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第8章 ナンシー 

11 朝の街

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「あゆみ、ネロ、念のためこれを持っていけ」

 街に出かける事を伝えに食堂に行くとキールさんが黒猫君と私に小さな石をひとつづつ渡してくれた。
 昨日私が貰ったのとよく似ているけどこちらは白みがかっている。

「緊急信号の出せる光石だ。魔力を込めると一度だけ強い光を放つ。近くに警邏が居れば駆けつける事になっている。まあもしもの為の保険だと思って持っておけ」
「ありがとうございます」
「助かる」
「本当にお二人だけで大丈夫ですか?」
「ああ、昨日キールのくれた簡単な地図で大体の地理は分かったから何とかなるだろ」

 そう、夕食の時にアルディさんがこの街の簡単な見取り図の写しををくれたのだ。
 それによるとこの街は領主の館を中心に二重の壁に囲まれてる。外側の壁は昨日私たちが見た奴で、街の外との境界線。内側の城壁は領主様のお館と行政区域を街の他の部分から切り離しているのだそうだ。
 道は『ウイスキーの街』と同じように中心に南北東西を横切る十字のメインの道が通ってるけど、この内側の城壁の中には許可がないと入れないんだって。
 この兵舎があるのが南の区域で南門から中央に伸びる道を隔てて西側が工業区域、東側が商業区域なのだそうだ。

「市を見るなり店を見るなら南通り沿いか東側中央の広場に行くといい。今日は土の日だから蚤の市も出てるだろう」

 それは面白そう。黒猫君も顔を輝かせてる。

「まあ、俺たちが居なくてもここに戻れば夕食は食えるから好きにしててくれ。明日の朝は一度執務室で会おう」

 それだけ言ってキールさんも自分の準備をしにそそくさと部屋に下がっていった。

「じゃあ行こうか」
「ああ」

 街中は兵舎から歩いていくとなると結構な距離があった。
 まず兵舎の横の乗馬トラックに沿って私達の部屋のある東棟の裏を抜けて兵舎前の通りに出る。そこからちょっと行けば南門から内塀に向かって走る南通りの正に端。
 街の端にあたるこの辺りは2~3階立ての石造りと木造の長屋の様な家でどうやらみんな住宅らしい。『ウイスキーの街』で見かけた日干し煉瓦か泥塀の様な家に比べるとよっぽどマシに見える。
 まあ『ウイスキーの街』も真ん中あたりはきちんとした家が多かったけど。
 『ウイスキーの街』同様、道の真ん中は石畳で両端は土の道。ここは真ん中に馬や馬車がたまに走っていく。それを縫うように人も結構歩いてる。
 街の中心に向かっていけば行くほど人は増えてきて、最初はタラタラ自分で歩いていたのも人迷惑になってやっぱり黒猫君に抱えられて歩く事になった。
 しかも今度は人の邪魔にならない様にと何か太腿の裏に腕を回して真っすぐ抱え上げられてる。
 子供じゃないんだからこの持ち方は結構持ってる方の負担がキツイと思うんだけど。
 
「それ疲れないの?」
「いや、軽石のお陰で全然重くないぞ。それより俺の頭に掴まっとけ、危ない」

 確かに結構走ってる人も多くて黒猫君の言う通り、ちゃんと掴まってないと危ないのは確かだった。
 でも黒猫君の頭に掴まるって。被ってる手拭いの下には猫耳があるからどこをどう掴んでいいのか。
 一瞬私が躊躇してる間に後ろからドシンっと誰かにぶつかられる。
 思わず後ろに重心が移りそうになり、慌てた黒猫君に無理やり抱き寄せられた。
 ……何でそんなに躊躇なくギュッと抱きしめるの、黒猫君!
 一瞬身を固くした私をちょっと困った顔で見上げながら黒猫君が続けた。

「だから言っただろ、もっと街の中心にも行きたいんだったら大人しく掴まっててくれ」

 私たちにぶつかった人は振り返りもしないで歩き去った。まあ、私だって東京で育ったんだから人ごみには慣れてるけど何か人の動き方が私の知ってるのと全然違う。
 遠慮が無いって言うか自分勝手って言うか。その癖ジッとこっちを見てくる。黒猫君に抱えられているせいか視線が痛い。
 それでもこれ以上黒猫君に迷惑かけたくないし仕方なく黒猫君の耳の辺りを潰さない様に気を付けながら黒猫君の首に腕を回した。
 あ。黒猫君の耳が手ぬぐいの中でピクンと動いた……

「あゆみ、最弱の電撃を用意しとけ。次の当たってくる奴はそれを放つんだ」

 そこから5歩も歩かないうちにちょっと緊張した声で小さく呟いた黒猫君の言葉に私は慌てて雷魔術の信号を思い出す。

 最弱なんてそんな調節出来るのかな?

 手のひらに魔力を本当に微量集めて準備すると、すぐその直後に今度は横から掠る様に一人の若い子がぶつかってきた。多分年齢はパット君よりちょっと若いくらい。
 え?! この子にやっちゃうの?

