだ。タッカーさんは今まで以上に機動力が上がってバリバリ仕事を片付け始めた。
 私がいない間どう考えてもタッカーさんの負担が上がるのだから自分がいない間私の執務室を代わりに使って欲しいって言ったのにそれは結局頑として受け付けてくれなかった。
 因みにタッカーさんの奴隷契約はキールさんの持っていた魔方陣入りの公正文書にサインする事で締結してた。本当はテリースさんの時のように奴隷の紋を入れるべきらしいんだけど、サインだけでも十分強制力があるという事だったから私はそれをやめてくれるようにお願いした。私以外全員いい顔しなかったけど、結局奴隷紋を入れられる魔術師がいまウイスキーの街にはいないことから保留って事で済ませてくれた。そのうち皆きっと忘れちゃうよね。

 その後レネさんにお願いしてルーシーちゃんと他の娼婦さん達が埋葬された場所を教えてもらった。レネさんに連れられて行ったその場所は貧民街の奥にある静かな公園の端っこだった。墓石も何もなく、ただ少し開けたその場所には大きな木が一本植わっていて、その前まで行くと木のすぐ近くに幾つか新しく土が盛られたばかりの場所があった。
 テリースさんに先に聞いてた話ではこっちの世界には教会や宗教に準じて埋葬をする習慣はないそうで、こうして土に埋められた身体はいつか自然に返り大地に溶け込むのだそうだ。それでも故人を偲ぶ家族などからのお供え物が公園のそこここに見られた。

「最後はね、他の所みたいに草が生えて普通になっちゃうのよ。だからこの木だけがすべてを覚えてくれてるの」

 そう言ってレネさんは木の太い幹に口づける。そうやって想い人への気持ちを繋いでいくのだそうだ。
 私も祈りを込めて額を幹にあてた。前科のある私は今日来る時も黒猫君に前もって「絶対興奮するなよ」って念を押されてたんだけど。それでもやっぱり。

「ああっ」
「まあ!」
「あー。」

 我慢したよ。気持ちが溢れすぎない様に。
 それでもやっぱりルーシーちゃんの顔が脳裏一杯に思い出されて。
 私が額を付けてすぐフッと何か流れ出す感じと共にその公園に植わってたありとあらゆる植物が一気に花開き始めた。
 3人が3様の声を上げた。レネさんは一瞬目を見開いて涙ぐみ、黒猫君もため息を付きながらもこれならまあましな方かと諦めてくれた。

 そして次の日やっとナンシーへ向けて出発する事になった。
 結局私たちの荷造りはテリースさんが治療院の人を使って終わらせてくれた。そのほかの細々とした荷造りも済み、入れ替わりにナンシーから溜め石も届いて私が魔力を込めてから兵舎で動かない娼婦の皆さんの魔方陣にセットしてもらって。

「忘れ物ないか?」
「大丈夫だと思うけど。なんか忘れてない?」
「俺もそんな気がするんだけどな。ま、いいか出発するぞ」
「待ってくれ、俺を一緒にナンシーまで連れてくの忘れるな!」

 そう言って街からピートルさんが走ってくる。背中には何か大きな袋が下がってた。
 ピートルさんも乗せてアルディさんとキールさんとヴィクさん、それに今回はテリースさんもナンシーに用事があるそうでそこまでは一緒に行くという。他にもビーノ君とパット君が見送りに来てくれた。
 ミッチちゃんとダニエラちゃんとは昨日お別れを済ませてた。昨日は二人が部屋に泊まりに来てくれたから黒猫君も自分の部屋でビーノ君と寝てた。
 しばらくのお別れだから私はかなり辛かったんだけど、トーマスさんもいるし3人一緒だから大丈夫だから頑張ってきてって二人に励まされちゃったよ。
 全員乗り込んだ馬車は人だけでいっぱいで今回は荷物を運ぶ為にもう一台用意されてる。一台はカントリー・ハウス用に、もう一台は街と船着き場の定期便の為にキールさんが購入したのだそうだ。私達が集めた税金は早速街のために使われているらしい。ああ、白ウイスキーの借金も返済して今後もキーロン陛下御用達の限定販売を続けるそうな。
 キールさん自身がそんな取引の取り決めやら街の収支やら彼自身メチャクチャ忙しく働くから私も黒猫君も今回みたいな無茶なスケジュールにも文句言えなくなっちゃうんだよね。
 森でバッカス達と落ち合い皆が荷物を船に積み替えてくれてる間に私は見送りのパット君とビーノ君にさよならをする。

