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第9章 ウイスキーの街

21 受難

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 アルディに後を任せて部屋を飛び出した俺はそのまますぐ隣のあゆみの入れられた部屋に飛び込む。

「……ごめんなさい! こんな事、黒猫君しか絶対駄目なの! もう子供でもなんでもいいから今すぐ放して!」

 飛び込んだ俺の耳にあゆみの悲鳴のような声が突き刺さる。
 中の光景が目に飛び込んできて俺の中の何かがブッツリ音を立てて切れた。
 あゆみが裸同然の格好で無防備にレネの身体に組み敷かれてた。あられもないあゆみの体をレネの手が間違いなく抱え込んでやがる。
 ちくしょう、俺のあゆみに何してやがる!
 一瞬で俺の頭がレネを殺すことだけでいっぱいになる。
 いや待て……今、あゆみ俺しか絶対駄目って言ったか?
 高々と燃え上がった俺の怒りはだけど次の瞬間には耳に届いていたあゆみの言葉の意味を理解して一瞬でハリケーンの様に違うものに書き換えられて混乱する。
 だがそんなもんで即目の前のこの状況が許せるわけあるか!

「いい加減にしろ! こっちで一人捕まえたからこんな茶番はとっととおしまいにしろ!」

 一瞬の躊躇いのせいで俺の中で猛り狂う怒りがもどかしい程言葉に乗せきれない。
 沸々と湧きかえる怒りに痛み出した胃を無視して俺は全速でゆみに駆け寄った。
 途中ルーシーと呼ばれた娘を突き飛ばしてしまった気がするが正直その時の俺には気に掛ける余裕はまるっきりなかった。
 あゆみをなんとかレネの身体の下から引きずり出そうとベッドの反対側からあゆみの腕を掴んで力いっぱい引っ張る。だが別に力を入れている様子もないのにレネもしっかりあゆみを掴みこんでいて簡単に引き寄せられない。

「あゆみ大丈夫か?」

 俺がベッドに身を乗り出しながらそう声をかけるとあゆみが涙を溜めた目で俺を見上げる。
 ちくしょう、何をされたんだ!
 怒りが頭の中を真っ白に焼いていく。
 その怒りの全てを視線に乗せてレネを射殺す勢いで睨みつければレネの奴があゆみの上から身体を起こし、俺に向き直ってふざけた答えを寄こしやがった。

「全く。いい所で邪魔をして」
「あゆみに手は出さない約束だったろ!」
「手なんかだしてないよ、ちょっと味見しようとしただけ」

 そう言って俺をあざ笑うように掴んでいたあゆみの手にキスを落とす。
 一瞬で頭に血がのぼってあゆみを掴んでいた手を放してレネを殴り飛ばそうとしたその時。

「あれ、掴まっちゃったのか。困ったね。じゃあ仕方ないからこっちを頂くよ」

 何かが俺たちの間に影を落とし、あっと思った次の瞬間あゆみの身体が宙を浮いて俺たちの手をすり抜けベッドの足元に着地した。

「や、え? ルーシーちゃん?」
「ああ、ルーシーちゃんは今死んじゃったよ。残念だったね」
「え? え!?」

 あゆみの戸惑う声に何かマズい事がが起きているのは分かるが俺からはあゆみの姿しか見えず、何を探しているのかも分からないまま視線をさまよわせる。
 すると一瞬遅れてあゆみの顔が歪みその首に細い子供の腕が一本ギリギリと巻き付いた。

「グッ!」

 俺がベッドから飛び降りて駆け寄ろうとしたその時、あゆみのくぐもった声と共にあゆみの頭のすぐ横にルーシーと呼ばれていた娘の顔がヒョイッと現れた。人とは思えぬ歪んだ笑みを讃えたその顔にはあゆみと一緒に部屋を出た時のあどけなさは見る影もない。一瞬でこれが傀儡だと悟った俺は自分の不明を呪った。
 一人掴まえた事で気が緩んでた。なんでこっちにも誰か来るって思わなかったんだ!

「動かないでね。ほら、今のままでも苦しそうでしょ? もうちょっと力入れたら多分ポッキリいっちゃうよ」

 言葉とともに腕が締まり、あゆみの顔が苦痛に歪み一瞬で俺の身体が凍りつく。
 子供の細い腕の癖にその力は疑いようもなく、あゆみのか弱い首をキツく締め上げ食い込んでいる。
 首を絞められたあゆみの眦からポロポロと涙がこぼれ落ち、その姿が俺の内臓を震えさせた。
 頭に血がのぼっていつもなら確実にブチギレて暴れてる状況なのに、あゆみを人質にされてるせいでキレる事も暴れる事も出来ない。お陰で爆発する場所を失った怒りが俺の頭の中を内側からメチャクチャに焼き尽くしていく。

「さて、この子をもらってこうか? それとも君たちの目の前で殺しちゃった方が面白いかな? どっちがいい?」

 片手一つで軽々とあゆみの首を絞めながら『ルーシー』だった何かは楽しそうに動けない俺たちにそう言って、まるで人形を愛でるように空いたほうの手であゆみの頭を撫でた。

「この子もらって帰ったら皆でいっぱい遊んでから殺してあげる。今なら簡単にポッキリ逝かせてあげる。ほら、そこの猫耳の君、君が選んであげなよ」
「そんな事したらお前もぶっ殺してやる!」
「別に構わないよ。だってこれ僕の身体じゃないし」

