異世界で黒猫君とマッタリ行きたい

こみあ

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第8章 ナンシー 

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「黒猫君、話があるの」

 結局無言のまま部屋まで帰り着くと硬い表情のあゆみがそう言って自分をソファーに降ろすように言った。言われるままにあゆみをソファーに降ろし、そのすぐ横に俺も腰掛ける。こうしてないとあゆみはどうもソファーの上で座っているのは辛いようだから……ってのはいい訳だな。単に俺が少しでもあゆみの近くにいたい。それが真実だ。
 それまでの沈黙を吹き消すようにあゆみがボツリと言葉をこぼす。

「黒猫君。私、沢山お金が欲しい」

 あゆみの脈略のない言葉に俺は戸惑ってあゆみの顔を覗き込んだ。

「あのね。計算してたの。あそこにいた奴隷の人たち、全員買うにはどれくらいお金かかるかなって」
「ああ、そういう事か」

 ストンと納得がいった。それでこいつずっと檻を見てたのか。

「うん、だってね、見たでしょ? 獣人の子達、十分買える値段だった」
「確かに。一番安い奴らは銀貨10枚とかだったもんな」
「高い子でもあそこにいた子達は金貨5枚とか。私が2週間も働けば買えちゃう。大人の奴隷の人たちは大体金貨3枚から20枚まで。私みたいに体の一部を無くしてる人たちは金貨1枚くらいでしょ」
「……よく見てたな」
「もちろん。だって値段が分からなくちゃ買えないし」

 そこであゆみは大きなため息を吐いてこちらを見上げる。

「でもね、分かってるの。買ったら後悔するって」

 俺はあゆみの言わんとする意味を取りかねてあゆみの顔を覗き込む。疑問が顔に出てたらしくあゆみが少し顔を俯けて言葉を続けた。

「最初に奴隷市って聞いた時は黒猫君やバッカスが獣人ってだけで奴隷に取られちゃうかもってそれしか頭になかったんだよね、私。でも今日、あそこで檻の中の子達を見た時、自分には大した力も余裕も無いくせに、どうしても全員連れて帰りたいって思っちゃったの」
「それは……お前が同情するのも分かるが……」

 俺の相槌を遮るようにあゆみが頭を振る。

「違うの、そうじゃなくて」

 そこで少しじれったそうに俺を見たあと、すぐに躊躇った様に視線を外したあゆみは、大きく息を呑みこんで意を決したように口を開いた。

「あのね黒猫君。正直に言うね。私……多分すごくいびつな人間だと思う」

 あゆみの言葉は告白の様であり、でもそれだけではまだ意味を成さない。それでも今、何かあゆみが重大な告白をしようとしているらしい事だけは感じとれた。だから俺は口を開かずにそのままあゆみの次の言葉を待つことにした。

「私生まれてからずっと両親と事がなかったの。代わりにおばあちゃんが私を育ててくれて。おばあちゃん、凄く無口な人だったけど、私はおばあちゃんにいつもベッタリで。おばあちゃんも私をベタベタに甘やかしてくれてた」

 今あゆみは両親に事がなかったといった。居なかったのでは無く。
 俺はあゆみの始めた話のデリケートさにやや困惑しながらなるべく感情を表に出さずに静かに話を聞いた。

「おばあちゃん、私が野良猫や犬を拾ってきちゃっても笑って許してくれて。おばあちゃんと猫と犬、それが私の家族で私の世界の全部で。だから私、幼稚園も小学校も行ってなかったの。人間の友達っていなかったし、あの頃私実はあんまり言葉も喋れなかったんだと思う」

 言葉を切ったあゆみはちょっと考えてからまた先を続ける。

「小学校の途中でおばあちゃんが居なくなっちゃったから親の言いつけで普通に学校行き始めたけど、その時にはもう手遅れだったのかな。私、この年になるまで本当に友達とかってよくわからないの。何ていうか距離感が無くて。多分『家族』って思ってたおばあちゃんやうちの子達とそれ以外の人達の差が大きすぎたんだと思う」

