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第9章 ウイスキーの街
9 奉納舞
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「いい結婚式だった」
あゆみを抱えて舞台を下りた俺の目の前にキールが立ちはだかった。
今の勝負でまだ高揚してるところに声を掛けられてちょっとムッとしたが、短く「ああ」と答えて通り過ぎようとするとキールがそのまま俺を引き留める。
「ネロ、悪いんだがまだこれで終わりじゃないんだ」
「はあ?」
「いや、本来は結婚式を終えた奴らはそのまま自分たちの家に向かうわけだがお前らまだ自分の家もないだろ」
あ。そうだった。
「それにな。お前にはまだやってもらわなきゃならない事がある。あゆみをもう一度ヴィクに預けて一緒に来てくれ」
「マジかよ」
腕の中のあゆみを見下ろすとちょっと困った笑顔でこっちを見上げてる。分かってる、こいつが言いそうなことは。
「黒猫君、行ってきなよ。キールさんがわざわざそう言うんだから多分重要な事なんだよ」
やっぱりな。こいつの場合、こういう時に嫌になるくらい公私混同が出来ない。って言うか、自分の事を大切にしようとしない。
「キール、先に説明しろ。俺に何をさせるつもりだ」
俺は誰かのいいように振りまわされ続けるのは性に合わない。ジロッとキールを睨みながらそういうとキールが小さく頷いて俺たちを舞台から遠ざけながら説明を始めた。
「この後に神にささげる奉納の舞が行われる。その間、あの柱の所で生き神として見ていてやって欲しいんだ」
「ああ? なんで俺が!」
「猫神。お前をそう信じて崇めたい奴らが山ほどいるんだよ」
「そんなの知るかよ」
「今それをしないと今夜辺りお前の部屋に押しかけるぞ、あいつら」
「や、そ、それは余計ひでえじゃねえか」
「だから納得させるためにもこの役をやってもらうしかない。俺も国王として同席する」
そういうキールも何故かあまり乗り気には見えなかった。まあ、こいつもそう言う担ぎ上げられるようなことは元来好きじゃなさそうだしな。
はぁっとため息をつきつつ、俺は諦めてヴィクを見る。
「悪いけどあゆみを頼む」
「任せてくれ。ネロ殿が戻るまで他の男は誰も近づけないと約束しよう」
冗談抜きでそう返してきた生真面目なヴィクにほっとする。
しかたねえ。乗りかかった船ってやつか。俺はトボトボとキールの後ろをついていった。
「ヴィクさん、何度もごめんね」
「気にするなあゆみ。そのドレスであゆみが自分で歩くのは自殺行為だから」
クスクス笑いながらヴィクさんが私を抱えて広場の真ん中あたりまで移動してくれる。今日のヴィクさんは同じく紺の礼服を着込んでいた。
もしかすると黒猫君よりヴィクさんにお姫様だっこで抱えられていた方が絵になってるのかもしれない。それくらいヴィクさんは軍服がピッタリ似合っていて華やかな顔立ちと相まって本当に凛々しい。ただ、最近少し髪を伸ばし始めたみたいだから今はボーイッシュってくらいで女性に見えなくもなくなってきた。だけど私を抱えたヴィクさんを羨望のまなざしで見る女性は結構多い。
「ヴィクさん、なんか私嫉妬の視線で焼き殺されそうだよ」
「なんのことだ?」
ヴィクさん、こういうことに鈍感なのはお互い様だね。結婚式が全て終わって全体に少しばらけた人々はそれぞれ好き勝手にお酒を飲んだり食べたりしてる。
「あゆみもお腹空いたかい?」
「んー、空いたことは空いたけど、このドレスで食べたくない。間違っても汚したくないよ」
「なら汚れない食べ物を探そうか」
そう言ってるとすぐにアルディさんが後ろから追いついてきた。
「ヴィク、そこの席に座るといい。あゆみさん、あっちでサンドイッチを作ってもらったの、食べるでしょう?」
広場にはところどころ申し訳程度にテーブルと椅子が置かれてた。
