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第9章 ウイスキーの街

閑話(番外編):黒猫君と謎のチューブ

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作者より:
ツイッターで話題の猫の餌の話に花が咲いていた最中に素晴らしい絵を頂きましたので急遽番外編を書き下ろしてしまいました。挿絵は頂き物ですので転載禁止でよろしくお願いします。

────

「もうこれ見るの飽きた」

 監査式の仕事を始めて2日目。俺と違ってずっと執務室にこもりきりのあゆみがまたグチグチ言いだした。こいつほんと訳分かんね。自分でやるっていって引き受けてきた仕事なのにやってる間中文句を垂れる。

「じゃあもうあいつらに任せて止めりゃいいだろ」
「……だめ。これは私のお仕事だし。この前の個人台帳もやりきれなかったし」
「だったら文句言わずに手を動かせよ」

 文句言うくせに止めねーのな。どうやら文句はストレス解消の一旦らしい。
 俺は俺で自分の仕事の合間にここに寄っては台帳整理の手伝いをしながらその文句を聞いてやってる。なんのかんので俺もこいつに甘いよな。

「少しは外にでてお休みしてもいいと思う。ちょっと裏の菜園見に行かない?」
「俺今来たばっかりだしいい。お前ひとりで見て来いよ」

 こっちはやっと今新しい作業の手順に追いついて最初の確認作業に取り掛かったばっかりだっつうの。この敷地内なら一人でも大丈夫だろ、そう思って目の前のわら半紙から目も放さずに返事したんだがどうもあゆみは気に入らなかったらしく不機嫌そうに鼻を鳴らして黙り込んだ。
 だが5分もしないうちにあゆみがまた話しかけてくる。

「黒猫君、そう言えば私たちの事故現場でテリースさんがこんなもの拾ってたんだって」

 どうやら本気で作業に飽きたらしいあゆみが執務机の引き出しから何やら取り出した。
 仕方なく手を止めて机越しにあゆみを見ると手の中に赤いチューブ状の小さな袋を握ってる。それを意味ありげに俺に見せつけてから両の手で弄び始めた。

「すっかり忘れてたけどって昨日貰っちゃったの」

 あゆみの手の中でチューブがカサリっと音を立て、何故か尻尾が勝手に立ち上がった。
 な、なんだ今のは?

「黒猫君これ知ってる?」

 そう言ってチューブをチラチラと俺の目の前で左右に揺らす。何だか知らねえが勝手に目がそれを追っちまいそうになるのを無理やり押さえ込んで平常心で返事する。

「いや、見たことねえ。なんだよそれ」
「そっか、黒猫君海外がながいもんね。これ日本で流行ってたんだけどね……」

 そう言いながら何故かあゆみが立ち上がり、杖を突きながら部屋のドアに向かう。ドアを開けながらこちらを振り向き期待を込めた目でこちらを見るあゆみに何故か一抹の不安が心を過った。

「もしかしたら黒猫君が気に入るかもってもらったけど……流石にこれはないよね。これ……」

 そう言ってあゆみが細い指でその子袋の端を小さく裂いた。
 途端!
 あゆみの手元からとんでもない激臭が俺を襲ってきた。
 なんだこの強烈に幸せな香りは!
 考えた時には身体が動いてた。ふらりと勝手に立ち上がりよろよろとあゆみに足が向いちまう。
 なんだ、なんで身体が勝手に追いかけちまうんだ!?

「猫の餌なんだけどね」

 猫の、、、餌?
 ぴたりと足を止めた俺はあゆみを凝視した。
 こいつ、まさか俺に猫の餌食わせる気か?!
 だけどあゆみは嬉しそうにチューブを俺に向けてる。
 やめろ、俺、それは猫の餌だ!
 そう思うのに身体が、身体が……

