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第8章 ナンシー 

52 教会の力

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「すみません、話がそれましたね。さて、私自身の決着は別につけるとして、これは先にあの二人からの言葉をお伝えしておかなければなりませんね」

 感傷的な雰囲気を振るい落としたシモンが俺たちを見回して事務的に言葉を続ける。

「貧民街の人間と獣人族はもしキーロン殿下が教会から子供たちを救い出す事を許可して下さるのならば殿下につき従い教会に反旗を振るう事を決定したそうです。また彼らはいつでも参戦の意思がある事を伝えて欲しいとの事でした」
「待てよ、何をいってるんだ?」
「ネロさんは教会と対峙するおつもりなんじゃないんですか?」
「ああ、そうだが」
「ですから遅ればせながら彼らも戦いに参加させて欲しい、という事ですよ」
「だから。誰がお前らに教会と直接戦ってほしいて言った?」
「え?」
「いや最初は俺だって考えなかったわけじゃねえけどな。やっぱり貧民街の連中に教会で戦わせるのは無理だ。教会にはお前らの子供が捕まってるだけじゃなく、操り人形にされて下手したら襲ってくるんだぞ? そんなのと戦うっていうのか? 怪我するどころか下手したら無駄死にする奴がわんさか出るのが落ちだろ」

 シモンが俺を呆れた顔で見返しながら今度こそ馬鹿にした口調で切り返す。

「ネロさん、あなたバカではないんですか? 我々は貧民ですよ? 使い捨ての効く命ですよ?」
「使い捨てが効く命なんかあるか!」

 シモンの言葉に一気に頭に血がのぼって反射的に叫んでた。

「他の誰でもないお前らがそれを言うのかよ。お前、自分で自分たちをそんな低く見積もってんじゃねえよ。悲しくなるだろ」

 俺の答えにシモンが痛みに耐えるように顔を歪ませた。

「ではなぜあなたはわざわざ我々に会いにいらしたんです?」

 あ。そうなんだよな。実はこのやり取りをやってるうちに自分でも少しズレてたなとは思い始めていた。

「ほんとだよな。取り合えずあんたらの子供のことだしまずはあんたらに会わなけりゃって思ったんだけどな。まあ、俺の考えが浅かったってのもあるが、やっぱり自分たちが守ろうとしてるのがどんな奴らなのかは知っておきたいじゃねえか」

 それを聞いたシモンは今度こそ呆れた顔で答えた。

「全く。それじゃあ私は本当にいい道化ですね。あんなに警戒していた相手が実は本当にここまで何も考えていなかったとは」

 今度は間違いなく馬鹿にされた気がするが反論も出てこないので無視した。

「ほっとけ。それで間違ってなけりゃ俺、まだあんた自身とエルフの答えを聞いてないと思うが」

 そこでシモンはスッと暗い表情になって答えた。

「我々エルフは教会との争いには参戦いたしません。……いえ、出来ません」

 そこまで言って少し躊躇ってからそれでもやはり先を続けた。

「この300年、我々エルフは常に教会の言いなりになってきました。全ては我々の宝玉が教会に囚われているからです」

 キールが驚いた顔でシモンに問いかける。

「待て、それはあの『エルフの宝玉』か? それはこの街の教会にエルフの使節団から進呈されたと聞いていたが──」
「もちろん教会がそのように話を作り上げたのですよ。事実は全く異なります。実際には300年前、当時災害で崩れた神殿の改修が完了し、ここの教会の司教長の名前でそれを祝してエルフの宝玉に新たな祝福を施したいと言う申し出がありました。我々の宝玉には確かにこちらの神殿と縁がございましたのでそれならばと宝玉とともに使節団としてここを訪れたのが間違いでした」

 シモンが小さくため息をつく。

「当時その一行を率いる立場にいた私は宝玉を守り抜くこと叶わず、以来、何とかして宝玉を我々の手に取り戻すべく以来300年以上もこの街に留まって機会を伺ってきたのです。宝玉の奪還こそが私を含めこの街に留まる全てのエルフの悲願なのです」

