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第9章 ウイスキーの街

14 出待ち

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「口紅紅花綺麗に塗って~♪ 白粉は沢山あばたも隠す~♪」

 な、なんでこんな事になっちゃったんだ。

 内心冷や汗をダラダラ流しながら私は同じ問を胸の中で何度も繰り返してた。
 ただ今私は鼻歌交じりのルーシーちゃんにお化粧をしてもらいながら軽々しくとんでもない賭けを引き受けちゃったほんの1時間ほど前の自分を心の底から呪ってる最中。
 言い訳をさせてもらえばあの時なんだか全然自制心が効かなかったのは多分ここしばらくのストレスと生理のせいだと思う。この時期ってやたらイライラして判断力が無くなるんだよね。だからついムキになってやるって言っちゃった。
 でもそれにしたって救いようもないバカだよ、私。ここのお客様のお相手して満足させるってそれ、単にお話とかしただけで済む話じゃないよね?
 黒猫君とさえ出来ないでいるような事をこんな所で知らないお客さん相手になんて出来るわけがない。
 あの時の私、一体何を考えてたんだ?

 勢いに任せてレネさんに胸張って返事しちゃったけどルーシーちゃんに連れられて隣の豪奢な化粧室に連れ込まれた途端、ガッツリ現実が襲ってきた。
 だってルーシーちゃんが出してきてくれた『今夜のお衣装』はとんでもない代物だったから。
 ビキニのように上下一組の『お衣装』はまるで日本製の下着か水着みたいに最低限の生地しか使ってない。ワイヤーとか入ってないし立体的に作られてるわけでもないのに柔らかい生地が肌にまとわりついて勝手に色気を作り出してる。薄い上品なピンク色で可愛いけどね、色々綺麗なチェーンとかガラス玉とかが付いててもこの頼りなさはやっぱり頑張っても水着にしか見えない。
 こんなもの、この世界にもあったのか。
 最初見た時はその生地の少なさだけで「こんなの絶対着られない、無理!」ってはねつけてたんだけど途端ルーシーちゃんがシュンとして「レネ様に自分が怒られますぅ~」って怯えて泣き始めてしまった。しくしくと泣き続けるルーシーちゃんをなんとかなだめながら安心させるために、私は仕方なくこの頼りないお衣装に着替えることになっちゃった。
 こんな物、この時期に着るようなもんじゃ絶対ない! 『排泄物処理』の魔術だけじゃ心配で詳しくは言えないけどちょっと中に工夫した。
 この水着モドキの上に丈の長い薄手のガウンを着せられて、これでお衣装は本来完成らしい。だけどこんな丸見えのまま外に出るなんて私はどうやっても我慢できなくて「冷え性で寒くてどうにもならないの」っと偽ってルーシーちゃんを泣き落として大ぶりのショールのようなものを手に入れた。それをガウンの上からかけるというよりは巻きつけて見える肌の範囲を最低限に抑えた。

 よっぽど慣れているのかルーシーちゃんは本当に手早い。服を着替えたと思ったらあっという間に化粧を施されその上なんかすごくいい匂いのする香油まで塗り込まれてしまった。
 ルーシーちゃんにされるがままに準備が進んじゃったけどどうしよう。このまま行くと次は本当にお客さんの相手をすることになっちゃうよ。
 ああもう、なんで私ったらこんなこと請けおっちゃったんだろう。黒猫君は何度もとめようとしてくれてたのに。
 こうなったらこの際賭けの結果なんてどうだっていいから今すぐ逃げ出したい。
 っていうか最初から無理があり過ぎる。たちえどんなに頑張っても私なんかじゃ誰も満足はしてもらえないだろう。
 客観的に見て胸だけはそこそこあるけど他には特に見栄えするような体型じゃないし。顔だって取り立てて可愛いわけでもない。人に合わせるのは出来るけど人を喜ばせるような会話術も持ってない。
 最近では自分が片足な事を気にする事もなくなってたけどここではあまり喜ばれるとも思えない。
 いっそ一目でお客さんに嫌われればその場でごめんなさいできるかもしれない。
 ただルーシーちゃんが私の肌や髪に塗り込んでくれたなんかいい匂いのする油の甘い匂いの効果なのかさっきっからなんか酔っぱらっちゃったみたいに頭がクラクラしてる。私でさえクラクラするんだからこれもしかするとお客さんにも効くのかもしれない。そしたら判断力なくなっちゃって私みたいのでも襲ってくるかも。どうしよう凄く不安だ。

