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第8章 ナンシー 

63 ビーノ君の新しい仕事

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「あゆみ、起きろ。朝飯に行くぞ」

 黒猫君の声が頭の上から降ってきた。
 えっと。大丈夫。今日はよく覚えてる。結局昨日私は嬉し恥ずかし黒猫君に抱きしめられたまま寝ちゃったんだよね。だから今自分が黒猫君の腕の中で目が覚めたのもわかってる。わかってるんだけどね。
 なんで朝気づくと余計恥ずかしいんだろう!?
 夜はなんとなく受け入れちゃって眠さもあってそのまま行けちゃったのに朝になった途端正気に戻った気分だ。それでもなんとか覚悟を決めて目を開けた。でも目の前に広がった現実は私が思っていた以上だった。

「ふわ!」

 つい声が漏れた。だって。
 ひどい、黒猫君が目の前で肩肘ついて腕の中の私の顔を間近に見つめてる!

「な、なんでそんな格好でそんな近くでこっち見てるの!?」

 私のツッコミにはっとした黒猫君がゆっくりと顔を赤くしてそっぽを向く。

「さ、先に目が覚めたからお前が起きるの待ってただけだ。別に何時間も見てた訳じゃないぞ」
「そ、そうなんだ。ビーノ君たちは?」
「あいつらならお前が寝たあとに起きてきて飯食いに下に行ったぞ。そろそろ戻ってくるんじゃねえか」
「……それ、なんで黒猫君が知ってるの?」
「え? あ、いや」

 途端黒猫君が視線を逸らす。あ、耳も一緒だ。

「黒猫君、もしかして寝てないの?」
「…………」
「なんか挙動不審だよ黒猫君。寝ないで何してたの?」

 私の連続ツッコミに少し俯いた黒猫君の顔が余計赤くなるのが面白い。いや、面白がってる場合でもないんだけどね。

「私に寝ろって言っといて寝なかったんだ、黒猫君」

 私は面白半分、心配半分で黒猫君の顔を下から覗き込んだ。

「……だろ」
「え?」
「寝れるわけねえだろ!」

 そう言って黒猫君、私を放り出してベッドから出てっちゃった。
 そ、そっか。寝れないんだ。なんでなんて流石に聞かなくてもわかる。私は寝ちゃったけど。
 嬉しいような恥ずかしいような。でもちょっとからかい過ぎちゃったのかな。黒猫君がこっち見てくれない。
 とりあえずこれからはもう少し色々自重しよう。
 そう心に留めながらもベッドの上で伸び上がる。昨日というか今朝寝たのはかなり遅かったと思うけど数時間でもしっかり寝ると頭がスッキリする。
 さて、今日も研究を続けるぞ!
 私はベッドの上で起き上がって着替えてる黒猫君に声をかけた。

「そういえばバッカスたちは元気? 訓練はどうなってるの?」

 確か昨日はバッカスたちの特訓に出かけてたはず。私の質問になぜか微妙な顔でこちらを振り向いた黒猫君はつかれた顔で答えてくれる。

「なんとかものになった」
「は?」
「いや、なんでもない。忘れろ。今日もまたこっちに来るからお前が研究室から出てくれば会えるぞ」

 そう答えながら私の着替えをこっちによこしてあっちを向いてくれる。

「そっちの作業はどうなんだ?」
「えっとね、色々出来たよ。研究室に入ってくれた人たちがみんな優秀ではかどるはかどる。やっぱりあの溜め石の黒い部分を加工すると魔力を通さない性質を変化させられたの」

 そう。私の何となくの思い付きはピートルさんが連れてきてくれた石細工の親方とそのお弟子さんたちのお陰で形になった。魔力や電気を通すのにある程度の抵抗があったあの溜め石の電解質(魔解質?)部分はちゃんと細かく砕いてから顔料師のお兄さんが粉にして色々工夫してくれた結果、その濃度によって効力が違う事まで分かってきた。濃ければ濃い程魔力に対する抵抗は強くなるけど他の要素、例えば雷は通してしまう。
 昨日の革布は最終的に電気を一番通しにくくなる濃度で膠に閉じ込めた『電抗体』の最初の試験品で作ったのだ。
 後はもう少し汎用性のある防具が作りたくて、手分けして色々な加工をしながら他の魔法も防御できないか実験を繰り返してたんだけど。