「やれ!」
「ぎゃっ!」

 黒猫君の掛け声で仕方なく電撃を出したけど申し訳なくて見返してしまう。
 だけどそこで黒猫君がなぜ電撃を出せといったのか直ぐに分かった。だって道端に転がてしまったその少年、私のお財布を手にしてる!

「残念だったな。おのぼりに見えたかもしれねぇがこういうのには慣れてんだ。次はないからもうやるなよ」

 黒猫君は私の財布を取り返して自分の懐に入れ、代わりに自分の懐から銅貨を一枚出す。
 私の電撃を食らって軽く転倒した少年を私を支えてない方の手で起こしあげてその手に今出した銅貨を握らせた。

「これに懲りたら仕事探せ」

 そうってその少年を置いてスタスタと歩き始めた。私は黒猫君の肩越しにまだその少年の顔が見えたんだけど、少年、俯いててその表情は読み取れなかった。

「ああいうのは最初が肝心なんだ。やってるのはあの坊主だけじゃない。どうせ周りで何人か見てただろう」

 黒猫君が誰にと言うわけでもなく話し始めた。

「アレをみたら俺たちに手を出そうって馬鹿はかなり減るだろう。あゆみ、朝ご飯はここでどうだ?」

 黒猫君が一軒のお店の前で立ち止まった。
 これは何と言うか……屋台だよねこれ?
 誰かの家の壁の前に設えられた小さな店らしき物を中心に道端に適当に広がってる。
 さっきっから道に漂っていた肉の焼けるいい匂いはどうやらそこから来てたらしい。
 屋根が付いているのは厨房らしき場所だけ。その周りに腰かけの様な椅子が沢山置いてある。
 朝からお肉かぁ。
 メニューみたいな物は見つからないから焼いてる所にあるものを見て注文するらしい。

「兄ちゃん。俺に一本おごってくれるならマシな店に連れてくぞ」

 突然後ろから声がした。黒猫君が私ごと振り返るとさっき電撃で倒しちゃった子がこっちを見上げてた。黒猫君はチロリと私の顔を見て大きなため息をつく。

「俺はこいつを抱えてるから他の奴の面倒は見れない」
「べ、別に面倒見てくれなんて言ってないだろ。おごれって言っただけだ」

 黒猫君はそれを悲しそうな目で見ながら答えた。

「この店は駄目なのか?」
「ここも悪くねえが魔物の肉が混じってる。余所から来た兄ちゃん達だと腹壊すかもな」

 黒猫君はちょっと思案して店の店主に声を掛ける。

「なあおっさん、ここの肉ってどんな魔物の肉が混じってるんだい?」

 焼き場のオジサンがちょっと眉をしかめて返事を返す。

「あんたらだって土ブタは知ってるだろ。この辺りはアレとオークの間の子が結構多いんだよ。オークの血が混じってるから肉が多くてな。匂いは少し強いがうちのは特製のソースに漬けてるから美味えぞ」
「魔物の肉が混じって無いやつもあるんか?」
「こっちの土ブタのは混じってねえが値がはるぞ」
「それぞれ幾らだ?」
「混じりが一本20円。混じりなしが80円だ」
「じゃあ混じり2本と混じりなし1本くれ」
「毎度」

 オジサンが新しい串を屋台の焼き場に追加するとタレの焼ける匂いが増した。
 ふと見るとさっきの少年が悔しそうに唇を噛んでる。そっか、黒猫君がここで注文しちゃったから交渉決裂なのか。

 「おい、なんか飲みもんは有るのか?」
 「うちじゃ置いてないぞ。茶ならそっちの婆ちゃんが売ってるからそっちで買ってこい」
 「坊主、茶が幾らするか知ってるか?」
 「銅貨5毎だ」

 そこで店主を振り返って黒猫くんが尋ねる。

 「なあ店主、今この街では大銅貨一枚が銅貨で幾つだ?」
 「今月は6枚だ」
 「……高え茶だな」

 ジロリと黒猫君が少年を見る。
 少年がちょっと焦って言い直す。

「ど、銅貨3枚だったかもしんねえ」

 それを見た黒猫君はニヤリと笑って自分の財布から大銅貨を3枚、少年に渡した。

「じゃあその茶を3杯買ってこい。釣り銭は持って帰ってこいよ」

 少年は手渡された大銅貨を見つめてはっと黒猫君の顔を見て頷いた。
 少年がその大銅貨を握り締めてその場を離れると黒猫君が私を困った顔で見てきた。

「悪いあゆみ。俺いらないもん拾っちまったかも知んねぇ」

 私はついちょっと笑いそうになる。私が猫拾っちゃうときってきっとこんな顔してたんだろうな。
 だからおばあちゃんがいつも言ってたセリフが思わずこぼれた。

「拾うのは構わないけどちゃんと責任持って最後まで面倒見てね」

 私の言葉を黒猫君が目を見開いて見てる。
 あ、しまった。少年を猫扱いしちゃったよ。

「ああ」

 なのに黒猫君はなぜか切なそうな顔をして、少年を見た。

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