 そう言ったシモンはその場で席から立ち上がるとキールの目の前で静かに床に跪いた。

「これまでの私の取った態度と経緯を考えれば余りに虫のいい話ではありますが、もしキーロン殿下が教会と袂を分かち、彼らの凶行を正すお覚悟があるのでしたらどうか我々の宝玉をお返し頂けるようご助力をお願いいたします」

 シモンの嘆願を聞いたキールはすぐには答えなかった。腕を組み、そして俺とあゆみを見て視線で聞いてくる。

「キールさん、宝玉ってなくなると困る物なんですか?」
「まあ、教会は困るだろうな。あいつらの奇跡の拠り所の一つだから」
「他の人に影響はないんですよね?」
「ないはずだ。元々300年前まではなかったものだからな」
「じゃあ構わないんじゃないのか? どうせ教会は徹底的に崩した方がいいだろ」
「俺もそのつもりだ。だからシモン、立て。これは俺の秘書官も合意した俺の決定だ。出来る事はしよう」

 おずおずと立ち上がるシモンにキールが続ける。

「ただ、その宝玉が普段どこに安置されているのか俺たちは何も知らない。戦闘の中でもし持ち出されてしまってもそればっかりはどうにもならんぞ」

 それを聞いたシモンが少しいたずらに目を輝かせて答えた。

「それはありえません。いえ、今の教会の者に持ち出す事が出来る者はいないでしょう」

 俺はシモンのその言葉に違和感を覚えて聞いてみる。

「シモン、お前なんか教会のこと知ってるのか?」
「言ったでしょう。300年です。この300年、我々は機会を伺っていたのです。もちろん色々なことを知っていますよ」

 今度はシモンが今までとは違い意志に輝く瞳でこちらを見返しながら静かに問いかけて来た。

「逆に伺いますがあなた方はどのくらい教会の事をご存知ですか?」

「初代王を神格化した絶対主義者だろ?教会の中に変な結界張ってて結構な人数が中にいる」
「俺が聞いている噂では教会の司教共はそれなりの魔法が使えるらしい。ただしそれは教会内にいる間だけだという」
「待ってください、あなた方は教会の本当の戦力をご存知ないようだ」

 俺達の答えを聞いたシモンが呆れ顔でこちらを見返す。

「この街の教会で司祭以上を務める者は押しなべて魔術を使えます。基本魔法はおろか上級魔法まで使いこなす者も少なくない。それに対して我々は彼らの結界内では聖布を身に着けていないものは魔術を使うこともできません」
「どうもシモンとキールの言う教会の情報に食い違いがあるのが気になるな」

「しかも彼らにはこの教会にのみ伝わる『傀儡の魔術』があるといいます」
「『くぐつの魔術』ですか?」

 アルディが反応を示す。

「はい。『傀儡の魔術』とは生きていない者をまるで生きているかのように操る事ができるそうです。また心の弱いものは生きたまま使役されるといいます。伝承では聞き知っていましたが既に絶えてしまった魔術と言われていました。それがなぜこの街の教会にだけ使えるのかは我々にも分かりません」
「なあキール、それってこの前の変な奴らの事じゃねえか?」
「僕もそれを思い出していました。エミールも同様の者に襲われたといっていましたし、この前も」
「アルディ、今はいい」

 キールがアルディを遮ったのを聞いて俺はハッとしてキールを見た。

「おい、キール。お前もしかしてまた襲撃を受けてたのか?」

 俺の言葉にキールが少し面倒くさそうに返事をする。

「まあ俺も一応国王候補だからな。刺客くらい来る」
「お前、そんな簡単に!」
「ネロ君、ご心配なく。だから僕と兄が必ずキーロン殿下と行動を共にしています」
「おかげで一人出もままならない」
「国王になろうって方がお一人で出かけられるなんて無理に決まってるでしょう」