 あゆみは一気にあるところまで話すと黙り込み、少し考えてまた話を始める。
 あゆみと出会ってから今までこんなにあゆみが自分の事を話した事はなかった。初めて聞くあゆみのあちらでの人生の片鱗は、だけど思っていた程幸せそうには聞こえなかった。

「おばあちゃんが居なくなってからしばらくは家政婦さんが入れ替わりで面倒見てくれてたんだけど。ある日両親が初めて家に来て。すごく怒られた……学校から再三連絡が来たって。私が学校に行かないのは体裁が悪いって。周りの子たちみたいに出来ないなら家を売り払って施設に入れるって……」

 あゆみがまた自分の手に爪を立ててる。以前、この世界に飛ばされた経緯を聞いた時もやってた。

「このままじゃうちの子達と離れ離れにされちゃうって思って私必死で。それからは学校も行き始めて。周りの人たちをよく見て、全部ちゃんと真似して。周りの言うことをよく聞いて、周りの決める通りに動いて。なるべく笑って、余計な事は喋らないで。人気のある子と同じ様な服買ってもらって同じ様な喋り方して。それで何とか誰も私を責めなくなったし最近は普通に出来てるって思ってた」

 あゆみには悪いが少し吐き気がしてきた。人の家の環境をどうこう言えるような育ちはしてねぇが何でこんなにこいつが歪んだ生き方を強いられなきゃいけなかったのかと思うとへこむ。多分こいつの分けわからない『常識』への固執はこのへんから来てたのだろう。

「でもね。こっちに来てから黒猫君もそうだけど知り合った人達はみんな何だかすごく距離が近くて。今まで知らなかった気持ちがいっぱい湧き上がって来るようになっちゃって。気づいたら自分でも色々動き始めてて」
「それはお前が動かなけりゃどうにもならない状況が続いてたからな」

 俺の言葉にあゆみが小さく頷いた。あゆみはちょっとだけ俺を見上げてまた俯く。

「今日、あそこで檻の中の子達を見た時、自分の感情が勝手に動いちゃって。自分から切り離して考えられなくなっちゃって」

 どうもコイツは中途半端に俺と似てる。人との付き合いに問題があって、で俺はそれを力でねじ伏せちまって失敗してたが、コイツは逆に自分を完全に殺して相手に合わせ続けることでやり過ごしてきた様だ。どっちもどっちでまともな人間関係に行き着くはずも無い。
 俺は行き詰まった所で救ってくれる奴がいた。
 こいつは……こいつには救ってくれるやつは居なかったのだろうか?

「なあ、お前、その、向こうでは付き合ってた奴がいたんじゃないのか? ……あ、すまねぇ。言いたくなきゃいいけど」

 ふと思い出して口をついた俺の不躾な質問に、でもあゆみは怒りもしなければ大したためらいもなく話しを始めた。

「んー、いたよ。いたけどあんまりいい話じゃないよ。その人、大学の同級生で講義とかでよく一緒にいて。ある日他の『友達』が二人付き合ってるみたいだねって言って。それに頷いたらなんか付き合ってるってことになっちゃった。しばらくはみんなが言う通りにお付き合いして。誘われればデートに行ったり彼の部屋に行ったりもして。それが半年くらい続いたんだけど、ある日彼の学科試験が忙しくなってしばらく会えないけどごめんねって言われて。邪魔にならない様に話したりするの止めてそこから半年くらいそのままでいたら次に会った時新しい彼女を紹介されたの」

 俺は……言葉も無くあゆみの話を聞いていた。

「どうも私はあそこでせめて電話するべきだったらしいんだけど。誰もいってくれないから分からなかったんだよね。でもみんなに言わせると彼は私の連絡を待ってたらしいいし、私は冷たいらしくて。何か気付いたらみんな私が彼を振ったってことで合意しちゃってて。私も別にそれならそれでいいかなって」
「ひでえな」

