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第8章 ナンシー 

15 お昼

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 ビーノが俺達を連れて行ったのは南通りを少し戻って西側に入った路地の一角にある店だった。
 そんなめちゃくちゃ高そうな店というのでは無く、少しいかがわしい香りのする店の二階だ。
 あゆみは……気付いたかどうか分からないが下で客引きしてる女が数人いた。俺に絡んできたが無視した。まずいな。頼むから俺達の部屋のすぐ近くで始めないでくれ。
 こういう店はだけど確かに安く個室が使える。しかも競争の激しい地域では飯も酒も大概安くてそこそこだ。ビーノも俺の懐がそこまでいいとは思っていないのか手頃な所に連れてきてくれたものだ。
 俺達は取り敢えず店の勧めるメニューとビーノが知っていた美味しいと評判の食い物を見繕って酒と一緒に頼む。やはりここもウイスキーは無かったので今ある一番強い酒を頼んだ。出て来たのはピッチャーの様な壺に並々と注がれた普通のワインだった。
 無論ビーノには茶だけ。
 あゆみは味見するというので俺と同じ酒をカップに分けてやる。
 流石こういう店のことはあってあっという間に飯が運ばれてくる。鳥の煮込み、牛の尻尾のスープ、堅焼きパン、キャベツの林檎煮。ビーノのおすすめは甘い卵焼きだった。

「あ、甘いよ! この卵焼き。この世界、お砂糖あったの!?」
「はぁ? 砂糖のわけないだろ。そんなのお貴族様の食いもんにしか出てこねぇよ。これは干した果物を刻んで混ぜてんだ」

 ビーノの言う通り、干した杏やぶどうの細かく刻んだ物が舌に当たる。それにしたってこれだけ甘くするにはかなり酒にでも漬けていたのだろう。

「え、じゃあやっぱりお砂糖はあるんだね。でも手に入らないんじゃ一緒か」
「いや、お前はどうせ砂糖が欲しいんじゃなくて甘いもんが食いたいだけだろ。だったら少し干した果物を買っておけばどうとでもなる」

 卵焼きはビーノとあゆみが競うようにして食べるので俺はそれを避けて肉の方に手を出した。

「それでビーノ、さっきの話を詳しく説明してくれ。まず何でキール……キーロン皇太子が直ぐに即位するって話になるんだ?」
「そりゃ王族が全滅しちまったからさ」

 あゆみと喧嘩しない様に半分に分けてやった卵焼きを口に運びながらビーノが答える。

「噂では中央の王宮内で大きな災害が発生したんだと。その場に居た王族が現王を含めて全滅しちっまったらしいぜ」
「どこからそんな話が漏れたんだ?」
「どこも何も5年前から王族がサインした書類がパタリと止まっちまったんだ。噂ぐらいあっという間に流れるさ。まあ、王族が居なくても中央の国の仕事は動いてるって話だぜ」
「それは王族以外にも行政を行える機関があったってことか?」
「行政とか機関とかムズカシイことはよくわかんねぇ。ただ王様や王族のサインが無くても最近までなんの問題なく全てが動いてたんだ」

 俺達の話に興味がわかないのかあゆみが勝手に俺の酒を自分のカップに注ぎ直した。そういえばこいつが酒を飲んでるのは初めて見るな。

「じゃあ何で今更キーロン皇太子を即位って話になるんだ?」
「まあそれは出てきちまったんだとさ。王族の代わりにこの国を治めるって言い出すバカが」
「それはどこの誰だ?」
「誰も本当の事なんて知らねえと思うが3人は名前が上がってる。先ずは西のヨーク伯爵。それに南のバース侯爵。そしてここの領主のナンシー公爵」

 ビーノはその歳に似合わずスラスラと名前を挙げた。

「ああ、それでこの話が軽々しく外で出来ないってわけか」
「ああ。ここでキーロン皇太子が浮上すると他の3人には勝ち目が無いからな。実際中央の出張政府はすぐにでもキーロン皇太子を即位させると息巻いてるって噂だぜ」

 ……キールのやつ知ってんのか知らねえのか何も言ってなかったな。

「それでどうして最近中央との取引が止まってるんだ?」
「それは俺みたいのに聞いたって知らねえよ。ただ街の人間は中央のやつが刈り入れ済みの麦を奪いに来るんじゃねぇかと恐々としてるぜ。なんせもう今年は麦の刈り入れは出来ねえんだからな」
「はあ?! 何言ってるんだ、街の外にはどこも麦が山ほど実ってたぞ!?」

 俺はつい少し声を荒げちまった。それを暗い顔でビーノが見上げる。

「ああ、そんなのは俺達だってよく知ってるさ。だけど農村の奴らは根こそぎ北に送られちまった。もう手遅れなんだ」
「マジか。なんでそんな……石炭か!」
「なんだそれ? 俺が聞いた話じゃ北に新しい街作って鉱山を拡げるって言ってたぞ」

