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第7章 変動

13 意気地なしの英雄2

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 そこからは秒読み……のはずだった。
 キールは明日の朝一番にここの奴らを集めて発表すると言いやがった。
 その前に何としてもあゆみに自分で伝えたい。何をだ? 決まってる。自分の気持ちだ。
 こんな強引な形で追い込む事になるなんて卑怯にも程がある。
 キールはそれなりの優しさで俺を追い込んでるのだろうが、で、しかもそうやって追い込まれなきゃ動けない俺が一番情けないって話なんだが、それでも俺はこんな事あゆみに中々言えないし……それにしても時間がない。
 焦燥と言い訳が頭を駆け巡って気持ちは今すぐ行こうと思うのに足が動かない。
 グダグダと言い訳を考えながら結局キールの執務室でそのままキールの抱えてる買掛の支払い作業を手伝っていた。

「お前いつまで逃げるつもりだ?」

 支払い作業も大方終わって夕食も終え、書類の片付けをしている俺に執務机に肩肘付いたキールが呆れ顔で尋ねた。
 キールのその一言でピタリと手が止まり、手の中の書類に皺が寄るほど手に力が入る。
 とうとう胸に詰まってた言い訳が口をついて出た。

「俺はこんな顔だし……」
「ああ、いいご面相だな。俺と変わらねえくらいの強面だ」

 キールは強面だが色男だ。何かが大きく違う。

「俺、学校あんま行ってねぇし」
「俺は一度も行ったことねぇぞ」

 お前のは家庭教師が付いてたからだろ。

「人間じゃねぇし」
「それが何か問題か?」

 問題は無いらしいが……。

「あいつ……俺を猫としか見てねぇし」
「猫としか見てないやつ相手にあんな真っ赤になって恥ずかしがるかよ」

 そこでキールが呆れた様にため息をついた。

「あのな、お前いい加減うざい。出てけ」

 とうとう呆れ返ったキールに最後通牒を突き付けられ、俺は情けない気持ちで部屋を後にした。
 そのままあゆみの部屋の前まで来て立ち止まる。
 ノックをしようと手を上げて……でも思い留まる。

 一体なんて言えばいいんだよ。相手は俺をまるっきり意識してねぇんだぞ。突然俺があいつをそういう対象として考えてるなんて言ってもあいつ困るだけじゃねぇのか?
 大体あゆみには俺以外、他に誰もこの世界であっちの事を共有できる奴は居ないんだ。今回の体調のことだって俺には話せても他の奴には言えなかっただろう。それはある意味信頼されているって事ではあるんだろうけど同時に俺が圏外だからこそ出来るんで……
 でもじゃあ俺はそれが俺じゃなくて他の奴になっても許せるのかよ? 許せるんだったら最初っからキールにトーマスでもあてがってもらえば良い話だ。
 要は今の俺はあゆみの圏内に進み出る勇気がないくせに他の奴には取られたくないチキン野郎って事だ。

 ダァー! 面倒くせぇ。やめたやめた。考えてもしょうがねぇ。

 柄にも無くさんざんぱら悩んだ末に俺が出した答えは至ってシンプルだった。
 言やぁいいんだ。一言。惚れてるって。
 それで振られたらキールんとこ戻ってトーマスなり他のヤツなりを勧めてもらおう。そうすりゃ俺以外にも頼れる奴ができていつかは俺もお役御免だ。
 俺がやっと決心を付けて扉を叩こうと手を上げたその瞬間、何かが俺に体当りするように俺の両肩をガッシリと捕まえた。

「おい、ネロ、ちょっと顔かせ」

 その声に振り向くとそこにはどんよりと暗い顔をしたトーマスが立っていた。
 今正に一番会いたくない奴に捕まっちまった。
 俺は大きなため息をつきながら、でもちょっとホッとしてあゆみの部屋のドアをもう一度見返す。
 閉ざされたまま静かに佇むその扉を見つめながら、すぐ戻ればいい、そう自分に言い聞かせて俺はトーマスに引きずられる様にしてその場を後にした。


