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第8章 ナンシー 

82 ナンシーの治療院

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「シアン、僕のシアン!」

 外に出た瞬間、シモンさんが目を見開いて大声で叫びながらシアンさんに抱き着いた。
 そのまま震えながら声もなく抱き着いているシモンさんを少し鬱陶しそうにシアンさんがよしよしと頭を撫でてあげてる。

「あー、シモン、寂しかったのね。いい子いい子」

 まるっきりの子供扱いでシモンさんの頭を数回撫でたシアンさんはそのままポイっとシモンさんを横に押し出した。押し出され床に崩れ落ちたシモンさんが呆気にとられた涙顔でシアンさんを見返してる。

「さあ、下に行きましょう。間に合ううちに残った者を救わなくては」

 突然そう言って階段を降り始めるシアンさんの後姿に3人してポケッと一瞬立ち止まってしまった。

「何してるの? 早くしないと死んでしまうでしょ!」

 まるっきり何をいっているのか分からないまままずシアンさんの勢いに負けてシモンさんが立ち上がってそのすぐ後ろをついて下へと向かう。その一直線な追っかけ方がなんかまるで子犬みたいだよ、シモンさん。
 ヴィクさんもすぐに急いで私を抱え上げその後を追ってくれた。

「あのシアンさん、シモンさん。教会と神殿の爆発はどうなったんでしょうか?」

 急いでいるのは分かってたけどこれだけは早く確認したい。
 階段を下りる二人の後ろから私が慌ててそう尋ねるとシアンさんが後ろも振り返らないで返事を返してくれる。

「ああ、あなたはこれが見えてないのね。この神殿の魔力はあなたがあの部屋を出た時点で停止してしまっているわ。教会も同様でしょう」

 急ぎ足で階段を下りたシアンさんはそのまま階下の広間の一番左端、階段の横に向かう。よく見るとそこには壁と同じ色で出来た扉があった。
 そっか、そうだよね。これだけ階段のスペースがあるんだからあの部屋の下にも部屋があって当然なんだよね。

「だから早くしないと折角まだ息のある者まで死んでしまうの」
「死ぬって誰が……え!?」

 私の質問は途中で止まった。
 扉の奥は細い通路でその終わりには右側に木で出来た何の変哲もない扉があった。シアンさんが開いたその扉の先は……治療室だった。
 うん、サイズはかなり大きいけど正に私の知ってる『ウイスキーの街』の治療院にあった治療室そのまま。奥に長い部屋は同じような作りの診療台や机、器具、戸棚などが片側にあり、その向かいにはベッドが沢山置かれていた。
 その先には窓の切られた別の部屋の壁があり、切られた窓からその向こうに沢山の大きな桶の様なものが沢山並んでいるのが見えた。

「シモン、手伝いなさい」

 そう言って二人で片っ端からベッドに掛けられたシーツを剥がし始める。
 シーツの下でそこに横たわっていたのは沢山の『人』だった。獣人もいるし、人間、それにエルフも数人いるみたい。その誰もがどこかしらの身体の一部がない。目は虚ろでどこも見ている様子がなかった。
 桶の並ぶ奥の部屋にシモンさんが向かうとシアンさんが手前のベッドに横たわった男性を軽く触診して回って叫ぶ。

「人間、男性、推定40代、右足大腿骨又下で切断、左腕上腕肩から脇下まで切断」

 シアンさんが説明を叫ぶとシモンさんがバシャバシャと音を立てて奥の部屋にある桶の様なものを掻きまわしてる。暫くすると水を滴らせた白い人間の足と腕をシモンさんが桶の様なものから引き揚げた。
「ひっ!」
「確保した。ヴィクさん、運んでください」

 驚いて小さな悲鳴を上げた私の事などお構いなしに二人が同じ作業を続けていく。
 ヴィクさんんが呼ばれて一瞬の戸惑いの後私を空いているベッドに降ろして手伝いに走った。

「獣人、女性、猫人族、推定10代、体毛白に黒の斑、両足膝上で切断」
「確保」
「人間、男性、推定20代、両上腕肘うえで切断」
「確保……」

 どこまでも続くかに思えたそのやり取りもシモンさんとヴィクさんがそこにいた全員の手足を抱えて持ってきた所で終わり、シアンさんとシモンさんが二人がかりでそれを繋げていく。