 悪いがつい言葉がこぼれた。

「でしょ?」
「バカ、お前がだよ」

 冗談めかして笑ったあゆみを俺はじっと見つめて言葉を続けた。

「お前、それ絶対受け入れるべきじゃなかったの、今なら分かるだろ?」

 あゆみが一瞬目を見開いて、直ぐに俯いた。
 ああ。多分これから俺はこいつ泣かしちまうかもな。
 そう思うと気が重いが仕方ない。こいつにはどうやら今まで叱ってくれる奴はいなかったみたいだし、それは年上の義務だと俺は思うから。
 あゆみの涙を覚悟して、でもズルイ俺はあゆみの頭に手を置きながら言葉を続けた。

「悪いがひどいこと言うぞ。多分お前ももう本当は分かってるから俺にこの話を出来たんだろうし」

 俺はそう言いおいてぐっとあゆみの頭に置いた手に力を込める。

「そうだよ、お前はひどい裏切りを最初からしてたって事だ。可哀想にな。その付き合ってた奴はお前の事ちゃんと好きだったんだろ。なのにお前は気持ちも動いてないやつと流されるままに付き合って周りに言われるまでどうするべきなのか何も自分で考えなかった」

 俯いてるあゆみの顔から涙の水滴が落ちていった。

「でもここで俺達と逃げ場の無い付き合いしてるうちに今はそれが分かっちまったから」

 俺はあゆみが爪を立てて破っちまった手の甲の傷を自分の口元に持ってきて舐めてやる。傷はみるみるうちに塞がっていった。

「だから今日、あの市場を見てももう『普通』とか『常識』とかであそこにいた奴らをどうするべきか考えられなくなっちまった。なぜならあそこにいたのはお前が拾ってきていた動物でも、適当に受け流してきた周りの連中でもない。今『奴隷』を買ったらすぐに俺たちと同様深い情が移っちまうのがわかって買うのを躊躇しちまったわけだな」

 あゆみが小さく頷いた。
 あの時、冗談みたいに茶化しながら俺に奴隷を買うようにねだってきたのも。
 もしかするとあれは自分じゃ買えないから俺に買わせたかったのかもしれない。一体どんな期待をして俺に面倒を見させるつもりだったかは考えたくないが。

「今あそこで誰か買っちゃったら私パット君やビーノ君同様ずっと一緒にやって行きたいってなると思う。でも私には買った子達を全員引き取る様な力はないし。ねえ黒猫君、私どうしたらいいんだろう? あの子達を何とかする方法、何かあるかな?」

 涙でグチャグチャになった顔であゆみが俺を見上げてきた。
 今日はひでぇ一日だ。
 最初っから最後までこいつに俺の感情かき回されっぱなし。
 好きな女にそんな顔でそんなこと言われて何とかするって言わないでいられる奴いるのかよ?
 あゆみの事を抜きにしても俺だってあの光景にはかなり憤ってる。できる事なら俺だって何とかしたい。だが同時にあゆみの言う事も最もだ。今の俺達にそんな事する余力は無かった。
 俺は小さくため息をつきながら自分の袖口であゆみの涙を拭ってやる。
 本当はもっと最低限俺達が生き残る為に必要な事だけしてさっさと森にでも逃げ切るつもりだったんだけどな。どうも俺もあゆみもそういうのは無理らしい。そろそろ事態に巻き込まれる覚悟を決めるしかないのか。

「なあ、ここの治療院ってどうなってんだろうな」
「黒猫君?」

 俺の唐突な言葉にあゆみがきょとんとして目線で問いかけてくる。
 チクショウ、こういう仕草が可愛いと思うようになるとは思わなかった。

「多分お前は正しいよ。俺達が少しぐらい頑張ったところであそこに居た奴らを全員救うのは難しい。でもせめて少しづつでも買い取って治療院で養えるんだったら俺はまず始めたいって思う」