ちょうど立ち止まった目の前のテーブルの面々が私の様子を見て席を譲ってくれた。
「ありがとうございます」
「いえいえ、猫神様の巫女様。来年も豊穣が訪れますように」
お礼を言った私に何故かあちらが手を合わせて頭を下げる。
うわ、私まで黒猫君のとばっちりで拝まれちゃってるよ。
「あゆみのお陰で座れるね」
そう言ってヴィクさんは気にもとめずに私を座らせてくれた。
「タイザーはないですしネロ君からいい使ってるから残念ながらあゆみさんにはお水で我慢してもらいます」
「お水の方が嬉しいです、もう喉乾いちゃって!」
舞台の上で力込めて黒猫君の応援してたからすっかり喉がカラカラになってた私は手渡された木のコップに入れられた水を一気に飲み干そうとしてふと気づいた。
あれ? なんか今ちょっと甘かった。
驚いて見上げるとアルディさんがニヤニヤしながらこっちを見てる。
「お砂糖ですよ。今日は特別ですからね。お酒の飲めないあゆみさんにだけトーマスからせしめた砂糖を内緒でちょっと入れてきました」
「うわ、凄い、お砂糖本当にできたんですね」
あっちにいた時には当たり前にいつでも手に入ったお砂糖だけどここに来て以来初めて口にした。ほんの少し、独特の苦みがある。多分作り方が違うのかな。
「やっぱり美味しいですね。早く沢山作ってもっと皆で使えるようになって欲しい」
手の中のコップを見つめてため息が落ちる。
「多分そう遠くないうちに出来ると思いますよ。少なくともこことナンシーではね」
「え、そうなんですか?」
「非常用の貯蓄はかなり出来たそうです。今回ここに来る時に積んだ荷物にはテンサイと砂糖も入ってました。テンサイは治療院の裏でも栽培を始めたそうですよ。トーマス曰くすごい勢いで広がってるそうです。ミッチとダニエラもすっかり作り方を覚えたようですし」
「凄いですね、お砂糖入りのお菓子も作れる日が来るのかな」
「お菓子、ですか。あまりお目にかからないですね」
「え? あ、そう言えば見た事なかったですね」
毎日食事が出来る事がいつの間にか凄く大切な事になっててそう言えば間食をしたこと無いのに気づいてなかった。
「お菓子、そのうち作りましょう。クッキーくらいならレシピ思い出せると思うし」
「クッキーですか。ま、まあまずはトーマスと相談してみてください。予算もあるでしょうし」
「そうですね」
うーん、そっか。バターも安くないみたいだしミルクも貴重。小麦粉はこのままいけば何とかなりそうだけど卵も貴重。お砂糖だけの問題じゃないもんね。
「あゆみ、始まる」
考えに浸ってた私はヴィクさんに肩を叩かれてフッと前を見た。少し離れた舞台の一番向こう側は中央の柱のすぐ横になってる。そのすぐ前に黒猫君とキールさんがお雛様のように二人並んで座ってた。なんかちょっと簡単な天幕みたいなものまで設えられてて凄く偉そうだ。
その前に数人の男女が跪いてる。
音楽が止んだことに気づいた広場が徐々に静まり返って雑音が消えた途端、ゆっくりと音楽が流れ始めた。静かな音楽に乗せて跪いていた男女が踊り出す。
全員おそろいの白っぽい衣装に麦の冠、手首足首には鈴が結び付けられてて踊りに合わせて涼しげな鈴の音が響く。静かだった音楽はやがてだんだん勢いを増し、陽気な調べを繰り返しながらスピードを増していく。
それに遅れる事なく男女が手を叩き足を振り上げて踊る様は何とも楽しげだった。
最後の音とともに全員がバンっと膝をついて最初と同じ体制で跪いた。
っと。
空から。
風に乗ってひらひらと何処からともなく花びらが舞ってきた。まるで舞台の演出のように今踊り終わった面々の上に降り注ぐ。
息をのむ音がいくつも聞こえて誰も暫く声が出なかった。
「は、柱の上!」
誰かが叫んだ。その途端、その場のほぼすべての人が柱の上を見た。
そこには、確かに人影らしきものが見える。見えて……手を振った?