「あゆみさん、早く戻ってくださいね。僕一人だとタッカーさんはちょっと怖いですから」

 そういいつつもパット君はもうしっかりタッカーさんとやりあってるんだけどね。
「パット君なら大丈夫だよ。戻ってくるまでよろしくね」
「姉ちゃん、兄ちゃんの言う事聞いて無茶するなよ」
「ビーノ君は何でそんなに信用してくれないかな」
「それはお前の無茶を今までよく見てきたからだろ」

 ぼそりと呟く黒猫君のしっぽを軽く引っ張った。黒猫君がおやっという顔でこちらを睨む。うん、私と黒猫君の距離も今回の一件で前よりも少し縮まった気がする。

「それじゃあ出発しますよ」

 アルディさんが声をかけると兵士さんが船を出してくれる。水車小屋の前に沢山の狼人族が見送りに出てくれていた。その後ろには以前はなかった家がいくつも既に建ち始めてる。変わりつつある風景に少し胸が熱くなりながら私は皆に一生懸命手を振った。


「お前、またかよ」

 黒猫君が文句を言ってるけど気にしない。だって船の旅は楽しいんだもん。私はまたも川に手を差し入れて川面に跡を幾つも広げながら黒猫君の膝の上で鼻歌交じりに景色を楽しんでた。それを見てたテリースさんが横から注意してくれる。

「あゆみさん、次にナンシーを出た後は川の水に手を入れてはいけませんよ。あの上流には川スライムと鱒が繁殖してますからね」
「えっ鱒!……っとスライム?」
「スライムいるのかこの世界!」

 黒猫君がやけに嬉しそうに聞いてるけど。

「スライムってどんなのですか?」
「どんなのってスライムはスライムですよ」
「喋るのか?」

 期待を込めて聞いた黒猫君をアルディさんが不審げに見返しながら答えてくれる。

「喋るわけないでしょ。水と見分け付きませんよ」
「え、じゃあ流動体なの?」
「そうですね。触れば無論形が分かりますが噛まれます」
「流動体なのに噛むの!?」
「はい。人の血も吸いますよ。ですから気を付けてください」

 途端怖くなって手を引っ込めた私に黒猫君がニヤニヤしてる。
 悔しい。

「なんだもう遊ばないのかよ」

 そう言ってからかう割に黒猫君は膝の上の私の身体を囲い込むように両腕でしっかりと抱きしめてくれてる。
 恥ずかしながらこのすっかり甘々の黒猫君に慣れ始めてる私は少し周りの視線が気にはなるけどそれを今更止める気もなかった。それどころか甘えついでに腕に掴まっとく。

「本当に俺たちも街に入っちまっていいのかよ」

 バッカスが船の後ろの方で半分転がりながらアルディさんに声をかける。

「ええ、今回この船は街の中の船着場に着きますし、そこからは馬車で宿泊先にお送りできます。前回獣人の扱いに関しては新しい取り決めが発布されましたが、まだ浸透しているとは思えませんのでそこだけは良く注意してください」
「ああ、問題起こすなって事だろ。安心しろ、暴れたりするつもりねぇから」

 そう言ってバッカスは目を瞑って居眠り始めた。

「そう言えばナンシーに着いたらまたイアンさんと連絡取らないとね」

 私がそう呟くと耳ざとくそれを聞きつけたキールさんが返事を返す。

「ああ、君たち二人の部屋は既に領城内に準備が整ってるそうだ。君たちが連絡しなくても到着したら真っ先に捕まえに来るだろうよ」
「領城って事はあのおっさんの事務所の目の前かよ」
「いや、今後イアンにも執務室を領城内に与える。まあせめて違う階になるから安心しろ」
「それ何の安心にもならねえな」

 そこでガタンと少しばかり船が揺れた。思わず私は黒猫君の腕に自分の腕をしっかり絡ませて握り込む。すると黒猫君がちょっと困った顔をしながらすぐにピートルさんを見やった。

「なあピートル、北に向かう途中で船をスライムが襲う危険があるならこの船シートベルト付けた方がよくねえか?」
「そうだな。だがあゆみ嬢ちゃんはそれだけじゃあぶねえから結局お前の膝の上だろうな」

 やっぱりそうだよね。この船の作りからして安全なシートベルトって難しいんじゃないかな。私にしたら黒猫君のシートベルトより信頼できるものなんてないし。

「結局俺がシートベルト続けるのかよ」

 黒猫君が少し赤い顔でそう言って空を仰いだ。つられて私も見上げると曇ってる。そう言えばここ数日雲が増えてきた。

「キールさん、雨季って本当にもう近いんですか?」
「ああ、大体8の月の初めに降り始める。後……10日で8の月だからそれくらいだな」
「待てキール、今どうやって日にちを確認したんだ?」
「ああ? ああ、お前らにはまだ支給してなかったな。アルディ、見せてやれ」