「再生魔法ってすごく上級でないと出来ないって……」

 思った事が勝手に口から零れ出た。
 そこからは二人がまるで同じ一人のようにパッパパッパと作業が進んでいった。
 シモンさんが支え、シアンさんがくっつけて。シアンさんが叫んでシモンさんが運んで。瞬く間にそこのベッドに乗っていた十数人の人達の身体が元通りになった。

「あゆみさん、ちょっとこっちに来てもらえますか?」
「はい?」

 茫然と二人の作業を見守っていた私にシアンさんが声をかけてシモンさんが私を運ぶ。シモンさんに抱えられた私にシアンさんが手を差し伸べてさっきと同じように握手した。

「あゆみさんはどうも自分では魔力を調節できないみたいだからちょっとだけ借りるわね」
「え? え?」

 シアンさんが言い終えたのと同時にスルッと魔力が引き出された。どのくらいって分かる程じゃないんだけど勝手に持ってかれちゃった感じがする。

「十分ね。じゃあ今度は魔力提供を始めるわよ」

 そう言ったシアンさんが今度は今治療した人たちの手を一人ずつ握ってジッとしてる。どうやらちょっとずつ魔力を流してるみたいだ。
 暫くすると今までまるで時間が止まった様に動かなかった人たちが身じろぎを始め、呻き声を出し、顔色こそ悪いものの自分で動けるところまで回復した。
 でも最後の一人の治療が完了した所で今度はシアンさんがその場で崩れ落ちた。

「シアン、なぜそこまで!」

 真っ青な顔で駆け寄ったシモンさんがシアンさんを抱えてベッドの一つに寝かせる。

「理由はあなただって知ってるでしょう?彼女はまだ調整が出来ないみたいだし」

 そう言って力ない笑顔を私に向けてくれたシアンさんがそのまま瞼を瞑った。

「ちょっと休むわ。他の人たちに口止めして後で迎えに来てね」

 そしてそのまま。シアンさんはそのベッドの上で小さないびきをかいて寝てしまった。

「まったく。僕はいつも君のせいでこんなに心配ばかりしているのに……」

 静かに寝息を響かせるシアンさんの顔を見下ろしながら、すごく分かりやす不満いっぱいにムスッとしたシモンさんが不機嫌に腕を組んだ。




「それで結局その宝玉はどこに行ったんだ?」

 話し終えた私へのキールさんのもっともな質問に私がちょっと困りながらも返事をする。

「まだあそこにいると思います」
「はあ?」
「シアンは一度寝ると中々起きないんだ」

 不満そうにシモンさんが付け足した。

「昨日あの後あそこで治療を施した皆さんには口止めしました。皆さん当たり前ですけど命の恩人の事を吹聴するようなことはしないって快く受け入れてくれました」
「どの道貧民街の者ですから私たちが見張りますけどね」

 意味が分からないって顔をしてるキールさんと黒猫君に私が説明を始めるとシモンさんがそれを補足してくれる。

「で、みんなで神殿から出てきた所であの一件が起きて私が魔法を使っちゃって。それから急いで皆さんを退避させたじゃないですか」
「あゆみさん達と一緒に神殿の外に出た時点ではトーマスさんの所で待機している一族の者を呼びに行くつもりだったんですけどね。あの通りあゆみさんの魔法が暴走してしまったんで」
「それでもう誰も神殿も入れなくなっちゃって」

 そう、昨日のあの成長魔法で伸びた薔薇の垣根。あれ実は神殿もすっぽり覆ってしまってた。
 良いも悪いも今の所あそこは誰も立ち入れない場所になってしまってる。

「それで君たちはそのままあそこに『宝玉』を置いて来てしまったのか?」

 キールさんが呆れてシモンさんに尋ねるとシモンさんがため息まじりに返事を返す。

「どうせあの様子じゃシアンは1週間は寝てるでしょうからいいんですけどね」

 そう言ったシモンさんの諦めの入った顔はでもどこか少し嬉しそうだった。
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