 最悪だ。一体何考えてやがる!
 刈り入れの最も重要な時期に農民動かしてどうするんだ。食うもんもない状態で蒸気機関なんか作ったって何の意味もないだろうに。

「それは中央の要請か? それともここの領主の要請か?」
「俺達は領主の決定だって聞いてる」

 ここの領主も噛んでるのか? それとも別口でやばいことになってるのか。
 不味いのは『ウイスキーの街』ではちゃんと麦が収穫できてるって所だ。これだけ近い大きな街が麦不足にでもなったらあっという間に襲われちまう。しかもこの街だけじゃなくて多分中央も来る。何せここと西のヨークで中央の麦を満たしてきたようだしな。

「……今のところ中央とここは別口と考えた方が良さそうだな」

 そうなると今度は中央の様子が分からない事になる。一体今中央はどんな状況なんだか。

「……なあ兄ちゃん、姉ちゃん大丈夫か?」

 思考の海に落ちている時に突然ビーノがまるっきり違う事を言い出して一瞬何を言ってるのか頭が追いつかなかった。言われてふとあゆみを見るとあゆみが笑っている。

 笑ってる。
 微笑んでるじゃなくて笑ってる。
 俺を見てクスクス。ビーノを見てクスクス。カップを見てクスクス。

「あゆみ、お前大丈夫か?」
「ふふふ、大丈夫だよぉ。クククッ」
「…………」

 挙動不審な上真っ赤な顔のあゆみに嫌な予感がしてテーブルの上の酒壺を覗く。

 マズイ。俺の酒がいつの間にか空だ。
 こいつ一人であれ全部飲んでたのか。一体いつの間に──

「ビーノ、下行って水もらってきてくれ」

 酔っぱらったあゆみにため息を付きながらビーノに声を掛けたんだが。

「えー? 水ならここにあるよぉ。ほらぁ」

 俺の言葉に反応した真っ赤な顔のあゆみは嬉しそうにそう言ってテーブルの上で突然手から水を噴水のように吹き出し始めた。

「あ、馬鹿! やめろ! ビーノなんか桶もってこい!」
「うわ、姉ちゃんの魔法半端ねぇな」

 俺はどう考えてもいつもの基本魔法よりドバドバ出てる水に焦って椅子から飛び上がってあゆみを止めに入る。だが時すでに遅くテーブルは水浸し、床も濡れまくってビチョビチョだ。

「あゆみ、やめろって! 見てみろ部屋が凄い事になってるだろが!」
「えー? 濡れちゃったの? 私のせい? 仕方ないなぁ。じゃあ今火を出すからあぶって乾かせば──」
「ゼッテェやめろっ! ここ木造なんだぞ! 燃えちまうだろが!」

 火の出そうになってるあゆみの手を慌てて両手で握りしめる。するとあゆみのやつ突然真っ赤になって俯いた。そのまま俯いたあゆみの口から少し震える低い声が響きだす。

「く、黒猫君。いつも思うけどねぇ? そうやってハッキリしないのにぃ、色々するのズルいよぉ?」
「へ?」
「私にだってぇ、色々思ってる事ぉ、あんだからね。さっきだってものすご~く苦しかったしぃ。色々。色々なんだよぉ、ねえわかる?」

 そう言って俺を睨むあゆみの目が座ってる。さっきまでヘラヘラ笑ってたのがすごい顔で睨んでる。
 なんだ?
 俺が何かしたのか?
 でもそこであゆみが小さく「覚悟してね」っといった瞬間、そんな事は全部俺の頭からふっ飛んで行った。マズイ、これはあれをやる気だ!
 ここはいまビチョビチョで下手したら下の階まで濡れててビーノ──

「ビーノ! 逃げろ!」

 俺はとっさにそう叫びながらあゆみを抱えてジャンプした。
 まさにその瞬間。
 バチンッ!っと凄い音を立てて電撃が俺の体を駆け巡った。
 今まで以上の強い電撃に空中で俺の体がしなる。
 それでも何とかあゆみを落とさずに床に着地できたのは軽石のお陰だろう。

「あ、あゆみ、おま、いい加減、に、しろ!」

 半分痺れてる身体を何とか動かしてあゆみを支え、声を絞り出しながらあゆみを見ると。

「お、おい、あゆみ?」

 あゆみは半分白目むいて気を失っていた。どうも今回は自分の電流が逆流したらしい。
 あ、そうか。びしょ濡れで俺と手を繋いでたからか!

「おい、あゆみ、大丈夫か?」

 焦ってあゆみの体を揺り動かす俺を見たビーノが寄ってきてスッとあゆみの首に指をあてる。

「……兄ちゃん、これ姉ちゃん寝てるよ」

 言われてみれば、あゆみの胸はゆっくりと上下してるし、微かにいびきの様な物も聞こえてる。脱力した俺はがっくりとその場にへたりこんで部屋を見まわした。
 これ、どうすんだよ……
 俺は腕の中でぐったりとしてるあゆみとびしょ濡れの部屋に途方に暮れて深い深いため息をついた。
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