 厨房は既に明かりが落とされ、窓から差し込む月明かりだけで照らされていた。

「このイーストって奴はパンだけじゃなくて酒にも使えるんだな」

 突然ここまで引きずってきて訳の分からない話を始めたトーマスに一瞬戸惑った俺は、だけど我慢してこいつの話を聞くことにする。もし俺の告白がうまく行かない時はこいつなら安心してあゆみを頼めるな、脳裏ではそんな事を考えていた。
 そんな俺に椅子を勧めて自分もその隣に座り、素焼きのコップに1杯の飲み物をトーマスが差し出した。

「昨日のお前の説明を真似して作ってみた。蒸留なんて出来ねえから絞っただけだがな」

 すげえきつい臭いがコップから立ち上がっている。懐かしいホーム・ブリューの臭いだ。二日酔いしか後はない貧乏人の臭い。世界中何処でも作ってた。
 悪いが俺は酒には強い。これでも散々色んな国で分けわからない自家製を飲まさせられてきたんだ。これくらいなら景気付に丁度いい。
 そんな事を考えながら一口口に含む。蒸留してないのでイモの匂いと酸味が残っている。それを飲み下した俺を見ながらトーマスが小さく笑って続けた。

「結構強いだろ」
「いや、蒸留してないからそれ程でもない」

 そう言って俺はもう一口煽った。ちょっと首を傾げる。イモ臭いだけじゃなくて何か臭うよな?

「それな。確かに蒸留してないんだがな。何か絞ってる時からやけに蒸気出てたんだわ。シュウシュウ言って。瓶に詰めてからも続いてた」
「はぁ?」

 俺は耳を疑った。発酵の過程でそこまで行くなんて聞いたこともない。だが待てよ。これ、ドンタスに見せてる時あゆみが掻き回してなかったか? まさかまたあいつか?

「昨日の祝賀パーティーで俺達飲むもんが無くなってな。仕方無いからそれを飲んだんだ。その後の記憶がある奴がいない」
「はぁ?」

 俺さっきっからはぁっしか言えてねぇ。なんかマズイ。

「あんたが今夜あゆみに告白するだろうってキーロン殿下とテリースが話してるのを聞いちまった」

 目が回る。そんなバカな。

「お前があゆみの事を好きなのは知っている。しかもあゆみさんも多分……」
「はぁ……?」

 途中でトーマスの声が消えた。自分の声も聞こえない。

「あゆみさんはきっと……」

 マズイ、今日はマズイ……

「だから今夜だけ、俺に譲ってくれ」

 おい、トーマスお前何考えてる? 正気か? おい、やめろ、それお前の為にも、止めてくれ……
 そう叫んだと思った時には俺はどうやらもう既に夢の中だった。


 スパナで側頭部連打されてる様な激しい頭痛で目が覚めた。

「ネロ君、起きましたか?」

 何故かテリースの声がする。目を開くと逆さのテリースの頭が見える。俺はどうやら厨房のテーブルの上で寝ちまったらしい。身体を起こすと暖炉で湯を沸かしているテリースと目があった。

「おはようございます。結局昨日は言えなかったんですか?」
「昨日……昨日! ちょっと待てまさかもう朝か?」

 厨房の窓から射し込む日差しに目を細めるとテリースが呆れた顔で俺を見た。

「何を言ってるんですかもう昼近いですよ」
「そ、それじゃ、まさか」
「ご結婚おめでとうございます。もう正式に皆さんご存知ですよ」

 テリースの言葉に一気に血の気が引いた。

「そ、そんな馬鹿な……ト、トーマスの野郎」
「ああ、トーマスさんなら昨日あゆみさんの部屋の前でクロエさんにこっぴどく叱られてましたよ。常識外の時間にしかも病気のあゆみさんに会おうと詰め寄ったって言ってましたね」

 俺はそれを聞いて青くなった。
 もしかしてトーマスが邪魔しなくても俺はあの時既に時間切れだったのか……

「今朝キーロン殿下の発表を聞いて酒瓶持って部屋にこもりました」
「あ、あいつ俺を酔い潰しといてそれかよ……」
「まあ取り敢えず外で水でも浴びてきたらどうですか? 昨日のお酒がかなり匂ってますよ」

 俺は顔を顰めるテリースに返す言葉も見つからず、激しく痛む頭と胸を抱えて誰もいない外の井戸へと向かった。
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