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第9章 ウイスキーの街

11 徴税

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「収穫祭、楽しかったな~。結婚式も良かったな~。戻りたいな~」

 私はぶつぶつと文句を言いながら羽ペンをインク壺に漬けて余分を振り落とす。
 目の前の用紙とその横にうずたかく積まれた記入済みのフォームを見てため息をついた。

 あれから三日。
 私も黒猫君もほとんど寝てない。
 収穫祭が終わった途端、私たちのエンドレスな徴税週間が始まった。
 有難いことにタッカーさんの案をもとにした記入フォームは既にアリームさんの工房のお弟子さんが簡単な木版に起こしてくれたので用紙は大量に準備出来ていた。それでも監査式に変えたことで私たちの関わる仕事量は莫大になってしまっていた。

 基本的にポールさんたちがそれぞれの商家やお店に出向いて帳簿に抜けがないか、おかしな取引がされてないかってなことを確認しながら監査用の記入フォームを書き入れて来てくれている。
 パット君も元地元の貧民街をまわってくれている。今まで税金を払っていなかった彼らのために私たちは小さな事業サイズに控除を設定した。それを超えた商売以外は登録するだけで済む。それどころか寄付金も共済費も控除されるからメリットの方が大きいし皆進んで登録してくれてるらしい。
 サイズの大きな商売に関しては登録していないと今後ナンシーとの交易が盛んになった時に大きな取引からはじき出されるリスクを説明して登録をお願いしている。
 パット君には出来るだけダーレンさんが付いて回って根回しを手伝ってくれているから思っていた以上に進んでくれている。

 そうやって皆が持ち帰ったデータを私と黒猫君が計算して街の収益の計算や個人台帳と照らし合わせておかしなところがないかなんてのを確認してファイルしてるのだ。
 だけどどうやっても一番この街の会計事情を理解してるタッカーさんが独房から出られないのが痛い。
 何か問題が起きる度にビーノ君をタッカーさんのもとに送って確認してもらってる。
 黒猫君は黒猫君で他にもバッカスと話し合いをしに行ったり風車や水車小屋を見に行ったり忙しくてあまり頼りにならない。今日も朝方戻ってきてそのまま倒れるように寝ちゃってた。会計の仕組み自体も私ほどは理解するつもりもないみたいで、たまにこうやって計算だけ手伝いに来てくれてる。
 そんなこんなで私の作業が遅々として進まず、今日で3日経ってもやっと半数くらいが終わったところだ。

「黒猫君、ちょっと火魔法使ってもいい?」
「んあ? なんに?」
「え、もう残りは燃やしちゃおうかなって」
「馬鹿言ってないで手を動かせ」
「黒猫君だってもう嫌だって思ってるくせに」
「お前が始めた事だろ」

 う、それを言われてしまうともう何も言えない。確かに個人台帳は私が原案を出したけどね。だけどまさかここまで事が大ききくなるとは思ってなかった。
 個人台帳も同様の苦労があったとはポールさんたちも言ってたけど、少なくともそれぞれがここまで来てくれていただけましだった。
 私たちがこんな事をしている間もキールさんは農村の収穫の確認と徴税に手を焼いている。
 あの後黒猫君がバッカスたちと話し合って森の警備と船着場からの道の整備、そしてそれがすむまでの荷運びは彼らが手伝ってくれることになった。
 代金は今の所完全に借りになっちゃってる。困ったことにバッカスは全然お金に興味を示さない。代わりに北の森に行って狼人族の女性や子供たちを連れ帰ってくる事で返して欲しいって言われたそうだ。黒猫君はもちろん出来る限りのことをすると約束したけど必ず連れ帰れるとは言えなかったみたいだ。そりゃそうだよね。

「そろそろ出発になっちゃうよね」
「ああ、明日には荷造り始めて明後日にはナンシーに向かうって言ってたな」
「これ、絶対間に合わないよね」
「言うな。残りはポールたちに頑張ってもらうしかない」

 すでにやり方はしっかり引き継げているので時間はもっとかかるかもしれないけど多分問題はないと思うんだけど、またやりかけで手を引かなきゃならないのが私としてはすごく気分悪い。