 ちくしょう、こいつの言う通りだ。こいつはいつもの傀儡の魔術でこの元『ルーシー』の身体を乗っ取っているだけだ。俺がどうやって脅しても何のためらいもなくあゆみの首をへし折るだろう。
 俺が手出しできいないのを確認した奴は笑みを深くし、余裕をみせながら話しを始めた。

「知ってる? この子さっきまで半分生きてたの。君たちは僕が死体を動かすだけだと思ってるのかな? でもこの子の心はさっきまでちゃんと生きてたんだよ。僕を捕まえた君、ネロ君だっけ? 君がこの子の身体に触ってくれたから僕が起きちゃったんだ。だから君がこの子を殺したようなもんだね」

 なんだこいつ。自分で自分の手の内を明かしてきやがった。そんなことで俺が罪悪感を感じるとでも思ったのか?
 そう考えた俺は甘かった。やつの目は俺じゃなく顔を歪めるあゆみの顔を嬉しそうに見てやがった。
 違う、こいつ俺じゃなくて意識を失いかけてるあゆみを最後まで苦しめるためだけにこんなこと言ってやがるのか!
 殺してやる、どうやってでもこいつの本体を見つけ出して殺してやる!
 いや、あゆみを。あゆみを何とかしねーと……
 怒りが俺の胃を焼き、あゆみを失う恐怖が俺の腸をねじ切ろうとする。感情のメーターが全く違う二つの極限に同時に振り切れて俺は魂ごと揺さぶられてるかのように全身の震えが止められない。

「さて、答えが返ってこないうちにどうやらあゆみちゃんはそろそろ窒息死するみたいだね」

 淡々とした奴の言葉通りあゆみの瞳からは徐々に光が失われ力なく開いた口角から唾液が一本の糸になって垂れ初め、手足から力が抜けていくのが見て取れる。

「いい加減にしろ、この野郎!」
「ビュッ!」
「だめだネロ君!」

 怒りが恐怖をねじ伏せて身体が勝手に飛び出そうとしたその瞬間、奴の腕がギュルリと余計にあゆみの首に食い込んだ。あゆみの口からしちゃいけない類の音が漏れる。腸を鷲掴みにされたような寒気が背筋を駆け上がりまたも俺の足が床に釘付けられたかのようにその場を動かなくなった。

「脅しても無駄だよ。君には何も出来ない。目の前でこの子が死ぬのを見るといいよ。僕みたいに」

 奴の呪いのような言葉が俺の目の前を真っ暗にする。抗い切れない絶望が俺の胸に広がり始めようとしたその時。
 奴が突然顔を歪めた。

「え? ちょっとなにこの子、なんか熱い!?」
「あ、あゆみ?!」
「や、何ちょっと火なんてこんな所で!」

 慌てる奴の腕の中であゆみの身体から滲むように薄っすらと白い炎が立ち上がる。それはまるで枯れ枝を舐めるように勢いを増し、あっという間にあゆみの身体を包み込んだ。

「や、やめろ、抱き着くな! 僕が、僕が燃える、これじゃ逃げられない、やめろやめてくれ!」
「あゆみ落ち着け! やめろお前まで燃えちまう!」
「水、水を誰か!」

 慌てて奴があゆみの身体を引き剥がそうともがくが今度はあゆみがしがみついて逃さない。
 一瞬あゆみが燃えちまうっと焦ったが以前の通りあゆみの炎はあゆみの肌をまるっきり燃やすことなく奴の身体だけを燃やし始めた。肉の焼ける嫌な匂いが部屋に充満し、苦しみ悶える奴の手があゆみを離れて狂ったように宙をかく。
 その炎は娼館の天井と床を焼きカーテンに燃え移って広がり始めた。
 その頃には隣から駆けつけたアルディが俺と一緒に水魔法を放出していたが、俺たちの出す水は延焼を抑える事は出来てもあゆみ自身の炎にはまるっきり効果がない。
 俺たちが消火を続ける後ろでレネが駆け付けた数人の兵士とともに燃え移りそうなものを全て部屋の外に投げ出してる。

「ぎゃぁあああああああああ!」
「あゆみー!」
「うっ! やめろネロ君、もう無理だ、君の方が燃える」

 とうとうあゆみの腕の中の奴の身体が炎を上げ始め、それがあゆみの腕を焦がしだしたのに気づいた俺はあゆみを止めようと水魔法を放り出し炎の中へ飛び込もうとして、すんでのところでレネに取り押さえられた。
 だがそのほんの数秒後あゆみの身体がガクリとその場に崩れ落ちた。どんなに水を掛けてもまるっきり勢いを落とさなかったあゆみの炎はあゆみが意識を失って崩れ落ちた途端、まるで最初っからそこになかったかのように綺麗に消え去った。
 それでもまだ燻り続けるルーシーの遺体と天井から降ってきたカーテンの燃えカスに水を撒くアルディを横目に、俺は床に倒れたままのあゆみの体に真っすぐに駆け寄った。
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