 あゆみが目を見開いた。

「全員を一度にってのは無理だ。でも一人でも救えるなら先ずはその一人を救ってやりたい」

 俺はそう言ってあゆみの頭を撫でながら顔を覗き込んだ。

「今日俺がビーノ拾っちまった時、お前、最後まで面倒見てやれって言ってくれただろ。あれ実はすごく嬉しかった」

 あゆみが素直に自分の事を話してくれたおかげで俺もためらわずに自分の事を話し始められる。

「俺の両親、俺が小さい頃に死んじまったんだ」

 俺の言葉にあゆみが軽く目を見開いた。

「兄弟もいなくて、親戚づきあいもあんまなくて。それで親の葬式からずっと親戚の家をたらい回しにされてた。でもって俺、とにかく手の付けようのねぇ悪ガキだったんだよ。目が合えば喧嘩。周りの奴らをいつも怒鳴り散らしてた。説教する奴は片っ端から蹴散らして。気が立ってるってだけで手当り次第物壊して。俺を見て怯える奴らが無性に憎くてしょうが無かった。そんなんだからどこに行っても邪魔者扱いで」

 あゆみの涙が止まってる。やっぱこんな話は引くよな。
 それでもあゆみの顔に微塵も恐怖が現れなかった事にひどく安堵した。

「高校に入っても学校にも行かないで喧嘩ばっかやってる俺を見兼ねた親戚が最後に送り込んだ先がくだんのサバイバルキャンプだったんだ。あそこのジジイはもう全く血も繋がってない、すげえ遠い親戚だった」

 そう言ってジジイの日に焼けた顔を思い出した。

「俺にとっちゃあのジジイがただ一人、最後まで俺を見捨てないで拾ってくれた人間だった。だから今日お前のくれた言葉は何か今度は俺が同じ事をしろって言われたみたいな気がして、でも同時にそんな事言ってくれる奴に出会えたビーノが少し羨ましくってな」

 こういう事を言葉にしたのは多分生まれて初めてだ。話をする俺を見つめるあゆみの視線は何も感情を乗せていない。それがとてもありがたい。
 俺は改めてあゆみと顔を向き合わせて話し始める。

「俺もお前もこの世界の事まだまだよく知らないし大した事もできねえ。だけどだからこそ出来る事から少しずつ全部やってみよう。『キーロン皇太子』も巻き込んでさ」

 俺の最後のからかう口調にあゆみの表情が緩んでかすかに微笑んだ。それがすごく貴重で、胸が痛くなる。

「黒猫君、ありがと。そうだよね。キールさんも明日巻き込もう。私の給料なんてどうせ大した使い道ないんだしそれ使ってもらって良いんだし」
「同感だな」

 やっと落ち着きを取り戻したあゆみを見てホッとしたのもつかの間。
 ふと気づくと俺、いつの間にかあゆみの肩抱いちまってる。
 それが突然意識に上がってきて頭に血がのぼった。
 心臓がバクバク言い始めて──

「なあ、あゆみ……」
「待って黒猫君。私もう一つ言わなきゃならない事があるの」

 今ならきっと言える。
 今こそ自分の気持ちを素直に伝えたい、と口を開いた俺をあゆみが制して口を挟んだ。

「あのね、黒猫君。私、黒猫君が言った通り、すごくずるかったと思う。自分の気持ちをちゃんと分かってるのに人任せで流されて自分では行動しないで周りに全部任せてきた。そのツケが今ここにあると思う」

 そう言って俺を真っ直ぐ見上げる。

「私、キールさんが私達の結婚を発表しちゃったのを言い訳に自分の気持ちを偽ってきたと思う。黒猫君はもう気付いてるかもしれないけど、私ずっとその話題を避けてきたんだよね。だから今度はちゃんと向き合うよ」

 ま、待てそれは今俺が──
 そう叫びたかった。

「私、黒猫君の事、好きだよ」

 心臓がズクンと大きな音を立てた。

 真っ赤な顔で俺を見上げながらキッパリ男らしく宣言したあゆみに一瞬で舞い上がった俺の心は、だけどなんとか返事の言葉を絞り出そうとした途端、そのままズルズルと絶望の奈落へと落ちていった。
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