「昨日の黒い革布はその初期実験作品。多分お昼ごろには防具の試験品は完成するよ。あと黒猫君から届いた依頼の試作品はもうすぐ出来る。でもあれ、本当に作っちゃってよかったの?」

 私の問いかけに黒猫君が思わずこっちを振り向く。まあ、着替えは大方終わってたから別にいいんだけどね。

「お前もしかしてあれがなんだかわかるのか?」
「え? うーん、なんとなくはね。黒猫君、こういうものは作りたがらない気がしてちょっと気になった」

 私の言葉に黒猫君は少し困った顔で私を見返す。

「ああ。お前の言うとおりだ。普通ならゼッテー作りたくないし作らせたくない」

 そう言って言葉を切る。ほとんど着替えの終わってる私のもとに来て私の腕のボタンを律儀に止めてくれながら続けた。

「だけど、約束しちまったからな」
「約束って誰と?」
「教会の塀の向こうのガキにちょっとな。だから今回は特別だ」

 慣れてきたのか前よりは素早くボタンを留め終わった黒猫君がニカッと笑いながらそう答えた。
 ああ、間近で見てしまった、私の好きなニカッと笑い。あ、心臓が痛い。
 途端頭に血がのぼってクラっと来た。

「おい大丈夫か? やっぱりもう少し寝たほうがいいんじゃねえのか?」

 それを見た黒猫君が余計な心配を始めた。今更君の笑顔のせいだなんて口が避けても言えない。
 あれ? もういっそ言っちゃっおうか? 言っちゃってもなんか面白い反応が帰ってくるだけの気がしてきた。
 それでもさっき少しは自重しようと思い立ったのを思い出して「大丈夫だから早く下いこう」って小声で返すと今度は私の顔を見て黒猫君が赤くなってた。私のが移ったかな?

「姉ちゃんたち何やってんだよ、朝錬の鐘鳴るぞ」

 突然ドアのところからビーノ君の声がして二人で飛び上がった。

「もう帰ってきたのか?」
「もうってどれくらい時間たったと思ってんだよ」

 そう言いながら肩にかける大きな袋を拾い上げる。

「あ、ビーノ君、お仕事始めてくれるなら岩塩の追加を大袋で一つと使い古しの革の鎧をまずは10着届けてもらうよう手配して。あと黒猫君、ビーノ君をバッカスたちに引き合わせてくれる? これから届け物が増えるから」
「姉ちゃん朝から人使い荒いよな」

 ビーノ君が息をするように文句を言う。でも小さく「了解」っと答えると「じゃあ兄ちゃん練習場で落ち合うからよろしくな」っと言い置いてさっさと行ってしまった。
 実はビーノ君、昨日からみんなの兵舎内運び屋さんをしてくれてる。足の遅い、かつ研究が始まると引きこもりの私の代わりにバリバリ動き回ってくれてるのだ。
 最初はヴィクさんにお願いしてたんだけどそのうちにお手伝いのビーノ君の方が手が空いてることが多くて皆にとって使いやすくなってしまったのだ。だから昨日の午後、キールさんに頼んで正式に運び屋さんを開業してもらった。
 その間、ミッチちゃんとダニエラちゃんはと言うと畑でテンサイの取り入れを手伝ってくれている。それをこの前畑を手伝ってくれてた新兵の人がトーマスさんの指示でどんどんお砂糖に加工してくれてるらしい。噂だと今日辺り最初のお砂糖が出来上がってるはずだ。そしたらダニエラちゃんがお味見に呼びに来てくれる約束になっていた。

「ビーノのヤツ張り切ってんのな」

 黒猫君が嬉しそうにそう言いながら私を抱え上げる。そのまま食堂で軽く朝食を取った私たちは朝練でヴィクさんとビーノ君と再度落ち合い、ビーノ君と入れ替えに私はまたもヴィクさんに連れられて研究室へいそいそと向かった。
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