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第9章 ウイスキーの街

7 収穫祭1

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「あゆみ動かないでくれ」
「そ、そんな事いっても凄くくすぐったいよこれ!」

 私があんまりクネクネ動くものだからとうとうヴィクさんに怒られた。
 だってほんと、凄くくすぐったい!
 ヴィクさんの仕立ててくれたウエディングドレスをただ今着付け中。
 ここではウエディングドレスの色は何色でもいいらしいんだけど初代王の好みでやっぱり白いドレスが一番ポピュラーらしい。紺の礼装で出るらしい黒猫君に合わせて私のドレスは薄い水色だった。
 珍しい上下に別れたドレスは下は生地を重ねて膨らませてあって上はボレロのように短い裾、半袖に首周りが少し立ち上がった襟のデザイン。上だけ見ればちょっとチャイナドレスみたい。それに白い小さな魔石がいくつも縫い留められていた。私の魔力が流れるとチラチラとそれが輝く。
 ああ、私の魔力結構気づかないうちに漏れてるんだね。気をつけよう。
 
「ヴィクさん本当に器用だよね。この生地どうしたの?」
「ああ、キーロン陛下から下賜されたんだよ。今まで扱った事もない凄く上質な生地で裁断するとき手が震えた」

 ヴィクさんが裾を掴んで生地を確かめながらニンマリと笑った。
 
「そんな、一回しか着ないドレスにそんないい生地を使うなんてもったいない」

 私の現実的な意見は着付けを手伝っていたクロエさんとヴィクさんの二人から凄い眼差しで押し返された。

「あゆみ、これは一生に一度の結婚式なんだよ。無駄なんて馬鹿なこと言ってないで素直に喜べばいい」
「そうですわ。それにこのデザイン、あゆみ様に本当によく似合ってらっしゃる」

 そう言ってクロエさんがうっとりと私の姿に見とれてる。そう言ってくれるのは嬉しいけど残念ながら全身が見えるような鏡なんてここにはないから自分がどんな風になってるか全然分からない。

「クロエさんも凄く素敵ですよ、そのピンクのドレス」

 私がそう言うとクロエさんが少し照れたように顔を俯かせながらでもスカートを広げて見せてくれた。
 そう、実は今日、クロエさんも結婚するのだ。誰がお相手か聞いてびっくり。あのトーマスさんだそうだ。クロエさんは私の世話に手がかからないから厨房のお手伝いもしていたのだそうだ。私たちがナンシーに行ってからすぐにどうやら二人はくっついたらしい。
 今回トーマスさんが街に帰ってきてすぐに求婚されたてクロエさんもそれを受けたのそうだ。
 あの優しいトーマスさんとクロエさんなら確かにぴったりの組み合わせだと思う。

「二人ともとても良く似合ってるよ」
「ヴィクさんは結婚式しないの?」
「ああ、軍の結婚式は別なんだよ。ナンシーに戻って落ち着いたころにやる事になるだろう。あゆみたちは今回ここで出来て本当に良かったよ。貴族の結婚式は決して楽しい物じゃないからな」
「え? そうなの?」
「ああ。対外的な意味合いが強いから社交と政治の場になりやすい。君たちが仲のいい人間を呼べない可能性も高いしな」
「そっか、そうだよね、バッカスなんかもちろん呼べないもんね」
「ははは。それは無理だな」

 バッカスは今日の収穫祭にお呼ばれしてる。それどころか狼人族全員招待されてるのだ。お土産を楽しみにしてろって言ってたけど何持ってくるつもりなんだろう?
 それにしてもバッカスの話でヴィクさんが笑うようになったのがちょっと嬉しい。わだかまりが全くないわけではないだろうけど以前ほど顔を強張らせるようなことはなくなった。
 着付けが終わるとドレスはぴったりでところどころ最終的に直してもらったにしてもとてもよくフィットしてる。

「ヴィクさん……これ、一体いつから作ってたの?」
「知りたい?」

 私が頷くとヴィクさんが目を輝かせる。

「君付きの護衛を頼まれた時点で実はキーロン陛下から打診されてた。生地が届いたのがあの戦闘の直前。戦闘が終わった時点でキーロン陛下がどうやら間違いなく必要になりそうだから始めてくれって言われてそれからかな」
「そ、そんな前から!」

 ヴィクさんが恥ずかしそうに微笑む。

「本当はもっとシンプルなものでいいって言われてたんだよ。なんせ街の収穫祭に便乗の結婚式だからあまり華美に過ぎると浮いてしまうしね。だけどあの戦闘の後、どうしても出来る限りの事をしたくてね」

 そう言って自分の手を見る。ウサギの白い毛は生えていても人と同じように指があるヴィクさんの右手。以前とは違う手に代わってそれで縫うのはきっといつもより大変だったはずだ。それなのに私の為にずっとこれを縫い続けてくれてたんだ……