「せめて娼館の徴税は終わらせたいね」
「ああ。午後には行くからな。それよりあゆみ、体調はどうだ?」
「……だから大丈夫だって。何度も聞かないで」

 そう、実は今朝から生理が始まった。すぐに気づいた黒猫君が部屋に入れないっていって出てっちゃった。
 でも今回はテリースさんのお陰で準備万端だ。下着は少し工夫したけどこの通り定期的に魔術を使うだけで普段通りの仕事が出来ている。ついでにテリースさんが研修の一環としてもう一つ、嗅覚限定の軽い「痛覚隔離」を教えてくれたので今の所黒猫君も私の匂いが分かりにくいようにしてあげられている。

「俺しかいないんだから体調が悪くなったらいつでも言えよ」

 ジッと私を見つめながらそう言ってくれる黒猫君が私を気遣ってくれてるのはよく分かってる。分かってるけどね。こんな事、普通誰にも言わないから!

「分かったから」

 それだけ言って私は顔を伏せて仕事に戻った。

「やっぱり娼館は俺一人で行ってきた方が良くないか?」

 またその話か。
 タッカーさんが予想していた通りやっぱり娼館は素直に監査式を受け入れてくれなかった。
 今日はナンシーのギルドから届いた手紙を持って私と黒猫君、二人の秘書官による視察という形で無理やり監査を強行するつもりでいるんだけど。黒猫君がなんのかんの理由をつけては私を置いていこうとするんだよね。
 無論、私たちの他にも数人兵士の人には来てもらうけどメインは私たち二人だ。監査方法は基準があるから確かに黒猫君だけでもある程度出来るかもしれない。出来るかもしれないけど。
 場所が場所だから黒猫君が一人だともしかすると誘惑とかされちゃうかもしれないし。
 いいけどね、それも黒猫君の自由なんだし。いいんだけどね。……やっぱり良くない。

「……私も行くから」

 私がうつむいたままそう言ったら机を挟んで目の前で作業していた黒猫君の手がスッと伸びてきて私の顎に指を掛け、クイっと顔を上げさせてジッと覗き込む。

「お前、時々何考えてるか分かりにくい。もしかして俺の事心配してたりするのか?」
「そ、そんな事……!」

 最近黒猫君は前みたいな遠慮がなくなっちゃった。ちゃんと結婚したんだし、徐々にだけど関係も進展してるんだし、それはそれで悪い事じゃないはずなんだけど。だけどこういう時、前なら少しは私に逃げる余地をくれてたのに最近はどこまでも私を追い込んでくる。私が赤くなっても手を放してくれない。

「心配するようなことはなんもないぞ」

 そういってポンポンと私の頭を叩きながら自分の書類仕事に戻っちゃった。
 なんかなー。どうも最近完全に黒猫君に見透かされてる気がするよ。
 私は黒猫君の気軽に仕掛けてくるこんな動作一つ一つにドキドキしてるのに、黒猫君はこんな事しても顔色一つ変えないしほんと余裕ありげでなんかすごく悔しい。

「そこまで言うなら一人で行けばいいじゃん」

 ちょっとむきになって私がそう言うと黒猫君がピクンと耳を立てながらもう一度私を見た。そのままクッと片方の口角を上げてちょっと意地悪に笑う。

「あゆみ、お前本当に可愛いのな」
「黒猫君のバカ!!!」

 カッと頭に血がのぼって私は今やってた台帳をバンッと音を立てて閉じて立ち上がった。そのまま杖を突いて扉へ向かう。

「怒ったふりして逃げ出すの禁止。それ終わらないと出られないだろ。とっとと終わらせろ」
「うぅ~!」

 背中からかかった黒猫君の言葉に私は唸り声を上げながらもそこで立ち止まるしかなかった。
 容赦ない黒猫君は私の気も知らないで平気でそう言って自分の仕事を続けてる。悔しいけど黒猫君の言う通りなので言い返すこともできない。仕方なくもう一度自分の椅子に戻った私は大きなため息を一つついてうんざりしながら残りの書類と向き合った。
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