「食べる?」

 あ、あゆみのバカ、チューブから中身を押し出しやがった!
 チューブの先から中身が溢れ、今にも落ちそうになってつい、つい勝手に身体が飛びついた。
 床に軽く膝をついてあゆみの手の中のチューブから今正にこぼれる寸前のやつを舌で掬う。
 トロリとしたそれがほんの小指の先程度俺の舌に収まった。
 げ、信じらんね、なんだこの訳分かんねー美味さは!
 程よい塩味に久しぶりの魚の旨味。油の粒が舌の上で徐々に溶けて味が伸びていつまでも口に残る。顎の奥が痛んで勝手に大量の唾液がしみだしてきた。つい必死で舐め始めた俺の上から嬉しそうな声が落ちてきた。

「あ、やっぱり食べるんだ」

 く、くそ。
 あゆみの馬鹿、つい飛びついて舐めちまった俺を上から見下ろして嬉しそうに笑ってやがる。

「お、お前、こぼすなよ。床が汚れるだろ!」

 慌てて立ち上がって俺がそう言うとあゆみがまだ微かに笑みの残る顔でわざとらしく聞いてきやがった。

「え? じゃあいらないの?」
「い、いるか、猫の餌なんか!」

 そう答えて背を向けようとしたのにあゆみの手から目が離れない。
 いい加減にしろ。俺は猫じゃね……猫だがそこまではゼッテー落ちねぇぞ!
 唾液を飲み下し、張り付く視線を無理やり振り切ってどうにか椅子に戻ろうとすると後ろであゆみが残念そうにとんでもない事をつぶやいた。

「そっかぁ、やっぱりそうだよね。残念。じゃあこれ開けちゃったしちょっと外の野良猫にでもやってくるね」
「はぁ?」
「野良猫ちゃんたち喜んでくれるかなぁ」
「待て、おい、こら!」

 適当な事言ってたあゆみは既にチューブ片手に厨房に向かってる。あ、こいつ厨房の扉から裏に抜ける気か!
 俺が追いかけ始めたのに気づいたあゆみが笑いながらチューブを振り振り先をいく。
 なんだってあゆみの奴、いつの間に杖であんなに早く歩けるようになってんだよ!
 って絶対あぶねーだろあれ。変に自信もってスピード上げやがって。

「黒猫君いらないんじゃなかったの?」

 裏庭に出た所でやっと追いついたと思ったらあゆみがとうとう杖を放り出して片足でピョンピョンと飛び跳ねる。
 その度にチューブからあの素晴らしい香りが振りまかれて俺の理性を崩してく。
 ついでにお前が跳ねると余計なもんまで跳ねるのに気づけ!
 チューブを、いや、違うあゆみを止めねえと!

「あぶねーだろ、やめろあゆみ!」
「やだよー、だって黒猫君いらないって言ったし……わっ」
「言っただろうが!」

 調子に乗ったあゆみがとうとうバランスを崩して前のめりに庭に倒れそうになるのをギリギリでキャッチした俺は腕の中のあゆみが無事なのを見て小さくため息を付いた。あゆみを見れば嬉しそうにほほ笑みながらこっちを見上げてる。

「ね。少しは外でお休みもいいでしょ?」
「……俺はいいようにここまで誘導されちまったわけか」

 俺は諦めとともにそこに胡坐をかいて座りなおしあゆみを膝に座らせる。
 後ろ手を付いて見上げれば天気はいいし、菜園は元気よく育つ野菜であふれかえってるし木漏れ日が揺れる庭は非常にすがすがしくて気分が晴れるのは確かだった。あゆみも気持ちよさそうに俺の膝の上で木漏れ日を見上げて目を細めてる。

「はい、これはあげるよ。自分で持って食べていいから」

 あゆみが思い出したようにそう言ってチューブを差し出してくるが。

「お前、分かってねえな。そのまま持っとけ」

 俺は膝の上のあゆみにそう言ってあゆみの手をそのまま掴み、あゆみの目を見つめながらチューブの中身をチロチロと舌で掬っては堪能した。
 その様子を目を細めて見てるあゆみの顔が徐々に赤くなってくるのがたまんねえ。
 今の頭の中身は間違っても見せらんねえな、などと思いつつ俺ものどかな短い休憩を楽しんだ。

「あ、因みに後3本違う味のがあるからね」

 あゆみが余計なことを言うまでは。

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