 どうやら俺が自分の周りのことで手一杯の間にこっちはこっちで色々あったらしい。アルディのキールを叱る様子がやたら堂に入ってる。

 キールはそれを誤魔化すようにすぐに言葉を続けた。

「だがおかしいな。この前からの襲撃は『連邦』サイドのものだと思ってたんだが?」

 そこであゆみがおずおずと口を挟んだ。

「あのー、キールさん。そういえば魔法の攻撃から防御する方法ってあるんですか?」
「有るにはあるがあまり効率はよくない。相手の繰り出す魔術と同様の魔術を相対させて消滅する。とはいっても相手がどんな魔術を出してくるか分からないから出遅れてある程度被害を被るのが通例だ」
「魔力を弾くような魔法は無いのかよ?」
「伝説では出来た者もいるというがその術は伝わっていない」

 チッ。この世界、伝承が途切れちまうといくら便利な魔法が生み出されても消えてっちまうのか。
 今更ながら効率の悪い。
 そこでキールの話を聞きながら考え込んでたあゆみが小さく声を上げた。

「あのー、もしかすると簡単なシールドなら作れるかもしれません。まあやってみないと分からないんですけど。しかも結構お金もかかるし重くなるかも」
「どういうことだ?」

 俺は尋ねたキールを視線で制してあゆみに尋ねた。

「待て。それはさっきの実験絡みか?」
「うん」

 流石にあれはまだシモンに話すわけにはいかない。それどころか出来れば誰にも話させたくない。だがこれからの戦闘を考えれば防御系の道具はいくらあっても足りない位だ。俺はちょっと考えて言葉を返した。

「キール、あゆみが作業できるような隔離された場所はあるか?」
「それなら兵舎の端にある武具倉庫を整理させればいい。あそこなら他の棟からも離れてるし厩とは反対側だから他への影響は少ない」
「……それって実験してもいいって事?」

 俺とキールの言葉にあゆみが目をギンギンと輝かせた。あゆみの意気込みに途端おじけが走る。
 俺、やっぱり間違えたか?

「い、いや、そうは言ってないが……」
「ピートルたちが一緒なら無茶をしないんじゃないのか?」

 俺の様子を見たキールがあゆみを補足するようにピートルたちを見た。だが見ればピートルたちの目はあゆみと変わらずギンギンと輝いてる。

「待て。蒸気機関作ろうとして腕折って二度も入院してた奴らだぞ? ピートル達もあゆみと同じ穴のムジナだ」

 俺にそう指摘されてピートルはフンッと鼻息も荒く俺を見返し、アリームがあらぬ方向に視線を外した。
 やっぱりこいつ等じゃだめだ。何のブレーキにもなりゃしない。
 そこである事を思い出した俺はキールに向き直った。

「そうだ、ヴィクを付けてくれ。あいつはバッカス達と共闘はできないと言っていた。キールあんたはその理由を知ってるだろう?」

 バッカスはスッとこちらに視線を向けたが何も言わない。キールも察してくれたようで小さく頷く。

「ああ。そういう事ならそれでいい」

 俺は改めてあゆみの前まで言って顔を見上げた。

「あゆみいいか。お前がやろうとする事は必ず手順と予測される結果をヴィクに説明してヴィクが許可したものだけ作るんだぞ」
「ねえ、なんで私そんなに信用無いのかな?まだここでは一度も爆発とか火事とか出してないよ?」

 俺の注意がよっぽど気に食わなかったのかむくれてそう帰してきたがお前……

「……向こうでは出したんだな?」
「…………」

 返事をしないのが返事だな。俺は深い深いため息とともにこいつに言い聞かせる事をスッパリ諦めた。

「ヴィクにはよおっく注意するようにいっとく」

 それまで俺達の話し合いを静かに見守っていたシモンが少し眩しそうに俺たちを見ながら言葉を紡いだ。

「キーロン殿下。これで本当にいいのですか? 何か全て勝手に決まっていってる気がしましたが」

 キールは今一つシモンの質問の意味が分からないらしい。

「他の施政官や機関との調整などは必要ないんですか?」

 やっと納得がいったキールがニヤリと悪い笑顔で答える。

「良いも悪いも俺の施政官はこいつ等で全部だ。元々王族なんぞに興味のなかった俺にはそんな大そうな付属物なんかないのさ」

 シモンが呆れと驚きの中間の様な顔でマジマジとキールを見返した。

「シモン、見ての通り俺の所帯は手が足りてない。やれることはやるがやれないことはまだまだ多い。エルフの宝玉の返還にしても次期国王として出来うる限りの手を尽くすとしか約束はできない。だが、それが言葉だけじゃないのだけはこいつ等を見れば分かってもらえるだろう」

