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第8章 ナンシー 

20 意地

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 黒猫君に逃げられた。
 私がやっと勇気を振り絞って生まれて初めての告白をしたというのに。
 何故かすごく暗い顔してフラフラと部屋から出て行っちゃった。
 返事が欲しいとは言わないからせめてもう少しここにいて欲しかった。

 アレでも私の一世一代の告白だったんだけどな。
 まあ、今思い返せば色気も素っ気もない。
 なんか沢山自分の事はなしちゃったし、その流れで思いっきりバッサリ告白しちゃったし。
 呆れられちゃったのかな。

 話疲れたのと置いてかれたのでしばらく茫然としてたけど。
 全然帰ってくる様子もないしもう諦めて寝る準備始めようかと思ってると黒猫君が部屋に帰ってきた。
 一言も言わずにドスンと私の横に腰を下ろした黒猫君、ムスッとしてまっすぐ前を睨んでる。そのまま視線を全く私に合わせずに宣言する様に話始めた。

「決めた。さっきのは聞かなかった事にする」
「は?」
「俺は何も聞いてない。お前も何も言ってない。いいか? お前の告白なんてなかったんだ」
「え? 何言ってるの黒猫君?」
「いいから聞け。俺言ったよな? ナンシーから帰ったら『言う』って」

 確かにいってた。何を『言う』のかはもちろんハッキリいってくれなかったけど。

「お前の言葉は嬉しい。けど返事はしたくねぇ。って言うか返事で済ませちまうような姑息な事はしたくねえんだ。俺だってちゃんと自分の言葉で自分の気持ちにケジメをつけたい」

 黒猫君の口調はなんか怒ってるみたいで。自分がしちゃいけない事したような気がしてくる。

「だがな、それをその時に言わねぇと俺には言える言葉がほとんど残ってねぇんだよ」

 そういってちょっとそっぽ向いた。
 
 ん?
 ちょっと待って。

 そっぽ向いちゃった黒猫君の顔は呆れてるわけでも怒っているわけでもなく。
 ……悔しがってる?

「つ、付き合うも何も俺達、もう結婚しちまってるし。一緒に暮らしてるし。か、身体のこと以外でお前にいえる言葉が見つかんなくなっちまう」

 身体って!? わ、わ、わ!
 え? でもそれは私に告白してくれる気だったって取っていいのでしょうか?
 でもって……ああ、ホントだ。私の告白を超えるインパクトのある言葉って『付き合ってくれ』とか『結婚を前提に』……って普通なるよね。あとは『一緒に暮らさないか』とか……

 全滅してる。確かに。

「は、ははは……」
「笑うな!」
「ご、ごめん。で、でもそれ全部黒猫君とキールさんのせいだから」
「知ってる。分かってる。今更だけど死ぬほど後悔してるし海より深く反省してる」

 情けない顔でこっちも見ずに黒猫君が拗ねてる。
 そっか。告白してもらえるのか。
 じゃあ黒猫君も私の事好きでいてくれてるんだ。
 今更ながら心がフワフワしてきた。
 ここしばらく続いてたモヤモヤとあの奴隷市見ちゃってからずっと続いていたズシリと重い気分が最後に塗り替えられて浮き上がった感じ。

「分かった。私何も言ってないから。待ってるよ」

 私は少し俯いてそう言った。自分の顔が赤くなってるのはよく知ってる。
 チラッと見ると黒猫君は口を抑えてあっち向いてるけど何か首の辺りが赤くなってる……
 ついそのままじっと見てしまった私に気付いてか気付かないでか、無理矢理話題を切り替えるように黒猫君がこちらも見ずに話し始めた。

「それでこんな話しした後だけどな。お前そろそろ風呂に入りたいんじゃないのか? さっき下に行ったらカールがもうみんな先に済ませたから共同の湯船を借り切って使えるって言ってたぞ」
「え? 何それ! ホントに!?」

 私の食いつきは多分さっきまでの黒猫君の告白話しより激しかったのだろう、黒猫君が「どんだけ風呂入りたいんだよ」って拗ねてるけどね。
 でもだってお風呂だよお風呂。まともなお風呂。

「それってでも私は入れるの?」
「……俺が手伝ってやる。ちょっと工夫すれば何とかなるだろ」

 うわ。お風呂には入りたい。でも黒猫君が手伝うってそれは……
 赤くなった私を見た黒猫君の顔が見るまに赤くなった。
 うわ、黒猫君が赤面するの、初めて見ちゃった……

「勘違いするなよ、お前を運んでやるって話だ。寝間着一枚犠牲にすれば風呂まで入れてやれるだろ」
「あ、そっかそうだね」

 二人で赤くなって汗かいてどうにも恥ずかしいったら。
 そんな私を軽々と抱き上げて黒猫君がベッドに移してくれる。すぐに「これに着替えろ」って言って戸棚から新しい寝間着を取ってくれた。
 今回数着支給してもらった寝間着はすごくシンプルな作りだった。2枚の布を肩と脇で縫っただけ。着ると膝丈になって袖もないから室内でしか着ない仕様なんだと思う。
 着替え終わった私を見て黒猫君が自分のシャツを上から掛けてくれた。