「まあおかげでここ5日ほどまるっきり兵士の仕事をしてないけどね」
「ヴィクさんありがとう!」

 私は苦笑いしてたヴィクさんに飛びついてお礼を言った。あ。また涙が出そうだ。こんな風に感謝の気持ちで胸がいっぱいになったの、初めてかもしれない。

「さあ、お話はそれくらいにしてお化粧を終わらせてしまいましょう。そろそろ出発の時間ですよ」

 私に抱き着かれて困惑してるヴィクさんを見てクロエさんが仕方なさそうにそう言った。私は素直にそれに従って椅子に座った。



「ほら、そろそろ始まるぞ」

 キールとアルディに連れられて南の村に着いた俺はその広場の変化に目を見張った。
 この農村の大きさにしては広いと思っていた中央の広場が狭く感じるほどの人が集まっている。

「従来は農村と街とそれぞれで収穫祭をやるんだが今年はみな一致して一か所でやりたいって言いだしてな」

 広場の中央には家一軒丸々入るくらいの広さのある舞台が作られていた。広場の端ではいくつもの炉が組まれ、腹の虫を呼び覚ます肉の焼けるいい匂いが周囲に漂っていた。中央に建てられた一本の高い柱に向けてその広場の周りの家々の窓から長いリボンが伸びている。そのリボンに結びつけられた幾つものランプが煌々と広場を照らし出していた。
 あちこちで酒のボトルが開けられ、並々と注がれた飲み物が配られている。

「あれは全部タダなのか?」

 つい下世話な事を聞いてしまった俺に苦笑いしながらアルディが答えてくれる。

「収穫祭は徴税前に国が買い取った食糧で行われるんですよ。ですからこれは国庫からの持ち出しです」
「収穫が足りなければ国庫を開けても買える物資がない。これだけ盛況なのは全てお前と俺たちと農村の奴らの努力の結果だ」

 キールが少し誇らしげにそう言って俺の背中を叩いた。

「それに加えて今回はバッカス達が森からうさぎやら鹿やらとにかく沢山の肉類を持ち込んでくれました」 

 アルディが指差す方を見れば確かに持ち込まれた獲物が山になっていてハビアと他にも数人がせっせと解体しているのが見えた。
 中央の舞台の上には今の所若い男女が上がって踊っている。その舞台のすぐ横ではいくつもの楽器が陽気な音楽をかき鳴らしていた。
 揺らめくランプの光の下で踊る男女はやけに美しく見える。決して華美な装いをしているわけではないが普段着ないよそ行きを着て化粧を施し、頭上に麦の穂で作った冠を付けた女性を男性がクルクル回す様はとても絵になる。

「ネロ、前に話しそびれてた俺たちの信じてる神の話、覚えてるか?」

 突然話し出したキールを振り向くとどこで手に入れたのか酒の入ったゴブレットを煽ってる。同じゴブレットを一つ俺に差し出しながら先を続けた。

「中央の柱が見えるか?」
「ああ」
「あの柱にいくつもの人形が縛り付けられてるだろ」

 言われてよく見れば確かに上の方に荒く形どられた人形が数体括りつけられていた。

「あれは全て俺たちが信じる神の御使いとして知られている者たちだ」

 そう言って一つ一つ指さしながら説明を始めた。

「ここから見えるのは馬の神、海鳥の神、犬の神、猫の神はお前も知ってるだろ」
「あれってお前が言ってた神と同じ関係だったのかよ」
「いや、お前が降臨して今年から付け加えられたのさ」
「は?」
「こうやって現れたとされる神が時々増えていく」
「ちょっと待て。あれ俺か!?」

 遠目にも確かに真っ黒な猫の人形が一匹見えてる。

「今日の祭りはちょっとした騒ぎだぞ。なんせ猫神の結婚式だからな」

 なに言ってるんだ!?
 
「いい追い風になる。俺の秘書官は同時に神の御使いって事だからな」
「おっま、いい加減にしろよ、その為にでっち上げたのかよ!」
「いや? あながち嘘は言ってないだろう。俺が思うにお前の力は十分神の御使いと呼ばれるに相応しい。それに過去にもお前らの言う『転移者』が御使いに選ばれたことはあったらしいしな」

 キールは茶化しもせずにそう答えた。
 待てよ。これはもしかするとそう言う事なのか?
 俺たち転移者がこの世界では『御使い』と呼ばれることになる様に出来てるとか?
 考えたってどの道答えの出ない疑問だがなんか喉に引っかかった感じだ。

「それでお前らの神ってのはどんななんだ?」
「神は人の間におられる。そう言われてきてる。俺たちが昔から信仰してる神には名前がない。だから教会が始祖を神だと言い始めた時に反抗する一派として認識さえされなかった。なんせ名前が無いからな」

 名もなき神、か。あちらの世界でも宗教によっては『神』と言う言葉がそのまま神の名前になっていることがある。だから必ずしも珍しい例とは言えないか。

「人の間にいるって事は人の姿をしてるって事か?」
「そう言われているな。俺たちと同じようにどこかで暮らしてどこかで静かに俺たちを見守ってくれてるそうだ。そしてこんな祭りの夜には興が乗るとあの柱の上に立って俺たちを見下ろしてるらしい」

 言われてつい柱の上を見上げたがそこにはランプの明かりを吸い込むような真っ黒な夕闇が広がるだけだった。
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