 キールの話にシモンの表情が徐々に真剣な面持ちに代わっていく。

「それで納得してもらえるなら、まずは君ら貧民街の長には農村の手伝いに人手を送って欲しい」

 はっきりとそう言ったキールはすぐに言葉を付け足す。

「だがこれは別に宝玉や囚われた貧民街の子供たちの救済と引き換えの取引と言うわけじゃない。単純に俺からの依頼だ。いくら教会と領主を俺たちが抑えても食糧は勝手に湧いてこない。このままでは今年の収穫がどうにもならないのは目に見えてるし、その後に待ってるのは国全体の飢えだ。これはないがしろにも放置も出来ない、今この国が直面してる重大な問題の一つだ。今からでもできることは全てやるしかない」

 そこで言葉を切ってバッカスとピートルとアリームを見ながら続けた。

「そこのバッカスたちが今日ここに連れて来たのは『ウイスキーの街』で今年初めて農業を手伝った同じ貧民の奴らだ。ここにいるピートルとアリームも農作業を効率化するための道具を提供してくれる。だがだからって皆この街に恩を着せにきてるわけじゃない。中央の食料を提供しているこの街の飢えは最終的には全ての近隣の街を食いつくすことになるだろう。だから皆自分たちの問題としてとらえて来てくれてるはずだ」

 皆が少しむずがゆい面持ちでそれを聞いている。

「戦闘は戦闘を生業にしてきた者に任せておけ。俺はそれぞれやれる事をやってほしい。だがもし君自身が知っている教会の内情を教えてもらえるのであればそれは純粋にありがたい。情報はいくらあっても邪魔にならない」

 キールにかけられた真っすぐな言葉にシモンはただただ目をみはるばかりだ。

「いったろ。こいつは話を聞くって」

 すっかり言葉を失っていたシモンに俺がそう言えば、シモンはやっと自分を取り戻した様に言葉を返した。

「そうですね、正直驚きました。本当にあなた方は無駄に真っすぐで無茶ですね。呆れてしまいます。長らく私の周りには貴方方のように若い活力を惜しむことなく暴走させるような者はいませんでしたからね」

 嫌味にしか聞こえないそのセリフをシモンはやけに嬉しそうに続けた。

「先ほども申しました通り、エルフは残念ながら表立って参戦いたしませんが、個人的にキーロン殿下の施政には非常に興味が湧きました。私は一旦他の長の元に戻って報告をしてこなければなりませんが、今後もこちらで私の出来る事をさせて頂いても宜しいでしょうか?」

 キールはシモンの申し出をまるで当たり前のように頷いて答えた。

「もちろんだ。協力者を無駄にするような事は今の俺たちにはしてられん。今は猫の手も無駄にできる状況じゃないんでな」

 厭味ったらしく俺を見ながら言いやがる。

「じゃあ猫の俺は猫にしか出来ねえことしてくるか」

 そう言って俺は立ち上がった。

「この猫の姿が切れちまわないうちに一度教会を見に行ってくる」
「黒猫君!」

 途端あゆみが心配そうに声をあげた。あゆみが心配してくれるのは正直結構嬉しかったが、恥ずかしいのでここはなるべく軽く流しておく。

「心配するな。この身体なら柵を抜けて中に入れるし猫の振りして愛嬌振りまいてくるだけだ」

 それでもあまり俺の言葉を信じてないあゆみが心配そうにこちらを伺うのを見たシモンが小さく笑って俺に手を差し出した。

「ではこのお守りを」

 そう言って俺の首に自分のブレスレットを付け直す。それは小さな白い輝石が付いた銀のブレスレットだった。

「エルフのお守りです。まあ気休めですが」

 こうして俺は一匹教会へと向かった。
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