そしてすぐにかき消したように何もなくなった。
「神様がお喜びになられたじゃ! 今年の舞は最高じゃ!」
村長の興奮を隠しきれない叫びに続いて広場中の皆がワンワンと歓声を上げた。
「すごい……」
「ええ……僕も始めて見ましたよ」
「やっぱりネロ殿とあゆみは神と繋がりがあるのかもな」
最後のヴィクさんの言葉は何故か深く私の胸に突き刺さった。
あゆみを抱えて舞台を下りた俺の目の前にキールが立ちはだかった。
今の勝負でまだ高揚してるところに声を掛けられてちょっとムッとしたが、短く「ああ」と答えて通り過ぎようとするとキールがそのまま俺を引き留める。
「ネロ、悪いんだがまだこれで終わりじゃないんだ」
「はあ?」
「いや、本来は結婚式を終えた奴らはそのまま自分たちの家に向かうわけだがお前らまだ自分の家もないだろ」
あ。そうだった。
「それにな。お前にはまだやってもらわなきゃならない事がある。あゆみをもう一度ヴィクに預けて一緒に来てくれ」
「マジかよ」
腕の中のあゆみを見下ろすとちょっと困った笑顔でこっちを見上げてる。分かってる、こいつが言いそうなことは。
「黒猫君、行ってきなよ。キールさんがわざわざそう言うんだから多分重要な事なんだよ」
やっぱりな。こいつの場合、こういう時に嫌になるくらい公私混同が出来ない。って言うか、自分の事を大切にしようとしない。
「キール、先に説明しろ。俺に何をさせるつもりだ」
俺は誰かのいいように振りまわされ続けるのは性に合わない。ジロッとキールを睨みながらそういうとキールが小さく頷いて俺たちを舞台から遠ざけながら説明を始めた。
「この後に神にささげる奉納の舞が行われる。その間、あの柱の所で生き神として見ていてやって欲しいんだ」
「ああ? なんで俺が!」
「猫神。お前をそう信じて崇めたい奴らが山ほどいるんだよ」
「そんなの知るかよ」
「今それをしないと今夜辺りお前の部屋に押しかけるぞ、あいつら」
「や、そ、それは余計ひでえじゃねえか」
「だから納得させるためにもこの役をやってもらうしかない。俺も国王として同席する」
そういうキールも何故かあまり乗り気には見えなかった。まあ、こいつもそう言う担ぎ上げられるようなことは元来好きじゃなさそうだしな。
はぁっとため息をつきつつ、俺は諦めてヴィクを見る。
「悪いけどあゆみを頼む」
「任せてくれ。ネロ殿が戻るまで他の男は誰も近づけないと約束しよう」
冗談抜きでそう返してきた生真面目なヴィクにほっとする。
しかたねえ。乗りかかった船ってやつか。俺はトボトボとキールの後ろをついていった。
「ヴィクさん、何度もごめんね」
「気にするなあゆみ。そのドレスであゆみが自分で歩くのは自殺行為だから」
クスクス笑いながらヴィクさんが私を抱えて広場の真ん中あたりまで移動してくれる。今日のヴィクさんは同じく紺の礼服を着込んでいた。
もしかすると黒猫君よりヴィクさんにお姫様だっこで抱えられていた方が絵になってるのかもしれない。それくらいヴィクさんは軍服がピッタリ似合っていて華やかな顔立ちと相まって本当に凛々しい。ただ、最近少し髪を伸ばし始めたみたいだから今はボーイッシュってくらいで女性に見えなくもなくなってきた。だけど私を抱えたヴィクさんを羨望のまなざしで見る女性は結構多い。
「ヴィクさん、なんか私嫉妬の視線で焼き殺されそうだよ」
「なんのことだ?」
ヴィクさん、こういうことに鈍感なのはお互い様だね。結婚式が全て終わって全体に少しばらけた人々はそれぞれ好き勝手にお酒を飲んだり食べたりしてる。
「あゆみもお腹空いたかい?」
「んー、空いたことは空いたけど、このドレスで食べたくない。間違っても汚したくないよ」
「なら汚れない食べ物を探そうか」
そう言ってるとすぐにアルディさんが後ろから追いついてきた。
「ヴィク、そこの席に座るといい。あゆみさん、あっちでサンドイッチを作ってもらったの、食べるでしょう?」
広場にはところどころ申し訳程度にテーブルと椅子が置かれてた。
ちょうど立ち止まった目の前のテーブルの面々が私の様子を見て席を譲ってくれた。
「ありがとうございます」
「いえいえ、猫神様の巫女様。来年も豊穣が訪れますように」