「下に行くまでその格好はここじゃ駄目みたいだからな」

 よく考えれば黒猫君に見られるのだって十分アウトだ。でもそれは今更か。黒猫君も何事もなく私を抱き上げちゃうし。
 お風呂上がりの着替え、新しいタオルとこの前貰った石鹸を一緒に持った私は黒猫君に抱えられて下に向かった。

 一階の奥には共同で使える様に作られた炊事場と小さな食堂、それとその奥に確かに湯船のあるお風呂場があった。お風呂場の手前の方はカーテンで区切られてる。カーテンの手前は小さな板張りの居間の様になっていて籐で編み込まれた椅子がいくつか置かれてた。廊下につながる扉の横には木札がかけてあって、使用中は裏返しておくのだそうだ。
 木札を裏返して着替えを椅子に置くと黒猫君が私を抱えたまま奥の部屋との仕切りのカーテンをくぐる。湯気が外に漏れないように下げられているカーテンはじっとりと濡れて重そうだった。
 湯船のある部屋はいつか見た洞窟の部屋の様に全体が石造りで窓が無い。光の魔晶石が結晶の形になっていてちょっとオシャレだ。
 その淡い光に照らし出された部屋を見まわしてちょっと息を飲んでしまった。
 だって壁一面に……

「あれ、富士山?」
「……無視しろ」
「そんな事いったってあれ富士山だよね。凄いちゃんと裾野まで富士山だよ」
「…………」

 黒猫君は壁一面に広がる富士山の絵を見てため息をつく。

「よりにもよって誰だよこんな文化持ち込んだ奴は」
「いいじゃん、富士山。お風呂らしくて」
「色気も素っ気もねぇ」
「え?」
「何でもねぇ」

 黒猫君はなんか納得がいってないみたいだけど。
 私はちょっと浮かれ気味に湯船を見た。
 そのまま私を湯船に運ぼうとする黒猫君に待ったをかける。

「待って、先に身体洗いたいよ」
「それは諦めろ。俺には無理だ」

 そう言って黒猫君は慎重に跪いて私をゆっくり湯船に入れてくれる。

「心配するな。お前の後は俺しか入る奴いないから」
「いやだってそれは黒猫君に悪いし」
「……じゃあ一緒に入るか?」
「……え?」
「冗談だ、忘れろ」

 く、黒猫君が壊れてきてる!
 どうもさっきの私の告白はそれなりに効果があったらしい。
 さっきっから黒猫君の挙動が今まで見たことないものになってきてる。
 凄く申し訳ないけどね、それ、メチャクチャ楽しい。

「いいよ、黒猫君がいいなら一緒に入ろ?」

 ついもうひと押ししてしまった。

「………………外で待ってる」

 ははは。い、今の長い間って黒猫君、悩んでくれたのかな。

 何か嬉しくて楽しくて。
 涙がこぼれた。
 私、ここに来て初めて本当に心の底から楽しいって思った。
 そっか。こんな状況でもちゃんと幸せな気持ちにはなれるんだな。
 湯船のお湯の中で身体を伸ばす。
 身体を洗う訳にはいかないけど広い湯船にゆっくりと浸かれる幸福感はかけがえの無い物だ。

 その上黒猫君。
 黒猫君が私に気があるらしい。
 黒猫君が私を好きらしい。
 黒猫君と二人で一緒に過ごして二人でこれからもやっていける気がする。

 頑張るぞ。きっと全部何とか出来る。そんな気がする。
 現金な物で夜の市場を見た時に胸に広がった無力感と絶望が一気に希望のある挑戦に思えてきた。
 心の持ちようできっと何でもやれることはあるんだ。きっとそうだ。
 私はゆっくりと一人お風呂の時間を堪能した。

 結局それから黒猫君に一度お風呂から引き上げてもらって犠牲にした寝間着を脱いで洗い場で身体を洗った私は再度それを絞って上から羽織る。それでもう一度黒猫君を呼んで外の椅子に座らせてもらってやっと普通に着替えができた。その度に律儀に外で待っててくれる黒猫君には申し訳ない事しちゃったけど。
 そのまま私を布団に入れてくれた黒猫君は「俺も風呂入ってくる。先に寝てろよ」と言い置いて部屋を出ていった。
 ありがたいなぁ。黒猫君のおかげで私、何かここでも人らしい生活ができちゃってるよ。
 私の胸を占めていた黒猫君への感謝の気持ちは、だけどイタズラに濃くて長かった今日一日の疲れとお風呂上がりの安心感であっという間に微睡みに押し流されていった。
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