 キールさんに言われてアルディさんがポケットから手のひらサイズの薄い木の円盤を取り出し黒猫君に手渡す。

「決して安い物ではないので気を付けて扱ってくださいね」

 そう言って手渡された円盤を黒猫君が私の肩の横から覗き込むようにして一緒に見てる。

「これ……時計みたい」
「そうだな。こっちの内側の輪が月で外側が日にちか。30日までしか目盛りないって事は一年は360日で計算してるのか」
「ええ。初代王の頃には年末に数日足す習慣があったそうですが実際の季節と狂いが生じる事からその習慣はなくなったそうです」

 アルディさんが補足してくれるけど、これ凄い!

「こ、これ自動で動いていくんですか?」

 私が目を輝かせてそう聞くとアルディさんが不審そうな目でこちらを見返しながら答えてくれる。

「そんなわけあるはずないでしょう。毎日自分で目盛りを動かすんですよ」

 あ、そうか。じゃあゼンマイもやっぱりないのかな。とはいえ、木製の円盤で内側と外側の輪を別々に動かせる細工と言うのは確かに安いはずないよね。

「これとても貴重な物なんでしょうね」
「ええ、これは軍の支給品の中でも隊長職以上にしか配られません。ネロ君には渡すのを忘れていましたね」
「キーロン陛下の物はもっと素晴らしいですよ」

 アルディさんの説明に続けてテリースさんがそういうとキールさんがにやりと笑って自分の剣の柄をこちらに見せてくれた。

「これはまあ戦利品だがな。この柄の一番底の部分が小さな円盤になってる。薄い鉄板を延ばして作ったのだろう」

 言われてみれば確かにキレイな飾り文字で月の数字が刻まれていた。

「まあ実戦時の実用性には欠けるがな。振り回してる間に動いちまうことがあるんだ」

 キールさんが苦笑いしながら剣を戻す。

「普通の家庭はどうしてるんだ?」
「それは大体街に一か所はアルディの持つような円盤を壁に掛けている店がありますからそこで時々確認するのですよ。まあ大きな商家は同様の物を持っていますがね」

 そっか。紙も安くないもんね。カレンダーを各家庭になんて言ってられないよね。
 それからしばらくカレンダーの話に花を咲かせ昼を済ませて黒猫君の腕の中で私が転寝を始めた頃、バッカスが目を覚まし「ナンシーが見えてきた」とボツリとつぶやいた。私たちにはまだ見えるというよりは丘陵にしか見えない。それでも少しすると黒猫君も視認したみたいでジッとそちらに目を向ける。

「黒猫君も見えてるの?」
「ああ」

 やっぱり黒猫君の視力は全然人間とは違うんだね。ほんの少しだけ寂しい気がした。


 ナンシーの船着場に船が着くとアルディさんがテキパキと指示を出し始める。桟橋には既に沢山の兵士さんと領城の騎士さん達が集まっていた。

「それではあゆみさんとネロ君はこちらの馬車で。バッカスとアントニーはこちらへ」

 そう、今回バッカスのはハビアさんじゃなくてアントニーさんと来てる。アントニーさんの方が北の地域全体の地理に詳しい上に色々便利な人脈もあるらしい。
 アルディさんに言われるままに馬車に乗り換えて領城に向かうと、今回は裏門から中に入って城内に馬車が止まる。そこは少し薄暗い半地下の様な作りで片側が厩になっていた。反対側は荷物置き場らしい。中央の一番奥が城内への入り口になってるようだ。その一番奥の階段のすぐ前に馬車が止まると従者の人がすぐに踏み台を用意して私たちを下ろしてくれる。といってももちろん私は黒猫君に抱えられたままだったけど。

 キールさんとテリースさんを乗せた馬車もすぐ前に停まっていて既に皆馬車を下りていた。キールさん達が城内から出てきた数人の従者に付き従いながらこちらに声を掛ける。

「君たちは一度夕食まで部屋で休んでろ」

 それだけ言って立ち去ってしまった二人に黒猫君と二人取り残され顔を見合わせてると、すぐに仕立ての良い紺のメイド服を着た女性が私たちの前に現れて小さく咳払いした。

「アズルナブご夫妻のご滞在中のお世話をさせて頂きます、メイド長のイリヤと申します。お部屋にご案内させていただきますのでどうぞこちらへ」

 イリヤさんは慇懃に頭を下げて礼をしてからそのまま私たちの目の前でクルリと回れ右して歩き出した。黒猫君はもう一度私の顔を見てちょっと肩をすくめてからイリヤさんの後をついて城内へと歩き出した。
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