お礼を言った私に何故かあちらが手を合わせて頭を下げる。
うわ、私まで黒猫君のとばっちりで拝まれちゃってるよ。
「あゆみのお陰で座れるね」
そう言ってヴィクさんは気にもとめずに私を座らせてくれた。
「タイザーはないですしネロ君からいい使ってるから残念ながらあゆみさんにはお水で我慢してもらいます」
「お水の方が嬉しいです、もう喉乾いちゃって!」
舞台の上で力込めて黒猫君の応援してたからすっかり喉がカラカラになってた私は手渡された木のコップに入れられた水を一気に飲み干そうとしてふと気づいた。
あれ? なんか今ちょっと甘かった。
驚いて見上げるとアルディさんがニヤニヤしながらこっちを見てる。
「お砂糖ですよ。今日は特別ですからね。お酒の飲めないあゆみさんにだけトーマスからせしめた砂糖を内緒でちょっと入れてきました」
「うわ、凄い、お砂糖本当にできたんですね」
あっちにいた時には当たり前にいつでも手に入ったお砂糖だけどここに来て以来初めて口にした。ほんの少し、独特の苦みがある。多分作り方が違うのかな。
「やっぱり美味しいですね。早く沢山作ってもっと皆で使えるようになって欲しい」
手の中のコップを見つめてため息が落ちる。
「多分そう遠くないうちに出来ると思いますよ。少なくともこことナンシーではね」
「え、そうなんですか?」
「非常用の貯蓄はかなり出来たそうです。今回ここに来る時に積んだ荷物にはテンサイと砂糖も入ってました。テンサイは治療院の裏でも栽培を始めたそうですよ。トーマス曰くすごい勢いで広がってるそうです。ミッチとダニエラもすっかり作り方を覚えたようですし」
「凄いですね、お砂糖入りのお菓子も作れる日が来るのかな」
「お菓子、ですか。あまりお目にかからないですね」
「え? あ、そう言えば見た事なかったですね」
毎日食事が出来る事がいつの間にか凄く大切な事になっててそう言えば間食をしたこと無いのに気づいてなかった。
「お菓子、そのうち作りましょう。クッキーくらいならレシピ思い出せると思うし」
「クッキーですか。ま、まあまずはトーマスと相談してみてください。予算もあるでしょうし」
「そうですね」
うーん、そっか。バターも安くないみたいだしミルクも貴重。小麦粉はこのままいけば何とかなりそうだけど卵も貴重。お砂糖だけの問題じゃないもんね。
「あゆみ、始まる」
考えに浸ってた私はヴィクさんに肩を叩かれてフッと前を見た。少し離れた舞台の一番向こう側は中央の柱のすぐ横になってる。そのすぐ前に黒猫君とキールさんがお雛様のように二人並んで座ってた。なんかちょっと簡単な天幕みたいなものまで設えられてて凄く偉そうだ。
その前に数人の男女が跪いてる。
音楽が止んだことに気づいた広場が徐々に静まり返って雑音が消えた途端、ゆっくりと音楽が流れ始めた。静かな音楽に乗せて跪いていた男女が踊り出す。
全員おそろいの白っぽい衣装に麦の冠、手首足首には鈴が結び付けられてて踊りに合わせて涼しげな鈴の音が響く。静かだった音楽はやがてだんだん勢いを増し、陽気な調べを繰り返しながらスピードを増していく。
それに遅れる事なく男女が手を叩き足を振り上げて踊る様は何とも楽しげだった。
最後の音とともに全員がバンっと膝をついて最初と同じ体制で跪いた。
っと。
空から。
風に乗ってひらひらと何処からともなく花びらが舞ってきた。まるで舞台の演出のように今踊り終わった面々の上に降り注ぐ。
息をのむ音がいくつも聞こえて誰も暫く声が出なかった。
「は、柱の上!」
誰かが叫んだ。その途端、その場のほぼすべての人が柱の上を見た。
そこには、確かに人影らしきものが見える。見えて……手を振った?
そしてすぐにかき消したように何もなくなった。
「神様がお喜びになられたじゃ! 今年の舞は最高じゃ!」
村長の興奮を隠しきれない叫びに続いて広場中の皆がワンワンと歓声を上げた。
「すごい……」
「ええ……僕も始めて見ましたよ」
「やっぱりネロ殿とあゆみは神と繋がりがあるのかもな」
最後のヴィクさんの言葉は何故か深く私の胸に突き刺さった。
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