「ル、ルーシーちゃん、あのね……」
「お姉さん、お部屋移ろうね。ほらお手て貸して、ルーシーがちゃんとお部屋までご案内するの」

 凄く嬉しそうにそう言われてしまって私はまたも嫌だという機会を逃してしまった。
 ルーシーちゃんが私の手を引いて向かったのは3階のレネさんの部屋の真向かいにある小さな小部屋だった。そこは他の部屋のように格子のはまった窓がない。代わりに少し大きめの扉を開くと狭いながらも綺麗に整えられた部屋が現れた。全体に暗い紅を基調にした落ち着いた色調で纏められている。
 ‎室内は薄いカーテンで手前と奥に仕切られていて手前には椅子と小さなテーブルがひとつ、その奥には広々とした背の低いベッドとそのすぐ横に美しい飾りが施された小さなテーブルが一つ。
 部屋には窓が一つもない。代わりにベッドの向こう側は美しい布が掛けられていて両横の壁にはどこかの海辺に開いた窓の景色が描かれていた。
 ベッドサイドのテーブルには何やら幾つもの美しい釉薬のかけられた壺と小さな銀の盃が2つ置かれてる。多分あれってお酒だよね。
 ‎当たり前だけどお客様を迎えるためだけに整えられた部屋の様子に入った途端に顔が引きつった。
 そのまま回れ右して逃げ出したい私の気持ちなんてまるっきり気付かずにルーシーちゃんが私の手を引いてベッドの上に座らせてショールをはいで薄手のガウンを綺麗に整えてくれる。
 うわ、どうしよう。逃げる算段をつける前に準備が整っちゃった!

「お姉さん、とっても綺麗だよ。これからお客さんが来るまでお話ししましょう?」

 私の様子を一歩下がって確認し、満足そうに見上げたルーシーちゃんがそのままベッドの横に腰掛けて目を輝かせて話しかけてきた。

「え? そ、そうね」

 結局ここまでここから逃げ出すチャンスを全く見つけられなかった私はただただ内心焦りまくりながらルーシーちゃんに何となく返事を返した。
 どうせどうしたらいいのか分からないならいっそルーシーちゃんとお話しして機会をみて逃がしてくれるようにお願いしてみよう。

「お姉さんは本当はすごく偉い人なんだよね?」

 ルーシーちゃんはなにか凄く期待を込めた目で見上げてくるけど。

「偉いって言えば偉いのかな。国王陛下になっちゃったキールさんの秘書官をしてるんだよ」
「王様! ……秘書官て何?」

 いい質問だ。今度キールさんに聞いてみよう。じゃなくてとりあえず自分がしてることを説明すればいいかな?

「えっと、キールさんが必要なことをなんでもする雑務係みたいなものかな?」
「そうなんだ。じゃあレネ様にとっての私たちみたいな感じかな?」
「ルーシーちゃんはレネさんに仕えてるの?」
「えっと私とあと2人はレネ様付きの小間使いだよ。褥の準備やお手伝いをするの。この部屋も普段はレネ様が使うんだよ」

 ああ、そっか。ここレネ様専用の特別室だったんだ。でもちょっと待って……

「今褥のお手伝いするって言った?」
「うん。お客様が来たらお洋服を脱がせたりレネ様の洋服を脱がせたりするの。頼まれたらお薬や飲み物を出したり……」
「えっと、それずっとここにいるってこと?」
「そうだよ。だって私もいずれここの娼婦になるんだから今はお勉強中」

 胸がズキンと痛んだ。頭も痛い。
 えっとルーシーちゃん、どう見てもダニエラちゃんと変わらないような歳だよね?

「ルーシーちゃん、どうしても娼婦になるの? 他になりたいものはないの?」

 私の質問にルーシーちゃんがキョトンとして私を見返した。

「他の物になるなんてありえないもん。だって私ここの子だから」

 ……えっとこれってルーシーちゃんはここのお店に買われてるってことだろうか?

「私の初出しはレネ様が手伝ってくれる約束なんだ。多分3年後くらいになるって言ってた」

 ルーシーちゃんは凄く自慢げにそう言ってるけど。それって3年後にはお客様のお相手をするってこと、だよね。

「待って、ルーシーちゃんは別に奴隷なわけじゃないよね? だったらどうしてここを出ていかないの?」
「だって私が出て行っちゃったらレネ様もお父さんも困っちゃうもん」

 ルーシーちゃんがなんでこんな当たり前のことを聞くんだって顔で答えてくれる。

「だって私もご飯食べたいし、お父さん両足ないから私のお金でお兄ちゃん達が世話してるの。お兄ちゃん達もたまにここに来て働いてるんだよ。だからルーシー寂しくないの」

 そう言ったルーシーちゃんの表情には悲壮な様子はまるっきりなくこっちの方が戸惑ってしまう。
 私が言葉に詰まってると今度はルーシーちゃんが私を見上げて質問してきた。

「お姉ちゃんはどうしてそんなに偉くなれたの?」
「え?」
「だってお姉ちゃん片足ないし、女だし、歳も若くないよね。ここにも同じような姉様がいるけど言ってたよ。私には他に生きようがないって」

 途端、あの日黒猫君と井戸端で話したことを思い出した。
 あの日私はここに来るかそれとも治療院に残るか聞かれたんだった。あの時確かにここに来る選択はあそこに残るのと同じくらい堅実な生きる道だった。
 だけどあの日私があそこに残ることを決められたのは多分黒猫君のお陰だ。辛くて苦しくて泣くほど大変だったけどそれでもあの日黒猫君がなんとかあそこで生きていく道筋を示してくれたから私はあそこに残ることが出来た。それに加えてテリースさんやキールさんも助けてくれた。パット君やピートルさん、アリームさん、それから沢山の人がまた助けてくれて。

「お姉ちゃん、なんで泣いてるの?」
「あれ? ホントだ。なんで泣いてるんだろう」

 勝手に溢れだした涙は思っていた以上に止めようがなかった。
 そして私の顔が涙に濡れて化粧が剥げ落ちそうになったその時、コンコンと扉を叩く音が部屋に響いた。
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